大正芸術写真


芸術写真華やかだった大正時代の作品を見ると、当時の流行なのだろうが、あまりにも

情緒的に過ぎ、志の高い作品が多いとは言えない。芸術写真作家は裕福なアマチュア

が多く、道楽の一つとしてたしなむ人が多かった事によるのだろう。当然世に問うなどと

いう欲も(一部を除いて)なく、その作品を眼にする機会は今では少ない。しかしなかに

は相当な名人がいたようで、アサヒカメラの増刊号(昭和
49年)に木村伊兵衛放談室の

再録が載っているが、そこで、林平吉という名人について語っている。この人物はブロム

オイルトランスファー法で三色分解のカラープリントをしていた人物である。木村の対談

の相手は長岡正雄。(元日本写真機工業会会長)

木村 「昔は偉いのがいた。日本橋の丸善の裏にいた…。」

長岡 「林の平公か(笑い)おれの家のうらにいた。」 

木村 「あんな名人いないですよ。なんでもうまいんだ。芸者の長じゅばんへ景色だの何
     だの、焼きつけちゃうんだ。ブロムオイルの手法ですよ。」 
    (ブロムオイルを転写))

長岡 「おもしろい人だったよ。ちょっと、すうっとした男でね。」 

木村 「日本橋のどまん中にいて、まわりが芸者屋と飲み屋だもの。そこで極道している
     わけだ。ちょうどライカの
C型ができたときにドイツに行って、それでいろいろなレン
     ズをつけかえて、とりわけては三色分解して、それを伸ばしてブロムオイルでやっ
     ていたんだ。」

云々とある。 

私は世の中で一番見てみたい写真はこの林平吉のカラー写真である。ないとは思いな

がら恵比寿の写真美術館に聞いてみたが、遊び人、林の平公の写真はあるはずもなか

った。しかし芸者のポートレートを大きな写場用カメラで、三色分解の乾板三枚を各
1秒半

で撮るというのだから相当な遊び人である。

作品が残る芸術写真家の作品で、今見ても突出しているのは野島康三の作品だろう。

現在なお画面から強烈なエネルギーを発している。銀行家の息子だった彼は物心両

面で貧乏に喘ぐ芸術家を助けるなど、尊敬を集めた人物だったようだ。しかしその野島

にしても海外から流入するリアリズム写真の流れに勝てず、和服を洋服に着替え、ダン

スパーティーを催したりして、新しい波に順応しようとしたようで、がっかりさせられる。

自分に合った技術というものは、一生に、そう幾つも出会えるものではない。普通のモノ

クロ写真(ゼラチン・シルバー・プリント)に転向してからの作品には、見るべきものはな

いと私は思う。

日本から、すっかり消えてしまった、オイル、ブロムオイルなどの技法だが、海外には、

皆がやめるから、私もやめるという妙な風習はないので、以前として作家が存在する。

ホッパーフェスタ(ブラシで弾むように叩くことからホッパーと称す)などが開催されてい

たりして、普及に努めるサークル、
ワークショップなどが、近年盛んになってきているよう

で、
インターネットによる情報交換も行われている。