明日できること今日はせず 

身辺雑記より:坂本龍馬と大手町を歩く



2010・3/28

乾燥に入る。同時に刀や尺八の先っちょだけ作る。どうやら次号のアダージョの特集人物は二本挿しのようだし、刀を粘土で作らず、模造刀を入手して合成するのもいいかなと考えるのだが、“円月殺法”や“諸羽流正眼崩し”などと、部屋で1人刀を振り回してニコニコしている自分を想像して躊躇している。 


4/13

ここのところ、花見をしたり読もうと思って溜まっていた、制作には関係のない本を読んでいたが、ロケ場所探しを特集場所を中心に、インターネットで検索しながら始めた。人物像の制作から撮影、合成までやらなければならないので、背景場所を探すために、何度も足を運ぶわけにも行かず、凡そのイメージは固めておきたい。アダージョは原則として、都営地下鉄沿線が背景になるわけだが、これから制作に入る人物Rは、現在の東京に馴染むような人物ではない。何しろ侍である。だったら、侍が合いそうな屋敷でも探して、その前に立たせて撮れば不自然ではないだろう、ということになるが、それはただ不自然でないだけで、面白くも可笑しくもない。フリーペーパーの表紙は、たとえ騙して?でも、なんだこれは、と手にしてもらう役割がある、と私は勝手に解釈している。そもそも表紙の主人公は50センチ前後の作り物である。自然も不自然もあったものではない。本当の所は、本文を読んでもらえれば良い。  今月25日配布のDは、露光時間の長い当時の写真技術では、とらえることのできなかった表情を想像で作ってみたが、この人物Rもほぼ同時代人で、有名な肖像写真も、長時間露光ゆえのポーズと表情である。外交が天窓から入るスタジオで、被写体の視線の先には、写真師が付けた印があり、見つめる印も、写真師に上から何番目、などと指定されていたはずである。外で撮られた写真もあるが、さすがに室内に比べ、ポーズは砕けてはいるが、表情はやはり硬い。長時間維持することのできない笑顔では、光に溢れた屋外であってもブレてしまうだろう。私も百年以上前のレンズで肖像を撮影した経験があるが、シャッターは茶筒の蓋、時には手のひらで「ダルマさんがころんだ」もしくは「インディアンのフンドシ」と唱えてはパカッと塞いだが、被写体が一瞬余所見をしようものなら、黒目が移動したおかげで、白目の無い、黒目で満たされた、不気味な肖像ができあがる。 幕末の侍がムスッとしているのは、侍だからなのか、長時間露光だからなのか、おそらく両方なのだろうが、当時の時代背景など、様々な要素を考慮しなければならない。私の家に、戦時中の葬式の記念写真がある。誰もが無表情で泣いている人などいない。名誉の戦死、ということなのか、当時はそうしたものなのであろう。見慣れた時代劇の侍にくらべて、幕末の本物は、いささかだらしなく見えるのは、時代劇のようにきっちり着てしまうと、刀を抜いて立ち回りなど、実戦には不向きだと聞いたことがある。


4/18

実家に、読みかけの本、制作用の資料など持込み、寝床に寝転がったまま、しばらく過ごす。本を読みながらTVドラマ、ついでにネットで検索していて母に呆れられる。子供の頃は、本を読みながらTVを観て、さらに絵を描いたものである。親には観てない物は消せといわれたが、テレビは観たいは読みたい本も我慢できないし、今描きたい絵もある。


4/28

アダージョ6月配布号の人物は、調べていくうち、最初のイメーから変ってきた。イメージが変れば、背景も変るし、ポーズも変る。表情にしても、シチュエーションを想定して作るわけだから影響もあるだろう。
これは25日配布号で散々悩まされたことだが、カメラのシャッタースピードが遅い時代、つまり被写体がしばらくジッとしていなければならない時代は、自然な表情を写すのは難しかった。自分ができるだけジッと動かずにいられる表情で、固まっていたわけである。 制作を開始している人物も、それがたまたま日本の行く末を見つめているかのように見える。そのため例によって、各地の銅像も概ねその調子である。しかし私には、スタジオの壁に掲げられた印を、写真師の指定どおりに、早く終わらないかと見つめているだけのように見える。天窓からの光の反射が壁に映っているところをみると、ちょっと眩しかったかもしれない。自動的に、遠くを見つめる表情になる。 不自由な百年以上前の古典レンズを、撮ったり撮られたりしながらレンズテストをした経験があると、そう簡単に鵜呑みにはできない。そもそも、写真師の思惑や、被写体のこう見られたいという思いを、そのまま真に受けているようではしょうがないのである。もちろん写真に写っていない部分は、残された文章や評伝その他をを読んでイメージしていくわけである。イメージを変更するなら今のうちであろう。

