明日できること今日はせず  

最新ページ


10・某日21  少年少女世界名作文学 

夕方、Iさん来宅し、久しぶりに飲む。小学生時代に読んだ本の話になり、Iさんは父親から小学館の『少年少女世界名作文学』を何冊か買ってもらったが、小公子で挫折したという。昨日偶然、同い年の知人から全巻持っていたという話を聞いたばかりであった。私はそれを小遣いを貯めて買っていたのだが。 私は本ばかり読んでいる子供であった。読み出すと止まらず、学校の図書室で読んでいると始業のチャイムが聞こえなくなり、図書室出入り禁止になった。家族で近所の縁日などに出かけても、もらった小遣いを使わずシャッターを閉めようとしている本屋で粘ばり一冊を選ぶ。何処でも、そこに置いてある本を、しまいには大人が持ってっていいよと云うまで読んでいたものである。子供が本を読みたいと云えば、普通の親は喜ぶものだと思うが、私の親は、子供の私が極端に本に没頭するのを嫌い、一時、小遣いをくれなくなってしまった。本の中の世界以上のものが何処にあったというのだ。『少年少女世界名作文学』には私の子供時代の怨念がこもっていたはずである。


10・某日20 給餌

先日Hが要らなくなったと持ってきたコンゴーテトラ。痩せたイワシのようで始めコンゴーテトラに見えなかったが、我が家では餌を潤沢に与えているので、みるみる本来の姿に。 餌は一日一回で良いくらいで、やりすぎは、のちのち体形が崩れるし長生きしないと云われるのだが、水槽の前に立つと、『我等の救世主がお出でましになった!』と歓声を上げながら集まってくるので、やらずにはおれないのである。なるべく水槽の方を見なければ良いのだが、それでは鑑賞魚にならない。 テリトリーを主張する関係上、強い魚が弱い魚を攻撃するのはしょうがなく、それはあまり大きな水槽を用意できないという救世主側の住宅事情もある。しかし感心するのは、餌を食べる時は強い魚も弱い魚も平等で、餌を横取りされて争ったりしない所は人間よりよっぽど品が良い。 午後、歩いて十五分ほどの所にあり、近々取り壊されるという佐賀町の食料ビルディングにカメラを持ってでかける。東京から乱歩的な建造物がまた一つ消える事に。


10・某日19 レスラーの控え室はノックしないで開けるな

最近、水槽の中は殺伐とした雰囲気が漂っている。私の趣味は成魚で二十p以上になる中量級シクリッド科の魚なのだが、テリトリーを主張する魚種で、単独で飼うことが前提であり、混泳は避けよという魚ばかりになってしまったのである。しかし小さい頃から一緒に飼い、攻撃のターゲットを絞らせないよう超過密に飼う場合はうまくいく場合があるというので、いつのまにか曲者だらけになってしまった。絶え間無く追いかけあっているが、これも力関係がはっきりすれば落ちつくかもしれない。 ただ解せないのは寝ている時の姿である。以外と仲良く固まって寝ていたりするのだ。昼間は仲の悪いライバル同士が、接吻したまま寝ていたりする。試しにライトを点けると、始めは寝ぼけているが、そのうち我に返ったようにキャラクターどうりケンカを始める、『お前等、見ていない所でホントは仲が良いんじゃないのか?』ここ数日、隠れて連中の様子をうかがっているのである。


10・某日18 来年

昼に銀座のS画廊のKさんと待ち合わせる、来年個展をという話なのだが、そろそろ具体的に決めなくてはならないということで木場にできたばかりのギャザリアで昼食。 オイルプリントと、できれば人形もという事であった。 しばらく実在した人物をテーマにしていて、そろそろ違う形でと考えてはいるのだが、一昨日書いたように、乱歩だけで個展をやってみたい気もする。時期もテーマも何でも良いということなので、もう少し考えさせていただく事に。 銀座まで魚を買いにいくつもりが、空が曇っているのでやめる。


