明日できること今日はせず 

身辺雑記より:森鴎外と白山を歩く

2009・6/30

次号アダージョの人物は熟慮の末、思い切りカラフルな格好をさせることにした。おそらく剣も持たせるから、イメージとしては“オスカル”に近くなるであろう。この人物をテーマに、この格好をさせる人はまず、いないはずである。つまらないことしか思いつかなかった昨日の私にザマアミロといいたい。 


2009・7/3

次号アダージョ用の人物にさせようという、オスカルのような格好。ようするに軍服である。実戦用ではなく、礼装にしようと思っているので派手なのである。軍服など作る機会はそうないだろうし、アダージョにかこつけて作ってみよう、というわけである。昔の人物なのでカラー写真は残っていない。しかも残っている姿をそのまま、などというのは私が作る意味がないので、当然時期にも一工夫したい。そこでほぼ時代や、位も相当の軍服のカラー写真を見つけ、こんな感じにすれば良いだろうと思っていたのだが、それは少々甘い考えであった。  軍服は陸軍海軍で違うくらいは見れば判る。ところが兵科色といって、所属により、軍服のところどころに使われている色が決まっている。しかも飾りの形によって、位まで識別できるようになっている。考えてみれば、そりゃそうだろう、ということであるが、例えば中将と大将を漠然と見ていれば一見違いがないようだが、星の数やら、飾りの密度が微妙に違う。しかも時代によって細かなデザインが、頻繁に換えられているのがやっかいなのである。そう思ってみたら、最初にこれを参考に、などと思っていた資料写真は、地色が参考になるくらいで使い物にならないことが判った。 お年寄りや、軍装マニアでないかぎり判らないであろうし、常日頃本当のことはどうでも良いといっている私であるが、上手い嘘をつくコツは、本当のことを混ぜることである。この混ぜ具合が嘘つきの、いや創作者のセンス、ということになるのであろう。私の知らないところで、こいつ、こんなことしていやがると、私の思いに気がついてくれる人が、どこかにいるに違いないと考えながら作ることも、私のモチベーション維持の、重要な要素である。文献でしか見つからない部分は想像するしかないが、やれることはやるしかない。


2009・7/5

先日『私の思いに気がついてくれる人が、どこかにいるに違いないと考えながら作ることも、私のモチベーション維持の、重要な要素である』と書いたが、逆にいえば、『こんなことも判ってないんだと気づく人が、どこかにいるに違いないと考える。』ということでもある。  背景の撮影場所は、すでに決めてある。それは人物に関わりのある歴史的建造物なのだが、別の場所から移築、再現されたものである。ところが中途半端なことに、かなり目立つ部分が再現されていないのである。古写真を見ると明かに違う。この建物の画像をネットで検索すると、外観を引きで撮っている画像ばかりである。美しい庭とともに、建物の全体像を撮って画になる場所なのであろう。しかし私はすでに形が違うことを知ってしまっている。デジカメ片手に探索する、一般人と同じようにしていていいのであろうか。考えられるのは2つである。1)再現されていない部分を入れずに撮影する。2)画像を加工し再現する。である。元型との違いは、よほどの人でないと知らないだろうが、私はそのどこかにいる“よほどの人”が、笑っているのではないか、と気になるのである。アダージョは、街歩きのお供に、という性質のフリーペーパーである。実景を変えてしまったら、アダージョ片手に現場を訪れた人たちが首を傾げることになりかねない。(その前に、なぜ元型どおり再現しない、といいたいのだが)また、背景として使用するにあたって、許可を得る必要がある訳だが、かってに手を入れてしまって、問題が生じないとも限らない。結局、主役の人物像をおおよそ完成させて、撮影時に考えることにする。  こう書いていると、私も案外細かいことを気にするタイプのようである。もう少し痩せてもいいようなものだが、こんなことを悩みながら作ることが楽しいのだから、そうはいかないらしい。

※小石川植物園に移築保存されている東京医学校(東京帝大の前身。鴎外が通った。


2009・7/6

コンビニに届いた軍装関係の資料を受け取りに行くと、知りたかったことが無事解決。K本に行き、ホッとして飲む。-
- 結局本日4回飲んでしまい、制作したのはほんの数時間であった。しかし資料入手で、本日はお祝いの日ということにする。 明治の軍服ではズボンの脇にある側章は、所属によって決められている。この人物は、○○○※、ヤフーオークションで見つけた、この立場の人物が身に着ける飾帯は○○※である。この手の出品者、入札者は、マニアばかりなので間違うとは思えない。画像の色が不正確なのだろうか、と悩んでいたが、はたして明治時代の軍装一覧版画では、何故だか判らないが、この立場の軍人だけ2色使われていた。ここまで本当のことを押さえておけば、あとは好きに捏造、創作ができるというものである。

