明日できること今日はせず  

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3・某日20 ジャン・コクトースカす!

撮影に必要な部分だけ造るつもりのジャン・コクトーだったが、ポーズをあれこれ考え、ようやくジャケットを羽織り、足を組んで坐っているポーズに決め、スカしたコクトーを造っているうち、なんだかいやにカッコ良く見えてきて、結局、全体像を造る事に。私は昭和三十年代、東京の下町の出で、スカしてはいけない事になっているので、せめて粘土のあなたがスカしてくれ。


3・某日19 CG

3パターン目のコクトー制作開始。ここまで来ると写る所しか造らない。この作品は、コクトー以外はCGで描き、オイルプリントにしてみたいと考えている。こうなると、もはや一人荒野を行くという状態であり、果たしてイメージ通りにいくのか自分でも解からない。オイルプリント自体がいわゆる写真とは雰囲気を異にするものであるが、CGで描くとなると写真ではなくなる。私はどうもジャンル分けの埒外、境界線上にいるのが好きなようである。  絵描きが、実在した過去の人物をリアルに描こうとする時、残された写真を見て描く事になるが、その時の写真は、誰がいつ撮影した作品か、リアルであればあるほど明白である。その場合、例えば2、3度でいいから顔の方向ぐらい想像で変えられないものかと思うが、リアルなだけにそうはいかない。ある画家が、もうネタがないので、写真を裏焼きにしてでも描こうかという話しを直接聞いた事がある。ウンザリするような話しだが、大体その写真の光りの具合、シャッターチャンスは、その写真家のものである。もうこの世にいない人物を、しかも写真に残されていない、その人物の表情を描こうとしたら、私には私のような方法しか考えられない。今日も今日とて、見て来たような大嘘をつく。


3・某日18 コクトーと寺山

コクトーのオイルプリント用ポーズを考える。肩にはお得意のジャケットかコートを羽織らせるか。手にはステッキなども良い。スカした感じ(死語か?)が欲しい。コートを羽織ったポーズと言えば、寺山修司でも作った。裕次郎に影響されたポーズと聞いた事があるが、私にはむしろコクトーの感じがする。寺山がコクトーについて語ったというのは憶えが無いのだが、どうだったのだろう。共に詩人から出発し、片やキャバレー、片や見世物の復権、舞台や特に映画制作に情熱を燃やした事など共通点も多い。コクトーが袖まくりがトレードマークなら、寺山はあのサンダル。共に自分をアピールする事に策を労しながら、コクトーはピカソやディアギレフなど芸術家、文化人の輪の中心にいた。その点、寺山はそうはならなかったが。後年、寺山はこぼしていたようだ。 コクトーの若年バージョンだが、正面が太宰に見えてしょうがないので、続きは明日にする。


3・某日17 本日雨

コクトーの若年バージョンの制作を開始する。コクトーは昨年、晩年バージョンを一度撮影したきりであった。ディアギレフと絡ませるかは未定だが、どちらにせよ晩年だけでは不充分である。午後五時頃、電話で話をしていて今日が雨だったことを知る。カーテンは一日中全開だったのに気付かず。


3・某日16 フーテンの寅 

TVで染五郎が陰陽師をやるというので観てみたが、つまらないので『男はつらいよ』を観る。(ほとんど画面は観ていないが)例によってこのシリーズは、下町出身の人間が作っていない事丸出しの映画であり、地方で観ている年寄りなど、すっかり誤解しているに違いない。あんなワガママな中年男が愛されるほど下町は甘くないのだ。 渥美清だけは面白いが、それだけに他の役をもっとやってほしかった。


3・某日15 本の整理

例によって、こんな時期に何故と思いながら扉つきの本棚を幾つか購入し、本を片付けるはめに。片付けると言っても、ただ本が部屋の中を移動しただけという感じではある。最近は資料など必要でない限り、書店、古書街に通う事をできるだけ避けているのだが、それでも本が多くて収拾つかず。作業中、本が崩れて澁澤龍彦責任編集の『血と薔薇』(天声出版)がハデに破ける。澁澤の手を離れた後の、どうでもよい四号だと思っていたのだが後で見たら創刊号であった。本は読めれば良いという主義の私が珍しく美本に買い換えた物だったのだが。今回は、とりあえず本棚に収めるのが目的なので、絶対本を開かないようにする。こんなところにあったのか、などと云いながら本をひとたび開いてしまうと、まずは一服という事になる。だいたい片付けなどしたくないものだから読書に集中してしまうのは判っている。