10・某日17 タナゴ

友人のHやYがメダカを飼っているのを見て、昔、用水路や池にいくらでもいたようなジミな魚を飼って、何が面白いのだと呆れていたのだが、近所のペットショップを覗くと小鳥と金魚しかいないはずが、メダカ、タナゴ、クチボソ、ライギョがいた。私の目はシルバーメタリックに輝くタナゴに釘付けに。やはり古いブリキ製水槽は、国産の魚しか似合わないのである。 夜、Hが仕事が早く終わったと要らなくなった熱帯魚を一匹携え来る。魚を肴に、ギンナンとイワシの丸干しとキュウリの糠漬けで焼酎亀甲宮を。


10・某日16 乱歩生誕日

今日は江戸川乱歩が生まれて百八年目だそうである。私は八人の作家を造ったが、中でも乱歩はどんな事でも演じてくれるので、いくらでもイメージが湧いて来て常に楽しく制作してきた。 伝説で伝わる乱歩像は随分脚色されていて、実際は常識人であったようだが、常識人と云う事は、やってはいけないことが多いわけで、その分イメージの中では、時に異常で猟奇的な事が着想されると云う事があるのかもしれない。私にもそんな所?があるから解からないでもない。 個展では全体のバランスを考え,乱歩ばかり制作するわけにもいかないので抑え気味であったが、さらに造って見たいものは『盲獣』。一度撮影したが、作品のイメージのように女体だらけの中に乱歩を配置してみたい。『黒蜥蜴』も別バージョンを考えてみたいし、新たに手掛けて見たいのは『人間椅子』『屋根裏の散歩者』『目羅博士』あたりか。『目羅博士』はかなり無茶な殺人事件であるが、不思議と美しいイメージが頭に残る。私にとって、乱歩を他の作家と異とするのはこんな所かもしれない。 造りたいのを我慢しているのも身体に悪い。一度、乱歩だけで個展というのも面白いのかもしれない。


10・某日15 銀杏さらに拾う

何年も拾う事がなかったのに、今年はバラバラと落ちているところに出くわすので、売るほど拾った。臭い外皮を水道水を流しながら剥くのだが、(この部分がアンズだったら良いのに)何度もやっているうち、アクが強いのか手のひらの皮が一皮むけてしまう。どおりで公園などで拾っている御婦人方がゴム手袋を使っているはずだ。手あぶりでアブリながら、スルメなどと一緒に飲るつもりだったが、灰や五徳など、まだ購入していないのでフライパンで煎ってみると、新鮮なせいか油がのってすこぶるつきの美味である。湯ノ山温泉の陶芸家の友人二人に、それぞれ酒器とぐい飲みをもらっていたので、酒好きのミュージシャンTさんあたりと飲もうと思っていた名張の酒『幻影城』を、つい開けてしまう。甘露々というわけで、ついでに山口県から送ってもらったウルメイワシの丸干しをあぶってしまい微笑する。


10・某日14 拉致報道

拉致された人達の帰国の様子が毎日報道されているが、まったく残酷な話である。 昔、某月刊誌によど号犯のインタビューが載っていた。昔の事ゆえ記憶はさだかではないが、北朝鮮・田宮高麿で手紙を下さいと云うので、何か書いた覚えがある。投函したかどうかは忘れてしまったが。 連中が拉致にも手を貸していたとは思わなかったが、あちらでは彼等を持て余しているのは東映のヤクザ映画の一つも見れば想像がつく。始めは客人扱いが、手打ちに邪魔になって来て。 しかしオーム真理教事件や北朝鮮報道などを見ていると、理解できない人達だと云いながら、昔は日本もこのように外国からは独善的な変態国家に見えていたのだろうと思うのであった。


10・某日13 作家像

PM2:00に近所の喫茶店で出版社の方と打ち合わせ。書籍の表紙に著者の像を作って撮影という話。現在、最もお会いしたい方の一人だったのでやる事に。 私の制作する作家は亡くなった方ばかりなのだが、理由の一つに、誰にも撮れないからという事がある。どんな優秀な写真家であろうと、撮る対象が亡くなっていては撮れないわけで、主の亡くなった書斎を撮ったり、オマージュとするぐらいがせいぜいであろう。 一度立体にすれば、生前ついに撮影される事のなかった頭の上からとか、斜め42・3度からの撮影も可なのである。 事実と違うのではないかと言われれば、それは当然なわけだが、もう亡くなっているので確かめようが無い。だいたい、たとえ遺族の方であっても、頭のテッペンにガムがくっついて一時間かけて取って上げた事がある、などという事件でもない限り、上から見た頭の形など記憶には残っていないであろう。 ところで依頼された方は御存命なわけであるから、たとえ三流カメラマンでも撮影可能なわけで、やろうと思えば頭のテッペンにガムだって付けられるのである。さてどうしたものか。けっして御本人が多忙な為、人形を造って代わりに撮影しました。なんて事になってはならないのは云うまでも無い。


