明日できること今日はせず  

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4・某日15 デジタルネガ

ニジンスキーと、コクト−のオイルプリント用ネガ制作。昨晩の内に大体作っていたが、念の為に仕上げは一晩寝てから。ラブレターは夜中に書いても、ポストに入れるのは翌日にすべし。 渋谷でT美のN先生と待ち合わせ、コクトー関連の仕事をされているMへ行き、帰りに八丁堀の出力センターへ、運良く少々待っただけでネガが完成。今までは8×10インチのプリンター(木製のフレーム。ネガとゼラチン紙を密着させ、私の場合は原始的に日光を当て露光する)しかもっていなかったのだが、大きめのプリンターを入手したので、これからはオイルプリントもサイズを大きくするつもり。これで明日からオイルプリント制作とディアギレフの撮影を開始する。


4・某日14 CG

個展の場合、できることなら毎回、初の試みというものをやってみたいものである。今回は大きなサイズのモノクロプリントと、数点のオイルプリントにCGを使う予定である。オイルの場合、すでにネガはデジタルで作成しているが、画像自体にCGを使ってみようというわけで、今日はCGと悪戦苦闘であった。しかし、人形を作って、写真に撮って、デジタルにして、オイルプリントにしてと、超が付く面倒くさがりの私の自虐趣味もここに極まってきたようだが、結局は何という事はない、観た事がない物を観てみたいというだけであり、私はこんな事をイメージしたのかという事を知りたいのである。おまけに良い作品になれば言う事がない。  メールにて鉄人ルー・テ−ズの訃報を聞く。


4・某日13 コクトー撮影

人形も、あと三パターンほどのアイディアがあるのだが、いい加減撮影しなくてはならず、この辺で撮りためる事にする。私には連休など関係ないが、何故か世間と一緒にお休み気分になってしまう。静かであるし、落ちついた気分で撮影にかかる。 夜中の三時に撮影開始。もっとはやく始めれば良いのだが、苦労した分、もったいない感じで、グズグズとTVを観たり、インターネットをやったりとなかなか取り掛れず。御馳走を前に、自分をじらしているようだが、これが弓の引き絞りのようなタメとなって、集中力炸裂。朝方しらじらとしてきた頃、ジャン・コクトー第一回撮影完了。


4・某日12 オルフェ

ジャン・コクトーというと、私はどちらかというと映画が好きで、その中で一本と言えば『オルフェ』である。先日来宅のFさんなどが、ずいぶん昔にオルフェを能でという企画を起てたそうだが、あまりにピッタリで素晴らしいアイデア。実現の際には是非観てみたいものである。 映画のオルフェは、ドリフのコントで使われたような、今では特撮というにはあまりに幼稚な映像技法が使われているが、そのイメージはまったく古びていない。鏡を使ったイメージなど、私のコクトーの撮影でも、なんとか取り入れてみたいと考えている。 今日あたり着彩にかかれるかと思うが、完成寸前のコクトーをアップしてみた。


4・某日11 脚も様々

驚異的な跳躍力を誇ったニジンスキーの太腿だが、太い分、体重が重くなるわけだから、陸上の短距離、スケート選手など前に進むのならともかく、高く飛ぶには向いていないように思う。大体、陸上のハイジャンプの選手などは皆スラリとした脚をしている。真空飛び膝蹴りの沢村忠も。そんな話しをすると、私と同じく、プロレス好きのTさんが佐山がいるという。初代タイガーマスクである。そういえば昔、御茶ノ水か水道橋のホームでジャージ姿で素顔の佐山選手を目撃したが、驚いたのは太腿の太さであった。なるほどあの太腿で見事に飛んでいた。 着彩も大分進み、ホームページ用の写真を簡単に撮る。夕方美蕾樹に打ち合わせに出かける。越生さんと、多摩美のN先生とワインを飲みに。20年も前に、P・モリニエのプライベートフイルムを観に行った話しをする。美蕾樹が出来て間もない頃の事だそうだが、ストッキングにピンヒールで歩き回る本人(老人)の脚だけが映っていたような憶えが有る。当時、あのような物を観に行くのは私を含めて、かなりの物好きであったであろう。


