明日できること今日はせず 

身辺雑記より:芭蕉と森下を歩く

2009・12/15

アダージョ2月配布号は、いつか来るとは思っていたが、ついに写真すら残っていない時代の人物である。画は残っているが、それだって100年後に描かれた物だったり、それぞれの時代の絵師が、自分のイメージで描いているので、一つとして同じものはない。背景になる特集場所も、本日ようやく決まったが、地形も変わり、都営地下鉄駅どころか、その時代の風景など、爪の先ほども残っていない。特集場所は動かしがたいとなれば、その人物がどこに立っていようと、時代は合わない変わった画になることは初めから決まっている。なんだこれは?といっているうちに本文にはいってくれれば、私としてはいいわけだが、今のところ画も浮かんでいない。明日は自転車に乗って現地を廻ってみるつもりでいる。


2009・12/16

自転車でアダージョ背景撮影場所を探索。特集人物の銅像もあったが、東京都だか区だかが作った物にロクなものはない。 某施設に行くと、特集人物に詳しい方がいて、色々伺うことができた。近所の文化センターから事前に連絡しておいてもらったので話が早い。ある川に目星を付けていたのだが、伺ってみると、見当違いだったことが判った。史実に忠実にしたほうが面白い場合と、しないほうが良い場合があるが、その匙加減が難しい。あまりに昔の人なので、現代の風景の中にどう立たせるべきか。施設内で販売していた人物の肖像集を購入。各時代の絵師が思い思いに描いている。私としても条件は一緒。なんとなく老人であれば良い。ただし着衣、持ち物は定番ともいうべき物が決まっていて、これは外せない。これを外せばただ老人ということになってしまう。帰りにさらに探索し、ひとつ候補地を見つける。

※江東区芭蕉記念館

※この時点では、私もそこらの銅像のように、適当な老人像を作れば良いと考えていた。


2009・12/17

先日思いついた撮影場所だが、なにしろ数百年前の人物なので、私の腕力では現代の風景に入れることは難しい。夜ならどうか、と再度出かけてみたが結果は同じであった。

※芭蕉庵跡近くにある万年橋は浮世絵にも描かれた橋ではあるが、現在は当然鉄橋で、付近の風景には風流のフの字もない。


2009・12/18

そろそろ人物像制作にかからないといけないが、生前、その人物にかかわり、面識のあった人物が少なくとも3人、肖像画を残している。以後数百年にわたり、それをもとに後世の人物により、デフォルメや勝手な?解釈を加えられながら描き続けられてきたわけだが、私も当然、その3人の人物の作品を元に制作すべきであろう。

※この時点で3人の門弟が残した肖像画が、画風もそれぞれながら共通点があり、確実に1人の人物をイメージしたことが判った。


2009・12/29

夕方、カメラに三脚をかついで自転車で撮影に行く。数百年前の人物を現代の背景に配するのは妙なものなので、ただそのまま撮ってもつまらないだろう。上手くいくか判らないが、時間差を付けた2カットを重ねてみようと思っている。本来こういう撮影はデジカメのほうが適しているのだろう。前回見ておいた撮影ポイントに到着すると、大きなバイクが違法駐車していて邪魔。地元の催事だかの旗まで立っている。出直すことにする。今日は時間による光線の変化をおおよそ把握することができた。明け方撮影する方法もあるかもしれない。

※現在の万年橋に芭蕉を配するには、あまりに画にならないので、多重露光などを使い、雰囲気を変えられないかと考えていた。


2009・12/30

アダージョ2月配布用の人物、未だ制作に入らず。当時の関係者の描いた画は残っているが、昔のもので、かなりデフォルメしている。おおよそこんな顔だったろう、ということは想像がつくが、写真を参考にすることなく勝手に作れるので時間もかからないだろう、と踏んでいる。それと、その人物の像を作るにあたり、これだけは読んでおく必要があろう、という本を急遽アマゾンで取り寄せ、読み始めている。どれだけ反映されるかどうかは判らないが、読んでおいた、ということが重要である。泉鏡花で初めて着物を制作したとき、しばらく家の中で着物で過ごしたが、己が姿を鏡でみて参考に、ということは全くなく、私は着物を着たことがある。ということが肝心なのである。それと似たようなものであろう。作るのは読み終わってからにする。

