明日できること今日はせず  

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10某日18 『真実一路』 フジテレビ

つい観てしまう。上手くできたもので、昼下がりというスキだらけの時間が私に見せてしまう。 先日、某掲示板で子供時代にTVで観た古いエノケン映画の話があり、教室で、そのマネをしている同級生の様子を思い出して頭がクラクラした。私は昔の記憶をまとめて急に思い出すと、クラッと来るのである。 真実一路などは放映される時間帯といい、昔で云う『よろめきドラマ』の系譜であろう。小学校時代のある日、同級生三人とジェスチャーゲームをしながらの下校時。身体を硬直させたE君が、ヨロヨロッとした弾みでランドセルの中身を道路にぶちまけ、それを拾おうとして車に轢かれそうになった。ドライバーのおじさんに怒鳴られ、恐怖に強張ったE君が明かしたお題がよろめきドラマであった。彼の青ざめた表情とお題のコントラストが可笑しかったのをクラッと思い出した。試しにネットで検索してみると、オッチョコチョイな男が一人、千葉県に潜伏しているらしい。あんな重度のオッチョコチョイは、時間が経ったといって治るものではない。


10某日17 『架空 FICTITIOUS』あがた森魚×田中泯 草月会館

午後木場の喫茶店で、S社の方と出版企画の事でお会いした後、草月会館に向かう。田中さんは二十数年ぶりである。まだ焼き物をやっていた頃、茨城の笠間に遊びにいっていた時に、山中で舞踏をやるというので陶器屋仲間と観にいった。カセットデッキの音楽をバックに下界を見下ろす絶景のロケーションの中、40人ぐらいの観客が岩に座ったり寄りかかったりして観たのだが、黒塗りで鍛えぬかれた全裸の舞踏はそうとうな驚きであった。終演後、ぞろぞろみんなで歩きながら、観客の視線に彫刻されるのだと話されていたのも記憶にある。 開演前、3月のグループ展でお世話になった宇野亜喜良さんがおられたので挨拶する。松岡正剛の姿も。ステージは始め違和感が拭えず戸惑ったが、あがたさんがハンドマイクで動きながら歌い出すあたりから、それも消えて集中して観る事ができた。激しい動きに、エンディングの時に田中さん、笑いながらも『もう駄目だ』とあがたさんに云っているようにみえた。もう駄目というまで何かをする人は、なかなか観る事はできない。あがたさんの歌もまた良かった。打ち上げにも参加し、終電にて帰る。


10某日16 友遠方より

陶芸の専門学校時代の友人O君が、銀座のマガジンハウス内の岩手のクラフト展に出品するというので出かける。 岩手出身の彼は180cmを超える痩身の男だが、当時4畳半のアパートで頭やスネを良くぶつけていた。寺山の人形を撮影に青森に行った時、実家に寄らせてもらったのだが、中尊寺に近い巨木に囲まれた大きな家であった。彼の部屋は15畳あり、4畳半といえば出産用の部屋だそうである。それではぶつけても仕方がない。東京に来てから鼻毛が伸びると云っていた事も憶えている。  当時私は学校近くのアパートに住んでいたが、プライバシーなどまったく無く、鍵をかけて出掛けても、帰るとO君等が酒盛りをしているという有様であった。6畳に30人以上集まった事すらあり、卒業の頃には床も抜けていた。 私は早々に止めてしまったが、同期の連中は、ほとんど陶芸家となって全国に散らばっており、たまに東京に出てきた時に会うのは嬉しい。想えば酒ばかり飲んで馬鹿馬鹿しくも楽しい日々であったが、もう一度やれと云われたら御免こうむる。


10某日15 ブリヂストンオープン2003

しばらく名前を聞かなかった尾崎直道がプレーオフの末優勝。ツアー通算30勝という事である。 尾崎とは高校が一緒で、一年の時はクラスも同じであった。ジャンボ尾崎の弟という事で入学当時珍しがられていたものである。休み時間にはみんなで良く相撲を取ったが、彼とも何度か対戦した覚えがある。身体はさほど大きくなかったが足腰はさすがにしっかりしていた。 最近は同年齢のプロスポーツ選手など皆無で、近所の富岡八幡宮で相撲の行事があっても、現役力士そっちのけで親方ばかりが気になる。そう思うと頑張っているなと頼もしく思えるが、ゴルフのように、選手が飛んだり滑ったり転んだりしない競技がスポーツというのもピンとこず、広い所で大人がビーダマ遊びをしているぐらいにしか感じないという、申し訳ない私なのであった。


