明日できること今日はせず 

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1・某日18 青春ドラマ

寝ぼけながらTVをつけると「俺たちの旅」の再放送をやっている。ファッション、街並みなど懐かしいが、昔の青春ドラマは今見ると、寝ぼけていても恥ずかしい。世の中の価値観も随分変わったが、そういえば、加山雄三の若大将も今見るとかなり嫌な奴で、友達になるなら青大将の方だろう。現在、四日市で陶芸作家をやっている友人は、当時、このドラマの終わりに流れる青臭いテロップを書き写していたものだ。彼が近所だったら、その話をして赤面させてやるのだが。 門前仲町で銀座のS画廊の人と会う。深川飯を食べ、喫茶店でホルマリン付け標本や、両性具有、刺青の話などをして別れる。 今造っている一体目の牧神は、下半身を獣にしているのだが、その下半身、特に蹄あたりを造る。ニンフの落した布に頬擦りするこの牧神は、屹立したペニスを備えているべきであろう。


1・某日17 東京国立近代美術館 「未完の世紀20世紀美術がのこすもの」

リニューアルオープン記念展  村山槐多の「尿する裸僧」を始めて見る。昔、図版で見たときは小品かと思っていたが、思いのほか大きい作品である。印刷と実物では大違いで凄い迫力。実物は絵具の盛りあがりまで見られるので、伝わるものが違う。槐多おなじみの自画像も見る事ができた。その他、青木繁、速水御舟、川合玉堂、菱田春草、川端龍子、土田麦僊、その他を満喫する。神は細部にやどるというが、神経の行き届いた線描は、離れて観ても全体から受ける印象が胸を打つ。最近、ニジンスキーの頭部が難航し、鬱憤が溜まっていたせいか、全身を作る段になりハイテンションが続き、危険を感じて昨日、今日と制作を休んだのだが正解であった。名品を前に、眼福を得る。途中どこかの老人の団体が押しかけ、やかましい。興味のない連中を、こんな所に連れてきてどうするのか。引き上げるまで、お堀の風景など見ながらやり過ごす。野島康三のガムプリント、ブロムオイル作品が数点あり、じっくりと観察する事ができた。熱心に見入る私に「これは絵なのか写真なのか」聞いてくる人がいたが適当に答える。会期中、展示替もあり、2/13からの後期展示も是非観てみたいものである。


1・某日16 アルバトロス殺法

新宿、加賀屋でTさんと待ち合わせる。パイプタバコとライターを買い、アルプス堂でカメラを見る。何処かで飲もうとしばらく歩いて、元プロレスラー、キラーカンのやっている店に行く。入るといきなり巨体が。現役当時は大ファンだったので嬉しい。やはりレスラーは大きくないといけない。Tさんもプロレスファンだが、目の前で食器を洗われてしまったりすると『この人がアンドレ・ザ・ジャイアントの脚を折った人か・・・。』二人とも意識してしまって、かえって話しが弾まず。帰りがけ握手をしてもらう。デカイ!私も身長が四メートルぐらいあればレスラーになっていたところだが。その後ブルースバーに行き、先ほどできなかったプロレスの話を。


1.某日15 2体目

1体目を乾燥させてる間に、材料を買いに西葛西に。この辺りには4、5年住んでいたので、材料によっては未だに買いに訪れる。冷え冷えとした空模様に、買い物を早々に終えて、古本屋に寄る。「澁澤龍彦の驚異の部屋」太陽92・「唯幻論論」岸田秀対談集「幽霊とポルターガイスト」フランクスミス「自殺直前日記」山田花子(漫画家)幽霊など信じていないくせに、人一倍好きなのである。ニジンスキーの手記を読んでいると、山田花子の日記も読みやすいくらい。奢覇都館の「マダムエドワルダ」があり、持っているのに買いたくなる。駅近くの駐輪場の柱の陰で、主婦がワンカップを一気飲みしているのを目撃。夜になり、2作目の牧神を造り始める。ニンフのベールをかき抱くポーズなのだが、とりあえず今は、トイレットペーパーを愛しそうに抱きしめているニジンスキー。写真でも撮っておこうか。 しかし自分で造っている実感があまりない。造るスピードが速すぎて、もう少し造るのを楽しみたいのにと思う。