10・某日12 利根の川風袂に入れて

下町の某商店街、旦那衆のハゼ釣りに混ぜてもらう。AM5:00に集合。私を入れて総勢七人。車二台で利根川に向う。全員五十過ぎの昔からの地元商店会の仲間らしい。 天保水滸伝で有名な飯岡を通り、利根川に着くと、ここ三日ハゼは釣れていないと聞く。だめだったらセイゴ釣りに変更とのこと。今回誘ってくれたFさんは、この辺りで二七cmのハゼを釣ったことがあるという。実際、船宿の壁には、そのクラスのハゼの魚拓がベタベタと。 私は船釣りは酔いそうなので今まで敬遠していたが、その点川釣りなら安心である。利根川は、実にのどかで気分が良い。七人乗れば一杯の和舟で、魚が釣れなくても皆さんのマーちゃん、ケンちゃん、ヒロちゃんだのと、まるで子供のように呼び合いながらの会話は、聞いてるだけで楽しく、吹出す事もしばしばであり全く退屈せず。 途中、ひとりの方の携帯に奥さんから、銚子で深度3の地震があったと電話。船頭さん他、何人かの方は船上でも感じたそうである。釣果については、ターゲットであるハゼはそれほど釣れなかったが、東京湾のハゼとは違い、色が薄くて美しい。場所を移動しながらセイゴなどを釣る。私も、子供の頃からハゼ釣りには親しんだが、今までで最大、20数センチを釣る。昨年はこのクラスが何十匹も釣れたそうである。 三時まで釣り、途中、中華料理を食べ帰途に着く。(団塊の世代は食べるのが速いと改めて感心)


10・某日11 名張−東京

朝、目が覚めると、チェックアウトまで時間があったので、乱歩生誕の場所にある碑を見学に行くことに。休日という事もあるのだろうが町には人がいない。町並みを撮影しながら細い路地の奥、医院の庭先にある生誕碑にたどり着く。医院の庭先ゆえ、長居は迷惑と昨日清風亭から眺めた名張川へ。幼年期の乱歩が眺めたと思うと感慨深いが、乱歩の作品は都会が舞台であり、特に名張の風景とは結びつかず名張の風景をただ楽しむ。 名張から難波に。今まで一度も大阪へ行ったことがなかったので、少しの時間歩く事に。カニや、グリコの看板を見学。休日ゆえ観光客が多い。 想像していたような辻々で漫才のような会話をしている人はいなかったが、法善寺横町他、聞いた事のある表示を見つけては探索。土産話にと食べたタコ焼きは、やはり美味しかった。いずれ改めてゆっくりと歩いて見たいものである。 四時着の新幹線にて東京へ帰る。 澁澤龍彦にならい、一人でスムーズに旅をこなしたような顔をして六日間の雑記を終える。


10・某日10 湯の山温泉−名張

N君に湯の山温泉駅まで送ってもらい江戸川乱歩、生誕の地名張へ。名張では『江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業 乱歩再臨』というイベントが行われている。予定のホテルへ到着すると以前お会いした方がいたので、一緒に乱歩コーナーがある名張図書館へ。図書館には乱歩の遺族から貸与された愛用の帽子、ステッキ、コート、文机、原稿が展示されており、著作、ビデオなどがコレクションされていた。許可をいただき記念に撮影。その後旭堂南湖さんの探偵講談の口演がある名張市総合福祉センターふれあいに向う。会場で今回のイベント開催に尽力された中相作さんにお会いし、地元の方々、南湖さんを紹介いただく。控え室では南湖さんの演目『江戸川乱歩一代記 乱歩と神田伯龍』の作者、芦辺拓さんとお会いする。南湖さんの講談は、私がそれまでイメージしていた講談と違い、笑いもあり、解かりやすくて面白い。特に今回の演目が演目だけに、子供の頃の紙芝居を思い出す。 大入り袋も出た口演も終わり、宴会の会場『清風亭』に向う。乱歩も名張を訪れた際に、ここで川魚料理を食したそうである。ネット上でしか知らなかった方々ともお会いし、宴会も盛り上がる。東京を出発して六日目であり、少々疲れ気味でそのままホテルへ。