10某日14 中井英夫の首 2

中井英夫はいつの時代の姿にしようかと考える。私が始めて見たのは、確か文庫本の後に載っている写真だったように思う。黒縁メガネに7、3分けの髪型のせいかサラリーマンのように見えた。その頃の写真では、ビリヤードをしている写真などカッコが良いが、私の中のイメージは、オールバックの白髪が混じったあたりだろうか。コクトーのように年齢の異なる像を二種類造るのも良いかもしれない。 人形制作をする部屋とパソコンのある部屋、そして水槽の前を5、6回順ぐり回るとだいたい一日が終わる。


10某日13 中井英夫の首

中井英夫の頭部が細部の仕上げを残し早々にできてしまう。そんな馬鹿なと思っているのだが。 個展などの場合は複数の人物を同時に造るので、人によっては頭部だけで数ヶ月かかる事がある。そこで来年2月のグループ展に向け、今から始めておこうと思ったのだが、まだ始めて3日である。こんな事があってよいのだろうか。勿論、眼鏡を造るまでには至っていないのだが、頭部ができればできたも同然である。このままいけば、どこかの薔薇園で秋バラを背景に、中井英夫像を撮影する事が可能であろう。しかし念のため、いきなり身体を造り始めず間を置いてみるつもりである。なんとも妙な気分であるが、以前、中井英夫制作を考え、写真作品になりにくそうで断念している。その時の想いがどこかに残っているのかもしれない。いずれにしてもこんな時は、交通事故などには気をつけたい。


10某日12 江戸川乱歩誕生日

昔の小さなブリキ水槽に似合うのは、どう考えても金魚なのだが、お尻を振る動きが気に食わない。先月買ったマクリコーダという魚を一匹だけ入れているのだが、熱帯魚は餌を食べているのを見るのが楽しいのに眼の前では食べてくれない。今日思いついて双眼鏡を引っ張り出し、パソコンの前から見る事にする。部屋が広いというわけではなく、なにしろ相手が6cmなのでしかたがない。ショップの店員に大きくならないと騙された魚で、実際は30センチを越えるらしく先が思いやられる。双眼鏡を使うのはベランダからロケ中の織田裕二を覗いて以来であった。 夕方、森下文化センターの講座『江戸川乱歩の世界』に行く。講師は山前譲さんで『乱歩の生涯』。山前さんはいつも乱歩系宴会でお目にかかるが、始めて乱歩邸にお邪魔した時、中学の現国と古文の先生のような二人がパソコンを前に並んでいたが、今思うと乱歩の蔵書を調査中の新保博久さんと山前さんであった。 講座の会期中に小さな展示をするらしく、文化センターの方から乱歩と槐多の写真展示を依頼されるが、槐多は裸がらみかオシッコしてますよと云っておく。


10某日11 志らくのピンpart2 第2回 高平哲郎プロデュース

中井英夫の頭部制作開始するも、アパッチ族ジェロニモに似る。気分を変えに深川の裏通りを行くと「カゴメカゴメ♪」の声がする。五人の女の子が懐かしい遊びをしていた。町中でこんな光景を目にするのは何十年ぶりであろうか。しばらく眺めていたいところであったが今の御時世、町中で少女を眺めるのも差し障りがある。私と目が合って一目散に家に引っ込まれでもしたら、せっかくの晴天気分が台無しである。早々に帰宅し、ジェロニモから無事抜け出し、方向を定める。 誘っていただいた国立演芸場へ、『立川志らく』シネマ落語を観に行く。志らくはTVで見ても面白く、云ってはいけない事が咽元まできているような顔がチャーミングで、一度生で観てみたかった。 ウディ・アレンの『マンハッタン』が落語に。バックにはバイオリンの生演奏でガーシュイン。川島雄三『幕末太陽伝』のナレーションから始る。太陽伝では小沢昭一がやっていた貸本屋金造が主役というのが面白い。「ざる屋」「堪忍袋」「品川心中」などが巧妙に構成されていて実に楽しい。残念だったのが、私が肝腎の『マンハッタン』を観ていないという事であった。


10某日10 永遠の薔薇

著者の本多正一さんにお願いしていた『彗星との日々』(BeeBooks)が届く。来年の『永遠の薔薇−中井英夫にささげるオマージュ展』(虚無への供物・刊行40年記念)の出品作品制作のため、資料としても是非みておかなければならない一冊であった。本多氏が中井英夫最晩年、亡くなるまでの四年間を助手として過ごした記録なのだが、単に記録というものではなく(本多さんの役割は助手のイメージからは程遠い)写真の良さもあり胸に迫るものがある。 オマージュ展には人形とオイルプリントを出品できればと思っているが、技術的な問題さえクリアーすれば、色分解により制作したオイルプリントを出品してみたい。この話をいただいた時、オイルプリントのカラー化で頭が一杯だったが、『虚無への供物』には目青不動に青い薔薇、目赤不動に赤い薔薇、目黄不動に黄色い薔薇など各色のイメージがでてくる。定かではないが、色分解についても記述があったかもしれない。できればこの技法でと思うのも当然である。しかも偶然、その日に乱歩の人形を納めようと購入した木製の古い箱には、薔薇の模様の取っ手が付いている。乱歩には合わないので交換するつもりであったが、中井英夫用にそのままにしておいたのは云うまでもない。


