日本ピクトリアリズム史



1839年にイギリスのポントンにより重クロム酸の感光性が発見され、1852年にタルボット

が重クロム酸を塗布したゼラチンが光により、硬化する事を利用して、写真製版を考案し、

コロタイプなどの製版法が実用化されていく。

写真界においても1892年、ロンドンで結成されたリンクト・リンクに代表されるピクトリアリズ

ム(絵画的)写真が流行していき、その間カーボン印画法(Cabon Process) ゴム印画法

(Gum Bichromate Process) オイルプリント(Oil Pigment Process)引き伸ばし用ブロ


マイド印画紙を使用するオイルプリント、ブロムオイル(Bromoil Process)など、様々な絵

的効果の高い、ピグメント(顔料)印画法が試みられていった。


日本では、明治十年代から横山松三郎などがカーボンプリントその他、様々な技法を試

みて
いるが、明治26年ロンドンカメラクラブから296点の作品が到着したことにより、日本

に始めて
ピクトリアリズムがもたらされる。この日本初の海外写真展に始まる、イギリスのピ

クトリアリ
ズムの影響のもと、日本に多数の写真会が設立されていく。

海外のピクトリアリズムは、印象派絵画のイメージがその手本となったが、日本では日本

を手本とし、その表現に近い作品が芸術性の高い作品であるという時代が続いた。

そして
イギリスを中心とした絵画主義作品の紹介、材料、用品などの輸入が盛んになっ

ていく、そ
の作品は芸術写真と称され、日本ではアマチュア層を中心に広まりをみせて

いった。


1904年秋山轍輔、加藤精一等は芸術写真研究のため、ゆうつず社という研究団体を

造っ
た。新しく輸入されたピグメントプロセスを研究し、1907年の東京勧業博覧会には、

秋山の
ゴムプリントが一等賞金杯を受賞した。ピグメント法はこの年代から急激に広まっ

ていく。

明治四十
年、秋山は、東京写真研究会を創立した。この会が催す展覧会に明治42年、

秋山が出品
した作品「怒涛」が日本における初のブロムオイル作品であった。この会が

催す展覧会に
はブロムオイル、カーボンプリント、ガムプリント、などの優れた作品が全

国から集まり、その
ピグメント法による芸術写真は日本各地に影響を与え、数々のアマ

チュア団体が創立されて
いった。

大正後期、関東大震災の後、芸術写真研究、写真芸術、カメラなどの写真雑誌も次々

と創
刊され、かつてない芸術写真の隆盛時代を迎える。当時の代表的作家に野島康三、

高山
正隆、渕上白陽 日高長太郎などがいる。


しかし昭和に入るとヨーロッパからの近代写真の波が日本にも迫ってくる。そして新しい

真運動からは、ピクトリアリズムは前時代的なものとして非難されることとなり、第二次

大戦後のリアリズム写真運動の時代には、サロン的写真と呼ばれ、日本が急速に近代

写真時代に進むと同時に、ピグメントプロセ
スによる作品は徐々に消えていった。


参考
 小学館 日本写真全集2 芸術写真の系譜