1・某日14 1体目

ここ二日間、大好物のタイカレーを食べつづける。香菜も毎日食べていたいところだ。その勢いに乗って、ニジンスキーの1体目、大体出来る。後は乾燥後、仕上げるわけだが、それは放っておいて、返す刀で『牧神の午後』に入る事にする。集中力高まる。


1・某日13 ↑

バレエの資料でもあればと銀座へ。伝記を読んでいてもバレエ用語を知らず、ニジンスキーが今どんなポーズをしているかが解からないのだ。これではあんまりである。イエナが閉店していて驚く。八重洲ブックセンターに向う。途中SASAKIでパイプ用タバコを買う。パイプが置いてある店に入るとパイプがほしくなるので、最近は、なるべく近所のタバコだけを置いている店で買うようにしているのだが。ここに始めて入ったのは随分昔になるが、店主の御爺さんがまだ元気で、日本人は草食動物だから唾液が多く出るので、外国ほどパイプが普及しないと聞いたような気がする。御爺さんもとっくに見かけなくなり、銀座では菊水に寄る事の方が多い。パイプを見ていたら、隣りで萬屋錦之助が葉巻を買っていた事がある。サングラスをして、『気が付かれたくない』というのと、『誰か気が付いてくれないか』というのを同時にやっている感じで、芸能人というのは器用な物だと思ったものである。テアトル銀座でベンハ−をやっているらしい。宣伝用の巨大なハリボテがブサイク。ブックセンターでは結局、バレエとは関係ない本を買う。夕食後、まず背広姿のニジンスキーを造る事にした。この人はその特殊な体型から、背広姿は実にヘン。首が妙に長く、大変ななで肩に見え、お世辞にもカッコが良いとは云えず。私の小学校に転校してきたなら、きっとヤジルシとあだ名が付いた事であろう。


1・某日12 エクタルア

昼頃起きて、ニジンスキーの牧神の午後用頭部の仕上げ。最近デジカメの調子が悪く制作過程の画像がアップできない。しょうがないので、明日35ミリで撮影し、スキャンした画像でもアップしてみようかと思う。土砂降りの中、六本木の田村写真へ写真を取りに行く。モノクロ写真は、印画紙はコダックのエクタルアを使っているが、これはすでに製造中止で貴重な物になってしまった。あと何枚プリントできるのだろうか。ストックしてもらっているペーパーが終われば、別のペーパーに変えるしかない。家に戻ると昨日の音はしていないのでホッとする。きっと換気扇の切り忘れだろう。そう思いたい。もう一種類のニジンスキーの頭部を作るか、胴体を作り始めるか決めかねる。


1・某日11 ドグラマグラじゃあるまいし

今から数年前の雪が深々と降る日に、隣室に引っ越しがあった。家族が家具など動かしている気配がする。しばらくして、落ちついたかという頃。突然、隣室と接している壁面が、ブーンという重い響きを立て出した。始めて聞く何とも不快な音に思わず立ち上がってしまった。その音はどうも胸にくるらしく、いてもたってもいられない。いったい隣りは何を始めたのだ?その音はとうとう朝まで続いた。私は学生の頃、友人と宴会をしていて、隣人に怒鳴り込まれた事は何度かあったし、パトカーを出動された経験さえあるが、私から文句をいった事は一度もない。しかしこの音はあんまりである。翌日お隣に出向くと、思い当たる事はないという。後に解かったのだが、原因は換気扇であった。どういう理由かは不明だが、この築二十数年の建物は一番奥の私と隣りの家の換気用ダクトは玄関方向に向ければ数十センチですむ物をベランダ側に数メートル延ばしてある。それがホーンとなって、音を増幅するようである。そのため、一番奥の部屋が一番ひどい。今までそんな音がした事がないので、何故、今回こんな事になったのか良く解からないが、隣りの旦那が何かしたらしい。少しの間なら我慢もするが、音がしないのは昼間の三時間ぐらいなのだからたまらない。困ったのは管理人にはその音が聞こえないのである。友人も聞こえない人が何人もいた。霊が見えてしまって人に相手にされなくなってしまう人の気持ちが実に良く解かった。本来、私は車の騒音など平気だし、TVや音楽などつけっぱなしで平気で寝られる人間なのだ。たまたま私に相性の悪い周波数なのだろう。しかし隣りは換気扇をつけていないと奥さんが窒息するという。ノイローゼであった。旦那も酒癖が悪く最悪。市役所にまで相談し、業者に見てもらって策はなく、引越しまで考えた頃、隣りは借金に追われ、夜逃げのようにいなくなった。その後隣人は変わり、音も何故か小さくなり、聞こえるのも、せいぜい1時間。平穏な日々が続いたのだった。現在の隣人は引っ越してきて三ヶ月ぐらいか。挨拶にも来ないのでどんな人物かは知らないが、昨日の午後の三時ごろから、現在朝の六時。ブーンという音がずーっと続いている・・・・。