※1深緑色 ※2青色 森鴎外(森林太郎)は軍医のトップで陸軍軍医総監。中将相当


2009・7/8

アダージョ用人物、着せるべき軍服の詳細も判明し、肝心の頭部の制作に集中する。


2009・7/14

都内某所に背景の撮影に行こうと外へ出るが、あまりの暑さにT屋に寄り、朝定食で腹ごなし。-  現地に着くが、炎天下、道に迷って必要以上に歩くことになってしまった。クラクラするな、と思ったら猛烈な便意が襲ってきた。コンビニでペットボトルの水を買う。昼食の弁当を買うサラリーマンで混雑する中、トイレを借りようと思ったが、切羽詰った様子の男が、「ウチは防犯上お貸しできないことになってます。」と断わられているのを目撃したことがあり、いい出せずに店を出る。妙な成分の汗をかきながら目的地に向かうが、途中4度ほど波が押しよせる。その度立ち止まり、時計を見ながら『待ち合わせの時間は過ぎてるぞ、いい加減にしろ』という演技。困ったことに、待ち合わせて立っているには不自然な場所に限って波がくる。人通りもなく、誰も見ていないだろうが、見ていたら明かに怪しい。事情があることを示していないと耐えられない。間が持たず、左と右、『“アイツ”はいったいどちらの方角から来るつもりだ』という演技を加える。遥か彼方の待ち人を探すまぶしげな表情はクリント・イーストウッドの如し。眉間のシワは油汗とともにナチュラルに出る。 ようやく目的地に着き、入園料を払い、トイレの場所を訊きく。実際は牛歩であったが、気持はウォーリー与那嶺の猛スライディングで滑り込みセーフ。肝心の撮影場所は本日公開日でなくアウト。

※最終的に医学校の使用許可は出ず。この日に撮影できていたら、悔しかったはずで、かえって良かった。


2009・7/15

作家の胸像は全国各地に残されている。後世の彫刻家が、残された写真を元に制作した場合は、私と条件は一緒であるし興味はないが、生前、本人を目の前にして制作された胸像となると、話は違ってくる。制作中の人物は、ご丁寧にも胸像用の、3方向より撮影された写真が残されている。その写真は彫刻家のアトリエで撮影されたもので、完成作は『ドイツ風を盛り込んだこの胸像に、本人も満足』したらしい。しかしデスマスクならともかく、私には他人が制作した作品など参考にできるか、という意地があるし、面倒くさがりもあり、気になるうちに本日頭部が完成した。 新潮社の『新潮日本文学アルバム』は小版とはいえ、作家の写真資料として有り難いものである。頭部の完成を迎えようという本日、後ろのページに、件の彫刻家が、戦災で焼け残った胸像を修復している小さな写真に初めて気付いた。実物を見ていないのでなんともいえないが、それを見る限り、なんだか似ていないのであった・・・。本人が気に入ろうがなんだろうが、信じるのは自分の目だけにしておく方が良さそうである。『新潮日本文学アルバム』も、最新版でどうかは知らないが、初版から14年後の12刷の段階で、左右逆の裏焼き写真を載せている。なんで気付かずにいられるのかが不思議である。


2009・7/19

先日、酷暑の中でかけ、結局公開日でなく撮れずに帰ってきた場所は文化財の建物なのだが、編集長よりNGの可能性大との連絡。著作権の派生する物に使われるのがいけないらしい。映画の撮影なども断わっているので、特例を認めるわけにはいかないという。実現するなら著作権などどうでも良いが、それはいけないと編集長。役人という人種は頭にセメントが詰まっている。撮影場所に関しては、思いつくまでが大変で、当然人物像のポーズにも影響がでてくる。万が一ということもあるので引き続き交渉をお願いし、別な場所を撮りに行くことにした。NGが解ければセメントのくだりは削除しよう。 しかしこんな時にはこんなもので、行ってみると肝心な箇所が工事中。ホロがかかった部分を避け、唯一のポイントを見つけて撮影。


