明日できること今日はせず  

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11某日16 中井英夫の7・3分け

私が実在の人物をつくるにあたり、文学アルバムその他に掲載された写真を参考にするわけだが、存外あるのが編集者のミスで写真が裏焼きされている事である。人間の顔は必ずしも左右対象ではなく、鏡に映った友人の顔を見て驚いた事があるが、鏡の中の顔を自分だと思っているのは本人だけで他人は違う顔を見ている。そんなわけで、私は服のポケット、腕時計の位置、着物の合わせ方などで写真の左右を確認する事もある。 自由に変える事ができるので左右はアテにならないが、習慣としてあまり変える事がないのと思われるのが髪の分け方である。私が今のところ見る事のできた写真によると、中井英夫は昭和31〜32年の間だけ右側で分けている。女性と違ってヘアースタイルに心境の変化が現れるものかは判らないが、昭和31〜32年というと『短歌』編集長となり、その尽力により寺山が『われに五月を』でデビューしている。その前年の30年には『虚無への供物』の構想が浮んでいる。 などと空想に耽りながら私は制作に耽るわけである。


11某日15 読書でボケる

マンションの管理人が、給湯器から下の階に水漏れしているようなので調べたいと業者を連れて来た。以前、床を剥がしての工事になったので心配したが、幸いたいした事もなく解決。深夜電力用の大きな給湯器なのだが、「何年か前に新しいのに取り替えたんですけど」というと、すでに十五年経っていると云われ驚く。方向音痴は生まれついてのものだが、時間感覚もイカレテいるらしい。確かに昨日と今日の区別がつかない時さえある。多少ボケが始っているのであろうか。 先日は地下鉄で、乗り換えたのに次の駅で降りてしまい、隣りのホームに行ってから乗り換えていた事に気がついた。どちらに向かっているのか一瞬空白になってしまったが、しかしそれは中井英夫を読んでいたせいであって、子供の頃はもっとひどかった。小遣いで本ばかり買ってしまう私は、一時小遣いがもらえなくなった。親としてはこのまま私に本を読ませていたら危険と判断したのであろう。サド裁判における東京地検のような親心である。中井英夫は中学時代に小説で人を発狂させたいと思ったそうだが、発狂はともかく、遅刻したり熱を出したりはしそうである。


11某日14 田端

中井英夫ゆかりの地を本多正一氏に案内していただくという事で、『悪魔の骨牌』を読みながら田端に向かう。木場から東西線に乗り、茅場町で日比谷線に乗りかえたのに、それを忘れて乗り過ごしたと勘違いして降りてしまった。常々中井英夫は、人がザワザワしている所で読んでも"効果"があると思っていたが、数ページ読んだだけで幻惑されたかこの始末。待ち合わせには間に合い、他にH、T嬢も同行する事に。 生家があったあたりから田端脳病院跡へ。子供の頃、狂人の声に耳をすませたという塀がそのまま残っている。光の具合をみながら中井像を撮影。撮影ポイントとしては、今回のハイライトであろう。撮影を終え、蕎麦屋にて本多氏から生前の様子などを聞きながらビールで咽を潤す。店を出るとガラの悪い警官姿の男達が、路上で男を押えつけていて、拉致して行った。 赤紙仁王から目赤不動と撮影していったあたりで日も暮れてきたので、上野不忍池から繁華街へ出て飲みにいく。結局半分以上、中井英夫で酒を飲んでいた1日であった。 ※大事な待ち合わせの時は車中で中井英夫は止めにする。 これからは鏡花にしよう。


11某日13 一休禅師命日

私がはじめて大人の言葉で感心したのは、小学生の時に読んだ一休禅師の伝記を読んだ時であったかもしれない。その本は大人向けのものであったが、子供の知っている一休さんとはあまりに違うリアルな挿絵が気に入っていた。私は親に本を買ってもらう場合には、できるだけ字の小さい本を選んだ。その方が"お得"な感じがするからである。それはアルコール度数が高い酒を選ぶのと同じ理屈である。もっともどちらも内容が問題であり、薬局でアルコールを購入しても、あまりお得感は得られないのは実証ずみである。 伝記内の言葉はすっかり忘れてしまったが、『門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし』にはいたく感心した。以後、子供ながらアンテナを伸ばし、あまりお目出度くない本を選ぶようになった。それは今でも続いていて、私の制作した作家も目出度い人は一人もいない。 百年後に開封された弟子あての遺言には『なるようになる心配するな』と書かれていたそうだ。それは遺言としては最適な言葉であるが、お前に云われてもなーという人に限って口にするので、私は云わないよう気を付けている。


