明日できること今日はせず  

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12・某日11 忘年会

朝、八時過ぎに中目黒でHと待ち合わせ、方向音痴コンビで再び、売り場面積800坪、水槽2500本のPDフイッシュセンターへ。先日死んでしまったテキサスシクリッドとトラシックゴールドを購入。テキサスは乱暴で苦労させられたので、バランスを考え、できるだけ小さい魚を選ぶ。二、三寄り道し、Hの家へ。彼の水槽はさすがに良く管理され、水がピカピカであった。今日は恒例の忘年会なので、水槽に魚を入れるのを待ち、一緒に我家へ向かう。日比谷線の車中でビニール袋の水が漏れているのに気付く。袋を重ねて対処したが、サリン事件の頃だったら大変であった。 水槽に魚を入れ、魚同士の相性が心配だったが、時間が無いので銀座へ。毎年、満席で入れない店。今年も満席。これも恒例。 鉄瓶の錆び落しをおそわった川口のKとは昨年の忘年会以来。マブチモーターの話し。久しぶりに聞くマブチ45。Mさん鯛焼き用の型の原型の仕事をしたそうだが、鯛焼きは関西は尻尾が跳ねあがり、関東は真っ直ぐだそう。昨年Hが忘年会で熱帯魚の話しをしたのが、私が再開する原因であった。岡本太朗のグラスの底に顔の原型は彼の所で作ったそうだ。話しの種に、あの時逢っておけば良かったとH。 とりとめの無い話をしているうち例によって終電無くなる。帰宅後、魚が一匹ズタズタになっていた。今年最後の水槽の水換えをする。


12・某日10 私に何故と問いたもうな

95年、最後のジャズシリーズ個展より実在の人物を造ってきたが、そろそろ造りたい人も少なくなってきた。本来、資料その他、何かを見ながら造るというのはあまり得意ではない。写生など子供の頃から大嫌いであったし、実は私はデッサンなど、ほとんどしたことがないのである。どちらかというと目をつぶって見える物だけを造りたいタチなのである。95年以前は架空の人物を造っていたわけだが、写真を参考に造れば、それまで無責任に自分の都合で造っていた人形が変わってしまうであろう事が想像できた。一度頭に入ってしまったイメージはなかなか追い出すことができないからである。 情報が氾濫している今日では、何を見ないか、何を知ろうとしないかという事も意識しなければならない。最も、それには自分が何を知りたいか知っているという事が大事である。私は子供の頃から知りたいことがはっきりしていたので、大人は余計な事は教えず、『聞かれたことだけ答えてくれれば良いいんだよー』と思っていた。しかし大人達は半分も答えず、気が利いた答えを聞かせてくれるでもない。しかも答えられない質問をされると何故か怒りだすので、自動的に読書少年になってしまうのである。 現在の私は勿論、できるだけ子供とは目を合わせないようにしている。


12・某日9 ヒジカラケ

人形を制作する時はあぐらをかくか正座である。長年それに慣れてしまって椅子の生活は考えられなかったが、パソコンをやるようになり、椅子に坐り、時に横のTVを観ながら、ちょうど観客に向ってピアノを弾きながら歌う、ジェリー・リー・ルイスのような格好でパソコンをやっていると、これにまた慣れてしまって、今度は逆に長時間のあぐら坐りが辛くなってきた。(おかげで先日、座椅子を購入) 私は子供の頃から、うつ伏せに寝っころがって本を読むのが好きで、よく母から掃除の邪魔だと怒られながらホウキで掃かれていた。本を離さずそのままゴロゴロと回転しながら隣りの部屋に移動して、火に油を注いだものである。三年間のパソコン生活のおかげでヒジを床に着く時間が短くなったせいだと思われるが、肘から産毛が生えてきた。本来生えるべき毛がやっと生えてきたと云うわけなのであろう。そういえば江戸川乱歩の家には、注文して造らせた立派な机があったが、ご遺族にお聞きした所、乱歩は寝床で寝転がって執筆していたそうである。きっと乱歩の肘には毛がなかった事であろう。


12・某日8 TVで『ザ・ハリケーン』を観る

無実の罪で投獄された世界ミドル級1位、ルビン"ハリケーン"カーターの自伝映画だが、私が中学生の頃、ボクシング雑誌で入獄中のカーターについての記事を読んだ憶えがある。判事役がロッド・スタイガーで、昔ならカーター役はシドニー・ポワチエか、と思ったら監督が『夜の大捜査線』のノーマン・ジュイソンであった。 しかし酷い話しである。当時のアメリカで黒人として生きるというのはどんな事だったのか、想像するのもイヤになる。 昔購入したイギリスのボクシング本に掲載されていた写真がある。1909年、白人のスタンリー・ケッチェルを、黒人初の世界ヘビー級チャンピオン、ジャック・ジョンソンがノックアウトした場面である。観客全員が苦虫を噛みつぶした表情をしている中、一人だけかすかに微笑んでいる人物がいる。よくこんな所にと思うが、黒人が一人紛れている。バンザイの一つもしたい所だろうが、この場面でやったら無事ではいられないであろう。 私はこの写真を見るたび、どこの誰かは知らないが、私だけはアンタが喜んでいるのを知っているぞと思うのである。   ところで日本でも偶然カーターの事件の二週間後に、清水市で放火による一家四人殺しが起き、元全日本フェザー級6位、袴田巌が死刑判決を受けた。こちらは現在も冤罪を主張している。 救う会HP