※1現在の東大は公務員ではない。 ※2根津神社。鴎外の散歩コース。


2009・7/20


ようやく作り始めた軍服姿の人物だが、これはもう、キッチリしていなければ形にならないが、作っていて実に楽しい。この人物は普段、多少首が右に傾く癖があるような気がする。昔の写真は感材、つまりフィルムに相当する部分の感度が低く、シャッタースピードが遅いので、その分姿勢に気を付けることになるが、外でスナップ気味に撮られたものは、なんとなく傾いているように見える。人物像を作る時は、どこかに特徴がないだろうかと写真をチェックし、なんとか取り入れようと考えるのだが、結局軍服姿の男を、傾かすことは出来そうにない。


2009・7/21

軍服姿の人物を作っていると、今どきこんな作品を作っている私って、と子供の頃から求め続ける快感が湧いてくる。おおよそ作った後に一度乾燥させ、飾帯や懸章、勲章、サーベル等を作らなければならない。軍服といっても礼装なのでカラフルである。帽子には前立てという、鳥の羽根の飾りが付く。それを被った写真は見たことがないし、ムッツリした偉い人だけに、頭にそんなものを立てているだけで面白いのだが、頭の形が重要な人で、大事に作ったので、そこが隠れるのは忍びない。帽子は手に持たせることにした。


2009・7/22

アダージョの打ち合わせ。関係者に披露しようと、制作中の次号特集人物、尉官、佐官、将官でいうところの中将相当閣下の首を引っこ抜きポケットへ。いつもの新宿御苑前のデザイナーWさんの事務所へ向かう。  第一候補の撮影場所はNGということであったが、編集長が交渉を続けてくれていて、最終的な回答は未だ来ないらしい。第2候補地はすでに撮影してあるので、ぎりぎりまで待つことにした。


2009・7/24

仕上げに入る。手に持たせるつもりの帽子を作っているが、頭に乗せたくなってきた。軍帽を被っている写真はあるが、礼装時に被る羽飾りがついている帽子を被る写真は、恐らくないからである。私とすれば、ないとなればやりたくなるわけで、この人物が派手な飾りを頭に立てている姿はインパクトがあるだろう。しかしこの人物の頭は、なじみのある形に違いなく、そこを隠したがために、その人物に見えなくなるのではないか、と思うのである。有名な写真と、わざわざ違う角度で撮って、そんな危険を侵す私だが、一応は考えるのである。いっそのこと被っているのと手に持っているのと、両方撮ってみるのも良いだろう。


2009・7/26

着彩前の粘土は白いのだが、飾帯や金ボタン、肩章その他がない大礼服は、詰襟でなければ理容師のユニフォームのようである。まず肩章を作る。海軍と違って房飾りはない。これで一気に制服調になる。袖には階級が判るような刺繍が施される。明日一日かけて着彩及び仕上げの予定。羽飾り付きの帽子は、目深に被るのでせっかく作った部分が隠れるし、屹立した羽根がデザイン上邪魔になるかもしれないので、手に持たせることにした。ぎりぎりまで待った背景の第一候補は、結局許可が下りず。第二候補はすでに調整済みである。


2009・7/27

今日はサーベルを作らなければならない。今回作るのは儀礼用の細身の刀である。外側はサーベル調、刀身は日本刀という軍刀が多いが、この人物は戦場で戦うことはなかったろうから、儀礼用がいいだろう。刀を作るのは三島用に作って以来である。あれは白鞘だったので版画用の朴の板を削ったが、今回は細いので、折れにくい物にしたい。  軍服というと右胸から肩にかけてぶら下げる紐、飾緒(しょくちょ、かざりお)がある。これは貴重だった鉛筆を紐につないだ名残、もしくは計測用の紐だった、など諸説あるらしいが、これがあると、いきなり軍服という雰囲気になる。適当な太さの紐を探して、金色に染めて使えばよいと思っていた。しかしよくみると、三つ編みになっている。そんなことまでしたって判らないだろう。常にそう思いながら、結局やることになるのだが、三つ編みというと、女の子のお下げのイメージしかない。ネットで検索して編み方を調べると、これは私の苦手な分野である。こんなものを作ってはいるが、実は全く不器用なので、スムースにできるわけがない。コーナンで紐を買い、昼定食時間も終わりに近いT屋へ直行。「カミさんいる?」T屋は子供が5人いて、3人は女の子で、一番下の娘は小学生である。案の定、目の前であっというまに編み上がる。私がやっていたら、時間も含めてとんでもないことになっていたであろう。 ついでに使っていない菜箸をもらう。これは中将閣下のサーベルに。 