1・某日10 オールドプロレス
 
ニジンスキーの頭部に牧神のツノを付ける。二時に古石場文化センターで、東大島文化センターの職員の方と待ち合わせ、三月の写真展示の告知用写真を渡す。 六時半、プロレスオールドファンのオフ会に参加のため銀座へ。これで二回目の参加なのだが、親の誕生日すら覚えていないような私からすると、来日年、対戦年、試合開場など、すらすら出てくる参加者の会話に、感心するばかりで口を挟む余地などなく、もっぱら聞いているばかりであったが、妙なマニアと違い、大人ばかりなので居心地が良い。グレート草津などの国際プロレスや、キラー・カール・コックス、ウイルバー・スナイダー、ビル・ロビンソン、ドクターX時代のデストロイヤー、クレイジー・セイラー・ホワイトなど昔の試合のビデオを延々と見る。私は人形作家として、人間を造形するにあたって、実はプロレス好きがかなり影響していると考えている。なにしろ幼稚園の力道山時代から裸の男達を、ほとんど毎週見てきたおかげで、人体のあらゆる様子が頭の中に入っているようなのだ。しかもあらゆる人種の。だいたい私は、励んだ事はあまりタメにならず、知らないうちに身についたものだけがタメになるという、良いのだか悪いのだか解らないような所があるのである。


1・某日9 護岸工事

久しぶりに外へ出て永代通りを歩いていると、また護岸工事をやっている。江東区は運河だらけであるが、かなりの河が遊歩道などに変わってしまった。工事のおかげで、昔のように子供が河に落ちるという事故は聞かなくなったが、風情はなくなっていく。河のはじっこで、木っ端や塵アブクのたぐいが淀んで、くるくる回っていたりするのを見ているのが好きだったのだが。浮かんでいる物の持ち主のことや、ゴミの行く末を想像したりして。 河というもの、どんな物でも流れるが、ご近所のAさんは人間の死体が流れてきたのを見た事があるという。自衛隊出身のAさんは仕事柄、東京湾などでも随分見たらしいが、男はうつ伏せ、女はあお向けで浮かぶというのは本当だといっていた。


1・某日8 頭部の仕上げ 

ニジンスキーとディアギレフの頭部の仕上げにかかる。ニジンスキーは今の所、5つほど頭の中には画が出来あがっている。本当にそんな画になるのかと思うが、今までは、ビジョンさえあれば、大体その通りの作品になってきたので、そのつもりでやってみるしかない。ニジンスキーの伝説のジャンプを生んだ、ほとんどスピードスケート選手のような、異様で偉大な太腿を作るのかと思うと相当楽しみではある。あまりバレエダンサーとしてのリアリズムにこだわらずに制作するつもりでいる。