12・某日7 恐怖H山兄弟

実家に寄ったついでに陶芸家Sさん宅へ。しばしパソコン談議の後、地元の同級生などの話になる。Sさんは私より三学年上なのだが、私の小学校時代、近所のガキ大将だったAはSさんの同級生で、学校ではイジメられっ子だったそうだ。学校から帰ると、近所の下級生集めてリーダーに変身していた訳で、私達の前では面倒見も良く、なかなかの統率力を発揮したので、始めて聞いた時は驚いたものである。子供の頃に聞き覚えのあるアダ名など急に耳にすると、脳味噌の奥底に眠っていた一昔前の記憶がいきなりよみがえり、タイムマシンが大気圏に突入したような?軽い眩暈のようなものを感じる。 私達がそんな話しをしていると、決まって出てくるのがH山兄弟である。何処の学校にいって何処に住んでいるのかも知らなかったが、どこからともなく現れて、その場をメチャクチャにしていく。下の弟は顔も凶悪な乱暴者で、その兄はさらにレベルが違うワルであった。公園でメンコをしている所に現れたりしたら、蹴散らすわ踏みつぶすわブッ飛ばすわで、賭場荒らしもいいとこである。(Sさんはその公園で銀玉鉄砲を脅しとられたという。)特に恐かったのは兄の方で、相手が誰であろうとお構いなしにからんでいた。 ある日、気がついたら私の後をH山兄が歩いていたことがある。さすがにチビッコの私などに手は出さなかったが、尻に力が入って、妙な歩き方になっていたらしく、「お前もらしてるのか?」私はいつか、高校生の後ろから、その高校生の尻に、缶のフタで作った手裏剣を投げつけながら嬉しそうに歩いているH山兄を目撃した事があるのである。刺さっては落ち、落ちては刺さる手裏剣。顔を殴られ腫らした高校生が、また有名な不良だったから恐怖は倍増であった。 弟の方は私が中学生の時に区営のプールで心臓麻痺で死んだと聞いたが、兄の方も、あの調子では今頃生きてはいないだろうという事で、Sさんと意見が一致したのであった。


12・某日6 辰吉丈一郎復活

WBA世界スーパーフライ級2位のセーン・ソー・プルンチットをTKOで破る。三年四ヶ月ぶりの復活。相変わらず、頼むからガードを上げてくれよと思いながら見ていたが、全く心配要らず。相手は一つ年下だが、辰吉のほうが断然若々しく、スピードはあるしパンチをことごとく目でよけていた。実に落ちついていて、顔まで良くなっている。タイトル戦に向けて、それまでに数戦戦いたいところだろうが、どうやらそれはゆるされない状況のようである。願わくば、あの壊れやすいTVが造られた年に失神KO負けを喫した、ウィラポン・ナコンルアンプロモーションを倒す所を見てみたい。それは想像するだけでも凄いドラマである。


12・某日5 コクトーか乱歩か

来年三月に、『私の劇場』というテーマの立体作品のグループ展に出品する予定である。今のところジャン・コクトーを第一候補にしているのだが、現在、江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』の写真撮影を予定していて、同時に展示用の作品も造ろうかと考えているので、どちらにするか迷っている。 私の造る作家シリーズというのは、作品の挿絵のような物ではなく、作者をその作品の中に入ってもらおうという趣旨であるから、天井裏には乱歩本人が潜む事になる。大体乱歩は、こんなイケナイ事をしてしまったら、どんな事になるであろうと空想を楽しみながら書いていただろうから、屋根裏に潜む事さえ、御本人も喜んで?やってくれるであろう。(何もしていただけないのは、澁澤龍彦である。彼を書斎から引っ張り出すのは難しい。)一方「私の劇場」というテーマでコクトーを制作するとしたらコクトー自身、なんでもはみ出していく人であるから、なんとなく出品規定の大きさにおさめるのは難しいような気がしているのである。 だがしかし、結局、泉鏡花で『婦系図』湯島の白梅などを出品して、自分でビックリなどということがあり得るので、私の考えた予定など自分で信用できず、なんとも云えない。