10某日9 メリーさん

新渡戸稲造が五千円札になった当時、祖母は新渡戸稲造を知っていたと母から聞いた覚えがある。知っていると云っても見かけた事があるぐらいに思っていた。先日、母がたまたま姉妹とそんな話になったらしく、貰った物が家にあったと云いだした。「メリーさんにお土産に貰った」と云っていたのを母だけが覚えていて、メリーさんて誰だろうと云う。新渡戸稲造でメリーさんといえば、奥さんのメリー・エルキントンに決まっている。何を貰ったのかと聞くと、覚えているのはガラスの中で脱脂綿の上にのった虫だという。一匹は玉虫で、一匹は細長かったらしい。玉虫は指輪にしたというのだが、虫は指輪にならないだろう?なにしろ昔の話なので要領をえない。 私に向かって「何でクロ○ボなんて造ってんだい?」と云っていた祖母だが、昔の事に興味のない叔母たちに成り代り、色々聞いておくべきであった。日本銀行に務めた事があるそうだが、顔が良くないと受け付けには採用されないのだとニコリともせず云って孫を爆笑させる祖母であった。芝居好きだったので、今だったら泉鏡花の人形で喜ばせる事もできたに違いない。


10某日8 爆撃機内にて

午前中、電話でおこされる。たった今までガタガタとゆれる爆撃機の機内であった。 どうもスティーブ・マックィーンの『戦う翼』で見たB−17のようだが、何故か操縦席が宇宙船風である。そこで澁澤と寺山が仲良くならんで操縦桿を握っている。『なんだ、こんな所に接点があったのか』と思う私。横の計器類が並んでいる所にかまわず座っているのがコクトーである。コクトーと寺山が、お互いのコートを交換して羽織っているのに気付く。(おそらく私が寺山のスカしっぷりはコクトーから来ていると考えているからであろう。)敵の攻撃が激しくなったようで機体の揺れが激しい。エンジンの修理に追われているのが鏡花で、潔癖症の鏡花が油まみれとは事態が相当切迫しているのが判る。弾薬や爆弾もすでに使いきってしまったらしい。そこに憲兵の格好をした某編集者が入ってきて「石塚さん!だから久作を造っておけば良かったんだ。そうすればドグラマグラが使えたじゃないか!」私を責めるのである。 なんとなく申し訳ない気分で受話器を取った。


10某日7 幸運を呼ぶ魚

フラワーホーンという魚は、マレーシアで作られた自然界には存在しない魚である。東南アジア各国で流行しているというが、その体型、体色などが風水に基づいて幸運を呼ぶという事になっているらしい。体側のスポットが数字に見える人もいるらしく、それをみてロトクジの数字を決めるなどという事も行われているようだ。 いくら腹が立つとはいえ、むざむざ殺される事が判っていて放っておくのも可哀想だが、かといって水槽を増やすのも大変である。 午後、実家の母と電話で話す。母は昔から家相や風水には興味がある。ついでにこの魚の話をすると興味を示した。これ幸いと、あそこに水槽置いたらなどと云ってみると満更ではなさそうである。後は、その魚のおかげで私に良い事があったかという話になる前に、電話を終えたのであった。


10某日6 魚でイライラする

玄関の熱帯魚はすでに30センチに達しようとしている。オスメスのペアと、オス1匹をセパレーターで分けているのだが、オス同士はセパレーター越しに威嚇しあっていて、玄関から人が入ってきたと思うほど大きな音をたてる。特にオスの一匹が、戦えばやられてしまうくせに、もう一匹のオスを威嚇するのである。だったら思う存分やらせてやろうとセパレーターを外すと、戦いもせずただ逃げ回って傷だらけにされている。逃げるだけなら吼えるなよと元に戻すのだが、しばらくおとなしくしていて30分もすると、また威嚇を始めるのである。魚は30分で何事も忘れてしまうのだろうか? こんな奴は人間でも腹が立つが、魚といえども我慢ができない。エサを減らしてやろうとするとメスの分もすべて食べてしまう。まったく見ていて癒されるどころかムカムカしてくる。 近いうちセパレーターをはずし、半日ほど家を空けようかと考えている。


