明日できること今日はせず 

身辺雑記より:太宰治と五反田を歩く

2008・7/25

やはりアダージョ11号は私の大嫌いな作家になるようである。 以前、農業新聞にも書いたし、つい先日、雑記に書いたばかりだが、食べ物というものは、食べたいから食べるのであって、必ずしも美味いから食べるわけではない。不味いから食べたくなることだってある。ならば、嫌いな人物に制作欲をそそられることだってあるだろう。しかし、数冊読んだだけで投げ出した人物を、嫌いだという理由で作るわけにはいかないが、発表できない物は作ってはならないと戒めている現在の私に、これで作る理由ができた。私は待望していた、といってよい。 友人の精神科医によると、嫌いなものには、かならず自分の要素がふくまれているそうである。かつてカメラやコンピューターを蛇蝎のように罵倒していた私である。今読んだら面白いかもしれない。それにしたってツラ見るだけでゾクゾクする。


2008・7/27

私が手がけた作家シリーズは、実は高校生頃までにイメージしたものが大半で、あとは二十歳過ぎが少々である。小学生の頃は、読書中、何も聞こえないくらい集中し、一方、TVと本を読みながら絵を描いたりして、どれか一つにしろと怒られたものである。今はとてもそんな芸当はできないので、人生の残り時間を考えると、ミステリーなど読んでいたらまったく危険であり、何も作る気がなくなったら、ゆっくり読もうとあえて読まないでいる。 最近は、もっぱら資料としての読書ばかりだが、それはそれで満更ではない。子供の頃から好きなものばかり読み、嫌いなことに目を背けて生きていたら、どうしたって拙著『Objectglass12』のようなラインナップにならざるを得ない。というわけで、仕事でなければ一生読むことはなかったろう作家に接することも、最近は楽しくなってきている。これから制作に入る、私がかつて蛇蝎のごとく嫌った男も、頼むから誰か私に無理やり読ませて、私一人ではどうすることもできない(何しろ嫌いなのであるから)制作創造の快楽を与えてくれと、思っていたのである。 そうこうして新潮社より、装幀画を担当した『われらが歌う時』上下巻 リチャード・パワーズ著が届く。翻訳物を読んだのは何年振りだったであろう。作中人物とはいえ、黒人を作ったのも10数年ぶりである。自分ひとりで作り出す快楽には限界がある、と思う今日この頃なのである。


2008・8/11

制作に入ったアダージョ用の人物だが、この人物に付き物の、飲酒、喫煙の表現は不可なので、だったら、あとは女しかいない。実物の女性を、ヨヨとばかりに寄り添わそうというわけである。今回は着物を着た女性が良いだろう。編集長のところには自薦他薦、集まっているようだが、“あの男”に寄り添おうというのであるから、そう簡単に選ぶわけにはいかない。三島の場合は、著名な人物が面白かったが、今回は、誰も知らない素人が良いような気がするので、知人にも声をかけている。


2008・8/17

外では祭りで盛り上がっているというのに、結局一歩も外へ出ず、オリンピック観戦と人形の頭部制作。3年に1度の本祭りといっても20年以上住んでいるので、何度も観ている。遠くから掛け声が聞こえてくるのも良い。 オリンピックは、できるだけ録画で観たくないので、TVは着けっぱなしである。しかし、そのおかげで、かえって頭部の制作が進んだ。肝心なところでは、手を休めるが、避けなければならないのは、集中しすぎて、あらぬ方向にいってしまうことである。といっても、スポーツの大会だけが、良い結果が出るが、これがまた、世界大会のレベルに限るのというのが難しいところである。何故だか解からない。 この私が昔から虫が好かないといっていた作家は、大変面白い。しかも、なんだかんだと過去に読んでいたことも判って来た。


