明日できること今日はせず 

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12・某日16 忘年会

六時半に有楽町阪急前で二十数来の友人三人と待ち合わせ恒例の忘年会。私以外は鋳金、鍛造、アクセサリーとすべて金属関係。中の一人は昨年の忘年会以来。毎年同じ銀座なので、昨年の忘年会がつい先ほどの事の様に思える。十代の、とんでもない時代をお互い知っているので、気楽な集まり。しかしあの時代は何故皆、あれほど酒を飲む必要があったのか不思議である。ほろ酔いで御開きと云う事はありえず、連日倒れて終わるという感じであった。クラフト作家でもあるHは最近、水槽に水草を生やし、小さな自然を作る事に熱中しているそうで、先日は酔った勢いで近所の人にまで見せて、家族をあきれさせている。昨年は愛車ベンツの話ばかりであったが。 Kは使いもしない一級船舶、無線の免許を取り、今は何故か尺八にハマッているという話。 Mさんは子供の頃、体温計をかじり、水銀が口に入った話から水銀はどう作るのか等々。実にバカバカしく、例年通り今年も終わる。終電を気にしながらほろ酔いで御開き。帰ってニジンスキーを朝まで造る。


12・某日15 来年できること今年はせず

ここにきて、また風邪をひき、結局大掃除はできそうにない。しかし今年中に造っておきたかったニジンスキーの頭部がほぼ完成。仕事で自ら撮影する場合は、写らない部分は造らないが、個展用作品は360°観られる事が前提なので時間がかかり、また、やめ時が難しい。(人形を出品するかは未定だが、撮影の都合もある)そんなわけでキリがないので今年中に完成をと決めていたわけだ。もっとも個展後に手を加える事もあるので、終わりはあって無いようなもの。


12・某日14 師走にゴキブリ

年賀状を作るが、例によってプリンターが思うように作動してくれない。散々な出来だが、短気を起こし、壊して買い換えたばかりなので我慢をする。 玄関で数ミリほどのゴキブリを見つける。しばらく見ていると、寒さで二十センチ四方をヨタヨタ。夏に見るのとは気分が違い、多少憐憫の情もわくが、この情けが来年アダになってもと、チリ紙で。今年最後の殺生となる。正確に言うとアルコール殺菌の作業が続くわけだが。今日は阿佐ヶ谷で。


12・某日13 東洋館 (浅草演芸ホール)

立川談志、快楽亭ブラックを観るため、演芸好きベーシスト谷口氏と浅草で待ち合わせる。時間があるので(プ)ロマイドのマルベル堂へ。同い年の谷口氏の趣味はいささか古く、原節子、有馬稲子などを見て喜んでいる。私は若尾文子で喜ぶ。続いてスマートボールへ。私の知っているスマートボールは子供が入れなかったが、今では半数が子供。一回二百円。係りの女性にアメを貰う。その後浅草演芸ホール。東京ボーイズ。TVでは観ているが、実際、生で観るとさすがベテラン。三人並んだ様子も良い。快楽亭ブラック。何度観ても最高に面白い。しかしやはりTVで放送は無理。立川談志を始めて観る。TV出演とは違って、機嫌が良い。放蕩息子に大旦那の『よかちょろ』。途中噺を忘れ考えこむ。そしてそれを思い出すまで固唾を飲んで待つ客。一人のお客の助け舟に無事思い出すが、なんとも云えない空間であった。 結局、今となっては、TVで放送できないような芸だけが面白い。演芸場を出ると、ハンフリー・ボガートのような前田燐(ナンセンストリオ)。昔の芸人のたたずまいの違いを見る。最後に、私のとっておきの昭和30年代東宝映画風バー(先客がいたためしがない)に案内しようとするが、私の病的な方向音痴に歩き回るはめに。しかし、なんとかたどり着く。


12・某日12 ニジンスキーの手記 完全版 鈴木 晶訳 新書館

以前出ていたのは妻ロモラが、自分の都合の悪いところを削除した不完全版で、これはロシア語から訳された完全版。私は子供の頃から伝記好きである。伝記、偉人伝の類は片っ端から読んでいた。小学校低学年の私は、伝記というものは、その場を見ていた人が書いていると思い込んでいたので、たとえ私が、桜の枝を折って母に怒られたところで、見ているのは、とても本など書きそうにもない近所の人ばかりで、偉い人になる条件を満たしていないと本気で思っていたものである。 これは本人が書いた手記。天才というものは、異界から何かを持ってきて、凡人に見える形に変換してくれる人達のような気がするが、その行為は無理があるわけで、ニジンスキーも後半生を狂気の中で生きる事になる。狂気のニジンスキーがジャンプしている写真の異様さは格別。天才とは、こういう物かと始めて思ったのは、モダンジャズの開祖、チャーリー・パーカーの唯一残るフイルムの、演奏時の無表情を観た時であった。