3・某日14 ペトルーシュカ制作に入る

ニジンスキーは、バラの精、牧神の午後で数点ずつイメージを考えていたが、ペトルーシュカについても1カットアイデアがあった。その撮影にはある物が必要なのだが、何処へ行けば手に入るのだろうと思っていたら、よく利用しているオークションサイトでいきなり出品されたので落札。ここはつい覗くのだが、何故か今すぐ必要な物が出てくるので不思議。人の話を聞いていたのではと思うくらいである。おかげで懸案のペトルーシュカのアイデアを実行すべく制作に入る。個展まで3ヶ月を切る頃になると、何故か作品制作の助けになるような物や事に出会う事が頻繁になる。こんな時、宝くじでも買ったらと不埒な事も考えるが、宝くじに貴重で限りある集中力を使うわけにはいかない。


3・某日13 影を目撃した男 

友人から、水道工事に来た人が知り合いにそっくりだったというメールが来た。世の中には自分にそっくりな人間が何人かいると言われる。あなたにそっくりな人をドコソコで見たなどという事は、誰しも言われた経験が一度や二度はあるだろう。しかし呆れるほど自分に似ている人物を、自ら目撃した人は少ないのではないか。私は一度ある。今から十数年も前の話だが、たしか池袋。車内で発車を待っていたときの事。ドアに持たれかかり、線路の向こうのホームを何気なく見ると、電車を待ちながら文庫本を読んでる男がいる。それがどう見ても私なのだ。『何なんだお前は?』目を凝らしてその無責任な顔を観察していると、彼の横で同じく本を読んでいる友人らしき男と眼が合った。その男はゆっくりと読んでいる本に視線を落とすと、次に横にいる私のような男を肘でそっと突っついている。きっと「オイ!向こうの電車に乗ってる奴見てみろよ。お前にそっくりだぜ」私は私にそっくりなその男に、こんな貴重な体験をさせてたまるかとドアの陰に隠れた。


3・某日12 三連続犯罪

私の犯した犯罪が三連続で露見するという、実にうっとおしい夢で目が覚める。私の夢の特徴は出演者が意外なキャスティングで、ストーリー展開も出鱈目なのだが、その中に登場する私だけは、いかにも私が言いそうな事しか言わないし、その行動も私がしそうな事をするのである。つまり夢の中では、いかにも私らしい死体の隠し方をするし、いかにも私らしいアリバイ工作なのである。犯罪がバレそうになる時の不安感というものは、子供の頃からおなじみの気分であった。


3・某日11 メール拝受

昨日のライブに出演の岡崎好朗さんからメールをいただく。生れも育ちも江東区だそうで、私が以前かかわった、サントリーのCFのトランペッタ−の動きは、岡崎さんの演奏姿を撮影したものを元にしたのだそうで意外な縁である。それにしても特に良かったと書いておいて良かった!私のこんな雑記など見る人は少ないと思い、かってな事を書いているが、それでも他人の話は気を付けなければならない。「私のカァチャンは、キツイ女じゃなかったです!そんな憶測で人の母親をキツイなどと言うのはいかがなものか」などと云われかねない。たぶんキツイからいいけど。


3・某日10 女子中学生アルト奏者、日本を脱出せよ

江東区東大島文化センターにて小林陽一&グッドフェローズ(プレイズ、アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズ)を聞く。管が何本も並んだ演奏はやはり楽しい。特にTpの岡崎好朗が良かった。休憩時間にトイレに行くと、となりに司会のジャズ評論家瀬川昌久氏。中学三年の女の子がパーカーばりにアルトサックスを吹くという話を小耳に挟む。なにしろ日本人でパーカーを実際に聞いた唯一の人が言うのだからリアルである。プログラムに載っていないし、聞き間違いかもしれないと思ったのだが、最後に登場。矢野さんという背の高い中学三年生。パーカーという訳には行かないが、ちゃんとアドリブしているから驚く。将来が楽しみだが、日本の早熟天才プレイヤーは大体、大人になって後発の人間に追いぬかれていくものである。大人の云う事は適当に聞き流しておく事だ。というより聞いてはいけない。一時も早く日本から脱出する事をお奨めしておこう。