2008・8/19

制作中の作家、あまり嫌いだ々といっていると、実は気があるのではないかと思いつつ制作。


2008・9/16

明日、予定していた撮影が、許可は出たものの、手続き上、後日にというメールが入っていた。台風の動きが怪しい。これは困った。

※清泉女子大 撮影許可後の、手続きに時間がかかるが、某手を使いクリアする。


2008・9/17

背景に着物姿の女性を配することにした。『夏目漱石と本郷を歩く』でも女性を使ったが、遠景の後ろ姿であった。しかし今回は、そうとう手前に来る予定である。 主役の人物像が、背景に溶け込んでくれないとき、例えば、現代にそぐわない様子の人物の場合。そもそもアダージョの表紙は、過去の人物を現代の風景の中に立たせているわけで、かなりの無理も生じる。そこで背景への“つなぎ”として、何か一つの要素を間に差し挟むという方法も有効であろう。特に今回の人物は黒ずくめに近い。色味も欲しいところであった。 現場は蚊が多く、先日でかけた時は相当刺された。以前も書いたが、撮影に集中していると、蚊にさされにくく、刺されても痒みがすぐ収まるのが不思議で、今日は実験してみようと思っていたのだが、着物姿のKさんが、気を利かせて虫除けスプレーを持参してくれていたので使わせてもらった。撮影はスムーズに進んだが、可愛そうなことに、肝心のKさんが撮影中に顔を刺されていた。


2008・9/25

とっくに頭部ができていたので余裕をかましていたのだが、もともと嫌っていて読まなかったところに、改めて読み出し、面白くなっているうちイメージが変ってきてしまい、同じ資料写真を見ても、以前とちがって見えてしまうのである。あれはあれで満足していたはずなのに、余計なことをしてしまった。フットボールを見た後では同じ絵がちがって見える、とかなんとかいっていたのは寺山だったか。同じ人物でも、親の仇か恩人だかで、違って見えるのは当然である。 そんなわけで、未だに頭と手が上手くつながっていないことに呆れながらの、ここ数日である。


2008・9/27

佳境に入る。入ったのだが、ポーズを変えることにした。今回は着物姿の女性を“つなぎ”に、人物像を画面に入れるのだが、腰に手を当てるお得意のポーズにしたところで、どうも普通で面白くない。スカしたところが特徴ともいえる人物なので、急遽そんなポーズに変えることにした。妙なポーズをしてるせいで、この人物に興味ない人にも、アダージョを手にとってもらえるかもしれない。などと、ウケを考えるところが、長いこと嫌いだといい続けたこの人物に似ている。知人にもっと私を褒めろと強要するところも同様である。もっとも、私の場合は、せめて知人くらいは感心してくれないとやってられない、という理由なのだが。 昭和30年代の下町に育つと、男はいじいじしたり、スカしてはいけないということになるので、この人物は中学生の私に、マッハのスピードで嫌われてしまったわけだが、女はこうあるべき、ということの中には、抑止効果として、是非そうしていただきたいことが多々含まれているが、男はこうあるべき、なんてことにたいしたことはない。

※結局眉間にシワの表情を撰んだが、太宰はユーモラスな人物でもあるので、こんなポーズに変更した。


2008・9/29

昨日人形を屋上で撮影したが、曇り空で光線がフラット過ぎたので、朝、室内で外光を使って撮影した。今回は人物に確たるイメージを持たなかったせいで、人物像の制作が修正につぐ修正で遅れてしまった。というより私の偏見が邪魔をしていたといえよう。著作や伝記を読むたびイメージが変わるのには閉口した。 撮影も無事済み、背景に合成。次号が配布されるのは来月25日だが、緑の濃い日陰で撮影したせいで、夏の早朝のような雰囲気になってしまっている。子供の頃の公園のラジオ体操を思い出した。そこでいっそのことと、秋の景色にしてしまった。本当のことなど、どうでも良い私である。ここで完成としたいところだが、三島のときがそうであったが、実物の人間が横にいると、どうしても素材感が気になる部分がでてくる。そこでベランダに出てデジカメで3カットほど撮影したものを付け足す。一度やってみたかったことだが、ただリアルにしても意味が無いので機会がなかった。撮影の様子は、どこかで観られていたら妙であったろう。最後は、どのくらい秋にするかで迷ったあげくに、デザイナーのWさんに送信。

※すぐ横の女性の髪に比較して、どうしても太宰の髪が粘土じみているので、ベランダから頭を突き出し、自分の頭を撮影し、髪のディテールを画像に貼り付けた。