4・某日10 エトワール

朝、金沢より一辺が1メートルある額が届く。今度の個展でのモノクロ作品用に4、50年代の物という額を購入した。(写真を入れるような額ではないが)ディアギレフ完成に近づく。後は片眼鏡を作るだけである。その他の三体も一斉に仕上げに。 昨年、スイートベイジルで催されたコクトーナイトのプロデユーサーFさんが、途中経過を観に来宅。コクトーの研究家でもあるFさんとロシアバレエ、スラブ的なものついての話。現在公開中の映画『エトワール』やジャン・マレーに会った時の話などを聞く。エトワールには、コクトーナイトで間近で観たマニュエル・ルグリが出ているそうなので観てみたいのだが、渋谷で混んでいると聞いただけで行く気が萎える。楽屋でバラの精のバンジャマン・ベッシュとコクトーの人形を撮影していると、ルグリが入ってきた。その時、私の肘がかすったのだが、その話しをバレエ好きの女性にして羨ましがらせたものである。もっともその時の私は、エトワールとは何かを知らず、相撲でいう横綱のようなものかと漠然と考えていた。


4.某日9 ニジンスキー第一作 

結局、始めの一カットにてこずる。原因は人形制作ばかりをしていて、人形ではなく、人間を撮影している気分になかなかなれなかった事。自分で造った小さな人物像だという気分のままでは具合が悪いのである。しかしそのうち人と相対しているような気分になってきた。私の場合、まずここから始まるのである。バラの精の衣装をつけて椅子に座るニジンスキー 太腿を強調したアングルで。


4・某日8 バラの精第二回

一回目のニジンスキーは、すっぴんであった。化粧をすることにより、せっかく作った顔が変わってしまうのが嫌で、あえて始めはそうしてみたのだが、なにしろ花びらだらけの衣装である。それですっぴんは何か物足りない。それではと今回は口紅をさし、人間でいえば厚化粧だが、バラの精としては、できる限りの薄化粧をしてみた。そうなると頭の被り物あったほうが良いかと、結局、数パターンの撮影となった。できれば今日中に画像をアップしてみたい。それにしても今回のテーマは、ほとんど密室での撮影になるので、秘儀、名月赤城山撮法(片手で人形を握り、片手でカメラをかまえる国定忠治スタイル)の出番はなさそうである。


4・某日7 バラの精撮影第一回

バラの精の撮影。椅子に座るニジンスキー。下から太腿の筋肉を強調する。まずバラの被り物をつけていない状態で撮ることにする。当時ではありえない構図。ライティングを終え、私はこういう事をしようとしていたのかとツクズクと眺める。この時が一番楽しい。眼を入れたばかりなのと、ライティングのせいで、いつも見ていたのとは印象が違う。ボンヤリとしながら、久しぶりに買ってきたタバコを四本ほど吸い、グズグズとなかなか撮影に入れず。 それでも35ミリで二本撮影する。久しぶりの事で非常に疲れるが、粘土で長い時間造形する事と、息を詰める撮影の緊張感という物は、私にとって、とても良いバランスである。


4・某日6 奈落の底 

棚の上の本が邪魔になってきたので、別の本棚の上に移動する。私の片付けとは、本が部屋の中を移動するだけの事を云う。写真の歴史関係の本を移動したのだが、うっかり一冊、本棚の後ろに落としてしまった。どの本を落としたかは判らないが、取り出すのは大変な事になるので諦めるしかない。今度お目にかかるのは引越しの時であろう。私は東京生れといっても東の土俵際の出であるが、下水設備が遅れていたおかげでビーダマ、ベーゴマから五十円玉、色エンピツと、随分大事な物を落として悲しい想いをしたものである。落とした瞬間のヒヤッとした感じが思い出された。もっとも今回と違って、そこにあるのが見える分、悲しさもひとしおであったが。


4・某日5 太腿にピンク色

予定より大幅に遅れて着彩に入る。人形というだけなら私の作品は、あまり細かい所までやり過ぎない方が良い。しかしそれを撮影し、人間を撮ったようにするには、人形自体にそれ相応の密度が必要になってくる。予定では三日前に着彩に入るはずだったが、撮影に使うにはもう一つという訳で、今日になってしまった。まず、ニジンスキーのバラの精から始めたのだが、筋肉隆々とした男性の太腿にピンク色を塗るというのは、何ともいえないムズムズとした奇妙な気分である。伝説のバレエダンサーを作るとは爪の先ほども考えていなかった、昨年今ごろの私がそれを見たなら、貴様何をやっとる血迷うたかと筆を取り上げたに違いない。