※嵐山光三郎著『悪党芭蕉』(新潮文庫)


2010・1/12

友人から電話。どう?アダージョの進み具合は。「今日、頭を作り始めた」。アダージョ2月配布号の締め切りは今月末なのに。「写真も残っていない大昔の人なんだから、イメージで作ればいいんだろう?」確かにそうである。数百年前の、肖像画しか残っていない人物なのだから、たとえば与謝蕪村のように、自分のイメージで描けばばいいこと。確かにそうである。かつて私はイメージで架空の人物ばかり作っていたし。しかし、この人物は間違いなく実在した人物である。生前の姿を知って肖像画を描いている人間が数人いて、その肖像画を比較して、耳鼻口はこれ、目は多数決でこちら、と考えているうち開始が今日になってしまった。  何度も書いたことだが、私がアダージョで夏目漱石を作った時、資料写真の鼻筋に疑惑を感じ、大事をとって正面を向かせた。しかし直後に開催された、江戸東京博の『夏目漱石展』に展示されたデスマスクは、一般のイメージと違った見事なカギ鼻であった。(昨年、松涛美術館で開催された『野島康三展』で、犯人は野島の弟子の一人と判明した。ただしクライアントに無断で写真師が修正するとは思えず、漱石自身の指示によるものであろう)同時に会場に展示されていた、映画『ユメ十夜』の宣伝用に500万かけて作られたという等身大の漱石像は、鼻筋がまっすぐであった。私はそれを観て思うわけである。『シビアさが足りねェんだよ!』  アダージョは15万部配布されている。しかし表紙に関して読者が云々することはほとんどない。だが、どこかの誰か、例えば会社帰りにアダージョを手にしたミスターX。彼はかつてその人物のファン、あるいは卒論のテーマにしていて、そのXに、『こいつ、こんなことまでしていやがる』とウケているところを私は夢想し、そのいるかどうかも知れないXに対して、私は手を抜けず、ファイトを燃やすのである。『そんなこと誰も気にしていないよ』とは、再三再四いわれることだが、Xに『シビアさが足りねェんだよ!』とだけはいわれたくないのである。

※ここに来て、門弟達が芭蕉像を残しているのに、あまりに無視されているの事が、哀れに思えてきた。


2010・1/14

あらかじめアダージョ編集部より撮影許可を取ってもらっている。受付で書類にサインをし、撮影開始。向うから二人のおばさん。「かわせみいますか?」「いえ、鳥を撮っているんじゃないんで判りませんねェ」「あら、そう?さっきからヘンな所にカメラ向けてるから」「・・・・。どうせ私はヘンなところばかりにカメラ向けてますよ。今日は人形を持ってないから良いようなものの、結構気にしているのである。だがしかし、今日の私はいつもと違う。腕には(財)東京都庭園協会の腕章である。これはつまり、ヘンなところにカメラを向けていても、深い事情があり、私はちっとも悪くない。ということを示しているのである。つまり堅気としての撮影である。シャッター音を気にし、カメラを懐に隠すこともない。罪悪感のカケラもないすがすがしい私は、青空の元弁当まで食べ、撮影を終えた。腕章を返しに管理事務所に行くと、園内の地図を示され、どの辺りで撮影したかを訊かれる。地図には升目がびっしりと引かれ、魚雷戦ゲームのようである。一枡1平方mで100円。「池の水面はカウントしないことになってます」。計算機片手の事務員。今回広い園内の、極一部を切り取ったのだが、真上から地面を撮ったわけじゃなし、遠景まで写っているから、「あのー、こっちの方まで写っちゃってますけど・・・」。もっとも、それは書類上のことで、今回は園の紹介もするということで使用料は免除、ということであった。地図の升目には驚いた。