11某日12 第1回撮影

午前中に京成バラ園に到着。私が午前中に出かける事など年に何回も無いのだが、予報では雨という事なので早めにでかけた。着いて見るとやはり時期が遅く、完全なバラは数えるほどで、ほとんど枯れ始めていた。園内にはほとんど人がいない。曇り空ならかえって幸いと出かけたわけだが、広い園内をブラブラしながらポイントを探すが太陽が出たり引っ込んだりと忙しい。バラの間に潜り込んで地面に腹ばいになって撮影していると、上から妙な声が。見上げるとオバさんのギョッとした顔。綿畑にまぎれた脱走奴隷のような角度で目が合ってしまう。 バラにも色々あるわけだが、先日花屋の前を通り、バラだと見るとバラではなかったという私なので、いかにもという形をしていないとバラには見えない。中井英夫がバラを背景に自然にというより、バラが巨大になる感じで撮ってみた。 


11某日11 中井英夫完成

中井英夫の着彩をしながら、マックとウインドウズのLAN接続の設定を試みるが、ウインドウズが98のせいか、うまくいかない。 1日中そうしていて人形も完成し、森下文化センターの講座、『江戸川乱歩の世界』に向かう。東京創元社の戸川さんと本多正一さんもみえるので人形を持っていく。第3回の今日は山前譲さん『探偵小説の創始者として』。今日から私の乱歩像と写真の展示も始っている。 講座終了後、ロビーにて人形をお披露目。産声を上げたばかりの私の"息子"に皆さん群がり、携帯などで、しばし撮影会となる。『マイッタナァーそんなにウチの英夫君可愛い?』生前の中井英夫をよく知る方々のお墨付きをいただき安心する。近所に移動しビールを飲む事に。人形を前に中井英夫の話しをしていると、そこに現れたのは始めてお会いする『幻想文学』の東雅夫さんであった。あまりに濃いお披露目の日となった。それにしても発表前に、これだけ祝福された我が息子はいない。今後元気に育つ事は間違いないようである。 第一回目の撮影を予定している秋バラが咲いているかどうかが気がかり。


11某日10 本魚

友人と久しぶりに一献かたむけようと買出しに出かけると、北海道産のいわゆる本シシャモを売っていた。シシャモという名で売られている物のほとんどがカペリンという魚らしく、ホンモノのシシャモを食べるのは始めてである。ニセモノに比べ、いくらかピンクがかった色をしている。見た目も違うが、味はワカサギに似て甘味があり、ニセモノとは段違いの美味しさであった。 最近は表示も改善されてきたようだが、日本人の大半は、冷たい海で獲れた魚のほうが油がのって美味しいと思っている事であろう。確かに魚の名前がカタカナで書いてあると、生温い海で獲れた事が連想され、しまりのない大味な魚を想像してしまう。メロより銀ムツの方が美味しそうに感じるのは当然である。私はどちらかというと聞いた事のない食材を見るとムラッとくるタチなのであまり気にしないが、以前スーパーで目にした『お魚』と書いてある切り身はさすがに買う気にはなれなかった。これでは爬虫類でも哺乳類でもありません、という表示でしかない。魚ではなく、お魚というところが笑えたものだが、そんな物を売る根性の魚屋が、名前を付けられなかった魚とはどんな魚なのであろう。私は魚と云わなければ魚に見えない魚を前に、ネーミングに苦慮して立尽く男を想像し、買わなかった事を後悔した。さらに○○を魚と偽って販売した業者を逮捕などという事件を想像すると、さらに後悔してしまう。


11某日9 ケンカと仲裁

水槽内の実力第3位の魚が大きくなり、2位の魚に戦いを挑んだ。そんなとき魚はグッと綺麗になるし、争いも本能ならと、多少の揉め事はやらせておく。5分も続いた頃、1位の魚が仲裁に割って入った。種類の違う魚同士で不思議な光景であるが、そうとしか見えないのである。こんな事は他の魚でもたびたび目撃する。私の見ている限り、止めに入るのは常にメスで、色気や食い気を放っておいて争うのがオスである。生き物がすべてこういう仕組みなら戦争は無くならないように出来ている。 子供の頃、近所にやたら正義感が強く、しょっちゅうケンカしているオジさんがいた。ほとんど口論であったが、たまに掴み合いにもなる。そんな時、仲裁の輪の中には必ず、前掛け姿の乾物屋のオジさんがいた。不思議だったのは、通りを挟んだずっと向こうから、どうやって揉め事を嗅ぎつけてくるのかという事であった。いくらなんでも駆けつけるのが早すぎる。声が聞こえる距離ではないし、道が曲がっていて視界はさえぎられている。「あんたそりゃァスジが通らないぜ」腕組みしながら、もっともらしく云っているのだが、いつも干物の間でよどんでいるオジさんがイキイキとしていた。 サメは何キロも先から血の匂いを嗅ぎつけるというが、嗅ぐためにはサメの鼻先に血の成分が漂ってこなければならないと思うのだが。


