明日できること今日はせず 

身辺雑記より:夏目漱石



2007・6/22
ある文豪を作る予定がある。残されたポートレイトを見ると、現代の作家と違い、文豪といわれれば、そのように見えてくるわけだが、一つには、当時の写真用感材の低感度によることもあるだろう。感度が低い分、数秒間、時代によっては数分間ジッとしていなければならない。しっかりした椅子に腰を掛け、職業写真館で撮影する場合は、その重い頭を動かないよう“首押さえ”なる道具でささえなければならないし、そうでない場合は、しばしば顎を手でささえるポーズを取り、さらにブレるので笑うわけにいかず、自動的に沈思黙考の文豪調になるわけである。 もっとも、残されているのがそんな状態なので、私の創作の余地も、無限にあるというわけなのである。


7/24
某作家を制作中だが昔の作家なので、アマチュアが気軽に写真を撮るような時代ではなく、ほとんど職業写真師の撮影で、その肖像は正面から、やや斜めといった調子である。今のところ横顔の写真は見つかっていない。あるとしたら、誰かの葬式や文士の集まりを写した、今でいうスナップ写真だろうが、見た事がないので想像するしかない。しかし大体の様子は判るもので、正面や斜めの写真から作り進めていくと、おそらくこうであったろうと思われる、横顔や後姿が自動的に出来上がっていく。もちろんそれは現代人が見たことがないイメージなわけだが、これは立体だからこその“役得”であり、完成したら、この角度から撮ってやろうと考えることは、実に楽しい。 この人物は某所に銅像が立っているようである。それが作家の存命中に、本人を目の前に作られたものなら参考にしたいが、そうでなかったら私と条件は一緒である。そんなものは相手にしない。


7/25
次の号も私が担当することになるが、それなら一つ、背景に着物姿の美女を、と編集長にお願いしてみると、間髪入れず了承をいただく。このフリーペーパーの前途明るきこと確信した私であった。
※美禰子にイメージがぴったりな編集者がいたのでお願いした。


7/26
昨日は予定より飲みすぎ、早々に寝てしまった。夜中に目が覚め、枕元の人形の頭部に手を加えたのが覚えているが、再び寝てしまった。朝起きるとここ数日、難航していた部分が解決していた。たまに私の知らないところで小人が活躍してくれるようである。この人物は笑顔の写真が1カットしか残されていないのが判っている。いっそのこと笑わせてみるかと思ったりして。


7/28
現在作っている人物にとりかかって数日になるが、ある程度まで行くと遠くなる。その理由が判らず難航したのだが、その理由の一つに気が付いた。その人物のある部分にホンノちょっとの“盛り上がり”を発見したのである。どうも、それが案外、その人物の表情に貢献しているようなのである。昔の写真ということと、全方向の肖像が残っているわけではないので見逃していたのだが、私にとって、たいした発見である。 その人物の肖像の需要はいまだにあるだろうが、その多くは、残された写真をそのまま使うか、それを詳細に写す、もしくはデフォルメしてイラスト化するのがせいぜいであるから、その盛り上がりの重要性など遺族も含めて誰も解ってくれそうになく、私一人が“盛り上がる”というわけである。 子供の頃、一人でいる時に考えたり思いついたことは、いったい何処にいってしまうんだろうと思ったものだが、こんな私にとってはスリリングなできごとも、他人にとってどうでもよく、ただ過ぎ去っていき消えていくできごとなので、私の雑記にはふさわしい話である。
※頭部さえできれば完成したも同然だが、当然一番難航する部分。


8/18
猛暑の中、作りなおした某大先生の頭部完成する。人形を作り始めた頃を別にすれば、作りかけの頭部を捨て、新たに作りなおしたのは初めてかもしれない。男は諦めが肝心という風潮の東京の下町育ちのために、そんな見栄を張るわりに、実はまったく諦めが悪い私なのである。しかし、作品を読んだのは高校生の頃までで、人物像をたいして把握せず始めたおかげで、今回ばかりは一からやり直すはめになった。途中見せた人には、似ていたのに何故だといわれたが、似ていれば良いというものではない。 ネットで検索すると、さすが巨匠である。全国各地に銅像が設置されている。ネットの画像なので良く判らないが、とても同一人物とは思えないほど様々な顔をしている。少ない写真資料を参考にしているからそういう事になるのだが、例えばある人物を見て、誰に似ているという人あれば、どこが似ているんだという人もいる。人はそれぞれ気になったり、印象に残る部分が違うから起きることである。不鮮明な写真を参考にしていればなおさらであろう。私は写真を自分で撮影することも関係しているのかもしれないが、何もディテールがなく、情報がなにも無いように見える画像を立体視することが、多少訓練されているような気がする。ある種の妄想ともいえようが、何も無いところに何か視えるようでないと、いやそれどころか頭の中で動き出すようでないと、百年も前の人間など作れるものではない。 とりあえず都内某所に経つ銅像より、はるかに先生らしいものになるであろう。