3・某日9 方向音痴

TVで女優が自分の方向音痴について語っていた。地図が読めないなどは女の脳の特徴だそうだが、私は方向音痴に関しては女性にも負けない。空間を把握する能力に欠けているのだと友人は云うのだが、確かに地図を書けば紙からはみ出るし、家の間取りなど説明できない。子供の頃、野球をしていて青空に浮んだフライはどちらに飛んでいっているのか判らなかった。道端に立っている地図は、なぜ道路に角度が合っていないのだろう?人が見ていなければ、私は地図なりに頭をかしげなければならないではないか。遊園地などの回転モノの遊具など、すぐ目が回るところをみると三半規管にも問題があるように思える。そのくせ憶えが有るような風景を見ると、確信を持って歩いていってしまうから似たような風景の続く街など大変な事になる。おまけに時刻表の見方も解からないので、憧れながらも一人旅でサスラウなどという事は不可能であろう。空間を把握できないなどと云われながら立体作品を作っているが、手が届く範囲ならばなんとかなるらしい。


3・某日8 七月に京都

報道では宗男氏さらに窮地に。私が想像するに、彼があんな人間になってしまったのは、母親がキツかったからではないだろうか。前日の証人喚問で、辻元議員が宗男の母親は自分と同じ名前だと言っていたが、私は、我が妹に始まり、あの名前の持ち主でキツくない女性にお目にかかった事がない。そもそも生物学的にキツくない女性は存在しないというのなら、ことさらキツイと言いたい。実例を持って証明してもいいのだが、なにしろキツイので止めておく。 午後、門前仲町で京都造形芸術大の鈴鹿芳康先生、フォト・ギャラリー・インターナショナルの吉野さんと会う。7月にオイルプリントのレクチャーをする事に。毎年、古典技法の講座が企画されているそうだが、私がやれば思ったようにはいかない事だけは伝わるだろう。それだけだったりして。


3・某日7 昭和三十年代風スタンドライト

先日、ネットオークションの話を読んだ友人から電話があった。彼は骨董市、アンティークショップなどを毎週のように出入りしている男である。様々な物をコレクションしているが、近日中に、収集上のライバルが彼に降参ということで、コレクションをすべて彼に譲ると言う。それが何なのかは聞いても教えてくれず、家に届いたら見に来いという。 私は昭和三、四十年代の、シェードの付いた卓上スタンドを捜していたので彼に頼んでおいた。さっそく、どこかで撮影してきたデジカメ画像が送られてきたのだが、それは確かに昭和の匂いがする物ではあったが、同時に団塊世代の受験戦争の怨念が漂っているような物で、七、三分けで黒ブチメガネの学生が、机にかじり付く姿が浮んで見える。私がイメージしているのは、たとえば大映の増村保造映画の中で、若尾文子が房事の後、横で煙草を吸う田宮二郎か船越英二あたりに、「そろそろ奥さんのところへ帰ったら」なんて云っている時、後ろに置いてありそうな物なのだが。


3・某日6 ディアギレフ、テーブルの上に起つ  

ディアギレフ、まだ芯は乾燥していないが仕上げに入る。昨年、完成していたつもりのディアギレフの頭部。ここの所、毎日微妙に表情が変化している。山師のようで、悲しいようで、下品なようで威厳があるというような感じが出れば良いのだが。それを一つの表情の中に入れて、撮影時、ライティングにより任意の表情をあぶり出だす。そんな感じの撮影になるはずである。 ディアギレフは巨体で糖尿で死んだと数日の間に2回もここに書いてしまった。いかにいい加減に書いているかということで直す。「書き換えのきかない過去なんてない」と言ったのは寺山修司。 夕方、東大島文化センターへ。飾り付けは職員の方にお任せしているが、2、3バランスを考え作品を挿しかえる。セレス小林VSムニョスのタイトルマッチがあるのを忘れる。


3・某日5 メンコ 

知り合いのYさんから、オークションで落札した昔の女優のメンコが届き、あまりの懐かしさに、こすり回しているとメールが来た。額装して飾るとかっこいいそうだ。それはなかなか良さそうである。昔はメンコなど信じられないような名人がいた。羊羹の缶などにメンコをギッシリ積めこんだ名人上手の子供達が、児童公園に集まっての大勝負を見た事があるが、それは凄いものであった。 そういえば、この間終わった冬季オリンピックにカーリングという競技があったが、ビーダマ遊びにソックリで、スポーツという感じがしない。あれなら、昔の下町っ子を氷の上に持っていって鍛えれば、なかなかの選手になるのは間違いない。スポーツマンシップに問題がありそうだが。 最近はビーダマはビーダーマン。ベーゴマはベイブレードとかいって子供の間で、はやっているらしい。今のベーゴマはヒモを巻いたりはしないようだが、昔はヒモの巻き方にも、チ○コ巻きとマ○コ巻きと二種類あった。私は当然マ○コ巻である。土俵はトコというバケツや漬物の樽などにシートをかぶせた物だったが、仕上げに、口に含んだ水をブッと吹く。これが子供ながらになかなかイナセなものであった。


