明日できること今日はせず  

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4・某日16 
マイダーリンの浅草ニコニコ大会 東洋館

お目当てのパーラー吉松登場と同時に私は後の席へ。前にいると「あ〜んばいえ〜べかや〜」の掛け声をやらされる恐れがあるからだ。客席は年寄りばかりなのに、かまわずアブドラ・ザ・ブッチャーのエルボードロップ、初代タイガーマスクのローリング・ソバットなどの形態模写。その他、若貴兄弟、輪島、北の海、水戸泉など。なんとも人柄が伝わってくる。そしてお待ちかねの至芸『男の人生』。これを観に来たのである。「あ〜んばい〜」の掛け声は、もう8回もやらされている友人のTさんが。慣れたものであった。以前観た時より展開が速いのが多少不満であったが、やはり可笑しい男の人生。 その後、スケジュールに無かった前田燐が急遽出演で喜ぶ。元気そうで何より。『親亀の背中に〜』も相変わらず。時間の関係で『赤上げて』の旗はやらなかったが、観られただけで満足。その他立川談幸、だるま食堂が良かったが、トリの笹八平と真木淳がなんといっても伝統的な東京調、警官と酔っ払いコントで笑えた。こういう間はTVに出てくる若手芸人には望むべくもない。 東洋館を出て、明るいうちから飲み始め、先客がいた事がないバーへ。ノーマン・グランツの10インチ盤などを聞かせてもらい良い気持ちになる。しかし最後は店主の心臓病顛末記を聞かされるハメに。 この店に7回は訪れていると思うが、先客どころか他の客と遭遇したのは1人だけである。


4・某日15 お洒落

来月、某グラフ誌のインタビューを受ける事に。テーマがお洒落についてだという。もっともそれは20%程度で後は作品の事などで良いというので安心する。 お洒落などとは無縁な私だが、それには育った環境が影響している。私が子供の頃、昭和3、40年代の下町では『スカしている』と云われるのは大変な恥辱であり、そんな事を云われたら、いかにスカしていないかで戦わなければならない。何事においても、自分を良く見せようという根性が馬鹿にされる気風があった。私の場合はそんな事が過剰に尾を引いてしまって、高校卒業まで母が買ってくる服を青色系なら文句も云わずに着ていたし、二十頃など、何処へ行くのもサンダルか安全靴。床屋も大嫌いであった。 もっとも床屋には理由があり、ヒゲ剃りのあいだ顔にかけられた布越しに、鼻息がかかる距離にオヤジの顔があると思うと、笑いをこらえるのが苦痛なのであった。それは中学生になり、「ヒゲはいいです」と云えばいい事を発見するまで苦しみ続けた。 結局、髪は自分で切ってるし、服を買うのも面倒だし、眼鏡屋で鏡を見ながら眼鏡を選ぶのさえ気恥ずかしい私なのであった。


4・某日14 連休前日

最近この雑記が、熱帯魚飼育日記の様相を呈している。だいたい一日中家にこもっている事の多い私の日常に、たいした事の起こりようがなく、しょうがないので起ったとも云えないような、爪の先程の事をダラダラと書きつづけているわけである。 昔下町には、どんよりと薄暗い裸電球の下で、老夫婦が油にまみれてガッチャン々やっている小さな工場が沢山あったものだ。カン蹴りなどをして迷い込んだ路地裏で、半開きの戸から覗いた老夫婦の背中は、汗をイッパイかいて走りまわっている子供からすれば非常に寂しく悲しく見えたものである。 ところが気がつくと、いつのまにか蛍光灯嫌いの私も100Wの電球の下でアグラをかいて粉にまみれ、どんよりとしているではないか。あの頃の私が、これがお前の将来の姿だと、ニジンスキーの太腿にピンク色を塗っているところを見せられたら、悲しすぎて号泣してしまう事であろう。「ボク、泣くなよ。オジさんは見た目がどんよりしてるだけだよ。作ったモンはそうでもないだろ?」  今日も特に何もない一日であった。