1・某日7 ピクトリアリスト

平凡社の『牧神の午後』のニジンスキーの写真は、よく見るものが多かったがかなり鮮明。以前からピクトリアリズム(絵画主義)的な写真だとは思っていたが、撮影者のアドルフ・ド・マイアー(マイヤー男爵)はスティ−グリッツが主催していた運動にも加わっていた絵画主義作家だという。つまり私のピクトリアリズムの大先輩ではないか。ナントも不思議な縁を感じる。発明当時は、画家が失業するなどと云われた写真だが、そのうち、写真は機械を使って写すだけで芸術ではないと、絵画的な写真を目指す絵画主義が生まれた。その当時は絵画に近いほど芸術性が高いと思われたが、次には新即物主義などの運動が生まれ、カメラを使い、ストレートに撮るのが写真だと云う事になり、今に至るわけだが、歴史は繰返すということで、私のような人間も生まれてくるわけである。しかしどんな写真も被写体がなければ成り立たないが、その被写体まで自分で作る私は、昔のピクトリアリストよりさらに、ピクトリアリズムである。だいたい当時の作家には、絵描きになれなくて絵画主義写真に走り、芸術〃と騒いでいた人種が多いのではないか。その画面からは絵画に対するコンプレックスが漂っていたりする。  よけいな?資料を手に入れてしまったおかげで、完成していたつもりのニジンスキーの頭部を手直ししなければならなくなった。写真がないならないで一枚でも良いのだ。かえって想像で造れるので楽しいくらいだが、未見の写真が後からポロッと出てくるのが厄介である。


1・某日6 牧神の午後

朝日ソノラマに原稿を届けた帰りに、プランタン銀座の横を通ると、歩道でCDや本を売っている。なんとなくカンが働いたので覗いてみると、94年平凡社刊、オルセー美術館編『牧神の午後』マラルメ・ドビュッシー・ニジンスキーがあった。始めてみるニジンスキーの牧神が載っている。我慢できずに地下鉄茅場町のホームのベンチでしばらく読みふける。牧神は背景を自分で作るつもりはない。バレエの舞台背景自体が作り物なので、同じ事をしても面白くないからだ。今の所、鏡花の人形を撮影した山中での撮影を考えている。鏡花の高野聖がマラルメの牧神の午後になるわけである。(ホントになるのか?)背景に、ニンフ役の実物の女性など配したいところだが、仮に私がピエールなら友人のカトリ−ヌにお願いするところだが、そうはいかない。日本の作家シリーズと違い、赤毛モノはこういう時に困るのである。だったらニンフも作れば良いかというと、実物の背景を使う場合は、サイズその他の関係で組合せが難しく、自然な感じが出ないものなのである。


1・某日5 自分に合った楽器

朝日カメラに、このサイトにも一部引用した木村伊衛兵の対談が載っていた。ブロムオイル(オイルプリントの四年ほど後に考えられた技法で、モノクロプリントを漂白し、そこにオイルプリントをするもの)についても語っている。木村も多少は試みたのだろうか。試みたとしても、あまり芳しくなかったのではないか?何故なら、ブラシで印画紙を叩いている姿は、粋な木村伊衛兵には似合いそうにないからだ。昔の写真誌を見ると、彼がキャビネだかの写真を応募した作品を見るが、たいした評価を得ていないところを見ると、三脚立てての、大型カメラも今一つだったのかもしれない。つまり人には向き不向きがあって、彼の場合、ライカという小型カメラを手にして、その才能が開花したのだろう。具志堅用高が、たまたまJフライ級が新設されて開花したように。(いや大分ちがう。)例えばジャズのテナーサックスとアルトサックスは似たような物に思えるが、一部持ち替えの出来る人もいるにはいるが、やはりテナーの人はテナーで、アルトの人はアルトである。音色、体格、その他諸々の理由により自分の楽器にたどり着くのであろう。私の場合、写真のプリント作業がまったく合わなかったが、オイルプリントのプリント作業は合っていた。