11某日8 眼鏡

中井英夫の眼鏡を制作するが、いつもと作り方を変えたら一日かかってしまった。私が人形を造りはじめた頃、持たせるギターは、弦はおろかサウンドホールも無いという物であった。それはそれで当時の人形には合っていたのだが、ちょっと思いついて今までやっていなかった事をすると、それが次回からあたりまえになりの繰返しで、ジワリジワリと変化してきた。結果、小さな眼鏡ごときに、まる一日かけるありさまである。 今日眼がさめて、中井英夫を見るとまだレンズを入れていない眼鏡が微妙に大きく感じる。昨日もなんとなく思わないでもなかったのだが。これはどうも、『彗星との日々』の影響らしい。つまり肝硬変を病んだ中井英夫は、痩せているので愛用の眼鏡が大きく見える。しかし私の造った中井英夫はもう少し元気なのである。 造る時はバランスを計ったりなど一切せず、すべて目見当で造るのだが、ごくたまに見当が外れる。そんな訳で二日目。 同じ事を二回する事が大嫌いな私は、失敗して良かったとムリヤリ思いたいがためにまた改良を加え、夜中の4時に至っても、まだ完成していない。


11某日7 10人達成

眼鏡の制作と着彩を残して中井英夫完成。私にしては異例の早さであった。あまり写真を目にする機会のない、中井英夫に対する私のイメージといえば、どちらかと云えば"日曜日のお父さん"であった。そんな事もあって写真作品にはならないような気がして一度は制作を諦めたのだが、今回は、中井英夫の亡くなるまでの四年間をカメラに収めた、本多正一氏の『彗星との日々』を供えての制作だったので、サンダル履きの作家ではあるが、日曜日のお父さんにはなってはいないはずである。設定としては亡くなる10年くらい前だろうか。予定としてはコクトーの時のように、異なった時代の、例えば黒々とした7・3分け時代の中井英夫も造ってみようかと考えている。 これで唯一の外国作家ジャン・コクトーを含め、私の制作した作家は10人になった。本人が見たらどう思うだろうなどとはカケラも考えないが、亡くなっている人物ばかりなので、モノマネ芸人のように後ろからホンモノが現れて慌てるという心配だけは無い。


11某日6 馬場派の私

マックとウインドウズは今の所モニターは共有しているが、キーボード、マウスは別である。慣れないマック用のキーボードを叩いていて、ウィンドウズに戻るとタッチがずれる。たった30分でも脳が対応しようとするのであろう。 悪戦苦闘中に父から電話がある。十二月の暮れに行われる曙VSボブ・サップについて話す。私は、面白いカードではないかと思う。曙の巨体を支える細い脚を蹴る、捕まえる事のできないような相手より、巨体がまともにぶつかる分面白い。父とはプロレスぐらいしか共通話題がないので、知っている事はみんな話す。 父親と二人暮しの友人に、二人でいったい何を話しているのかと聞いた事があるが、やはり私と同様で、クイズ番組を観ながら話すくらいで話題が無く、結構気を使いあっているようだ。私にしても、父と違ってどちらかというと猪木よりも馬場派なのだが、猪木批判は控えてきた。 電話をしながら隣りの部屋の人形制作用の回転台を見ると、20メートルくらいの所に中井英夫が立っているように見えた。


11某日5 大量殺人

アメリカの大量殺人者"グリーンリバー殺人鬼"に終身刑の判決。48人を毒牙にかけたというから驚きだが、7人しか立件できず、司法取引の末、終身刑となったようだ。 様々な事をアメリカの後追いしている日本だが、昨今、日本で多発する猟奇的事件の類は、一昔前であればアメリカ社会特有のものと思え、肉食ってる連中は違うな、などと云っていたものだ。どうも何を食べているかは関係が無いようである。連続大量殺人も、実はもう日本でも始っていて、単に日本の国土が狭いので途中で露見しているだけなのではないのかと思ったりする。 ちなみに私は死刑にはまったく反対で、日本にも終身刑をと思うのだが、48人くらいになるとエサ以外は光も音も遮断し、自殺防止に壁面をソフトな素材にし、猿ぐつわというのが適当であろう。それにしても司法取引というのも良く解らないが、日本の時効というのもまた不可解である。