2009・7/29

アダージョ次号用人物ようやく完成。軍服を着せようなどと考えたものだから、普段よりより1週間は長くかかってしまった。 この人物は普通にイメージすると、立派で貫禄があるという以外やりようがない。しかしせっかく私が作るのだから、それでは面白くない。そこでどうせ立派なら、胸に勲章をぶら下げるくらい過剰にしようと考えた。胸に勲章着けた男というと、カッコの悪い男の象徴のようなもので、軍服といっても明治時代の礼服なので派手で、鳥類のオスを連想するほどである。始めはなんだか理容師のユニフォームのようだったが、部品を加えていくと徐々に様になってきて、結局立派になってしまった。なってしまったが、こんな姿を不鮮明なモノクロでなくカラーでみると新鮮である。自分で見たことのない物を作るべきだと改めて。 明日は撮影して背景に合成までやらなければならない。サーベルを作るため、T屋でもらった菜箸を削ってたらマメができてしまった。


2009・7/30

入稿日に撮影ということになってしまった。集中するために、フィルムは手元にあった27枚撮りフィルム1本のみ。 ファインダーを覗いていてムカつくのは、せっかく資料を調べて作った部分がが隠れていることである。作ったところは見せたいのが人情というもの。しかし作ったのも撮影するのも私なのだから、文句の持って行きようがない。捻ったりいじったりして、少しでも枠の中に入れたい。昼前に終る。 背景はすでに用意してあるので、あとは主役を入れるだけだが、時間との勝負。配置と、背景、主役本体の色が決まったのが6時半。デザイナーのwさんにレイアウト用に送る。これで後は朝までに完成させればよい。軍服がこんなに大変だと知っていたら、果たして作っただろうか。同じものでも、陸軍と海軍では読み方が違っていたりして、いい加減にしろといいたい。  単発ではなくレギュラーで続く仕事というのは、アダージョが初めてなのだが、個展を中心に、ほとんど作りたいものだけ作ってきた私も、おかげで随分面の皮が厚くなってきたような気がする。前回の、『植村直己と板橋を歩く』を完成させた時点で、何だっていけるような気になった。今回軍服姿に決めた、もともとのきっかけになった撮影予定地が、ギリギリまで待って駄目になり、それを見越して事前に撮った今回の背景は、行ってみたら工事中で、肝心なところはすべて幌に覆われていた。しかし、たいして動じることもなく、画になりそうなところを一本だけ撮って団子坂を見に行ってしまった。こうなってくると、『乾物屋のオヤジと火星を歩く』だとしても、私には作れるだろう。 多少眠いせいもある。

サーベルと、ズボンの側面の側章という縦のライン。軍医、衛生兵は深緑色である。


2009・8/14

森鴎外と白山を歩く

文豪というと、まずイメージするのは鴎外、漱石あたりであろう。文といっても豪なわけで、痩せ型の、例えば泉鏡花などは、あまり浮かんでこない。 加えて鴎外は軍人であった。軍医のトップ、中将相当の陸軍軍医総監である。そこで最初に浮かんだ背景は、小石川植物園内に本郷より移築されている、鴎外も学んだ医学校であった。そこに軍医総監姿の鴎外と考えたわけだが、使用がNGとなり、根津神社に変更した。軍医総監の礼服姿である必用は無くなったわけだが、文豪を文豪として描くのも能がない。残された写真は偉いし文豪だしで、モノクロならともかく、明治時代のカラフルな礼服を着せたら面白い結果になりはしないかと考えた。だがしかし結果はご覧のとおり、結局偉い人になってしまってメデタシメデタシというわけである。  小島政二郎の『古武士の面影』によると、昔は検印も印税もなく、一度出版されるとそれで終わりであり、著作権は出版社のものと思われていたらしい。再販になろうが何刷になろうが儲けはすべて出版社だったという。随分乱暴な話だが、田山花袋などは雑誌で発表したものを別の社から出そうとしたら、著作権侵害で訴えられたそうである。それはおかしいと、印税と検印を初めて採用させたのは鴎外であり、印税が入るたびに鴎外の恩を思うべきで、我々は鴎外に足を向けできない、と正宗白鳥がいっている。