12・某日4 K-1 

TVが治ったという連絡があり、今日はTVでK-1の放映があるので急遽取りに行く。まず熱帯魚ショップに行き、買い物をすませ、隣りのサービスステーションへ。三ヶ所ほど部品を取り替えたようだ。「申し訳御座いません。」保証期間内だったようで無料。あたりまえである。タクシーを拾う。「修理ですか?」と運転手さん。「アソコのは良く壊れますね。リモコンなんてすぐですよ。」「デショー!」と私。「デザインとか上手いけどねー。何しろすぐ壊れる。」「そうなんですよ。これなんか99年製ですよ!」「そりゃひどい。ウチのビデオデッキなんか・・。」我々はひとしきりそのメーカーの悪口で盛りあがった。今日はK-1を観たいので引取りに来たと云うと、「しまった、今日は休むんだった。」これがまた挌闘界に詳しい。キックボクシングの沢村忠から、新日本プロレスの話までさらに盛りあがる。  K-1 注目のボブ・サップ。アーネスト・ホーストを再び破る。しかし劣勢時の表情がまるで子供のようで、性格的にあまり向いていないようにも思えるが、これからであろう。 コロッケ買うのを忘れる。


12・某日3 江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間 自由が丘武蔵野館

69年東映 監督:石井輝男 主演:吉田輝男カルト映画中のカルト。聞きしにまさる映画であった。女優陣は賀川雪絵と桜京美以外知らなかったが、それにひきかえ男優陣は豪華。 土方巽の怪演に会場には思わず笑いがおきる。看守のチョイ役でシャンソン歌手の高英夫。看守なのに目張りだけは忘れず。ジャズシンガーの草分け笈田敏夫はセリフもほとんどなく、わずかな濡れ場に後は死体で横たわり、顔面から体中、蟹にたかられて罰ゲームの如し。俳優はどういう時、その映画に出演する決心をするのであろうか。いずれにしても、出演者の中に悪い人はいないように思える。 上映中、フイルムが三、四回中断するという今時珍しい事が起るが、恐怖とは無縁の客席はそれすら楽しんでいるようである。 ラストシーン。パノラマ島の人間花火の強烈な幕切れに驚ろかされ、大爆笑のうちに終わる。サムライミの『死霊のはらわた』も笑えたが、これほどでは無かった。 また観たくなる映画である事は間違いない。


12・某日2 コロッケ

99年製のTVが壊れる。だからこのメーカーは気に食わないのだ。雨が降っていたが銀座のサービスステーションに修理に出す。ついでに隣接する熱帯魚ショップを覗いてこようというわけである。 お宅の製品は壊れやすいと嫌味の一つも云ってやろうと思っていたが、受付嬢の『私はこの会社に属していますが、私が造っているわけではありませんのよ。』という他人事のような笑顔の対応を見てると、「リモコンも一ヶ月で壊れたんです。」と言うにとどまる。「お取り寄せいたしましょうか?」あくまで笑顔である。『壊れやすくてドウモスイマセンだろ』と心の中で。 熱帯魚ショップに寄り、目当ての魚の見当だけ付け、コロッケで有名な『チョウシ屋』へ、休み時間であったが、始めてなので何としてもと、喫茶店で時間をつぶし再び。 コロッケ三つとメンチカツを一つ注文する。何しろ出来たてが美味しいと聞いていたし、外は土砂降りなので、「一つここで食べても良いですか?」聞いて見ると、実に親切な御主人で、どうぞと手を拭くおしぼりまで出していただく。御主人の佇まいと対応に加え、肝腎のコロッケの味に感激。もう一つと云いたいところであったが、お客が立てこんできたので、熱帯魚ショップに魚を買いに戻った。 抱えたコロッケが冷め始め、暖かいうちにもう一つ、壊れやすいメーカーのサービスステーションの玄関で雨宿りしながらコロッケを食べた。 雨宿りしながらコロッケを食べるには良いメーカーであった。


12・某日1 弥生美術館 少年探偵団展

行こう行こうと思っていると大抵忘れるのだが、これは行かないわけにはいかない。村山槐多の『二少年図』が見られた。私の造ってきた作家は、時代が近いからといえばそれまでだが、何がしかのつながりがあることが多いので面白い。乱歩の書斎に飾られていた槐多の絵。 各時代の乱歩作品、掲載雑誌が楽しく、少年誌の挿絵は肝腎であったと改めて思う。付録なども展示されていた。 私の子供の頃の少年誌では、次号の付録の予告イラストは、厚紙製のピストルが、あたかも重厚な金属製のように描かれ、○○ブックなどぺらぺらの少々冊子なのに、大百科事典のように描かれていたものである。懸賞で当ったピストルが送られてきて、そのあまりにちゃちな造りと、発射したタマが足元にポトリと落ちた時の切なさは泣きそうになるくらいであったが、(いやチョット泣いてしまったかもしれない。)子供などダマしてでも夢を見せてしまえという、大人の工夫と思うとシミジミとするので許す事にする。確かにポトリの寸前までは夢をみていたのだ。 その後、HさんIさんと六時間も飲んでしまい、大手町から歩いて帰る。