明日できること今日はせず  

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7・某日20 ゼラチン

私の制作しているオイルプリントは感材メーカーの製品をあまり使わない技法である。よって印画紙など製造中止により慌てることはない。その代り用紙にゼラチンを塗布するところから始めなくてはならないのである。 技法について質問された場合、当然そこから説明するのだが、ゼラチンを使用するという事で不思議な技法だと思う方がおられる。つまり現在のフイルム、印画紙にゼラチンが使用されていることを御存知ない方が案外多いのである。ゼラチンがなければ、ほとんどのアナログ写真はなりたたないので、オイルプリントにゼラチンを使っているからと感心されても困るのである。ついでに言えば、最近は美容に良いとかでゼラチンのコラーゲンがもてはやされているが、普段口にしたり塗ったりしている物は、海草あたりから抽出していると思っている方も多いのだろう。昔の文献を見ると写真用ゼラチンの場合は、子牛が良いとか与える牧草によって感度が違うなどと出てくるが、工程としては、選別ー切断ー脱毛ー石灰漬ー脱石灰ー水洗ー抽出(60〜70℃で煮る)−乾燥。 というわけで脱毛する所など海草とは大分趣がちがう。 


7・某日19 友人Y 

実家に一泊した後、帰りに駅の改札でボディビルジムからの帰りのYと会う。彼とは幼稚園からの付き合いだが、小学生の時に熱帯魚にハマったのは彼の影響であった。
中学の飼育部で、部の予算で好き勝手な魚を買っていたのは私達だし、文化祭の残酷ショーを考え、大失敗して部長を残し教室から逃げたのも私達であった。小、中学校時代に私達のしでかした数々のエピソードの、あまりのくだらなさに未だに涙を流して笑いあえるという貴重な存在である。この間の個展にも来てくれたのだが、その後に金魚、熱帯魚を再開したことを聞き驚いていた。彼は最近金魚の会に入ってランチュウを始めたそうである。 そういえばNHKの朝のドラマ『さくら』に出てくる江戸川区の金魚の養殖場あたりで物凄く怒られたのは半ズボン姿の私達であった。 Yよ、あれはヒドイよ。言出しっぺは私か?


7・某日18 レコード屋

実家に帰ると近所のレコード店が洋品店に代わっていた。ここは思い出深い店だったのだが。 学校帰りに友人と飽きもせず長い時間ショーウィンドウのエレキギターを眺めていたものだ。ここで初めてドーナツ盤(ビートルズ)を買った。TVでベニ−グッドマン物語を観てサントラ盤を買ったのが始めてのジャズレコードであったし、岡林もここで買った。キャロルのルイジアンナを始めて聞いたのは、ここで楽譜を眺めていた時だった。(楽譜は読めないのでコード進行を見ていただけだが。)ロック少年の私は、日頃アイドルにウツツを抜かす同級生を馬鹿にしていたおかげで、キャンディーズをこっそり買いに行くと店のお姉さんに「ツェッペリンの新しいの入ったわよ」と云われて隣町のレコード店まで買いに行くはめになったし、後に人形を作り出すきっかけになったブルースのレコードを始めて買ったのもここであった。 CDの時代になり、ジャケットデザインなどに想い入れていた時代は遠い過去になってしまった。


7・某日17 施餓鬼法要

神楽坂の親戚の寺で施餓鬼法要があるので行くことにする。突然不信心者が現れ、親戚驚く。食事の後、桃川忠さんの縁起物の紙切り芸を観て、法話の後、法要。墓参りを済ませた後、種村氏がサライ誌上で眺めていた便々館湖鯉鮒の墓を観る。交流のあった南畝とは蜀山人の別名とは知らなかった。ついでに森敦の墓も見学。自身の筆によるものを刻んだ碑には《われ浮き雲の如く 放浪すれど こころざし 常に望洋にあり 森敦》 帰りに神楽坂五十番にて肉マンを一つ買い、市ヶ谷のフィッシュセンターへ。水槽内に、早くも病気が発生しているので薬と二種類の魚を購入。


7・某日16 深川にて

両親と妹の家族と深川で食事をする。妹はアメリカ人と結婚し、この時期、子供をこちらの小学校に通わせるため帰ってくるのだが、亭主も一度は合流する。アメリカの日系企業のサラリーマンである彼が、生のタコをうまそうに食べていた。なかなか良く出来たアメリカ人だと感心する。 クッキリとした二重で、まるで付け睫毛を付けているような二人の子供も日本食が好きなようであるが、特に長男は、ほっておくと納豆を三パックも食べるという。味噌汁も美味しそうにしているし、しまいにはイワシの丸干しを兄弟で一匹ずつ食べていた。今日が深川不動の縁日でなくてガッカリの様子。