3・某日4 技術

ゼラチン紙の制作も大分進む。何か別の事をしながら行ったり来たりしながらの作業なので面倒ではあるが、コンディションの良い紙ができつつある。技術物の醍醐味は言葉では説明不可の部分にある。例えば、何も工夫した自覚は無いのだが、続けるうちに良くなっている。頭とは別に、身体が独自に工夫していると言ったら良いのだろうか。それは誰でも手仕事を長く続けた場合、経験する事であろう。私の場合も人形、オイルプリント共に、それなりに長くなってきているので、そんな事も起こる。右手中指が粘土べらや彫刻刀のせいで、外側へいくらか曲がってきているのだが、それを見ていて何となく誇らしい気分とともに、もうちょっと曲がった頃にはもう少し良くなっているだろうかなどと想ったりする。一方、しばらく何もせず遠ざかっていて、久しぶりにやってみたら、どういうわけか上手くなっているという不思議な事も起こる。最もそれは、続けていればこそのボーナスのようなものか。


3・某日3 ガラス屋

ディアギレフが仕上げを残し乾燥に入る。コクトーなどが頭が大きいとか、さかんに云っているのが印象にあるせいか、予定より少々大きめになる。バラの精か牧神の別バージョンを造ろうかとも思うが、ジャン・コクトーも忘れてはいけない。晩年のコクトーの頭部はできているが、ディアギレフ、ニジンスキーと絡ませるには、若年バージョンが必要である。なかなかの美青年ではあるが、私は晩年のサッド・フェイスの方が断然好きなので、造るべきか決めかねている。 午後、ゼラチンを紙に流すために敷くガラスを、少し厚めの物に変えようと近所のガラス屋へ。今までガラスを頼んでいた親父は、チャイムを鳴らしてもなかなか出てこないし、『いつも熊の胆をガムの代わりに噛んでます。』というような感じなので別の店へ。こちらは昔からの仕事仲間が3人集まり、ヒマを持て余しているようで、うってかわってトリオ漫才の如し。「ウチのガラスは歪んでっかもしれないよ。」


3.某日2 本棚

ネットオークションでドア付きの古い本棚を購入。部屋は本と作品に溢れていて、根っから綺麗好きの私は(友人諸君、近所迷惑になるので、あまり大きな声で笑うべきではない。)本棚でも導入して、整理しなくてはならないと以前から考えていたのである。本の整理を何も、今やらずともと思うのだが、やるべき事があるのに、他の事をせずにおれない人をナマケモノと云うと、たしか遠藤周作が書いていたが、私がまさにソレである。例えば、何処かに出かけなくてはならず、時間の迫っている時ほど仕事がはかどり、いけないと思いながら集中力がたかまってしまうのである。今日は絶対遅刻するわけにはいかないという時など、私はこんなに仕事が好きであったのかと驚くくらい造りたくなる。 「掃除の時間に何をして良いか判らず、ふらふらしています」と小学校の通信簿に書かれた私は、本棚の置き場所を決め、何冊か大事な本を棚に並べると、何故だか急に満足感に胸が満たされ、片付けを中止して制作に戻った。そしてただ部屋の面積が狭くなり、一日が穏やかに暮れていくのであった。


3・某日1 ゼラチン紙制作しつつ

いつもより暖かい3月を向える。オイルプリント用に紙にゼラチンを塗る作業には、ちょっと温度が高い気もするが、やってみると、このぐらいであれば問題は無いようである。毎年この季節にゼラチン紙を作るのだが、一年に一回のことゆえ、始めは調子が出ず、均一にゼラチンが流せない。 ディアギレフの立ち姿を造り始めたので、人形を造ってはゼラチンを紙に流し、また戻って人形を制作するという繰返しがしばらく続く。面倒な作業であるが、下地のゼラチンが綺麗でないと、ブラシでのインキングが上手く行かないので、気を抜くわけにはいかない。 ディアギレフは『頭が大きく〜』とコクトーその他の人々が印象を語っているが、いわゆる洋梨型の肥満体型。確かに人と並んだ写真を見ると頭一つ大きい巨体である。結局、糖尿で死ぬ。愛人であり、パトロンでもあるディアギレフが、バラの精を踊り終わったニジンスキーを見詰める楽屋裏の場面にするつもりなのだが、一体どうすればそんな場面が造れるのだろうか?今はとりあえず人形本体を作る事に集中し、撮影の事は、追い詰められた数十日後の私に任せる事にしよう。可哀想なのは、その頃の私である。