11某日4 GB

知人がパソコンを開けて、始めて自分でメモリーを増設したと云っていた。機械音痴には、パソコンの中を開けるというのは勇気がいるものである。私もメモリーぐらいはなんとかしたが、足せば良いという物ではないようで、あまり有効に使われていないようである。ハードディスクも実力不足となり、増設も考えないではなかったが、設定画面を想像すると面倒になり、結局やらずじまいである。しかしウチに来たマックが120GBという事で、よけいな事はしないで済みそうである。 先日、TVでビート・タケシとキアヌ・リーブスが共演した『JM』という近未来映画をやっていた。キアヌ・リーブスは頭にデータを記憶する記憶屋という設定であったが、記憶容量が80GBで、倍加して160GB。依頼された会社の全データをムリヤリ記憶する事になり、それがたったの320GB。未来のわりには物足りない。バブル直前に制作された映画をバブルの最中に観ていて、命を賭けた強奪金や、身代金の低価格に違和感を感じたものだが。 欲望には限りがない。


11某日3 江戸川乱歩の世界 江東区森下文化センター

講座第二回目の講師は『乱歩と東京』(PARCO出版)の松山巌さん。同潤会アパート建設に至る経緯から、初期コンクリート建築の話。乱歩と東京を執筆当時に起きた少年犯罪と、『陰獣』で起こる事件の地理的類似性について。乱歩の小説の舞台が、初めは浅草近辺から、都市の拡大に応じて広がっていく様子を中心に語られた。同潤会清砂通りアパート内を撮影した写真のコピーを観たが、坊主頭の子供達が、蜘蛛の子のようにうじゃうじゃと風化したコンクリートに張りついている。浅沼稲次郎も笑っていた。 終了後、乱歩のお孫さんの平井憲太郎さんとお会いしたが、背が高く、御長男の隆太郎さんより乱歩に似ている。特に鼻筋が。乱歩の研究家は色々な方がいるが、乱歩の顔を、私ほど造形的に観察した人はいないだろうから確かである。帰り際、東京創元社の戸川さんに制作中の中井英夫の首を見てもらう。参考にする写真が少ないのと、妙にすぐできてしまったので多少不安があったが、中井英夫と間近に会われた戸川さんにお墨付きをいただいたので、さっそく制作し、秋バラが咲いている間に撮影してみたい。


11某日2 焼きホヤ

会社にマックのG5が入り、G4があまるという事でTさんマックG4を持って来宅。有り難く使わせて頂く事に。さっそく設定などお願いする。これで画像はすべてマックになる。デジタルなど野暮なものだと思っていて(それは今でも変わっていないが)デジタル画像を扱うつもりはさらさらなかったので、使っている人が多いという理由でウィンドウズでパソコンを始めた。私を知っている友人は、パソコンの前に何時間でも座っている私の変わり様を笑うが、私の柔軟さはパンツのゴムの如し。変わってならない事は他にいくらでもある。 木場のヨーカドーへ行くと、昨日蚊に刺されたのにクリスマスのディスプレイ。先日会った岩手のE君が、ホヤを焼いて食べると美味しいと云っていたのを思い出す。宮城産のホヤを売っていたので試しに炭火で焼いてみると、コクが出て大変美味であり、ホヤ酢など食べる気がしなくなった。水分のあるガスの火ではこうはいかない。Tさんを送って外へ出ると、ギンナンが落ちていて売るほど拾う。


11某日1 ワールドカップバレー

日本女子、初戦でアルゼンチンに3×0でストレート勝ち。日本開催なので初戦は勝たねばならない。なんとか3位以内に入り、オリンピックの出場権を獲得してほしい。 それにしても選手は美しくなったものである。東京オリンピックのソ連選手など、子供の私には馬にしか見えなかった。それ以前に、果たして女子だったか疑わしい選手も、バレーに限らずいたものである。ソ連、東欧の選手に多かったが、日本では、後に自殺したハードルの依田郁子など実に男らしかった。その迫力たるや、現在のプロレスの神取しのぶなどの比ではない。いずれにせよ美という言葉をもって語られるのは、せいぜい体操に限られていた。バレーボール選手で美しかったといえば、80年代の終わりに活躍した、速攻も素晴らしい中国の李月明が記憶に残る。