4・某日13 田宮二郎な日

肛門周辺から妙な物をぶら下げたトラシックゴールド。約6センチの幼魚である。ネットですくって観察すると、腹部が裂けたようになり、他の臓器までハミ出し始めて痛々しい。このままだとさらに内臓が飛び出し、無事に済むとは思えない。外科的処置を施すことに。 縫い合わせる事も考えたが、どんな糸を使えば良いのか?抜糸の事を考えるとゾッとするし、第一、私は小・中学校通じて家庭科が2であり、裁縫は大の苦手なのである。そこで瞬間接着剤を使う事にする。これはもともと外科手術用に開発された物だと、聞いたような聞いていないような。 まずハミ出した物を指先で少しずつ押しこむと、なんとか納まった。しかし傷口を塞ごうと両サイドを寄せると、その圧力でまたハミ出してくる。頭の中では友人Eが長いこと患う脱肛の話を思い出していた。 結局完全に接着出来ず、多少ハミ出したままだが色々な事が起きたので水槽の中へ。私は人形など造っているが、決して器用ではない。家庭科もひどかったが、プラモデルなども好きなわりに下手であった。原因はしっかり接着しようと接着剤を使いすぎ、接着剤が着いた手で他を触るのでマズイ事になるという訳なのだ…。


4・某日12 曇天

晴れれば撮影のはずだったが延期。装丁用、家族3人の後姿。この様子だと来週になりそうである。昨日編集者から著者の人形のデジカメ画像を観ての感想を聞いた。それは父親の肩と母親の尻についてものであったが、作家というものさすがである。私が多少考えたのが、その二点だったからだ。四十を前にしたサラリーマンの肩の雰囲気と、子供をさりげなくツルッと産んだ感じの母親の尻。実に微妙。 近所の文房具屋へB6の鉛筆を買いに行く。ついでに古書店を覗くと集英社の文学全集が一冊200円で並んでいる。中から正宗白鳥、宇野浩二、里見惇・久保田万太郎を購入。読みもせず売り払ったくせに生意気にも蔵書印。帰宅すると『女経』村松梢風 昭和33年中央公論社 装幀・カット棟方志功 と寺山修司 現代詩手帳83年臨時増刊 オークション落札メール。二冊で1010円。 先日購入したトラシックゴールド。肛門あたりから謎の鼻チョウチンのような物が出ている。魚にも脱腸があるのか?


4・某日11 来日ブルースマン全記録 1971−2002(ブルースインターアクションズ)

目黒ブルース・アレイ・ジャパンにて発売記念イベント 始めて生で黒人のブルースを観たのは第3回ブルースフェスティバル(75')日比谷野外音楽堂であった。目当てはオーティス・ラッシュ。バックのジミー・ドーキンスバンドのリズムが妙だなと思いながらも大感激したものである。ブルースにハマッたのは高校生の頃だが、当時は情報が無く、書店ではブルースという文字に異常に反応したが、大体うしろに『リー』が付いていた。 ブルースという音楽、残念ながら巨匠と巨匠でない人との差が大きく、巨匠はみんな死んでしまった。マディ・ウォータースなど観ておいて良かったと思うが、ステージに飛付き、なんとかマディーの爪先に触ろうとした事も懐かしい、そして私も若かった。 しかし黒人ブルースに出会ったおかげで、その後 黒人の人形を永く造る事になってしまったのだから、人生においての出会いにはくれぐれも気を付けなければならない。 妹尾みえさんの司会で菅原光博さんのスライドショーのあと、永井ホトケ隆、吾妻光良、小出斉、高地明各氏によるトークショー。30年にわたる来日ブルースマンのエピソードを聞いた後、永井ホトケ隆、小出斉、牧裕、岡地曙裕、早崎詩生、吾妻光良というメンバーでライブ。吾妻氏は赤いファイアーバードを持って登場。DMを見て私の2回目の個展に来ていただいた事があるが、メンバーと人形のサイズが実物大か30cmかなどと金を懸けていたのを思い出す。吾妻氏も私も共に20代であった。ウエストロードブルースバンドも30周年とか。