都営地下鉄森下駅に芭蕉に相応しく、表紙に使えそうな場所ないので、隣りの清澄白河駅近くの清澄庭園を背景にした。

※清澄庭園は広大な池があるが、古池の感じを、ということで、池のほんの端を撮影。


2010・1/19

ようやく頭部が完成する。こんな完成が遅いのは初めてである。もっとも資料など調べて、誰が本当のことを伝えているか、誰の鼻が捏造だろうか、などと、頭の中でモンタージュを繰り返し、デフォルメされた昔の日本画を見ながら、考えている時間が長かった。


2010・1/20

頭部が完成し、胴体に入るところで、いつものことだが、気になるところが目に付いた。微笑ませているつもりはないのだが、なんだか笑って見える。ナニ笑ってんだ、と直しにかかるが、何故か、なかなか笑うのを止めない。思いのほか手こずってしまった。私は、架空の黒人を作っていた頃、そのごく初期を除いて、表情を作ることはしない。人には、“泣き笑い”という表情もあるが、おおよそ表情のあるものは、その表情にしか見えないが、無表情なものは、見る人の状態によって、様々な見え方をするものである。能面は、その最たるものであろう。まして撮影までするようになると、光線のあて具合で、様々な表情を抽出することができるようになった。そのような理由もあるが、この人物がここで笑っているのもおかしいと、仕上げを含めて時間がかかってしまった。


2010・1/25

アダージョ次号の人物は、古すぎて誰も知らないわけだし、想像で作ればよいだろう、と傍からいわれる。私はもともと資料その他、何かを参考に作るのが嫌いで、架空の人物専門であったので、むしろ、そのほうが得意だと思うのだが、具合が悪いのは、その人物と生前、交流があった弟子達が、肖像画を残している、ということである。私は常日頃、本当の事などどうでもいい、と頭に浮かんだ勝手なイメージで作っているが、上手い嘘をつくには、本当のことを混ぜるのがコツである。実在した人物である限りは、そこにはこだわりたい。  弟子達の描いた肖像画は、作風、画力に違いはあるが、鼻、口、耳は、ほぼ同じ形というのが面白く、本人の遺品や書き残された文字などを見るより、よほど本当に実在していたのだ、という気にさせられた。輪郭はまるで違うが、年齢、体調にもよるだろう。目つきも違うが、弟子達の師匠に対する感じ方が、目の描き方に出るのであろう。そういう場合は、すべて多数決で決めていった。そうしていくと、ある弟子が描いた物が一番実像に近い、と私は判断したが、それがモデルの生前に描かれたものだったので、得心した。  それにしても全国各地にに多数ある、銅像、石像の類は、弟子達が、師匠はこういう人だ、と懸命に描き残しているのに、まったく無視され、まるで昔話の爺様あつかいで、好き勝手に作られている。地元の商店会の会長や、酷いのになると、浮気がばれて怒り心頭のカミさんの親父さんに、「お父さん、○○様のイメージにぴったり!」などと点数稼ぎにモデルに使った物まである。というのは私の想像だが。

※森川許六


2010・1/27

ようやく乾燥に入る。乾燥させながら細部の仕上げ。


2010・1/28

小学生からの幼馴染Tより電話。  佳境に入った人物像のメール画像を見て、「よく似てる」。Tは単に、この人物の定番のコスチュームについていっているに過ぎないと思ったが、どうやら某所の銅像が頭にあるらしい。「あんなのと一緒にするな」。  この人物、没後から現在にいたるまで像が作られ続け、各地になんと1500から2000体ある、といっているサイトを見て仰天したばかりだが、Tには、門弟たちが描いた肖像画が、いかに無視され、勝手なものが作られているかを話し、最近作られた笑止千万な像の、除幕式の画像を送った。「幕を外した時、どよめいたと思うんだよな」。