12・某日11 足場撤去でカーテン全開 

ニジンスキーの頭部、目標の年内完成になんとか間に合いそうである。(これを元に、二種類の表情を制作予定)人形が写真のネタのようになり、個展に出品する人形は少なくなっているが、ところがそれに応じて、頭部の制作時間が長くなってしまっている。被写体が完成しないと話しが始まらないが、手のヒラに軽く乗るようなものに数ヶ月かかるように。 来年六月の個展用に、ニジンスキー、ディアギレフ、コクトーときたが、当初考えていたエリック・サティは今のところ画が浮かんでいないので、この三人になるかもしれない。そう決めるのであれば、頭部が出来て、後は画を考え、それを実現する作業であるから、楽しい事ばかりになるはずなのだが。願わくば、追い詰められれば追い詰められるほど、新しいアイディアが浮かんでしまい、やらずにおれなくなるという病が出ないでほしいものだ。外壁工事の足場が撤去され、久しぶりにカーテンを全開にする。


12・某日10 こだわりの私

私はどうも、こだわりの人と思われがちである。「色々こだわっている人で」などと人に紹介されたりして。しかし私としては「○○の穴の小さい奴」と云われているようで居心地は良くない。確かに妙なカメラやレンズ、廃れてしまったプリントなどやってるし、さらにここで手製の糠漬けの話などしているから、なるほど、他人から見ればそう見えるかもしれない。しかし私としては、こだわらないから、こんな事になってしまったと思っているのである。自分でも何故こんな事を始めるのだと思う事たびたびだが、訳が判らなくても、そのまま続けるようにしている。その方が結果が良く、私の知らない理由があったりする。ヘタな頭さえ使わなければ、元来人間も自然物なのだから間違う事はあるまいと踏んでいて、行き当たりばったりというわけである。


12・某日9 ニジンスキーの頭部佳境に入る。 

住まいの外壁工事、遅々として進まず。休日はやらないはずが朝から騒がしい。ガウディの教会じゃあるまいし、早く終わらせてもらいたいものだ。 TVで鉄道マニアを紹介する番組を観る。鉄道模型マニアなども出てきたが、なかでも全国の駅を降り改札を通る、『降りつぶし』をする人に驚く。木造の駅舎を前に嬉しそうに撮影していた。この趣味のため就職の機会を逸したそうである。友人にも昔は写真、8ミリ撮影のため各地に出かけていた人はいるが、私は電車が通ると家が揺れ、汽車の煙が漂ってくるような所で育ったせいか、あまり興味を持つ事はなかった。時刻表を見ているだけで楽しいという人もいるらしいが、私は未だに見方が判らず、最も興味のない書物といえるだろう。しかし好きな事を嬉しそうにしている人を見るのは楽しいものであるが、家族の理解がある人だけを選んでいるわけで、当然、その趣味のために悲惨な状態の人達もいる。やってはいけない事は楽しく、身体に良くない物は美味しい。 ニジンスキーの頭部、ポイントが掴みづらかった部分が解決し、グッと良い感じに。デジカメの調子が悪く、画像をアップできないのが残念。


12・某日8 石井輝男監督作品オールナイト上映 自由が丘武蔵野館

『地獄』 (’99)『盲獣VS一寸法師』 (’01)『ゲンセンカン主人』 (’93)『無頼平野』 (’95)石井監督のトークライブもあり、塚本晋也監督も登場。目的はもちろん『盲獣VS一寸法師』。フィルムでないのが残念だったが、内容は石井監督趣味炸裂。鎌倉ハムまで登場。(盲獣がバラバラにした死体を加工したハム。乱歩が自分で嫌気が差し、削除した場面。)盲獣のアジト、壁面の人体オブジェが触覚芸術というわりに触りごこち悪そう。始めて観た『ゲンセンカン主人』はかなり原作に忠実。私は小学校の高学年より中学時代を通じガロの愛読者であって、つげ義春一連の名作をガロ誌上で読んでいた。きっかけは、たまたま眼にした白土三平の『カムイ外伝』の、くノ一にひかれてという不純なものであったが、ハレンチ学園で喜ぶ同級生を尻目にゲンセンカン主人などを読んでいたことになる。最も印象に残る作家であった。つげ義春ファンでも当時最年少の部類であろう。


12・某日7 乱歩邸・土蔵の悪夢

乱歩邸内にある土蔵、そして蔵書の保存を立教大学が引き受ける事に決まった事は、最近報道され、一安心というところである。空前にして絶後の作家、江戸川乱歩の遺品はその創作の秘密解明のため、今後さらに分析されていく事だろう。私は東京創元社の99本格ミステリ・ベスト10の撮影で、土蔵内部に入った事がある。乱歩は、あまりの寒さに書斎にするのを諦めたそうだが、私も風邪をひいた。その時、乱歩の息子や孫に生まれるというのはどんな感じなのだろうと夢想をした。子供の頃、親に怒られては物置に閉じ込められたものだが、あのお宅だったら土蔵だろうか。いや、私のイタズラ書きの癖を知る乱歩は鍵をかけて、私を入れまいとしたはずである。 昨晩夢を見た。立教大の学長室で、学長その他に囲まれ、机の上にうずたかく積まれた本の前で、怒鳴られ小突かれ、問い詰められているのだ。乱歩の蔵書のほとんどに、私の子供時代のイタズラ書きがあるという悪夢であった。  


