ストーカー犬


犬と人間の付き合いは旧く、気持ちも通じるという。 

以前、東京にほど近いある町に住んでいた時の話しだが、昼下がり、近所のスーパー

に買い物に出かけた。脇道に眼をやると三十メートル程の所に首輪はしていたが、い

かにも雑種の犬がいる。振りかえったその犬と眼が合った瞬間、小走りにこちらに駆け

てくる。飛びかかられはしなかったが、後ろからついて来る気配。刺激しないよう、ゆっ

くり歩いてスーパーにたどり着き、ホッとして店内に入った。さすがにここまでは付いて

こない。十五分ほど買い物をしていただろうか。犬のことなどすっかり忘れ出口までくる

と犬がいる。たまたま私に付いてくるような格好になったが、特にかかわりがあるわけで

はなし、他の客にまぎれて店外に出た。するとその犬は大勢の買い物客の中から私を

見つけると嬉しそうに尻尾を振りながらついて来た。その日から私は縁もゆかりもない

この犬に、二ヶ月間、付きまとわれる事になる。

犬は毎日、玄関の前で私の外出を待っている。出かける時は駅の改札まで付いて来

る。帰ってくれば必ず玄関の暗がりの中にいる。近所に出かける時は何処へでもつい

てきて、書店だろうが酒場だろうが、用事が済むまで店の前で何時間でも待っている

のだ。入り口に居座られて迷惑な店もあったろう。そのたびに私の犬ではないことを、

聞かれもしないのに、それとなく店主にアピールする羽目になる。しかし後ろに犬を従

えて歩く姿は、どう見ても私が飼い主にしか見えないのだ。車の行き来の激しい道を歩

いていると、ぴょんこんと車道にはみ出したりする粗忽な犬で、まったく気が気ではない。

関係ないとはいえ、車に轢かれでもしたらやはり気分は悪い。どうしても後ろを気にしつ

つ歩く事になり、これがまた”愛犬を気遣う私”と言うカタチになってしまうのである。 

外出時だけが迷惑かというと、実はそうではなく、むしろ悩まされたのは夜、家の裏に

まわって、いかにも開けてくれと何時間でも雨戸をガリガリやりつづけるのだ。その家で

飼えるわけでなし、ヘタに餌などやって勘違いされてはと思い、一切与えなかった。

しかもそれだけでなく棒で小突いて愛情などないのだという事を示さなければならなか

った。(一度だけ酔って帰ってきた時、ソーセージを与えてしまったが。)堪りかねて犬

を飼ったことのある友人に相談すると、可愛いもんではないかと無責任に笑っているだ

けで、てんで役にたたない。いったいこの犬は私を何だと思っているのだろうか。面倒を

みてくれる人間に見えたのかもしれないが、それにしても二ヶ月の間にソーセージ一本

なのだから、自分の選択が間違っている事に気がつきそうなものである。さらに、なんと

いっても合点がいかず不気味でもあったのが、犬というもの、いくら人間社会に馴染ん

で野生に乏しいとは云え、頭の良い動物である。よもや私と誰かを間違えると云う事は

あるまい。しかし下から見上げるあの表情は、どう見ても私を、もしくは私の何かを知っ

ている顔だ。しまいには友人達が「それはきっと前世でなァ…」などと言い出す始末。

もう勘弁してくれよという気分の私は、よっぽど交番に助けを求める事も考えたが、それ

では保健所行きになってしまうかもしれず、それもまた具合が悪い。

そんな日々が二ヶ月も続いたが、ある日を境にぱったり姿を見せなくなった。いなくな

るならなるで、急にいなくなることもないだろうに、などと勝手な事を思いながらも、

やはりホットしたのであった。

二、三週間経ち忘れかけた頃、久しぶりに例のスーパーの近くで犬を見かけた。内心

シマッタという気持ちと懐かしい気持ちが、ない交ぜだったが、ところがその犬は、私が

いる事に気付いているはずなのに知らん振りをしている。眼が横に付いているわりに案

外視野が狭いのかと数十メートル先を行ったり来たりしてみたのだが、犬はというと私を

全く無視し、ただ遠くを見ている。眼中にないとはこの事である。我にかえると、私は犬

を相手に何をやってるんだとバカバカしくなり、犬にからかわれたような気分で家に帰った。

ただそれだけの話しなのだが。

それにしてもあの犬は何故、私に付きまとったのだろう。ぐうたらな生き物がいるもんだ

と、暇つぶしに巣穴の前に陣取り、観察でもしていたのだろうか。思えば夏休みにカブ

トムシの観察をしていた少年時代の私も、あんな感じだったのかもしれない。だいたい、

始めて眼が合った時、大きなカブトムシを見つけたような顔をしていた。