明日できること今日はせず  

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12某日18 忘年会

毎年恒例の4人の忘年会。残念ながらKは欠席。Hが新しい水槽を立ち上げ、魚も増やしたので見に来いというので、彼の仕事場に集まり今年は高田馬場で。 Hの親類の元H大学の地質学教授が山に入ったきり行方知れずに。バイクなどが残されていたが、山狩りでも発見されず。不思議な事があるものである。石の話しかしない老人だったそうだ。Mさんは一年で髪が白くなっていた。最近は大きな仕事をするとこうなるという。10代で知り合った連中との馬鹿話はあいかわらず楽しい。 帰りにHの会社に戻り、先日ペアができて余ったトラシックゴールドのオスをもらって帰る。私が飼っている魚はほとんどメスなのである。魚の世界では一生を添い遂げるという奇習がないせいかメスが多いのかもしれない。水槽に入れると、女子高にハンサムな男性教師が赴任してきた如し。いっせいに体色が変わる。その中でさっそく『この先生は私のモノ』という女子がいたのでセパレーターで2匹だけにする。このまま上手くいってくれれば来年の春は楽しみである。


12某日17 黒鳥

戦後すぐ1946年に、上野動物園で哀しみのきわみに黒い鳥になったようにうなだれる黒鳥を見て、自分の生きて来た意味が黒鳥の姿にこめられている気がしたという中井英夫の黒鳥のイメージ。どうもどこかで鳥を撮影してという気にならず。Sから受け取った、そこらでプリントしたサービスサイズのプリントをスキャニング。肝腎の翼のディテールが飛んでしまっている。デジタルといえど、情報が含まれていないものはどうしようもないのだが、偶然撮影した、たまたまボトッと落ちていた両翼。どこかで黒鳥を撮影してくるより、中井英夫にはこの方が似合うはずである。 モニターに映し出される胴体からちぎりとられ血が滲んだ鳥の翼。暮れも押し迫って、他にやる事はあるだろうにとは思うが、そう思えば思うほど熱中してしまう私なのであった。


12某日16 水槽に目薬

先日パソコンの事でもお世話になったミュージシャンのTさんに拝借する物あり、高円寺へ。本やビデオがうずたかく積まれた部屋にお邪魔する。見たいものがあり、その場所も判っているのに取り出せない状態。まさにストッカーだが、物を積むか積まないかが分かれ道である。 Tさん愛用の煙管で一服させてもらいながら、製造から80年経つという愛器のウッドベース"節子"を弾かせてもらう。(弾じいただけだが)実に深みのある音がする。私は三味線と並んでやってみたい楽器なのである。昔、人形用にこの楽器を造ったが、こりごり。ちょっとランニングベースを弾いてもらうと、普段はすでに枯れた御隠居ムード滲ませたTさんが、いきなりリズミカルに颯爽と。この辺りが人形作家と違う所である。 帰宅するとHから電話。3日前にトラシックゴールドを買ったら、さっそく家のフラワーホーンとペアになり産卵したという。ウチの魚はサッパリなのにHの家では産卵ラッシュである。思わず「水槽に目薬でも入れてるのかー?」


12某日15 今頃銀杏剥き

昼近くに目が覚め、食事もそこそこにパソコンの前でデジタル画像と挌闘。私は子供の頃、チャンネルに手が届く距離でTVを観ては、目に悪いから離れろと云われたものだが、モニターを1日中見つめていても、あまり目が疲れない体質のようである。そんなわけで長時間向かってしまうのだが、今年獲り過ぎた銀杏が気になる。水に浸けておいた銀杏が発酵し、妙な匂いが漂い始めているのだ。年を越すわけにもいかないと、皮をむいて中身を取り出す事にした。昨年、素手でやってアクのため手の皮が一枚剥けてしまったのでゴム手袋を使用。調子にのって拾いすぎたと後悔する。落ちている食物を拾うというのは、なかなか燃えるものだが、縄文の血が騒いだと云う事にしておく。 拾うというよりホジクルのだが、潮干がりも縄文人でなくとも夢中になるものである。東京の人間はヒとシの区別がつかないといわれる。それは昔の話しだが、潮干がりは"ヒオシガリ"の方が潮干がりに聞こえる。 銀杏剥きは一時間以上かかってしまう。夕食は鍋一杯いただいたタイカレー。数日は幸せが続く。