7・某日15 ペット

ペットとして飼った事のある物を食べられないのは男と書いたが、たいして意味は無い。そんな理由で食べられないという話しを、たまたま男性から良く聞くし、女性からは、韓国の○鍋を食べたら美味しかった!○飼ってたけど。などと聞いた事があるというだけの話しである。 だいたい男性は食にたいして保守的に出来ていて、お袋の味などといっているのも男だし、子供時代の食習慣から一歩も出ない人も多い。その点女性の方が好奇心、冒険心、共にはるかに旺盛である。 私は女性がペットを見て可愛いーとか云っている時、どうも素直に受け取れないところがある。けっして、いざとなったら喰うくせにと思っているわけではないのだが。 それにしても女性のカワイ−とオイシソーは良く似ている。


7・某日14 お墓の絵

残り少なくなっていたサライを『夏こそカレーです』に惹かれてコンビニで購入。種村季弘の東京《奇想》徘徊録第21回神楽坂の仇討ち、南畝「隠語の碑」を見ると、種村氏が狂歌師便々館湖鯉鮒(べんべんかんこりう)の墓前にたたずむ写真が載っていた。ここは親戚の寺で、種村季弘がおばさんちで写真撮ってるよーという感じで驚く。ここはもともと牛込城があった場所で、本当かどうかは知らないが、江戸城が火事になった時、標高が高くよく見えるせいか真っ先に駆けつけ、それがマズイと取り潰されたという話しを聞いた事がある。私の子供時代の絵は母がすべて棄ててしまっていたが、ここの叔母さんが取っておいてくれた絵が私の最古の絵となった。おかげでお墓の絵と云う事になってしまったのだが。


7・某日13 魚の話を肴に

そもそも昨年の代官山の個展のおり、飲みに行った先で飼い始めた熱帯魚の話を延々として、私に小さく火をつけた金属工芸家の林守から電話があり、高田馬場で飲む事に。会社に寄ると、そこにも水槽があり、熱帯魚から金魚、メダカ、タニシがいた。彼も子供時代に飼っていたクチだが、周りに話す相手もいないらしく、たいそう盛りあがった。バクテリアで水質を整えるなど昔とは随分変わったそうで、彼は綺麗な水で水槽が満たされている事が快感らしい。魚を飼育している水槽の水は植物にとって良いらしく、植木などにかけると育ちが良いという。水槽の苔を取らせる為に、どこかでタニシを獲ってくるそうだ。北大路魯山人はタニシを生で食べてジストマで死んだが、あの食通が好物だったのだから、味噌汁にでもして食べてみたらと勧めるが、どうも男の場合、自分で飼ったものは食べられないようにできてるらしい。近々ペットショップを周ろうと約束し別れる。 NHK新真夜中の王国ガールズロックセレクションで、玲葉奈というシンガーを始めて観たが凄く良かった。(ハーモニカは止めた方が良いと思う。)


7・某日12 水槽を前に

水槽のレイアウトを考える。どうせ自分で作れるのだから、海底に沈んだ遺跡や難破船、浮気をしたギャングの愛人が下半身をコンクリート詰にされ、両腕と髪をユラユラさせているとかも面白い。(面白いか?) 乱歩作品など、この水槽を舞台に何かできないだろうか。作家シリーズで、始めに浮んだのは着物を尻ッパショリにした乱歩が屋根裏に潜んでいる所であった。椅子の中に潜んでいる乱歩なども面白いに決まっているが、CGを導入した事により、イメージはあるがとても無理と考えていた作品も作れる。 久しぶりの熱帯魚に、餌を食べるところを見たくて、つい餌をやりすぎてしまう。現在は子供がダイエットをする時代であるが、私の子供の頃は、食べれば食べるほど誉められた時代であるから、私の親も、きっとこんな気分だったのだろう。


7・某日11 熱帯魚を飼う

ペットショップを覗く。用具はもとより見た事のない魚ばかり。ネオンテトラなど40〜50匹で1000円とあまりに安くなっていて驚く。中学の時は飼育部にも在籍していたが、学内で一番予算をもらっている部であった。それをいい事に好きな魚を買いまくっていたのだが、怪しんだ他の部からの風当たりが強くなり、文化祭で少しハデにアピールしようと、オス同士を一つ所にいれると死ぬまで戦うという魚と、熱帯魚の金魚丸呑みショーを企画。校内放送の宣伝が効いて教室は満杯。残酷味に期待で目を輝かせた女子が押し寄せた。ところがどういう訳か、魚はピクリとも反応せず。 ブーイングの嵐の中、責任感は強いが正論ばかり吐いて面白くも可笑しくもない部長が泣きそうになっているのを残し、教室の後ろから脱出した。その後生徒会でも飼育部は問題になったが、予算は相変わらずいただき続けたのであった。「オジさん、何のために職員室の水槽まで掃除してんだってんだよなー。」我々の言葉にニヤリと笑うペットショップの親父であった。