2010・1/30

帰り際、Hさんから今晩満月だと訊いた。来週早々締め切りのアダージョに、丁度満月を入れようか決めかねていたのである。-
帰宅後着彩を始める。細々と部品はあるが、ほぼ黒ずくめなので、時間はそれほどかからなかった。夕方完成。続いて、マンションの屋上に続く階段に三脚を立てて撮影。階段の高さによって、様々な光の状態を選べる場所があり、丁度50センチ前後の人間を撮影するのに最適である。すでに撮影済みの背景に合わせて構図は決めてあるので、フィルム1本で終了。現像に出している間、ほぼ満席のK本にて30分だけ過ごす。1カットを選び、フィルムのスキャニングに麻布十番の田村写真に行くが、休み。あとで訊くと、急遽写真展のレセプションに出席ということであった。これで今日はやることがなくなってしまったが、これは、アダージョの表紙に、今晩の満月を入れろ、ということだと解釈する。  -屋上で満月を撮影し本日終了。

※行きつけの飲み屋の主人。


2010・2/1

あらかじめ撮影しておいた背景に、人物を配置する。真っ昼間に撮影した背景だが、それを夜に変える。もっとも本当の夜にしたら表紙にはならないので、“今は夜です”という意味で、土曜日に撮影しておいた満月を配置する。浮世絵では良くやっている。これは、ある音が重要な画なのだが、日中だと、その音が響いてこない。月夜の晩なら良く響きそうに見える。 完成作に、関係各位は『けっこう勇ましい顔でギガびっくり』『意外とモサい』などの反応である。  私の今回のテーマは、そこら中にある、好き勝手に作られた人物像の『人の良さそうな老人にしとけばいいや』。と、昔話の好々爺みたいな像ばかり、ということに対する疑問から始まっている。何故、彼の生前、門弟達が、『師匠はこんな人である』。と描き残しているのに無視するのか。実在した人物である限り、彼等の意を尊重すべきだ、と考えたのである。しかし、そうはいっても、数百年前の、西洋の写実的表現など無い時代の日本画であるから、数点の作品の中に共通点はあるものの、別人といっていいくらい、感じたまま描かれているので、そこから“実像”を、どう読み取るか、ということが問題であった。私は確か、当初時間はかからないであろう、というようなことを書いた気がするが、筆の一本線で描かれた中から導き出すには、ただジーッと見つめ、人物が浮き上がってくるのを待つしかなかった。  この人物は、30代で翁の貫禄だったそうで、老け顔だったのであろう。寿命が今より短かった時代でもある。それにしたって、この人物。死んだのが、今の私より数歳若い時である。老人像ばかりで、そもそも、それがおかしいだろう!と私はいいたい。

※蛙飛び込む水の音


2010・2/2

門弟が、師匠の肖像画を残しているに係わらず、ほとんど無視され作り続けられた肖像画、像の類に、門弟等の無念を感じ、彼等のために、できる限り師匠を再現したつもりであったし、そうもいっていたのであるが、昨日の雑記を読むと、むしろ、私より若くして亡くなった人物が、老人扱いされていることが、まず気になっていたような感じで、胸に手を当ててみると、確かにそうだったかもしれない。この人物、若くして周囲から翁と呼ばれ、本人もそう名乗ったりしていたようだが、私が思うに、トレードマークになっている杖がいけないのではないか。あれは老人だから、というより旅行道具と見るのが妥当であろう。
昨日、雪が降ったことも知らず、T屋で朝食をとり、麻布十番の田村写真に行き、色見本を受け取り、京橋の中央公論新社に届け、ついでに次号用のロケハン。  
-T屋で主人のHさんに、教えてもらった土曜日の満月、アダージョの表紙になるよ、と色見本を見せる。この男、極々たまに良いことをいう。