※当初、龍馬と黒船というイメージを考えていたが、竜馬ブームの中、アダージョはあまりにも後発。今さらという気がし始める。


4/27

私がどうしようかと、例えば雑記で悩んだ場合、そうしてしまう可能性が大きい。 ネットで模造刀を注文してしまった。アダージョ次号は侍だが、制作の参考にするため、場合によっては合成しても良いだろう。良いと思えばどんな手でも使う私である。先日書いたように、円月殺法、諸羽流正眼崩し、などと1人でやっている姿を想像して躊躇していたのだが、昭和30年代前半に生まれた身としては、無理もないことである。子供達の間では、覆面やマントに拳銃のヒーローが全盛であったが、同時に、後に大川橋蔵でなく山城新吾だったと知ってガッカリした白馬童子など、時代劇ヒーローも存在していた。私が始めてファンになった女性アイドルは本間千代子だが、それもアニメ『少年忍者風のフジ丸』のコーナーで、戸隠流忍者、初見良昭の聞き手をしていた「忍術千一夜」が大きいだろう。私はこんな時のために1人暮らしをしているわけではないが、刀が届いたら、ひとしきり振り回すことになってもそれは仕方がないことである。 
 刀が届いた後の私の行動について一切書くつもりはないが、一応幼馴染だけには到着を知らせるつもりでいる。全員独り者であることはいうまでもない。

※オークションで業者から落札したのだが、着払いで待っているうち、いなくなってしまい、幸いにも届かず。


4/30

友人のSと久しぶりに会い、大手門から皇居のお堀周辺を歩く。Sとは20年ぶり位に、将門の首塚を見学。20年前は小雨そぼ降る中、ワンカップを供えた、切羽詰まった表情の男が、どうみても呪いの願掛けをしていた。この塚は、どかそうとすると事故が起こり、周りのオフィスもお尻を向けないような配置になっているそうだが、Sによると、同じような話があった羽田の鳥居は、とっくにどかされたらしく、近所の惨殺事件があったマンションの部屋も、昔と違ってすぐ埋まるそうである。


5/1

制作中の人物は、当初イメージしていた画から随分変った。伝記、評伝の類を読み進めていくうち、イメージが変化することは当然のようにある。アダージョの場合、常に一つが終って、ようやく次の人物が決まるという状態で、そこから伝記、評伝の類を読み始めなければならないので、團十郎などは、歌舞伎の歴史のある約束事も多いし、我慢できずに最終決定があるまえに伝記を入手し読み始めていた。 今回も次第に変ってきて、当初決めていた撮影場所も変更した。背景に使おうと事前に入手していたものは無駄になってしまったが。 今回はいつもと違う部分もあり、考え方を変え、私としてはめったなことでは使わないよう、禁じ手としていた手法を使うことにした。有名人であり、それゆえ配布される時期を考慮するうち、この人物は、普通こういう扱いをされることはないだろう、という画にすることにした。
『歌舞伎を救った男』マッカーサーの副官フォービアン・パワーズ(集英社)岡本嗣郎著 戦前来日し、寺だと思って入った歌舞伎座で歌舞伎に魅入られ、戦後進駐軍としてマッカーサーの通訳、副官という立場で来日し、魔の手から歌舞伎を守った人物の話だが、もしあなたという存在がなくなったら、歌舞伎の日米交流とアメリカ公演の同時通訳はどうなりますか?という問に、「だれも不可欠の人物にはなりえない。いつかあなたに代わる人物が現れる」と答えている。あなたの代わりを誰にもさせたくなければ、“可決”の人物になればよいわけである。随分前に、そのことに気付いていた私であった。