10・某日9 湯の山温泉・僧兵祭り

N君の隣りにIの仕事場もあるので遊びに行く。18の時に知り合った同い歳の彼の作品を見ながら、久しぶりに積る話を。その後三人で風呂に入ろうと温泉へ行き、景色を眺めながら露天風呂でのんびりする。近所の熊牧場でビールに昼食。Iは今晩も窯当番なので別れ、N君に車で朝明(あさけ)渓谷や、近所の河原に連れていってもらう。夕方、僧兵祭りという祭りがあるというのでN君と出かける。駐車場を使った会場では松明を焚き、僧兵装束の人が歩き回っている。舞台では津軽三味線の演奏。屋台で売られる僧兵汁などを肴に竹筒に入った樽酒をしこたま飲む。というより寒くて飲まずにはいられない。延々と行われた演歌オンリーの、シロウト喉自慢コーナーがさらに会場の気温を下げる。我慢も限界かという頃、やっとプロ芸人の物まねコーナーが始まりヒトゴコチ。そして僧兵によって僧兵餅が振舞われ、保存会による僧兵太鼓の演奏により祭りも終わる。その頃には酒も無料に。明日日曜日が祭りの本番で神輿などが出るそうであるが、ひなびた祭りの雰囲気に、これもまた旅の醍醐味と満足。 かえりにもう一度、窯当番をしているIの所へ寄りN君宅に帰る。


10・某日8 京都−湯の山温泉

ホテルからタクシーで『あだしの念仏寺』に向おうとして『清明神社』の昇り旗が目に入る。戻ってもらい見学。先日TVで陰陽師を見たばかりである。横の売店では陰陽師グッズ。 念仏寺はあだし野の山野に散乱埋没していた石仏を明治中期に集めたものだそうだが、風化した、いかにも集めたという感じの石仏群。ついでに近所の新しい石仏を集めた寺を覗いて戻る。嵯峨野という事で参道にて湯豆腐。 ホテルへ帰り、一休みの後京都駅へ。工芸の専門学校時代の友人の所へ電話をしてみるが、四日市と思いこんでいたのが湯の山温泉という、四日市からまだ先ということを始めて知る。京都から四日市、近鉄電車に乗り換え『湯の山温泉』へ。N君が迎えに来てくれそのまま居酒屋へ。いきなり大音量のカラオケに辟易とするが、旧友と楽しく酌み交わす。彼は若くして日本伝統工芸展で賞を取った有望な作家である。某地域伝統工芸系の審査員も勤めたことがあり、その際、審査委員長のラインの作品の入選があまりに多く、この地方には、もっと様々な焼き物があるのにと異義を唱えたそうだ。周りからは良く言ってくれたと言われ、翌年は入選作も様々となったが一年で元通りに。実にニッポンな話であった。 その後、やはり同窓で今夜登り窯の当番だというIの所へ寄り、一度やってみたかった薪をくべさせてもらう。やはり電気やガスの窯とは違う。N君の工房兼住まいで遅くまで飲む。


10・某日7 京都巡り

早々に予約していたホテルへ。荷物をあずけ永観堂に行き『みかえり阿弥陀如来』を見学。南禅寺は二年前に訪れたので通りすぎ、京都市美術館に向う。途中『権太呂』でにしん蕎麦を食べる。京都市美術館ではエコールド・パリの展示をしていたが、京都に来てまでと、コレクション展の『素肌のままに』を観ることにする。竹内栖鳳の『天女』のデッサンが展示されており、制作の様子が伺えて興味深い。続けて隣接する『京都国立近代美術館』にて館収蔵による近代の美術・工芸・写真を観て『三十三間堂』へ。修学旅行で来ているはずだが記憶がない。京都で偶然会った友人等と来た時は熱さと湿気でバテてしまい、私だけ中には入らずベンチで寝ていた。私はめっぽう湿気に弱いのである。そんなわけで今回は堂内の仏像をジックリ観察してきた。 河井寛次郎記念館へ。私が陶芸家を目指していた当時、一番好きだった作家であり懐かしい。 一度行って見たかった『アスタルテ書房』捜しまわってたどり着いたら休みで残念。 夕食は小さな食堂『コロナ』で。コック氏は相当な高齢な様子。ポークカツレツを頼むが柔らかく美味しい。大きめのタマゴを四つも使うタマゴサンドに8枚もハムを重ねるハムサンド。ビフカツ用の肉は巨大で、パン粉を付けてソフトボールのように握っていた。目の前の厨房を観ながら食べていると、昼食が遅かったせいもあり満腹に。しかしご高齢のコック氏を前に残すわけにもいかず完食。 歩きつかれてホテルへ。