12某日14 元八まん

午後Rが毛蟹をもって遊びにくる。江東図書館に行くつもりだったので一緒に南砂町まで行くことにする。江東区の図書館では中井英夫は見た憶えがないと思ったら、ここにも無かった。 このあたりに荷風が偶然、荒れ果てた風景の中で見つけた富賀岡八幡宮、通称元八まんがあったはずと駅前の看板をみると、ごく近くであったので行って見ることに。深川の富岡八幡宮が昔ここにあったので元八まんといわれ、広重の名所江戸百景にも描かれている。 荷風が訪れた昭和七年当時は『額堂及神樂殿の如きものあれどいづれも荒れ果てたる儘にて、境内の老松は皆枯死し、池のほとりには大なる石あまた倒れたり』という無人の惨憺たる状態だったようだが、その昔、文人達に親しまれた由緒ある場所を、偶然見つけた荷風は大喜びしている。昭和七年といえば、先日観た小津安二郎の『生まれてはみたけれど』の撮られた年である。 現在の社殿はコンクリート造りで、保育園もあり、大分様変わりをしているようだが、荷風が書き写したという芭蕉の碑が残っていた。出掛けるのが遅かったのであたりも暗くなり、この碑を見ただけでよしとして、後日あらためて訪れる事にする。帰宅し、Rと毛蟹をたいらげる。


12某日13 黒鳥の翼飛んでいく

イベント企画をしているSが、担当しているショーを観にこないかというので、鳥の翼のネガを持ってきてくれとメールをし、大崎まででかける。するとあれだけ大事にせよと云っておいたのに、現場に置き忘れ無くしたという。Sは仕事を通じて知り合い、友人として付合いの続いている唯一の男だが、こちらはショックをうけているのに、不知火検校のようなツラでサービスサイズのプリントは残っていると涼しい顔。他人のカメラなど使うなという教訓を得る。中井英夫を造っていると、この程度の事は起きてもしかたがないのであろう。ショーの手伝いに来ていた従弟のPとSと大井町まで行き、永楽でラーメンを食べ、神楽坂に行き竹兆にて飲む。


12某日12 黒鳥の翼

夕方、残り少なくなってきたので炭を買いに行く。正月は例年通りぐうたら過ごすつもりなのだが、火鉢の火を絶やさず、餅を焼いたり、鉄瓶で湯を沸かさないといけない。お銚子を突っ込んでおいてシミジミ飲ろうと思ったりもするが、結局一人ピッチが早くなり、燗が間に合わず面倒になるのは目に見えている。 世間が休んでいる時は制作もはかどる。中井英夫もそろそろ始めなければならないので、案外造りっぱなしで終わるかもしれない。私の場合人形ができても、まだ半分なのである。 黒鳥のイメージはどういう形にしろ登場させたいと思っている。今年の夏、友人のSと横浜の町を歩いていると、舗道に鳥の翼が落ちていた。羽根ではなく、翼である。それは根本からちぎれていて、切り口には血がにじんでいた。Sのカメラを借り何カットか撮影した。あれは使えないものだろうか。  色々なところで発砲を繰返していた連中が捕まった。刀剣愛好会の人間だという。クラシックカメラマニアが、いざモデル撮影会ではデジタルカメラを使うような感じである。


12某日11 年賀状今年もまだ

先日、狭い穴にハナクソがつまっている所をほじくり出されたが、逆にメクソが逃亡しなければならない場合、日本で郵便局員として年賀状でも配達していたら誰も気がつかないであろう。あの制服は間違いなく似合う。その際、配達地域は東京の下町はなるだけ避けるが良い。子供に見つかり「おじさん御菓子食って気絶したろ」教室でオシッコもらしたように云われてしまう。 オイルプリントも来年はトランスファー(転写)中心にやっていこうと思っているので、版になる用紙を決めなければならないが、その前にゼラチンの塗布を、もう少し要領よくできないものかとゼラチンを流すための枠を造ってみた。ゼラチン紙は寒い中、造らなければならないので風邪もそろそろ治ってくれないと困る。 Eがレコードと一緒に持ってきたビデオ『他人の顔』監督・勅使河原 宏、出演・仲代達矢・京マチ子・平 幹二郎 『やくざ残酷秘録 片腕切断』東映 企画・安藤昇を観る。残酷秘録は安藤の人脈がうかがえるドキュメント。なぜかタイトルにしているのに片腕切断はやらせだが、指詰めシーンはホンモノ。詰められる男は顔をそむけはするが、劇映画と違って痛がりもせず平然としていた。


