明日できること今日はせず 

身辺雑記より:向田邦子



2007・4/19
『Objectglass12』(風涛社)は我が偏愛する、と言うしかないランナップであるが、単に誰にも頼まれずに作っていたら、こうなったということである。依頼されて作ったのは、12人の中に入っていないが、最後のページの宮武外骨だけである。 そう思うと、仕事(制作料が派生する)で実在の人物を作った事は実に少ない。BBキングに柳ジョージに高橋幸宏、宮武外骨のたった4人である。(某企業会長の御母堂はあったが。某日8最後の願い参照) 一つには私の高額な制作料が問題かと思われるが、話があったのがこの4回しかないので、おそらく違うような気がする。というわけで、5人目は向田邦子なのであった。
※創刊号を入稿し、編集長、ライターの方々と始めて顔をあわせたおり、私は作っている人物のラインナップからか、好きなものしか作らない作家と思われがちで、依頼されることが少ないという話しから、だったら次号もということになる。


4/20
24日から世田谷文学館で向田邦子展が始まるが、没後25年だそうである。亡くなった当時ワイドショーで、旅行先の台湾で、たまたま旅行者のビデオに写っていた向田邦子の映像を繰り返し見た覚えがある。私はテレビでは『大根の花』から、随分お世話になったが、文章はまったくといって良いほど読んだことが無い。 資料として短編など読んでみると、なるほど引き込まれ止まらなくなる。どんなポーズにしようかと考えるが、猫を抱かせるのがよさそうである。飼っていたのはタイ産のコラットとかいう猫。煮込み屋のK本に行き、数回来ただけで、常連のような顔をする無粋なサラリーマンに、カリカリしている女将さんの足元でじゃれる猫を見ながら「オマエとはちょっと毛並みが違うらしいぜ」。編集者に調べてもらうと、そう簡単にはお目にかかれない猫らしい。
※実在の女性を作るのはは始めて。


4/24
近所の古石場図書館に行き、向田邦子について書かれている本を借りる。著者の文章のリズムが生理にあわず閉口したが、電車に揺られて読んでいるうち収まった。 世田谷文学館の『向田邦子 果敢なる生涯』を観にいく。ここへ来るのは昨年の乱歩の朗読ライブ以来である。受付は看護婦役でスライド出演してもらった女性であった。礼を言う。 会場内のパネルを見ていると、ホームドラマ好きの両親のおかげで、向田ドラマを随分初期から観ていたことを知った。向田が“勝負服”と呼んだ服が展示されており、“大きさが”判った。イメージしていたより小柄であった。いちおう空気を吸ったので、レセプションの前に帰宅する。


5/1
制作中の向田邦子に抱えさせている猫が、ピューマのようである。猫の出来が良い、などと言われるのはマッピラではあるが、向田邦子にピューマは、さすがにまずい。もう少し何とかしたいものである。 資料として借りている向田の出演ビデオ『徹子の部屋』を観る。たしかに、話している姿にも、独特の魅力がある女性である。まさか向田邦子が、たった1歳、年上のヒトになるとは思わなかったが、オバサンと思って作るのと、1つ年上のヒトと思ってつくるのでは、大変な違いがある。少なくとも年下になる前で良かった。実際は知らないが、父親の血をひいた癇癪もちのイメージがある。「私が今、なんで怒っているのか解ってないんでしょ」といわれがちな私は、こんなしっかりした女性は、どちらかというと苦手である。


5/10
向田邦子、着彩に入る。抱えた猫は、ブルーに見えたり銀色に見えたりという毛色の持ち主だが、粘土に塗装では、どだい無理な話である。お茶を濁す。


5/11
午後、六本木アマンドの前で『中央公論adagio』編集長、編集者のHさんと待ち合わせ、付近を探索しながら撮影することに。強風だし日差しは強いしと、人形をカラーで撮るには適当とはいえない一日であったが、相手が物言わぬツクリモノゆえ、画面の中に、多少のハプニング、不都合を取り入れるくらいの気持ちで撮ることが必要である。この塩梅が微妙なのだが。 片手に人形、片手にカメラの撮影は、人ごみのなかでは、大変恥ずかしい状態である。ビジネスマン然とした編集長と歩いていれば、私が単に奇妙な人物でなく、何か事情があって、こんな仕事をしているように見えるのではないだろうか。しかし、いつの間にか撮影に夢中になってしまい、気が付くと、邪魔をしてはいけないという配慮からか、二人は離れたところから、私の撮影を眺めているのであった。


5/17
港区の某所にて撮影する。例によって、片手に人形、片手にカメラの“名月赤城山撮法”である。場所は小学校の塀に面した裏門横。警備員がこちらを見ている。撮影をはじめて間もなく、学校内から射るような視線を感じる。カメラを構えたまま横目で見ると、赤いジャージ姿の若い女教師がこちらを見ている。今日はあいにく一人の撮影なので、誰かのせいにするわけにはいかない。確かに怪しいかもしれないが、学校にカメラを向けているわけではないし、警備員の目の前である。しかし、何か疑問を持たれた場合、私は、この状態を、なんと申し開きをするのであろうか。とっととシャッターを切り終了する。
※11日には繁華街で撮影したが、どうも違うと、出来たばかりの六本木ヒルズが見える静かな一角で撮影した。


6/25
『中央公論adagio』創刊第2号発行。ページ数も増えたようである。 創刊号の乱歩は、凌雲閣から月や空までCGで作ったが、今回は一切加工なしで、プリントは盟友田村政実氏。天候、撮影場所の都合で、何度か撮り直している。“おはぎのような”愛猫を抱える向田邦子の図。この雑記を読んでいる方は、撮影する私のすぐ左の柵越し4メートルに、小学校の、ジャージ姿の若い女教師。背後5メートルに警備員の、不審気な視線があることを知って見るのも面白いかもしれない。この撮影をきっかけに、向田のTVの仕事しか知らなかった私が、改めて文章に触れることが出来たのは収穫であった。
※この段階では、毎号、特集場所に人形を持っていって撮影すれば良いと考えていた。しかし過去の人物と現在の東京。特に都営地下鉄線沿線に限られると、表紙として耐えられる画を作るのは難しく、今号が片手に人形、片手にカメラのアナログ撮影唯一の号になった。