10・某日6 オイルプリント・ワークショップ 2

AM:9:00 ホテルから大学まで歩いて二十分ほどなので、散歩がてら出掛ける。途中モーニングでもと喫茶店に立ち寄ると、壁に”関西の味””関東で話題沸騰中”『そばめし』と貼ってある。まったく沸騰はしていないと思うが、関西の味にひかれて食べて見ると見たままの味であった。 今日一日で参加学生全員に、なんとか画像を出せるようにしてあげたい。教室に行って見ると、昨晩作りなおしたゼラチン紙がガラス板に貼りっぱなしで、ガラスとくっついていた。これは湯にでも浸けないと剥がれる物ではない。仕方が無いのでそのまま露光、インキングをする事に。 この科は写真専門の科ではないのだが、鈴鹿先生によると絵心がある生徒が多いそうで、そう云う意味ではオイルプリントは面白いと思う。ネガを制作した後は写真の教養などまったく必要とせず、むしろ絵心のみという、非銀塩の古典技法を含め、数ある技法の中でも異端技法といえるであろう。 程度の良いプリント紙が当った生徒の中には、かなり良い調子の画像を出す者も出て来始めるが、絵具を付けるのも、余分な絵具を剥がす事も叩いて行わなければならず、特にコントラストを上げる場合に手首のスナップが重要なのだが、全員若い割りに手首が硬く、なかなかコツが飲み込めないようであった。(もっとも二日でコツが飲み込めるようでは、私の立場が無い。) しかし皆、熱心に取り組んでくれたおかげで部分的にせよ、全員がオイルらしい画を制作できた。考えて見るとこれは大変な事である。私は古い文献片手に、ここまで画像を出すのに1ヶ月以上かかったものだ。データ通りに制作しても思った通りにいかないが、とても魅力的な技法であるという事は実感してもらえたと思う。 七時に終了し、鈴鹿先生と参加学生とお好み焼き屋で打ち上げ。卒制でオイルプリントをという生徒も出てくるかもしれないし、これがきっかけで制作を続ける人などでてきたら嬉しいのだが。 最後にこれでオイルプリントの作家にでもなったら、最初に私に教わったと言い触らすようにと言い含め?学生諸君と別れた。


10・某日5 オイルプリント・ワークショップ

新幹線を一本乗り遅れ、PM1:00に京都駅。タクシーで京都造形芸術大学へ。入り口で、今回のお話をいただいた鈴鹿芳康先生に待っていただいており恐縮する。情報デザイン学科の大学院生を対象にとの事であったが、4回生他もおり、思ったより大勢。工房に展示してある私の作品を前に、簡単な説明の後、早速始める。事前に試した学生も居たようで、画像が出ているだけでも良いと思ったが、よく見ると大分描いてある。それと私が階調を出すために、ある程度ゼラチンの厚みが必要だと強調しすぎたせいで、パリパリのゼラチン紙を作っていた。しかし時間も限られているので、目の前でやって見せる事が一番。細かい部分のディテールなどは、細い筆などで描きこむと思っているようだったが、画面を叩くだけで、細かな部分が現れてくるのを見て相当驚いていた。ゼラチン紙のコンディションが悪いが、出来ないことは無いので早速、制作にかかってもらう。修了時間頃には何となく画像が現れる学生も出てきて、ゼラチン紙が良ければ期待が持てる。私が帰った後、皆でゼラチン紙を作りなおす事に。