12某日10 

実家に帰ったついでに、一年会っていない小学一年からの友人Eに連絡すると、家では聞けないからとレコードを持ってきた。『岡林信康コンサート』(URC)岡林信康フォークアルバム第1集(URC)『わたしを断罪せよ』岡林信康(URC)『岡林信康ベストコレクション』(URC)『終わり・はじまる』中川五郎(URC)『教訓』加川良(URC)『青春の詩』吉田拓郎(エレックレコード)『第4回フォークキャンプコンサート』京都円山公園(URC)『春一番コンサートライブ'72』(キングレコード) いまどき眩暈がしそうなレコードばかりだが、『わたしを断罪せよ』は、中学時代に私と交換したレコードだそうだ。銀座の並木座で、Eと始めて観た小津安二郎は『東京物語』だったが、最後までイラつきながら観ていたと思っていたが、二人とも我慢できずに途中で出てきたそうである。当時、狭い下町で育った高校一年生としてはウンザリしたのも無理はない。近所に青線の建物が残っているというので見に行く。 夜、現在ポンピドーセンターで開催中のジャン・コクトー展を観て来たFさんと小岩で会い、話しを聞く。日本でも数年後には大コクトー展が行われる可能性も?


12某日9 『生まれてはみたけれど』32'小津安二郎 松竹蒲田

私が高校一年で小津映画を観た時、せまい所で気を使いあっているような世界に、イライラしたものである。ああいった世界を一番毛嫌いする年頃だったのであろう。以後『秋刀魚の味』『秋日和』その他面白くはあったが、一番面白く感じたのが、子供がユーモラスに描かれている『お早よう』59'であった。カラーも印象的で、娘の結婚問題よりよっぽど面白い。しかし戦前の無声映画『生まれてはみたけれど』を観ると、さらに面白かった。空間が広々としている事を除けば私の子供時代そのままの風景である。郊外という事であるが大田区あたりらしい。 出世を望み、麻布から上司宅の近所へ引っ越してきたサラリーマン一家。小学生の兄弟が地元の子供達とケンカをする所などリアルで笑わずにはいられない。上司宅で催された活動映写会の画面のなかで、偉いと思っていた父が上司に媚びる姿をみてショックを受ける兄弟。「父チャンなんか偉くない!」子供に日頃偉い人になれといっている男は、息子達を納得させる説明ができず手をあげてしまう。酒を飲まずにいられない。 兄弟は、昔サラリーマンの子供であった私が、人間に上下は無いという先生に、乞○と○皇○下殺したら、どっちが罪が重いかと質問したのと同じ年頃であろう。親子もなんとか一山超え、ラストの子供同士仲直りの場面も楽しい。私にとって小津映画ベスト1としよう。


12某日8 江戸川乱歩リファレンスブック3

中井英夫没後十年『虚無への供物』展に向かう。光文社が二ヶ所にあるとは知らなかったので護国寺で降り、本社の方に行ってしまう。さいわい警備の方が地図をプリントアウトしてくれ無事到着。 会場で本日の『江戸川乱歩著書目録』完成記念宴会の主役、中相作さんとお会いする。展示は取材ノート、アドニス版虚無への供物(表紙はコクトーのイラスト)出版記念会の芳名録(澁澤、寺山の名前が見える)その他、流薔園の表札、愛用品など。始めて見る写真も数点。その後、待ち合わせの芳林堂書店池袋店へ。名張市立図書館制作の江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』完成記念のお祝い。後世の乱歩研究家にとっても必携の書になる事であろう。乱歩や中井英夫の話などで楽しく過ごす。帰りに地下鉄に乗ると池袋コミュニティーカレッジのSさん。オイルプリントワークショップの材料費をはやく決めないといけない。終了後プリントを続けない人もいるだろうから、後で邪魔になるような物はこちらで用意し、共有できるものは共有して、できるだけ材料費がかからないようにしたいところ。