7・某日10 MONO−LOGUE展

午前中に熱帯魚用水槽が届く。砂を敷き水を満たし、準備万端。熱帯魚は中学生以来なので以外とワクワクする。というかずーっと我慢していたのであった。 南青山画廊のオープニングに出かける。満員の会場、かろうじて宇野亜喜良さんに挨拶する。その後会場で会ったMさんとギャラリー360°へ。明日からの宇野さんの個展出品作を観る。近所に飲みに行くが、そこで九条今日子さんにお会いする。360°の個展に来て頂いて以来であった。帰宅後、パックインミュージック林美雄の訃報がメールで。享年58歳。肝不全。合掌。


7・某日9 金魚を飼う

子供の時分に一度登ったきりの東京タワーに行く。始めに入った2Fの売店は、浅草の土産屋のような呆れるほど古臭く妙な場所であった。せっかくなので150メートルの展望台へ。しかし今となってはたいした高さでなく、結局その上の特別展望台へ。 1Fの水族館は思ったより片寄ったラインナップであったが、人がいないのでゆっくり観られる。有名な蝋人形館は、この調子だと大体想像がつくので今日は入らないことに。外へ出てしばらく東京タワーを見上げる。子供の頃、TVで力道山が東京タワーに追い詰めた悪漢を、東京タワーごと揺らすというとんでもない映画を観た事がある。鉄骨にかじりつく力道山。遠景の東京タワーがクラクラ揺れていた。 続いて銀座の松坂屋の屋上へ。デパ−トの屋上も久しぶりである。ここもイメージした金魚がいないので松屋へ。ここでやっとイメージ通りの小さな金魚と水草を買う。しかしかつて輝いていたデパートの屋上は、どこも閑散としていてタソガレた気分を満喫できる。 今日は金魚を買うのに1日がかりであったが、帰る頃には熱帯魚も飼いたくなっており、ネットで水槽を注文する。


7・某日8 東京タワー

台風一過の朝、こんな日でないと観れない空。気がつくと天気が良ければ三分の二ぐらい見えていた富士山が、数キロ先にできたマンションの為にすっかり隠れていた。しかし東京タワーの先っぽはかろうじて見える。 購入した金魚鉢は直径二十四センチの水盤が深くなったような物で、なるべくシンプルにいきたい。金魚は二匹がせいぜい。水草も少々。金魚のペットショップに行くが全くやる気が無いようで、店内は汚くて魚がいない。東京タワーの水族館で売っていると聞いたような気がするので行ってみたくなる。


7・某日7 ぐうたらする 

一日ぐうたらを決めこみ布団の上で寝たり起きたり。しばらく作品の事は考えたくないかと言うと、考えたくなくても浮んでくるから始末が悪い。そのほとんどが作れば楽しいが作ってどうするんだという物が大半である。三百歳まで生きられるというなら別だが、そんな物に手を染めてはいけない。(もっともオイルプリントはそうやって止めていたのに、我慢できずに始めた事であったが。)私は人にどう思われようと、理解されなくても、ひたすら心の命ずるままに作りつづけていると思われがちだが、とんでもない話である。こう見えても今度のアイデアはウケルぞなどと時代劇のワルのように企み、いかに多くの人にイメージを伝えられるかと、そればかりに無い頭を使っているのである。それを云うと友人連中は呆れて、そこまで人にノドチンコを見せることはないだろうという感じで笑うのだが、まったく心外である。だから個展会場にわざわざ来て頂いた方の質問にはどんなことでもお答えしているのである。確かに底無しの沼にズブズブ入っていっているような実感はなんとなく有るが、頭が泥の外に出てさえいればそれはそれでそんな事が好きなのだから良いのである。 本棚の上で金魚を飼おうと思い立ち金魚鉢を買う。飼うのはシンプルにひらひらしたリュウキンが良いだろう。


7・某日6 個展最終日

期間が延長になり、長かった個展も最終日。京都造形芸術大の鈴鹿芳康さんがみえる。今月中に京都で大学院生相手にオイルプリントを披露するはずであったが秋に変更になる。京都の夏は二度と行くまいと誓ったのは18の時であった。数年前に谷崎の人形を抱え行ってしまったが、あの暑さと湿気を考えると秋に変更とは有り難い。とにかく一人でもオイルプリントを始める人間が増えてもらいたいものである。  個展会場に毎日いるという事は、壁面にかけられた鏡に映る自分の姿を毎日観ているようなもので最終日となるといささかうんざりと云えなくもない。搬出して我が家に帰ると壁に張ったままになっている会場に展示される事の無かった作品が目に入る。壁に張ったその時点で一番良かったはずの作品というわけだ。展示をした作品とは違った愛おしさを感じるが、明日は破いてゴミ箱の中である。 今回、一番の眼目であった、デジタル技術とアナログにも程があるというオイルプリント技術の合体。この両極端の二つの技術は思ったとおりの相性であり発見であった。これで何でも描けるというのは早計であろうか。マコトを写すという写真という言葉に反し、私の作品からは年々マコトが排除されていく。江戸川乱歩曰く『夜の夢こそマコト』ということで。