10某日5 寺山没後20年 Tribute to TERAYAMA  日暮里 本行寺

会場の本行寺に着くとリハーサルが始っていた。御本尊が到着しましたと云われ、焼香台の奥に寺山の人形を設置する。トップからライトを当てられないのが残念だが、焼香すると丁度人形と目が合うようになる。台とのバランスもピッタリ。来場者は始めに焼香ができるようになっているが、自分が造った物を拝むようなマネはできないので遠慮する。 始めの演目では障子に映る陰を使って効果を出すように考えられていた。障子越しの陰など久しぶりに見る。また障子をスクリーンにして『質問』(監督 田中未知)も上映される。寺山記念館で見て以来。寺山出演の中央競馬会のCMも懐かしい。本堂から庭を使って舞踏も演じられたが、一番印象に残る市川正(天舞鑑)が演じている最中にタヌキが後を横切りる。 流れる音楽など良かったが、思っていたより寺山的雰囲気は薄かった。 


10某日4 永井荷風展

来年三月、市川市文化会館での「永井荷風展―証言でつづる荷風が生きた市川−」(仮称)について市川市文化部の方と打ち合わせ。詳細は未定だが、人形と写真の展示、現在の市川を背景に荷風の人形を撮影する事になるかもしれない。 文化会館のある市川市大和田には、昔一年間住んだ事がある。当時は黒人ばかり造っていて、市川市が文化人の多く住んだ場所とは聞いていたが、荷風の家がある事などは知らなかった。むしろ当ページのエッセイにも書いたが、見知らぬ犬に2ヵ月間つきまとわれた事が忘れられない。 荷風は市川市内を転々としたようだが、居候したフランス文学者宅がまだ残っていると聞き驚く。荷風は居候のくせに態度が大きく、あまりのマイペースに追い出された家である。畳の上で七輪使っては追い出されてもしかたがない。間もなく取り壊すようだが、滑り込みセーフで撮影できるだろう。居候中の未発表写真の展示や、映画の上映、川本三郎氏の講演も予定されているようである。


10某日3 冒険

TVでバーチカルリミットという山岳遭難映画をやっていた。封切当時観ているが、最近の映画館の音響の良さも手伝い、高所を好まない人間にとっては実に心臓に悪い映画であった。私には切り立った崖にしがみつく人達の気が知れないが、どうせヨーロッパの貴族あたりが山賊の血が騒いで始めた事であろう。山を怖れた日本人が、ただ山に登るようになるのは例によって明治以降の事だろうが、子供の頃、○○隊登頂成功などというニュースを耳にするたび、私は人類のため大事な調査を行っていると思いこんでいたので、偉い人達だと感心していた。それが登っているだけと知った時は驚いたものだが、私に云わせればまったくの変態行為である。 某有名冒険家が資金調達の為、スーツ姿でしかたなしにという感じで講演活動やパーティーに出席している記事を見て、この人は死ななきゃ収まらないだろうと思ったが、やはり割れ目に落ちて亡くなった。 しかし何がおぞましいと云って、極限状態にあってなお、他人に先を越される事を怖れる冒険家の心理である。


10某日2 第十三回鮎川哲也賞贈呈式 ホテル・エドモント 悠久の間

ウィンドウズのデータを一応マックで確認しておこうと田村写真にいくと、田村氏釣りに出かけ不在。しばらく時間をつぶし会場に出かける。遅れていくと人が溢れ、かなりの盛会のようである。ようやく入ると鮎川未亡人の音頭で乾杯。 早々に著者のSさんとお会いし、ついでに見本をお見せする。可愛らしい二人のお嬢さんをお連れで、私の造った主人公に似ているようで面白い。久しぶりに芦辺拓さんと話し、Tさんにデータを無事届ける。 鮎川哲也賞『千年の黙(しじま) 異本源氏物語』森本明子 第10回創元推理短編賞『インディゴの夜』加藤実秋 『神国崩壊』獅子宮敏彦 第10回創元推理評論賞『業と怒りと哀しみと−結城昌治の作品世界ー』中辻理夫


10某日1 荷風とその時代

江戸時代の夏空を背景に少女と男を造る。条件が色々あり、いつものような撮影はできなかったが、空に関しては秋だというのに夏空が続いて助かった。みんなバラバラに撮影し、デジタルにより合成。ほとんどデザイナーの仕事のようだが、昔の時代劇の映画のポスターを作っているようで面白い。デジタル処理はオイルプリントのネガ制作ではすでにやっていたが、普通の画像では始めて。やった事のない事ばかり続けられたら一番良いのである。 午後、近所の古石場文化センターの講座、永井荷風とその時代〜文学、映画、東京〜の申し込み用紙が届く。某市から荷風人形展示の依頼が来ているようだが今年は荷風に関して何か記念の年なのだろうか?期待の川本三郎氏は『荷風と映画、荷風の映画』というテーマ。この辺りで荷風原作の映画というと、坂東玉三郎監督の『夢の女』がある。洲崎のセットは良くできていた覚えはあるが内容はすっかり忘れている。あの人は映画さえ作らなければと某社内では云われているそうであるが、私もそう思う。