4.某日10 初夏のような一日

明日PDフィッシュセンターに行こうとHから電話。お互い次々に熱帯魚が死んで少々寂しい。待ち合わせは朝の9時にしてくれという。会社を休みにして、出勤する顔をして家を出るらしい。その辺はよろしく。了解。皆まで云うなという事で。 3時に木場でS社の編集者Oさんと喫茶店で、ほぼ完成した人形を見ながら装丁の打ち合わせ。作家の方に見せたいというので、デジカメで撮影しようとするが操作方が解からないという。私もいまでこそデジタルだなんだと云っているが、本来が機械音痴なので解からず。Oさんダメモトで店の人に聞くと、親切にも詳しいという女の子を呼んでくれて解決。 外で人形を撮影し、ついでにロケハン。今回は、背景に実物の女子中学生あたりを配してみたい。寺山修司の撮影の時など、そう思う事度々であったが、人形とカメラををぶら下げている私がハタからどう見えているか、恐ろしいほど想像がつくので声をかけた事はない。しかし今回は編集者が女性なので、一つ適当な女の子をかどわかして来てもらいたいものである。 夕方、田村写真に長見順さんのCDジャケット用プリントを取りに行く。実にディープな出来。


4・某日9 魚殖える?

魚の様子が変である。産卵でもしようというのだろうか。 私は子供の頃、グッピーを一回殖やしただけで、あとは今にも生みそうな魚を買ってきては失敗を繰返していた。最近も、あまり好きな種類ではなかったのだが、ショップで殖やすのは簡単だという魚をぺアで買ってきて、メスがすぐ死んだ。 熱帯魚の飼育はなんとか続いているが、私はもともと育てたり殖やしたりには向いていないようである。これは魚に限った事ではなく、植物でも同じである。以前、私でも大丈夫と友人に教わり、カポックとかいう鉢植えを買ってきた。云われたとおり世話をしたはずだが、みるみる枯れ、次にこれなら面倒がないとサボテンもやってみたが、それも間もなく。ある時は岡山の友人の家の庭に、どういうわけか花束に混じっていたらしい真っ赤な○○が咲いていた。○○が来て慌てて抜いていったそうだが、生命力が強く、いくら抜いても生えて来るという。そんなに丈夫なら話のタネにと、一株もらってきたが数日で枯れた。その他、どんな種でもせいぜいモヤシ程度。 魚に関しても期待しない事にする。


4・某日8 魚増える

午後、Hが邪魔になった熱帯魚を持ってくる。小さい魚ばかりなので、ウチの水槽でいつまで無事でいられるか。彼の魚をいたぶってきたエンゼルフィッシュ。かなりてこずったようで、ウチの魚に虐められるのを期待していたようだが何も起こらず。魚が一番気にするのは自分に似ている魚である。形が違いすぎて無事なのかもしれない。 夕方、門前仲町でIさんと待ち合わせ、看板娘を目当てに友人知人が訪れる居酒屋へ。看板娘の姿は無く、壁に貼られた子供を抱く写真に盛り下がるIさん。 Iさんの一人娘、看護学校に通っているのは聞いていたが、キャバクラ譲に転向したそうである。反対はしなかったそうで、娘に対しての客観的な態度、昔から一貫していて感心する。寺山修司で家出した事のあるIさんとは寺山の話で盛りあがる。 帰宅するとフラワーホーンの口がささくれ立ち、半開きのままで餌を食べない。Hにサービスでフラワーホーンの決闘ショーを披露したのがいけなかった。


4・某日7 魚減る

ここ数日、魚がクーデターのあおりを食い次々と死んでいる。過密にすればイジメの対象が絞られず、混泳も可能という事だったのだが、魚によって極端に成長のスピードが違い、結局大きく強いものが生き残るという、当たり前の結果になろうとしている。1番大きいのが20cmのフラワーホーン2匹。ショップでは同じ水槽にいたので、元々兄弟同士だと思うのだが、仲が悪いのでセパレーターというプラスチック板で分けている。それでもセパレーター越しに飽きもせず突っつき合っている。 フラワーホーンを雑誌などで見ると、赤色や、ブルースポットが美しい魚だが、我家のフラワーホーンは、どちらかというと腋の下に赤いアザがあるヘラブナの如しであった。しかし魚というものは戦闘時と発情時が一番美しく、おかげで体色が鮮やかな山吹色に変わってきた。金色と云いたい所だが、それは飼い主の贔屓目というものであろう。しかし断じて黄土色ではなくヤマブキ色である。