12・某日6 ブロムオイルプリント用ブラシ

来年2月「クラッシックカメラ専科」の巻頭写真(オイルプリント)掲載の打ち合わせで朝日ソノラマへ。そこで萩谷剛さんになんと、ブロムオイル/オイルプリント用ブラシをいただく。私はそれまで当時の既製品は一切眼にした事が無く、染色用のブラシで代用していた。そのブラシは萩谷さんが学生時代の先生にいただいたという、昭和初期フランス製の大変貴重なものである。使う人が持っていた方がとおっしゃっていたが、確かにこれを貰って日本で一番喜ぶのは私に違いない。画面を叩くため銅が巻いてあり、かなりの重さ。せっかくの道具なので、仕舞い込まずに大事に使わせていただくことにする。オイルプリントはブラシで描くのかという質問を良く受けるが、いずれサイト上でブラシで叩いている様子をムービーにと考えている。


12・某日5 銀杏

住まいの下に、大きなイチョウの木がある。季節になると銀杏が落ちているのだが、ここに来て十数年。一度として拾ったことが無い。気が付くとすでに拾われたか、掃きすてられたか、もしくは出掛けに気がつくといった調子だったのだが、コンビニに行こうと外へ出ると沢山落ちている。用事を済ませると、とってかえし、コンビニの袋に拾っては集め、片手のヒラでは持ちきれないほどに。


12・某日4 さらに糠味噌漬け 

明け方、目が覚めたついでに、糠床をかき混ぜ、漬かり過ぎの心配のあるキュウリを取りだす。さっき寝たばかりのような気がするが眼がさえてしまったのでネットで糠味噌を検索する。最近あまりうまく漬かると、人にも食べさせたくなるのだが、まるで世間の親バカのような状態になりそうなので、それは我慢をしている。不細工な糠漬けも可愛いと云わないと許さないという雰囲気を、私はきっと醸し出してしまうに違いないからだ。茄子の色止めには錆びクギを入れたり、明礬を擦りこむそうだが、ナスニンという色素に鉄や明礬のアルミニウム成分を結合させて色素を不溶性にして安定させるのだそうだ。それならば1円玉を入れてみようかと思ったりする。鮭の頭を入れるなどという話も聞いた事があるのだが(溶けてしまうそうだ)それはさすがに、ためらわれるので、イワシの頭あたりではどうだろうか?しかし積め込み過ぎの教育熱心も大概にしなくてはならない。来年の年賀状に糠味噌漬け画像を使う事だけは避けたい。


12・某日3 電送写真

青山ブックセンターでHotei Publishing の雑誌『JAPAN』を見る。オランダの出版社だが、江戸川乱歩をとりあげるので、私の作品を使いたいと言ってきたのが10月頃だった。データで画像を送って欲しいということであったが、印刷に耐える画像など送った事が無く、1枚の画像を4分割するなど手間取った。先方も簡単に送れと云う割にサーバーがあるわけでなし、けっこうドタバタしていたようである。報道写真などはデジカメ画像をメールで送る事など今や常識かもしれないが、新聞に使用するような軽い画像のようにはいかない。しかし子供の頃の電送写真の事を思うと隔世の感。会った事もないオランダ人が送った画像を印刷し、その雑誌が世界中に配布される。解っていても実感が無い。紙面を見る限りハエは混入していなかったようで安心する。


12・某日2 制作中

最近再開したニジンスキーも調子が出てくる。しかし人形の顔に限って言えば、調子が良い時は気を付けなければならない。特に佳境に入ってきた時など、長時間、作業に入りこまないようにする。粘土だから盛ったり削ったりできるわけなのだが、目が慣れて数ミリの事で具合が悪くなり、取り返しの付かない事になどという事を、何度も経験しているので、眼がカタチに慣れないようにするわけだ。そこで赤坂のバー「ですぺら」に行く。ウイスキーやジンを数杯。お願いしていた種村季弘さんのサイン入り学研M文庫『偽書作家列伝』をいただく。これで朝まで造ることにする。


12・某日1 乱歩系大宴会

大崎ゲートシティーで従弟のクラウン、PONTAのショー。最近フジTV笑っていいともで披露したボーリングの球を使った芸など益々冴える。口から火を吹く唯一の親戚。その後池袋にて名張人外境大宴会。乱歩関連の人達集まる。『貸本小説』末永昭二著アスペクト初版完売を祝す、乱歩邸立教大学譲渡の裏話を聞くということであったが、以前参加したレトロプロレスのオフ会なみの濃厚な集まりであった。乱歩邸での原稿[二銭銅貨]発見の話その他。中井英夫を作らないのかなどと聞かれるが、顔が今一つとは云えず。