12某日7 志らくのピンPart2 第4回 元木政彦プロデュ−ス 国立劇場演芸場

Tさんが、わざわざ高田延彦の新日本プロレス入門から引退までを描いた『泣き虫』金子達仁著(幻冬社)持ってきてくれる。なかなかプロレスラーが描けている本である。こういったプロレス本を読むたび、相撲協会は良くできている団体だと思う。 立川志らく。前回に続き蕃茄山人氏に誘っていただく。会場には嵐山光三郎氏の姿。シャケ皮のジャケットはまだ持っているのだろうか。 咳が止まらなかったらと端の席につく。『2003年志らくの10大ニュース』毎日新聞社会部、週間現代、テレビレポーターの三人の女性とのトーク。面白いのでもっと長く聞いていたいところ。『目黒のさんま』に続いて今回のシネマ落語はウォーターゲート事件を扱った『大統領の陰謀』間違いなく観ているが全く憶えていない映画である。二人の新聞記者が瓦版屋に。今年の世界のテーマが大統領という事で決まったそうだが、本人が江戸時代に置き換えられるかってんだ!と云うように相当無理な噺だが笑わせてくれた。今回の目玉は『芝浜』であった。確かに師匠の芝浜よりカミさんが可愛く見える。 会場から出ると横を石川セリが。最近ウチに来る客は必ず荒木一郎と石川セリのアナログ盤を聞かされる事になっている。


12某日6 荷風を読む

熱はないが咽が痛い。布団にくるまり荷風を読む。子供の頃、だれも見ていないところで一人想った"事"は何処へ行ってしまうんだろうと思ったものだが、荷風の『断腸亭日乗』の文語体には見事に記録されている。女性ファンの少ない荷風だが、寂莫たる風景を愛した"滅び"に対する愛着というのは、どちらかというと男性の得意分野であろう。荒川放水路あたりで遠くを見つめる老人は一幅の画になるかもしれないが、老婆だったらタダ心配である。 荷風の探墓趣味も一人シミジミとしたものだが、大正13年に私の親戚の牛込の寺を訪れた事を知ったので、従弟の副住職に最近買ったというデジカメで、その墓が残っているのなら画像を送ってくれるようメールした。私が風邪ひきの寝床で荷風を読む事じたい、寂寥感をヌクヌクと安全に味わおうという企みなのであろう。


12某日5 市川

市川市の文化部の方と、先日撮影の荷風写真のベタ焼きを見ながら打ち合わせ。今回の撮影場所は、市川市民には一目瞭然の場所ばかりだそうだが、私は住んだ事があるにもかかわらず一ヶ所も知らなかった。今は知らないが、当時井上ひさしが住んでいると聞いた憶えがある。荷風展では井上ひさし、川本三郎両氏の講演が予定されているが、井上氏は荷風が好きで市川に住む事にしたそうだ。また川本氏が始めて市川を訪れたのは井上氏の原稿を取りに来た時という事である。 今日は風邪気味なので早く寝る事にする。


12某日4 ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション

散歩がてら浜口陽三の個人美術館『ミュゼ浜口陽三』に向かう。永代通りのTラーメンに寄り腹ごしらえ。アロワナがさらに巨大になっている。鯉のプロでもある御主人によると鯉のエサは1日に少しずつ15回は与えるという。あいかわらず、魚を大きく育てて客を驚かすのが楽しみな御主人なのであった。 塗装工事中の永代橋を渡って水天宮近くのビルの谷間に入ると、例によって方角が解らなくなるが、なんとかたどり着く。 私は人物を描かない作家はあまり好まないが、浜口陽三のメゾチントの雰囲気は好きなのである。開館5周年という事で、写真資料から本人使用のベルソーなどの道具、初期から晩年の代表作がならんでいる。以前から興味があったのだが、会場に流れるVTRや展示物を見てメゾチントの仕組みが良く解った。今回の目的である浜口陽三が世界で始めて開発したカラー・メゾチントの銅版を見られたのも良かった。やはり4色使っていた。チケットにも『黒い版画に色をつけたのは、誰。』 多いに収穫があり、カラー・オイルプリント制作の参考になった。他に入場者も無く、お茶を飲んでゆっくり見学できた。これから度々訪れる事になるだろう。帰るとポストにIさんから江刺リンゴのお裾分け。