8/22
文豪のポーズが決まらない。頭部が完成しているので、たいした問題ではないのだが。始めは、撮影現場にある岩に腰掛けさせるつもりでいた。リラックスした写真が残されていないということもあり、面白いと思ったのだが、残されていないのは、当時の写真感材の低感度のため、笑いもせず、ジッとしかめっ面なのであるという理由もあるだろうが半面、明治の男である。外でそんな事はしなかったという可能姓もないとはいえない。いや、さすがにそこまで硬いことはなかったろうが、本人のイメージからすると、似合わないとはいえるのである。明治時代の人物の、実際はなかったかもしれない別の面を、私が創作してどうなるのか。それだったらむしろ、これ以上ないほど文豪然とさせて、笑ってみるほうが良いのではないだろうか。 私は女性をほとんど作らないことを、何故だと、たびたび質問を受ける。面倒なので責任が持てないからなどと答えているが、男性の私からすると女性というもの、その存在自体に笑える要素がカケラもない。というのが本当のところである。いくら豊満なバストや尻の盛り上がりを作るのが楽しいとしても、その存在に、必ずいくらかの可笑味、滑稽さを含んだ男性をつくる面白さには換えがたいのである。そして、そんな男の小さい物を作っている男の私は、夜中一人作りながら、ウフフと声もださずに喜んでいるわけである。 やはり文豪は、思いっきり文豪じみた方が可笑しいだろうと判断した。


8/24
文豪は撮影用に、写るところだけしか作らないつもりであったが、方針を変え、全身作ることにした。私が写るところしか作らないといったら、人形の角度をまったく変えられないほど作らない。現場で欲を出して中途半端に迷わないためである。撮影が終われば、ほかに撮りようがないし、展示することもできないので、頭だけ引っこ抜いて身体は処分してしまうことが多い。今回全身を作ることにしたので、いずれ展示する機会もあるだろう。 少々大きめなので、片手で人形を持って、片手でカメラという方法は取れないかも知れない。人形のサイズが大きくなれば、その分、カメラから遠ざけなければならないし、伸ばした腕で持つには重すぎる可能性もある。めったに使わない三脚など、荷物が増えることになるであろう。もっとも、現場に許可を取っての撮影なので、いつものように、とっとと移動する必要もないのだが。 結局文豪は、私が過去に作ったジャズマンに多くとらせていた、お得意の男性的ポーズにした。男性的といってる時点で、私にはすでに可笑しいのである。
※今号は東大内の通称、三四郎池を背景にすることは、当初から決まっていた。


9/21
中央公論Adagio』第4号の表紙撮影。悪天候のために随分遅れてしまった。2時前に現場に到着。夏の夕方という設定だが、今頃は早めの時間で丁度良い。今回は、ファインダーの中に収める要素が多く、ちょっとでも考えてしまうようではうまく行かないので、人形とカメラの手持ち撮影は止めて三脚を用意。 背景には着物姿の女性を使う。着物が背景の緑に映え、これで画面の中に、ムッツリした文豪さえいなかったら、とつい思ってしまうくらいである。
※悪天候が続き、池が増水するなどして撮影が遅れた。背後にうっそうとした樹木が迫り、人形に光が当たらず、漱石は後から合成することにした。貼り付けたようになるのは覚悟し、現場に立つ漱石というより、美禰子と三四朗池を想う漱石という設定。 さて撮影というところで、老人が池に鯉の餌にパンをバラ撒き、あわてたが、あっという間に無くなった。編集長に小石を投げ込んでもらい、池に波紋を演出。事前に東大に勤務する知人にお願いし、三四郎と美禰子の出会いの場を調べてもらっていたが、漱石はここを設定していた可能性は高い。


9/22
先日の撮影地は藪蚊が多いところで、編集長が早々にムヒを買いにいったくらいである。しかし撮影に集中していると蚊に刺されにくい。あれはどういうことなのであろう。下見に来るたび刺されまくっていたのだが。これはしばしば経験することで、集中しているから刺されても感じないのではなく、実際刺されにくい。仮に刺されたとしても、撮影が終わる頃には腫れも痒みも消えている。次回は初めから意識してみようと、忘れないよう書いておく。
※以前から寺などの藪蚊が多いところで撮影して経験することであり、いつも不思議に感じることである。