4・某日4 永代通りで笑う

朝、宅急便で起こされる。この配達員は、呼び鈴を押したとたんドアのノックがやかましい。玄関で生活しているわけじゃないんだから少し待ちなさい。だいたいなんでそんなに偉そうなのだ。 午後買い物がてら永代通りを歩きながら、踊った直後のニジンスキーとそれを見詰めるディアギレフの舞台裏場面を考える。緞帳が下がっていたり、照明道具その他が雑然と並んでいて、いくらか埃っぽかったりして。どこにディアギレフを立たせようか、ステッキと同時に葉巻を持たせるかなどと想像していると、ディアギレフの肩越しに私が制作した永井荷風がヒョイと顔を出した。『荷風先生、ここは浅草の劇場じゃござんせんよ。こんな所までお入りになってはいけませんぜ。』歩きながら思わずヒヒと笑ってしまう。 そろそろ私は外出を控えるべきかもしれない。


4・某日3 缶に坐るコクトー

午後帰宅すると、糠床のポリ容器に日が当っていたので、あわてて場所を変える。どうもこの調子だと夏を越える自身がない。母方の祖母伝来の糠床は、いつ造った物かはさだかではないが、戦前物である事は間違いない。住まいが聖路加病院の近所で、爆撃目標から外されていたので糠床も助かったわけだ。今の所、毎日のように掻き回しているが、これからの季節は油断するとすぐムシがわいてしまう。失敗したら、分けてもらった叔母にまた貰えば良いのだが、おそらくすでに私独自の味に変化しているはずなので、腐らせるまではかき回しつづけよう。 坐るポーズのコクトー。何に坐らせるか考えずに、とりあえず目の前のリトグラフインクの缶に坐らせて作ってしまったので、今になって困る。造りたくなると、今、作らないと我慢できないという所はどうしても治らない。私がもともと持っている、こうしたヘキは、たとえ人に迷惑をかける場合があっても、生れつきなので私のセイではないと何処か腹の底では思っている。


4・某日2 鍵盤の数

ニジンスキー一体目は、薔薇の精のコスチュームを付けるだけになり、明日あたりから下地の着彩に入れそうである。コスチュームは、せっかく造った身体の線が見えなくなるし、私から見るとあまりカッコの良い物とは思えないので本当は着せたくない。特に頭にかぶっている物が妙に思える。しかし本当の事はどうでも良いなどと日頃言ってはいるが、さすがに薔薇の精が、あのコスチュームでなければ感じが出ない。それでもペトルーシュカのメイクはどうしてもする気がおきない。あのメイクはニジンスキーにとって大事なものである事は解かっているのだが、せっかく造った顔に、あの不細工なメイクは我慢できない。服などもストライプ模様などを入れると、せっかく作ったところが潰れるので、一切入れたことはない。(寺山修司のシャツにはストライプを入れない訳にはいかなかったが。)所詮私の創作物なので、歴史的事実は無視しても問題はない。しかし個展ともなると、例えば私の造ったピアノの鍵盤の数を数えるような野暮というか真面目な人もみえるので困る。


4・某日1 花見をしないまま四月に 

昼の番組で、久しぶりに見た森進一の顔が別人のように変わっていた。 七、八年ほど続いていたO君との浅草花川戸、夜桜見物は、開花が早かったのと、個展の作品造りで行けずに四月に。 そろそろ撮影に入らなくてはならないのだが、やはり造る予定にない物を造りたくなるという病気が出て、造る予定の物ができていない。牧神の午後はもう一体造る予定だったのだが、雲行きがアヤシイ。当初ジャン・コクトーを主役の個展を考えていて、途中からニジンスキーを主役に変更。そのせいで、今年、コクトー制作は遠ざかっていたのだが、一体造ると、アイデアが浮んできて、もっと造りたくなる。個展でのバランスなど考えなくもないのだが。