1・某日4 アフガニスタン市民生活の実情 アラン・ポーグ氏に聞く

昼過ぎに夕日評論家で黒沢映画の俳優、油井昌由樹さんから電話。15の頃、当時まだ何処にもなかったバンダナを、油井さんの青山のアウトドアショップに買いに行った事がある。金属探知機で遊んでいると「UFOの写真見せてやるよ。」実はコールマンの部品を放り投げて撮影した写真であった。昨年ジャン.コクトーのイヴェントで、恐ろしいくらい久しぶりにお会いした。フォトジャーナリストAlan Pogue氏の講演会のお知らせ。六時に四谷三丁目。木版画家の三文字さんとも久しぶりに会う。アラン氏撮影のスライドを見ながら説明の後、講演。想像はしていたが、アメリカ国内の報道規制は凄いようで、アフガニスタン市民が死んだのはビンラディンの責任だと云う論調にしないと報道はできない状態だそうだ。日本の大本営発表と同じである。それにしても、あの国の客観性のなさ、面の皮の厚さは何処から来るのだ。


1・某日3 ポートレイト

実在の人物を作ろうと思えば、残された写真を参考にするわけだが、特に昔の人物を扱うとなると、なかなか難しい。写真とはマコトを写すという意味で付いたのだろうが、マコトは以外と写らないものである。今のようにフィルムなど感材が発達していない時代では、スナップ写真は不可能であるから、写真師によりスタジオでの大仰な雰囲気での撮影となる。こんな状態で、自然な表情など撮りようがない。もちろん当時の常で修整もほどこされている。ある程度光量があるところで(例えば屋外)撮ったとして、その時のたまたまその場の光の状態によって、顔のある部分に陰ができたということで、それがまた造形する際、惑わされる所である。(それを利用して、私の作品は、一つの人形で複数の表情があるように見せられるわけだが。)それに図版に残る写真には裏焼きされ左右が逆になっているものが実は多い。そこで参考になるのが、残された絵画、デッサンの類である。例えば現在制作中のディアギレフのポートレイトはレオン・バクストの絵が残っているが、こんなタレ眼の人間などいるわけがないと思うのだが、バクストの画風を考えると、それほどデフォルメされているとは思えず、写真に写っていないカタチを想像する事ができる。コクトーのデッサンには、そのデフォルメから少々ディアギレフに対する悪意のような物も感じられて、それはそれで表情をつくるイメージの助けになる。ニジンスキーは人に見せるダンサーという仕事柄、実体とは別に、こう見られたいという意思があるので、これもまた写真から読み取るのは難しい。(メイクもしているし)そこで本人の手記や、当時の舞台を観た人物の文章を読んでイメージする事になるのだ。こんな事を繰返し、本人に似ている似ていないを越えた、私の人物像が出来上がれば良いのである。そのためには、泉鏡花を作った時など、しばらく着物を着て暮らしてみた。そこで今はニジンスキーを作るためにバレエシューズを履いて暮らしている。という事はない。


1・某日2 深川不動尊

AM1:00にSと富岡八幡宮の前で待ち合わせ、テント張りの屋台に。これも恒例となって随分になる。例年どおり多いに飲むが、途中から雲行きあやしくなり、風も出てきたので場所を変える。PM7:00前日赤ムツを釣ってきたという親戚のところへ、赤ムツの鍋は最高に美味。いい加減、飲み疲れて10:00過ぎに帰る。年々東京の正月らしさは薄れていくようだが、静かでそれもまた良し。今年は初夢は観ず。


1・元旦

【門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし】小学四年の時に、一休禅師の伝記を読んで衝撃を受けた言葉である。不精ヒゲの禅師が、しゃれこうべを先につけた竹ざおを持って、元旦の町を歩く挿絵が付いていたが、物事には様々な見え方があり、マッタクその通りだといたく感心した覚えがある。 衝撃といえば同じ頃、私が隣りの家のTVで鉄腕アトムを観ていると、卓袱台の上に化学調味量が置いてあった。これを入れて料理が美味しくなるのなら、これ自体が相当美味しい物に決まっていると、アトムと同じ科学の子の私は、手のひらに小指の第一関節ほどを乗せ、一気に舐めた。世界はそんな単純な物ではないのだと思い知った始めの一撃であった。最近は、なかなか衝撃を受けるような事は起こらないが。皆無という訳ではないので、今年もそんな出会いを期待することにしよう。