4・某日6 乾燥中

S社の装丁用人形、乾燥に入る。撮影も私がするので必要の無いところは造っていない。必要がないから造らないのだが、撮影では人形と背景の距離、角度、光線の具合、使用レンズの画角などを考慮して実在感を演出する。それには色々な条件を瞬時に把握しなければならないので、よけいな選択肢は排除しておきたい。造っていなければ、その部分を撮るかどうかで迷う事はないわけである。 そして、たまたまそこにいた人物が、たまたまカメラを持っていて撮影したという雰囲気に撮れれば一番良い。 使用するレンズは性能の悪い中古レンズ。たまたまそこにいた人が高性能のレンズを持っている事は少ないからだ。というのは冗談だが、所詮作り物の人形を生きているように撮影するのに、あまり性能が良いと、所詮ばかりが強調されてしまうのである。撮影者はとりあえず、被写体の出自、成分を把握していれば良い。


4・某日5 花見

午前中に徳島よりエッチングプレス機到着。30年前の木枠に入ったままのデッドストック。設置場所は決めているが先客が居座っているので、しばらくこのまま玄関で熟成させる事に。 だいぶ散ってしまったが、なんとか今年も花見をと、5時過ぎにSとO君と荻窪で待ち合わせる。いつもは浅草花川戸なのだが、Sの勧めで今年は善福寺公園。歩いて向かうが、だんだん暗くなり風も強まる。途中、公園内のライトアップの有無を尋ねるが曖昧に答えるS。大体、彼が先頭を歩いていてロクな事はない。知らない街で飲む時など、彼のイメージにピッタリな店を捜すのに延々と付き合わされる羽目になる。 到着するとすでに暗く、強風のうえ桜もシルエット状態でほとんど鑑賞できず。乾杯の後、寒さに震えながら冷たい弁当を食べ、O君のパニック症候群の話し。私の友人には発症した人が多い。共通するのは皆、真面目だという事であろう。不真面目な私からすると、それこそが友人たる理由であるとも云えるのだが、真面目自体がすでに病気と云えなくもない。 小雨がパラついてきたので荻窪に戻り適当な店で暖まる。飲みながら一人しゃべりつづけたO君、勘定をすませても飲み足りない様子。私が靴を履いている間に逃げるS。


4・某日4 水槽

半年の間、最強を誇っていた『緑の厄介者』ことグリーンテラーが先月失脚。ボクシングのチャンピオンと同じく、王座から転落するとランキング1位には留まれず、もう少々下がる。先日まで目の前を通りすぎる事さえゆるさなかった中堅クラスに、横っ面を尾びれで撫でられている。 現在のボスはフラワーホーンで、細かいことにはかまわない大らかな性格なので、幸い今のところ上位陣は落ちついている。 しかし魚の力関係というのは実に微妙である。あまりに仲が悪いので別の水槽に移すと、さっきまで追われていた魚が、今度は逆転して追いかけまわしている。虐められてばかりの魚が急に黒っぽくなり、自分の倍の大きさの魚を威嚇していたりと、さっぱり解からない。 バランスをとるため、水槽の間で頻繁に魚の入れ換えをやっていたおかげで、私が水槽に近づいても魚が寄ってこなくなってしまった。そこでお前等がそういう了見ならと餌を減らす。おかげで今日は以前と同様に歓声を上げて集まってきた。『お前達、その気持ちを忘れるなよ!』  外では桜が咲いている。私も少々外の空気を吸ったほうが良いかもしれない。


