PICTORIALISM



私がオイル(ピグメント)プリントを制作しようと思ったのは、91年に松涛美術館で

催された『野島康三とその周辺』の図録をその年に古書店で眼にしてからだ。

それは今まで見たどの写真とも違っていて、特にレンズを真っ直ぐ凝視するポート

レイトと深みのあるヌードが圧巻で、さらにまるで絵画のような不思議な技法に興

味を持ったことがきっかけであった。

私は人形を制作しているが、仕事で作品を撮影してもらうことがあっても特に写真に

興味を持つことはなかったが、いずれ個展用のDMぐらいは自分で撮影できればと、

発売間もないミノルタα7000を手に入れた。それは自分が乱視であることに気付

かず、ピントが合わないということによる選択であった。そんな私がある時友人に付

合い、始めて行った中古カメラ店で、壁に飾ってあるライカで撮影したという写真を

見た。
被写体は動物園の猿であったが、私の撮る写真と随分違って、まるでそこに在

るかのように見えたものである。ただその時点では技術的なことには思いが及ばず、

たんにライカという機械が特別なのだと思い込むオソマツな私であった。しばらくして

最低ランクのライカVFを手に入れ、さらに最低なコンディションのレンズを手に入れた。

(まだレンズが肝腎ということに気付いていない。)そんな状態の私なので、慣れない

露出計片手に、惨憺たる駄作を連発していたが、ごくたまに、様々な条件がそろった

場合に限り、実際の世界より美しく写ることを知った。そして収差の残る古いレンズを

使用することを覚え、それは次第にエスカレートしていったのである。同時にプリントも

自己流で始めたのだが、この作業がまったく自分に合わず、ついに上達することなく

現在では信頼するプリンターにお願いしている。

 一方、未知の技法に一目惚れの私は、自分でも試したくなり、この不思議な技法は

どいうものかを調べることから始めた。古書街に通っては、ピクトリアリズムが盛んであっ

た大正時代を中心に、技法書、処方書、写真誌等を集めてまわった。野島はガムプリ

ント、ブロムオイルなどを制作していたが、私は特にこの油性絵具にブラシを使ってプリ

ントするというブロムオイルをやってみたかった。ブロムオイルは引き延ばしたプリント

を漂白し、ゼラチン部分に水をふくませ、その上から油性絵具をブラシで叩き、ゼラチン

の含水量によって、ハイライト、シャドー部が表れるというものである。しかし現在のモノク

ロ印画紙は容易に水を含んでくれず使用できない。そこでそれ以前におこなわれてい

たオイルプリントをやってみることにした。(使用可能なペーパーが現在でも製造中で

あることは後で知った。)

 この技法は、油性絵具をブラシでインキングするのはブロムオイルと同様だが、紙に

ゼラチンを塗布するところから始めなくてはならない。当然引き伸ばしができず、プリン

ト大のネガが必要になる。そのような理由からブロムオイルに取って代わられていった

のであろう。しかしその一方でオイルプリントは、自分のプリントに合ったゼラチンの厚さ

を工夫でき、さらに画調を大きく左右する、用紙を自由に選択できるという利点がある。

薬品を何とかそろえ、当時私の持っているカメラではブローニーサイズが最大であった

ので、とりあえずそれで始めることにした。しかし問題は使用するブラシの毛の質や、ブ

ロムオイル用絵具がいったいどういった物か判らないことであった。当時それらの用具、

材料は、輸入国産ともに既製品が出まわっていたが、現在では似たような物を探してみ

る他はない。様々な筆やブラシを切ったり焼いたり、揚句はスポンジまで試したが、最終

的に、入手が容易な染色用ブラシを使うことにした。絵の具は油性の物は一通り試して、

リトグラフ用絵具を選び、用紙は保存性を考慮し、無酸紙を使用している。大正時代、

非銀塩のピグメント印画法は、ソフトフォーカスレンズの使用と同様、アマチュアを中心と

して盛んであった。そのせいか技法書には、さも簡単にできるかのように書いてある。とこ

ろがその通りにやっているつもりでも、一向に画像は現れなかった。私はページが欠けて

いるのではないかと何度、確かめたことであろう。肝腎なことは後に述べると云っておきな

がら最後まで出てこないこともあった。「私は今、私の秘法を明らかにしやうと思ふ」という

秘法は、大体たいした効果はない。今日はコツをつかんだと思うと、翌日はそれがコツで

もなんでもなかったというくり返しであったが、昔の人間にできて、今の自分にできないは

ずがないという一心で絵具にまみれ続けた。そして8×10サイズのカメラを使うようになっ

た頃には、このプリントは、原理は簡単だがブラシによるインキングの習熟が肝腎である

ことが判ってきた。むしろそれがすべてと云っても良い。

突然熱に浮かされるように始めてみたものの、発表しようというつもりで制作していた訳で

はなく、人形作りとしては、よけいなことをやっているわけで、何枚かの人物像が完成した

時点でこの作業を封印することにした。しかしそのうち、個展会場に人形作品を並べるだ

けでは云い足りないものを感じ始め、私の造った人物が、私にはこう見えるのだということを

写真により表現できればと、個展会場の壁面をモノクロ写真が飾るようになっていった。人

形という虚構に、写真という表現を重ねることにより、自分のイメージを表すことができると

考えたが、それにはオイルプリントという、より主観を込められる技術の方が適していると、

中断していたオイルプリントの制作を再び始めることにした。かつて真を写すと考えられた

写真だが、私にとって写真を撮るという行為は、『夜の夢こそマコト』と云った江戸川乱歩と

同様に、外側の世界ではなく、額にポラロイドカメラを当てる念写の如くに、自分の中のイ

メージだけにレンズを向ける事である。さらにそれに拍車をかけたのがデジタルであった。

最近は35mmで撮影したフイルムをスキャニングし、デジタルデータとして画像を加工し

た後、印刷用フィルムに出力したネガを使用している。そのおかげで引き伸ばしができな

いオイルプリントの欠点も解決した。泉鏡花は金沢で日中、鏡花像を撮影し、背景を黒く塗

りつぶした上に別撮りした満月を配置したものである。野暮を承知の?デジタル作業では

あるが、しかしそれもネガ制作の段階までであり、完成作品は、時にブラシの毛がへばり付い

た超が付くアナログであるということが大事である。そしてこの修験者の技のようなプリント法

は、デジタルとは両極ゆえに相性が良いと考えている。

ピクトリアリズム時代の様々な技法は、廃れるには廃れる理由があったのであろう。野島は

ともかく、それが当時の流行でもあり、またそのような表現に向いているということもあって、

溢れる涙越し見た、懐かしの故郷のような風景写真が多く、写真の新時代を迎えるにあた

り、疎まれ、流行遅れの古臭い技法となっていったことは想像できる。しかしそれは内容の

問題であって、技術に古いも新しいも無く、自分の表現に合った手段であればゴミ箱から拾

ってでもやってみる価値があると私は思う。 古いという事においては、今に至れば現在の

モノクロやカラーの銀塩写真にしても似たような物で、最近はフイルム、ペーパーなど製造

中止になることがあるようだが、光と陰を定着する事にかけての先達の苦闘の歴史を垣間見

て、一度体験してしまうと、仮にすべてが製造中止になっても、ハンコをもって薬品問屋にさ

えいけば、なんとかなるような気になるものである。

クラシックカメラ専科 no.63 朝日ソノラマ