※黒船の大型模型


5/2

頭部が大体完成した人物は、昨年であったら、キャッチーな方向にいったと思うのである。しかし現在ではイメージが出尽くしている感があり、後発ゆえに、普通に力を入れているようでは、もう沢山といわれそうだし、少なくとも私はウンザリするだろう。いや、もうしている。イメージ変更が吉と出るか凶とでるか。無難でないことだけは確かである。
連休中に、背景撮影を済ませておきたいと思い、カメラを持ってでかけるが、富岡八幡の骨董市に引っかかってしまう。 芝居用か居合いの練習用か、刀が目に付く。ここで入手しても良かったのだ。忘れていた。しかし撮影用とするなら全く問題ないが、特に柄巻の部分の古びた感じが有り難くない。結局、新聞紙でくるんでもらってバッグに突っ込んで、気にならない程度の茶碗を一つに、永井荷風がかけていた物と同じような眼鏡フレームを撮影用に買う。


5/3

現場に行ってみると、そう都合の良い場所は見つからない。何ヶ所か撮影する。現場を見て、人物のポーズを変更することにした。これで全身の制作に取りかかれる。團十郎の場合は、写真に残っていない表情にしたことが面白かったが、今回の人物は、そうすることに意味はない。それでも残されたポーズとは変えるつもりでいたが、立っている場所、シチュエーションからして、むしろわざわざお馴染みの様子にしたほうが面白いと思えてきた。 


5/5

撮影二回目。本日も晴天。撮影ポイントは決めてある。直射光は人物像の立体感や表情に影響を及ぼし、なにより素材感がでてしまうので避けるのだが、今回は日除けがあるので、背景は直射光でも、人物には当たらないで済む。しかし前回、人物の上には陽を遮るものがある、という状況説明が画面内に不足していたので、人物が背景から浮いてしまうおそれがあった。人間の目というものは、そういう違和感には敏感なものである。そこを逆手に取れば、判っていても、人形が実物大に見える。 前回、もう少し後から撮れたら、と思わなくもなかったが、地面を工事していて、パイロンや柵があり、ヒキが撮れなかった。そこには警官の詰め所があり、立っている警官にどいてもらって横に立てばなんとかなりそうである。観光客に声をかける愛想のよい警官なので、頼んで、そこから撮らせてもらった。日本人だけでなく、外人観光客が多い場所なので、特に愛想の良いのが選ばれているに違いない。やはり連休中は人の行き来が尋常ではない。帰り際挨拶すると、「今日は人が多いからね。プロじゃないんでしょ?」ようするに仕事なら許可が要るということである。例によってあらぬ方向にカメラを向け、サンダル履きでプロの気配を消した、せっかくの変装?なのに。と思えば、“まさかあんたプロじゃないよな”という意味であった。帰宅後、編集長に申請をお願いする。これで後は背景を準備しながら、それに合わせた人物の身体を作る。今回は人物の表現には特に工夫を凝らさず、あえて有名なイメージに殉じるつもりである。しかし同じイメージでも、立っている場所によって、本人の考えていることも違って見えたら面白いかもしれない。


5/11

雑記に間が空いてしまったが、前回の雑記の内容からして、あまり間が空いてもまずいのではないか?と実家のパソコンで書いている。幸いにも、肝心の人物の首の制作が順調に進み、用事のついでに実家で身体の制作をしていた。制作に特別な道具、材料を使うわけでもなく、自分の家より順調なくらいで、なんの支障もなく乾燥まで済ませた。 
ケーブルTVで母と『如何なる星の下に』(1962)監督:豊田四郎を観る。母は舞台になった築地辺りの育ちなので、ああだこうだいいながら観た。池辺良と山本富士子が隅田川を船で渡っていたが、62年といえば、物凄くドブ臭かったはずである。 私が、たとえば当時の西村晃の後ろ姿だけで名前をいうので、母は驚いているが、人の形に関しては私はこんなものである。左を向いた肖像写真を見ながら、右側の顔さえ普通に作れるが、それが地図になると、左右どころかピクリとも頭の中で動かせないのは、どういうことなのであろうか。グーグルの地図を見ながら、モニターの前で、頭を逆さまにする勢いで傾けているところなど、とても人様には見せられない。