4・某日3 幻覚

海外から帰った方から、疲れの為、視野の左端から右端へとジーンズ姿の女性が通り過ぎていくという幻覚を2回見た。というメール。 私は中学生の頃、高熱にうなされ、巨大な紙袋を製造する機械の幻覚を見たが、平常時にも地下鉄車内で、丁度足元に置いてあるビデオカメラの映像のような物を見た事がある。見えたのは残念ながら、革靴を履いたサラリーマンのような男性の膝から下の映像であった。三人の足が映ったが、途中からもう一人加わった。傾斜した映像であったが多少揺れていて、床の感じから連中も電車に乗っているらしいという事が判った。連中の動きはコントロールができないので、自分が作り出している気がしなかったのだが。 ところで私のような一般人が、自作の立体物をスキャニングして、映像で自由に動かせるのはいつ頃になるのであろうか。実に楽しみである。 以前私の個展にきて頂いた方で、立体をスキャニングする機械があり、そんな事ができるので、企画しても良いかという人がいた。当時の私はデジタルのデの字も無く、『私に向かってデジタルですと?バカバカしい』と適当に聞いていた。どんな人だったか忘れてしまったが、どうもすいませんでした。


4・某日2 私は枕があたたまると寝返りを打つ

コクトーが戯曲集の序文で云っている。オリジナルはストラヴィンスキーの言葉らしい。 1つの仕事を完成すると、それに背を向けて駆け出すとも云っているコクトーだが、あたたまると冷たいところを求めるというのは、当時の芸術家に共通の態度である。確かに1つの枕をいつまでもあたためていると、一生など、すぐ終わってしまう。 私はそんな芸術家連中のようにはいかないが、作品に対する愛情が保たれるのは発表後二週間ぐらいで、後は急激に興味が薄れていく。まるで男を振った後の女の如くの変わり身である。しょうがないので新しい男を、いや枕の冷たいところをさがすという事になる。『造っちまえば、お前なんかどうでも良いのさ』モノとしての人形に心など有ってはたまらないと思う私である。 ただし、当時の想いを形にしたネガは大事にしている。そんな所はラブレターを捨てられない男という事か。


4・某日1 季刊詩誌『無限』詩と詩論 1964夏季号 特集−ジャン・コクトー

堀口大學、西脇順三郎、佐藤朔、曽根元吉、中村真一郎、飯島正、大久保輝臣、瀬木慎一とそうそうたるメンバーによる座談が面白い。コクトーは、前年の10月11日、エディット・ピアフの死を知り、同日、ラジオでの追悼インタビューの約束をした直後に死んだが、そのあたりの話もまだ生々しい。 『恐るべき子供たち』は東郷青児の翻訳だが、堀口は表題『アンファン・テリブル』をどう訳すか思いつかず、グズグズしているうちに東郷が出したそうだ。『あの場合の「恐るべき」がいいんですね。これはさすが東郷青児だと思った。』(堀口) 世間ではアンファンが恐るべきだと思った連中がいて「そんなアンファンなことはだめだ」とか中学生あたりにも流行した時期があった。』(曽根) コクトー来日時のエピソードもまた面白い。何故だか人間魚雷を見たがり、かなりしつこかったようだ。堀口の前で描いたデッサンは、割り箸のような棒っ切れで描いたようだが、毛筆を持っていくと、くにゃくにゃして駄目だと使いかねたそうだ。景色は富士山と人物を1枚だけ。(これらの作品は、昨年、堀口邸にお邪魔したさい拝見したが、毛筆もなかなかだったが) 何時間でも描き続けるので眠くなった堀口が、「今夜はやめよう」というと描いている間は疲れないそうで「あんた、わからんな」といって本気で怒ったという。 ピカソの前でも平気で画を描いたコクトーだが、そばで見ていたピカソが我慢できなくなって手を加えてしまう話。 映画のプリントは新しいのはつまらず、古くなって朦朧としてきた物が良いというのもコクトーらしい。映画『オルフェ』の中で、オルフェがラジオからうける暗号は、アポリネールの詩の一節。(私は出鱈目だと思っていた) 当時大阪は前衛芸術が盛んだったようで、『オルフェ』公開時、特に大阪でうけたようだ。 その他、始めて知る事実もあって、座談の面白さを堪能できた。 それにしてもこの雑誌、広告に銀行がやたらと多く、その他カタイところばかりで、隔世の感がある。