明日できること今日はせず 

身辺雑記より:宮沢賢治



2007・11/29
先日アダージョ12月号表紙を入稿したばかりだが、今のうちに、来年2月号用の資料をチェックしに、江東区内の図書館を回る。某文化センターでは、かつてこの人物の講座を開いたそうだが、そうとうなマニア、○○ガイが集まったそうである。それを聞いて溜息の一つも出るところだが、こと容姿に関しては、研究者を越えるほど、頭の中で自由に動かせるくらいにならないと作れるものではない。 夏目漱石の場合は、写真に写る場合はレンズを見ず、斜に構えると画になると思っていたようで、つまり写真は肖像画の延長である。一方、今回の人物は、写真は記録と考えていたようで、記念写真や、屋外の集合写真、他の人物が様々な方向をむいていても、一人この人物だけは真正面を向いている。ヨソを向いたら撮影者に失礼だといわんばかりである。律儀な性格がうかがえるが、さらに幼少時、晩年、どの写真を見ても、ほとんど同じ表情である。こんな人物の場合、かえってファイトがわく。 本人がブスッとして真正面向いているあいだに、私に色々させられてしまうかもしれない。


12/18
某作家の頭部完成。この人物は有名なポートレイトが1カットあるが、顎のラインが、服の襟の陰により削られているのを完成目前に気付いた。こんなことは私以外の誰も気にする人はいないだろうが、実物サイズとして1センチほど削られていて、私にとっては大問題である。しかし、少年期、青年期、時には幼年期の写真さえ参考にしてきたので、さほどの不都合はなかった。
※不鮮明な写真資料を参考にすることが多いので、良くあることである。目を凝らして、形状の読み間違いを避けなければならない。


12/20
朝から来年2月の中央公論アダージョの画を考える。1枚の画のために人形を造形するため、シチュエーションなど、今から考えておかなければならない。それにしても構図が決まらない。必要なものすべてをどう画面に収めるかが思いつかないのである。午後、撮影予定地へ行って考えることにする。 現場に着き、撮影はここでと決める。しかし無茶なシチュエーションではあるので構図は相変わらず思いつかず。 7時に麻布十番。写真の古典技法のオフ会である。オフ会は数年前に、昭和プロレスのオフ会に出席して以来。みなさんの様々な工夫を伺う。その最中突然アイディアが沸き、メモ用紙をもらって描く。


12/25
某人物を某所に立たせての撮影を考えていたが、撮影許可が下りない※ 散々考えたイメージであり、簡単に諦められず交渉中ではあるが、使えない場合を考えると人形を作り始めるわけにはいかない。だったらいっそのこと、背景からなにから全部作るか、ということになってしまい、写真である必要があるんだか、ないんだか。私の場合、しばしばそんなことになる。被写体に依存しなければならない写真は不自由なものである。
※現在のニコライ堂は、震災にあい、当時のものとは違うので、江戸東京博物館の再現模型を使うことを思いつく。賢治はとにかく高い所に立たせたかった


12/27
前例がないということで、撮影許可が下りなかった某所だが、どうやら無事撮影できることになりそうである。できるだけ前例のないことをしなければならない私は、おそらくイメージ通りの作品を作ることができるであろう。