2010・2/3

帰り道、先日まで、私が制作していた人物の銅像の前を通った。門弟の別邸跡で、ここに師匠を一時住まわせたらしい。その門弟も師匠の肖像画を残しているんだから、せめて少しは参考にして作ってやるべきではないのか?。銅像なんて頑丈な物作っちゃって。お役所も、こんな所は気前が良い。いったい何処の誰なんだこのジジイは。

杉山杉風の採茶庵跡。杉風は女優の山口智子の先祖らしい。


2010・2/5

先日完成したアダージョ用の人物画像を、人物にゆかりの某所にお住まいのNさんにお知らせすると、『老いさらばえていないところが、じつにいい』とお褒めいただいた。地元にも像が1体あるが、地域ぐるみで年寄り扱いしているそうである。私でも知っている有名書家も、「某所の像は年寄りじみているからあかん」といっていた、と伺った。 日本人が年寄りにしておきたい、年寄りと思い込みたいのには、その方が、人物の発言に趣が感ぜられる、などの理由があるのだろう。Nさんは、アダージョの表紙を見て、翁ではないことにびっくりしてしまう市民も少なくないだろうと思います。とおっしゃっているが、配布されるのは、都営地下鉄駅限定なので、その恐れはないが、妙に生臭そうな私の作品に、まったく違う、と都内の特に、お年寄りからの反発が起きるであろうことは想像に難くない。これじゃ横で鼻毛抜きながらスポーツ新聞読んでる、ウチの息子と変らないじゃないか、などと。だったら、そう思い込んだまま、あの世に行っちまいな、などという酷いことを考えてはいけないと思います。

伊賀方面。

莫山先生。


2010・2/24

《制作ノート》

“月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり”『おくの細道』冒頭より。 私の制作した芭蕉像には、おそらく多くの人が違和感を感じるに違いない。芭蕉の肖像画、銅像、石像、木像の類は、没後数百年の間に、全国各地に膨大な数が作られ、今も作られ続けている。しかし芭蕉の門弟達が、師匠の肖像を描き残しているのに、なぜか無視され、勝手な老人像が作られ続けている。さらに、いくら現在より寿命が短い時代で、老け顔だっらしいとはいえ、私より年下で、一日4、50キロ歩いたという人物を、あまりな老人扱いである。そこで芭蕉像を作るにあたり、それが例え与謝蕪村だろうと、創作された芭蕉像はすべて無視し、間違いなく芭蕉と面識のあった門弟、森川許六、小川破笠、杉山杉風が残した肖像画のみを参考にした。当然、芭蕉はこうだったらいいな、という私の創作者としての欲もできるだけ排除した。  そうはいっても、西洋的写実表現の存在しない時代の日本画であるから、デフォルメされた表現の中から、実像をイメージするのは難しいが、画風が異なるにも係わらず、大きな鼻と耳に、小さめの口の形は、ほぼ共通であった。輪郭、目つきは、破笠のみが異なっていたが、許六、杉風は、いくらかつり気味の目に、下膨れの輪郭が共通なことから、多数決で、こちらを採用した。そう思うと、本文に掲載されている、森川許六が描いた『おくのほそ道』旅立ちの図として、曾良と思われる人物と共に描かれた作品が、その画力からしても、もっとも芭蕉像に近いと私には思える。加えて、芭蕉の存命中に描かれているところにも意味がある。  背景は清澄庭園である。『蛙飛こむ水の音』の図だが、普通頭に浮かぶのは“チャポン”という音だと思うが、実際は最初の水しぶきが“チャ”であり、直後の波紋で“ポン”となる。つまり実際はこうはならないが“チャポン”という音を捏造してみた。嵐山光三郎さんの『悪党芭蕉』(新潮社)によると、蛙はヘビなどの天敵に襲われそうになったときだけ、水中に飛び込むそうで、しかも音を立てずにするりと水中にもぐりこむので、これは芭蕉のフィクションだ、ということである。 撮影したのは実際は晴天の真昼間である。夜にしたことにより、水の音が、より周囲に響いたような気がする。月はスペースの関係上、ロゴのiの点に代用させてもらった。