5/17

背景の画像も完成し、胴体も仕上げを残し凡そ完成。残るは頭部だけなので、今は写真資料と粘土と頭だけを持って帰っている。以前、この人物に関しては、スタジオの外光に眩しそうにしている、と書いた。つまりクリント・イーストウッド状態、と思っていたのだが、もともと目が細い人物だ、という証言を、今日になって見つけた。おまけに“額は梅毒のため抜けあがりおりたり”。もっとも梅毒云々というのは、いっているのはこの人物一人だけのようであるが。ということで、眩しげな目の周辺の力をいくらか抜いた。

※中江兆民


5/24

風邪のせいで外出もままならず、宅配のピザを食べている有様で、K本にもしばらくいっていない。しかしどういうわけか、アダ―ジョ6月配布号の作品が、予定より早くしあがりそうである。この体調では難航しそうだし、と行儀の悪いことに、最悪事は寝床から手だけ出して作っていた。傍から見たら執念の図、というところだが、当人は好きでそうしており、別段どうということもない。実家で頭部を作っていた時は、さあできた。といってる数分後には、又いじっているので、母にはいい加減にしておいたら、といわれていたが、いつもだったらT屋のかみさんや、運送会社勤務のKさんにいわれているセリフである。さあできた、といっていながら嬉しくないのは、完成していない証拠である。それにしても、風邪のせいで力が抜けたのであろうか。妙にスム―スに事が運んだ。


5/26

例によって写る部分しか作らなかったとはいえ、次号アダージョ用作品が、今までにない早さで完成した。風邪のせいで出かけられなかった為でもあるが、タクシー運転手のTさんや、運送会社のKさん、T屋の主人Hさんやかみさん、K本の常連など、制作途中の首を一度も披露せずに終ってしまった。 しかし考えてみると、難航しているときほど披露する頻度が高い。数センチの首に何日も向き合っていると景色も変わらず、果たして自分が進行しているのかどうかも曖昧になってくる。九代目の團十郎の首を見せられ「どう?」などといわれたところで、いわれたほうが迷惑である。良くなったかどうかは別にして、前回見たときと違っている、ということさえいって貰えれば安心するのである。日ごろは楽しいことをすると、肝心なものが減る気がして、祈るような心持で制作に集中するが、風邪っぴきでかえってスムースに進んだことについては、少々考えねばならない。
田村写真にでかけ、色見本を作ってもらい、データとともに新宿御苑前に向かう。恒例の編集会議である。この日に完成データを持っていくことはまずない。咳飴、喉スプレイ、マスクを持って出かける。私が係わるのは表紙だけで、中のことは聞いていても仕方がないのだが、私のいない間に万が一、次の特集人物が決まってしまったら、と思うと風邪をおしても顔を出さずにおれないのである。


6/25 制作ノート

アダージョには珍しく人気沸騰中の人物である。特集場所の大手町には、どう考えても刀を差した男を立たせる場所などない。私は過去の人物を取り上げるアダ−ジョではあるが、余程効果がないかぎり、安易に過去の人物を現代の風景や人物と絡ませるのは避けたいと考えていた。そこでイメージを優先させてもらい、黒船を迎え撃つために作られた第四台場あたりに龍馬、そこ現れた黒船、という図を考えてみた。 それにしても、一頃に較べれば落ち着いたとはいえ、書店に行けば未だに龍馬関連の雑誌、書籍の類が目に付き、TVでも特集番組を目にする。つまりアダージョはかなり後発ということになる。ブームの前ならいざ知らず、この期に及んで今さら龍馬に黒船でもないだろう、という気がしてきた。  大手町といえば、旧江戸城の大手門がある。龍馬は勿論、江戸城が開かれたことを知らずに死んだわけである。現代の観光客が行き来する大手門に立たせてみたらどうだろう。大手門に行ってみると、当然、ハトバスツアーや外国からの観光客が目に付く。これで決まった。アジア人の観光客が圧倒的な中、いかにもな金髪を捜した。これで黒船を作る必要もない。  いつもはできるだけ、写真に残された人物像と違う状態を心がけるのだが、逆を向いてはいるが、あえて良くあるイメ−ジに準じた。これが太平洋に面した場所に設置された銅像なら、遠くを見る目をして(単に細い目だったという証言がある)日本の行く末を見つめる龍馬像となるわけだが、立たせる場所により、一味違った感慨に耽っているように見えるかもしれない。