7・某日5 個展6

今回の個展のDMの画像をアップしようとしたら、DMを作った個展は今回で10回目だという事に気付いた。といってもそのうち6回はここ6年の事である。私の場合、人形だけでは毎年開催する事は無理である。写真を展示することにより会場の面積をかせげるという事は大きい。今回は特に人形が観たいという方が多く、確かにここ数年展示していないので、そろそろ考えてみようと思ったりもする。しかし実際、私は物としての人形に執着がなくイメージを実現したら用はないとさえ思うわけで、果たして私は人形作家といえるのか疑問である。以前ここで書いたような気がするが、撮影が終わった人形を人知れず処分してしまったら謎は深まり面白いのではないだろうか。さらに、個展会場で不思議そうな表情の人を見ると、ここは実景で、ここは作り物で、ここはCGでとつい教えて上げたくなるので個展会場には私が居ない方が良いかもしれない。 夕方に建石修志さんがみえる。


7・某日4 休廊日に2

今日は神楽坂で、知人の陶芸家の個展最終日なので出かけることにする。神楽坂には親戚の寺があるので、ついでに挨拶でもしておこうかと連絡を取る。知人は何時ごろ画廊にいるのかと電話をしてみたら 昨日で終わっていた・・・。 会場に行ったという誠意が見せられるだけ休廊日に出かける人のほうがまだマシである。


7・某日3 休廊日に

ヨーカドーでジャズタクシーの安西さんとバッタリ。近所を歩いていると、ひとつきに一回ぐらいはお会いする。車を変えるそうである。次のタクシーはどんな音になるか。 今日は休廊日であったが、鍵を預かっていたので、この日でないと都合が付かない知人の為に開ける。すると昨年残念にも廃刊になったブルースの情報誌『ブルースマーケット』を主宰していた川瀬君、当然のような顔をして登場。友人と待ち合わせているという。今回DMを持って休廊日に来た人を何人か知っている。時間前に来て帰った人も。知っているだけでも何人かいるのだから、きっとまだいるに違いない・・・。 アメリカのコクトー財団、日本の代表者である藤沢さんと友人のSと韓国料理を食べに行く。


7・某日2 最悪の相席

ちょっと熱っぽくもあり、このへんでアルコールで洗浄しようとウィスキーとショットグラスを用意。まずは行きつけの蕎麦屋でそば焼酎のそば湯割りでと、読みかけの本を持ってでかける。混んでいるので相席になる。先客に「失礼します」と声をかけるが反応無し。五十がらみの男は書店の袋を脇に置き、何かのパンフレットを読んでいる。ビールを飲みながら、卵焼きとすっかり伸びきった蕎麦を食べているが、クチャクチャと実に下品な音を立て、気になってしょうがない。だいたいなんだそのアクロバチックな箸の持ち方は!本を読みながらそば湯割りで初めていると、男の吸うタバコの煙が私に吹きかけるように漂ってくる。最悪である。さすがの私も一言云ってやりたくなるが男がかけ蕎麦を頼んだので、これを食べたら帰るだろうと我慢をした。ところがこの男、出てきたかけ蕎麦を、これはかけ蕎麦じゃないと云い出した。男はもり蕎麦を頼んだつもりでいるらしい。汁をかけているから、かけ蕎麦だろうが。店の人の申し訳なさそうな、うちではこれがかけ蕎麦でと言う説明に納得いかず、ヒドイめに合ったという感じで渋々食べ出した。さっきよりさらにモグモグぺチャぺチャと。『東京の人間は冷たいなんて言いふらすなよ!』家に帰ってウイスキー飲む事にした。


7・某日1 個展3

ピンク映画の四天王の一人、佐野和宏監督が夕方会場にみえるというので出かける。会場で落ち合い帰りにお連れとIさんとで飲みに行く。 佐野さんを紹介してくれたIさんとの付き合いは長い。寺山を読んで家出をしたというIさんには私の作品を何度かビデオに撮ってもらっている。始めて会った時オーバーオールのジーンズと下駄という一時代前のいでたちで現れた。しかも場所は高円寺。そのカッコを止めろと会社に言われ会社を止めてしまったと聞いていた。イヤな物は絶対イヤと言う頑固者だが、そのIさんが頑固だというのだから佐野さんも相当な物なのだろう。 AVその他ピンク映画の業界話になったが、ここで書くわけにはいかない事ばかりであった。個展が終わって落ちついたら我が家で飲む事に。 風邪の調子もそろそろ佳境に。