10・某日4 昨年に続き銀杏拾う

昨日の風のせいでマンションの庭に銀杏が沢山落ちていたので拾う。風で落ちたせいか心なしか小さめ。これを手あぶりの炭火で煎って一杯やったら、さぞかし。 明日は朝から京都へ出掛ける。その後四日市から名張へ行き、14日に帰る予定。出不精な私は、銀座、神田を別にすれば隅田川から西へは好んで出掛けない。まして箱根の山から先には二年ぶりか。 京都には昼過ぎに着いていなくてはならない。どうせ早く寝られないので明日、新幹線の中で寝る事にするが、新幹線に乗るときは、弁当を買って、カップ酒を飲まなければいけない事になっているので、そうこうしてるうち着いてしまうに決まっている。私には新幹線は速過ぎるのだ。 銀杏の皮を剥いておいたが、明日は燃えるゴミの日ではなかった。タイミング悪し。


10・某日3 京都で偶然

一週間ほど家を留守にするので水槽の手入れをする。一部の魚が病気なので小さなケースで薬浴させる。出発までに治れば良いのだが。 始めに京都へ行くので何処かで撮影してくるつもり。京都といえば、一番印象に残っているのは好きだった河井寛次郎の記念館を、始めて訪れた十九の時だったか。沖縄にお盆休みで帰省する友人と、飛行機で沖縄に行くつもりが空席が無く、まず京都へ行き九州からフェリーで沖縄へと急遽変更した。京都駅構内で寝て、駅員に起こされ外へ出ると、ヒッチハイクで京都に来て、野宿していた高校時代の友人Yに会ってしまった。驚いたのは連れの友人である。二、三日前、私のアパートで三人で飲んだばかりだったからだ。しかもその時、丁度一年前のお盆に、ヒッチハイク中のYと松本で偶然会った話しを聞かせていたのだった。 地味なメダカを飼うYだが、あんな偶然があると一生付き合う事になっても文句はいえない。


10・某日2 首狩り族

地下鉄のエスカレーターに乗っていると、学生が前を塞いだまま向かい合って喋っている。私とは目があっているし、私の後ろにも人が並んでいるのを知っていてそうしている。悪気がなさそうな所が不思議である。発車のベルが鳴り出したので強引に間を通り抜けた。こんな時、たとえ相手が犬でも声をかけるところだが無視して通ると、後ろから大げさに「イテェー」という声が。イッチョマエに痛覚だけは敏感なようだ。 西丸震哉がニューギニアか何処かの首狩り族の村に、調査に行った話を読んだ事がある。書き物をしている時に、現地人が何をやっているのだと後ろから覗きこんだりする。『じゃまだな』と思ったとたん、連中はサッと遠のく。水が欲しいなと思うと、誰かが持ってきてくれる。確かこんな事がかかれていたと思う。現代の都会人からすれば超能力に類するものと思われるが、彼等のような人種が厳しい自然の中で生きていくためには、人の気持ちを察する能力が無いと生きていけず、また人の気持ちを害するような人物は、一族の存続にかかわるので殺されても致し方ないというわけである。面白い話だ。


10・某日1 水替え
 
利根川でハゼ釣りの予定だったが、大型台風のおかげで延期に。時間が空いたので小さい水槽の水を換える。Hから『子供のともだち連中が亀をどうしてこんな小さな水槽に入れるんだと言って大騒ぎになっている。おかげで水槽を増やした。』とメールが来る。子供にかこつけてもう一つ水槽を増やしたというわけである。彼もどうやらミドリ亀は小さいままと思い込んでいるようだが、亀戸天神や清澄庭園の大きなミドリ亀を見たら、とても可愛いとは云えないのではないか? 水替えの前に現像に出すフィルムがあったので1カット。水漏れを止めるのが大変であったが、ブリキの水槽には味がある。 まだ決めかねているのだが、来週京都に行くついでに、四日市で陶芸をやっている二人の友人宅に寄ってみようかと電話をしてみると、丁度登り窯を焚いている頃だという。私は陶芸には爪の先ほども未練はないが、登り窯を体験してみたかったというのが唯一の心残り。木っ端の2、3本も窯に放りこんでこようか。夜中に働く陶芸家諸君の背中を肴に、酒を飲むのも一興か。