9/26
昨日の夜中に『中央公論Adagio』のデータを完成。ラブレターは翌朝投函せよ、の戒めどおり、朝起きて再度チェック。やはり昨晩の私と今朝の私は違っていて、手を入れる 悪天候のため諸条件が揃わず、締め切りぎりぎりである。 明治時代というと、写真に写るということに対して、現代とは感覚がちがう。おかげでこの文豪、撮られる時はできるだけこっちから、と決めているようである。編集部から送られてきた資料は書籍が一冊だったので、古書を含め、資料は自分で集めることになった。反対側の写真がやっとあったと思ったら、数十年の時間差があり、向こう側とは面持ちが違う。そのギャップを頭の中で埋められず一回作り直した。そしてどうせならと、鮮明な写真を入手できなかった、真正面を向いた姿を使うことにした。 片一方を向いた写真は誰でも知っている有名なものだが、見たことのない真正面を見せ、この人知ってると思ってもらえたら大成功というところであろう。
※悩んだあげく美禰子の髪型を昔風に加工。あえて現代を感じさせて面白い場合と、当時風にして面白い場合があり、微妙である。


10/3
京橋の中央公論新社までアダージョ4号の色見本を見に行く。 悪天候のおかげで遅れたが、天気だけならまだしも、背景に着物の女性を、と思いついたのも原因の一つである。現場の使用許可と着物を借りるタイミングを、天気予報をにらみながら決めなければならなかった。しかし結果は、文豪が描くイメージが出たのではないだろうか。もちろん着物の女が効いている。


10/16
自転車に乗って江戸東京博物館で開催中の『文豪・夏目漱石ーその心とまざし』を観に行く。昨日も出かけたが休館日であった。私は図書館その他、思いついて出かけると5割近くが休館である。入り口には、日活が映画『ユメ十夜』の宣伝のため、数百万かけて作ったという、漱石には似ても似つかないマネキンが座っていた。岡本一平の戯画も展示されていたが、岡本はもう少し評価されてもいいのではないかと改めて。 今回一番の目的は漱石のデスマスクを見ることであった。漱石の肖像というと、日本人がイメージするのは、千円札のものと、今回ポスターに使われている、喪章をつけ、こめかみに手を当てている2カットであろう。これを見る限り、漱石の鼻筋は、眉間から先まで、まっすぐ伸びているように見える。マネキンの鼻もそうなっていた。しかし私は、特に喪章の方の鼻筋の輪郭線が、なんとなく太く感じられ、修正が施されているのではないかと疑っていた。当時、腕の良い写真職人は、修正用の鉛筆一本で、全国どこに行っても食べていけたといわれている。 はたして漱石のデスマスクは、見事なカギ鼻であった。これは凄い!真横から眺め、一人驚嘆の私であった。写真では確認できないので、おそらくデスマスクを目にすることのできる人だけが知っていた事実であろう。実際修正されているかは、原版を見ないと判らないが。 気になっていた私以外には、だからどうした、という話ではある。
※全国に点在する漱石像でワシバナでないのは、当時の写真師に騙された結果である。


10/25
背景は本郷の東大構内にある三四郎池である。もとは心字池といったが、漱石の『三四郎』(1924)にちなんで、そう呼ばれるようになった。この場所で最初に三四郎と美禰子が出会う場面は印象的だが(美禰子は平塚らいてふがモデルといわれる)夏の夕暮れという設定で、美禰子が二人連れだったことを除けば、作中の雰囲気があるていど再現できたのではないだろうか。 漱石のポートレイトといえば千円札になったものと、肘をつき、こめかみに手を当てているカットが圧倒的に知られており、真正面を向いた写真は少ない。若い頃の不鮮明なものと、晩年の老人じみたものくらいしか見つからなかった。ということは、一般の日本国民が普通に暮らしているぶんには、真正面を向いた漱石を目にする機会はないはずである。そこであえて真正面を向かせ、これは私達の良く知っている夏目漱石だ、と思っていただければ、私としては成功ということになるだろう。もっとも、16日の雑記に書いたように、私はいささか漱石の鼻筋に“疑念”をもっていたので、横を向かせることを躊躇したということもあったのである※ これがうまく行ったとすれば、残る難関は正岡子規と、ラフカディオ・ハーンこと、小泉八雲の真正面顔であろう。
※絵画と違って立体は、一度作ってしまえば何処からでも撮影ができる利点があるが、世間に認知されている写真と、あえて違う向きにするのには多少の勇気がいるものである。しかし漱石の鼻筋に疑惑を持っていた私は、近く漱石展があり、デスマスクが展示されることを知っていたので、そんなことに気づく人はわずかだろうが、“大事をとり”横を向かせなかった。