2008・1/9
中央公論アダージョ用の撮影で、ようやく撮影許可が下りた都内某博物館へ。私は思いついたイメージに基づき、あそこでこうしたいと言うだけだが、交渉は難航したらしい。ありがたいことである。閉館後の静まり返った中でシャッター音だけが響く。閉館後の博物館に閉じこもりたいというのは私の夢であったが。 アダージョは当初、制作した人物像を特集される場所へもっていき、ただ撮ることを考えていた。過去の人物を、あえて現代の風景に持ってきて、それはそれで面白い場合もあるが、その場に立たせるだけでは、連作の中の一作ならともかく、表紙としての説得力に欠ける。特に今回の人物は、一般的には、東京にそれほど深いかかわりのあるイメージが無いので、その分、印象的な状況を作っていかないとならない。今回は創刊号の江戸川乱歩に続き、実景を一切使わない予定だが、地味に生きることを、わざわざテーマにしているような人物を、生身の人間ならありえないシチュエーションに引っ張り出し、いかにカッコよく見せるか、と考えている。顎を上げるな、という教えを守り続けるボクサーのようにウツムキ加減の人物に、あえて空を見上げさせる予定である。 肝心の頭部はすでにできている。これで安心して胴体制作に突入である。
※宮沢賢治と神保町など、画にするほどの縁はない。ニコライ堂は同じ神田でも鍛冶町である。


1/13
お願いしていた物が届いたと平井憲太郎さんよりご連絡いただく※ まさにこれだと喜ぶ。感の良い人は誰を作っているか想像がつくかもしれない。添付されていた画像でテストしてみると、まさにイメージ通り。本番のために楽しみは取っておくべきだが、つい熱中してしまう。
※銀河鉄道のイメージは岩手軽便鉄道ということで、模型を探していただいた。


1/16、
池袋で田村写真の田村氏と待ち合わせ、『月刊とれいん』の平井憲太郎さんのお宅に向かう。乱歩の件でお邪魔して以来である。 田村さんを含め、私の世代には鉄道ファンから、カメラマンや写真関係の仕事に就いた人が少なからずいるようである。私は汽車の煙がたなびいてきたり、電車で揺れるような場所で育ったせいで、鉄道ファンになることはなかった。田村さんは高校生のころ、とれいん編集部で平井さんにお会いしているというし、鉄道模型にも詳しいので付き合ってもらった。応接間には乱歩が使ったであろう、戦前の長火鉢。その横で貴重な鉄道模型を撮影させていただいた。


1/23
今回は実景は登場せず、もちろん主役は人形という、嘘ばっかりの私の大好きなパターンである。何度も言っているが、まことを写すという写真という言葉は本来、光画と訳すべきと言われるが、まことなんかこれっぽっちも写したくない私である。今回は、やっているうち、SFファンタジー調になった。
※もっとも地味な人物が、逆にスペクタクルな雰囲気に。


1/24
印刷で青い色を出すのは難しい。アダージョ6号は全体に青いので色見本を慎重に作った。この人物は顎をひいた伏目がちな人物なので、下からあおって撮るのは初めから決めていたが、なにしろそんな写真は残されていないので、あまり本人に見えなくても仕方がない※ しかしここが立体の利点なのだから、写真をトレースしたようなことはしたくない。ここだけの話であるが、私の作品を見て「誰それにソックリ」などといわれても、私は概ね喜んでいない。それは単に作業の領分である。
※資料の限られた過去の人物を作るにあたり、つねに直面する問題だが、認知されている表情・角度を再現すれば、その人に見えるだろうが、創作する立場からすると、リスクはあるが、あえて別の角度から撮りたいものである。


2/25
宮沢賢治はできるだけ空に近い所でと考えていたので、『霧雨のニコライ堂の屋根ばかりなつかしきものはまたとあらざり』と歌ったニコライ堂の上に登ってもらった。背景には銀河鉄道。両方とも模型である。現在のニコライ堂は震災後に立て替えられているので、江戸東京博物館の、ジョサイア・コンドル設計の、初代を再現した展示物を使用。銀河鉄道は『月刊とれいん』の平井憲太郎さんにお骨折りいただき、製作者の方にお借りした岩手軽便鉄道である。 宮沢賢治というと真面目なボクサーのように、決して顎を上げないというイメージがあるので、あえて下から煽って撮影した。一度作ると、どこからでも撮れるのが立体の良いところで、下から見るとこんな顔なのかと思いながら撮影した。これが賢治か、というむきもあろうが、下から見た顔など誰も知らないのでいいのである。