12某日3 LAN接続

田村写真に荷風写真の現像済みのフィルム、ベタ焼きを取りに行く。限られた時間であったぶん集中力が高まったか良い出来で、選ぶのに苦労しそうである。時間の使い方がまったく下手な私だが、撮影となると日没を計算に入れたかのようにピタリと収まるから不思議である。 荷風は町中で撮影すればだいたいハマってくれるのだが、町を歩く荷風のイメージがあるからという訳ではなく、私に寄るな構うな話しかけるなという表情のせいである。周囲とは無関係な顔をしているので風景も選ばないのであろう。 田村写真にいっている間に、Tさんに先日のマックとウインドウズの接続の続きを始めてもらっていた。結局私のパソコンからモジュールというものが無くなっていたそうで、入れてもらったら無事開通した。理由は解らないが、いつのまにか削除されていたらしい。パソコンを始めた頃いろいろイタズラしたせいかもしれない。


12某日2 かたいものこれから書きます年の暮れ(荷風)

荷風像を市川市内で撮影するため、午前10時半に市川駅にて市川市文化部の方と待ち合わせる。9ヵ所撮影しなければならないので、さっそく荷風が戦後居候したフランス文学者、小西茂也宅に向かう。居候の風上にもおけない振るまいにより追い出された家で、井戸端での自炊の様子も有名である。小津映画にでてくるような閑静な御屋敷であり、木戸をくぐりながら条件反射で「ボール取らしてくださーい」と言いたくなった。近々敷地内で移築するそうで、荷風が眺めた庭はもうなくなってしまう。小西茂也は荷風の居候の様子を皮肉まじりに書いているが、云い足りなかったらしく、荷風が死んだら書いてやるといいながら荷風より先に亡くなってしまった。来年の市川の文化人展『永井荷風』―荷風が生きた市川−には小西家に残る、荷風が縁側で子供を膝に抱いている写真が初公開されるようだが、こんな微笑ましい様子も長くは続かなかったわけだ。荷風の膝に抱かれていた方にご案内いただいた。 荷風がかよった大国家でカツ丼を食べたりしながら、荷風ゆかりの場所を撮影して回った。現在の市川に荷風が帰って来たならばという撮影なので、背景には市川の今が写っている事も考える。 9ヵ所の中には荷風の亡くなった家も入っている。現在お住まいの永井永光さんには以前お会いしていたが、門前の撮影のはずが荷風の亡くなった部屋を見せて頂き、室内の撮影も許可していただいた。文化勲章受賞のインタビュー映像に出てくるし、遺体の現場写真も公開された大国家のカツ丼を吐いて亡くなったという六畳間である。感慨も深い。 最後に市川駅を背景に撮影し、ハードな1日は終わった。私の国定忠治撮法は腕力がすべてだが、最後は腕も上がらず。


12某日1 今日1日

市川市の永井荷風ゆかりの場所での撮影にそなえ、荷風像の色を塗りなおしたり細かい所を修整する。今回は買い物カゴとコート姿の両方を持っていく予定。 あいかわらずウィンドウズとマックのLAN接続がうまくいかない。接続用ソフトをインストールしているので簡単なはずなのだが。そこで友人のミュージシャンでプログラマーでもあるTさんにお願いする事に。 最近作ったという名刺には『パソコンで困ったら!』とある。以前友人が、電話ボックスにあったと持ってきて私のコレクションとなった『怨みはらします』の名刺に似ている。(この男は後に婦女暴行で捕まった) 私が荷風に着彩していると、パソコンの前で独り言をいったり唸ったりしながら作業するTさん。家でも一人この調子らしい。結局、ウィンドウズのある個所に問題がある事が解ったが解決には至らず、後日再挑戦していただく事に。実に頼もしい事である。これであと弁護士と警察関係の友人がいれば云う事がない。