明日できること今日はせず  

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7某日16 ポイント貯まる

私がフト作りたくなる物は発表に値しないものがほとんどである。遊びに来た友人だけに見せて「どう?いいだろ」などとやっていられれば良いが、そうもいかないので発表できない物は作ってはいけないと自分に言い聞かせている。だいたい粘土が無駄である。 養老孟司氏によると、脳には考えたものは必ず作り出すという法則があるそうだが、実に恐ろしい法則である。うかつに妄想に耽るわけにもいかない。つい粘土を取り出して、いや止めよう。気分を換えるために音楽を聴いたりして。もっていきようのない気分をぶら下げてウロウロしているうちに1日が終わってしまったりする。はたから見たら何をやっているんだという事になろうが、子供の粘土細工ではないのだから(そう思いたい)私も色々考えるのだ。しかしこのフラストレーションはポイントとなって貯まるようにできていて、いざというとき有効に使える。


7某日15 八月の濡れた砂

6時にTさんと新小岩で待ち合わせ、第74回 江戸川落語会に行く(江戸川区総合文化センター)立川笑志 橘家蔵之助 橘家圓蔵 林家二楽 立川談志 私にはTVで観る談志は、江戸っ子のテレが見えすぎて『ソンナニテレ臭ェンダッタラ出ナキャイイジャネェカ』といささか苦手なのであった。そんなわけで実物を観るのは2回目である。実際見ると印象は違っていた。今日は隣りにいる談志命のTさんはともかく、2回目の初心者には少々辛い展開であったが、しかし2回しか観ていない私が悪いのだという気になってきた。 帰宅するとネットオークションで石川セリの2枚組ベスト盤を落札していた。高校時代、友人Eと銀座の並木座に随分通った物であるが、何か観ようとするともう1本付いてくるのが『旅の重さ』72’『青春の蹉跌』74'『八月の濡れた砂』71'あたりなのであった。それぞれ大好きな映画ではあったが、くり返し見せられたおかげで、いい加減ウンザリしたものである。あれから何年経ったか数えるのもいやになるが、石川セリ落札をメールでEに知らせ「八月の濡れた砂、今聞いたら泣けるかもよ。」


7某日14 ランドマーク

稲垣足穂が手にする葉巻を忘れたと思い、葉巻を作ってランドマークへ行くと足穂はちゃんと葉巻を持っていた。モノクロ写真を1点差し替え、2点追加する。気になっていた照明の角度を調整してもらう。 通りがかる人の声を何となく聞くと、寺山修司の顔を知っている人は結構いるようである。生前、TVCMや、競馬中継などにも出演していたから他の作家と容姿の認知度は比較にならないだろう。今回の展示は、告知が十分なされているとは云い難いので、たまたま通りがかった方がほとんどであり、個展会場と違い、出品した作家の著作に親しんだ人の率はかなり低いであろう。しかしそんな人にも通りすぎる数十メートルの間、妙な物を見たという気分を味わってもらえれば、それもまた良い。御老人が熱心に谷崎の人形を眺めていたのが印象に残った。 中華街へ食事でもと、歩いて行く事にする。途中赤レンガ倉庫で一休み。昔は良くTV,映画に登場した場所であるが、随分変わってしまっている。赤潮のような色の海面を見ながら、背中に当る日差しがポカポカと気持ち良い。今は夏だと気付き苦笑する。


7某日13 風邪気味

忘れていた展覧会をフト思い出すと、今日は休みだろうとまず思う。そして大抵休館日である。人形の服をあの色にしようなどと思いつくと、その絵具だけを切らしている。私がエアコンを導入したせいで翌日からすっかり冷夏である。 なんとなく風邪ひきの予感。夕方、神保町にて某印刷会社の方と会った後、外へ出ると雨。かまわず中古レコード屋へ行きジュリー・ロンドンを購入。雨が激しくなり濡れて帰る事に。レコード店でアナログレコードを購入するのが久しぶりという事もあろうが、帰りの道中CDを買った時とあきらかに気分が違う。CDなど仮に踏んづけたとしても何も感じないが、ほぼ実物大で微笑むジュリー・ロンドンをどうして踏めるであろうか。踏めないが、タバコを1日、120本から200本吸って低音を保ったといわれるハスキーヴォイスを聞きながら、微笑みに危うく鼻水を垂らしそうに。


7某日12 搬入

午前中、ネットオークションで落札した荒木一郎のLPレコード、重松清氏サイン入り『ビタミンF』が届く。 4時にランドマークプラザに到着。食事の後、8時より展示を始めるが、遊歩廊なのでヌードがらみの作品は展示できない。槐多と谷崎の写真作品はほとんどがカット。おかげで全体のバランスが難しい。作業中、展示ケース内の照明が消える。時間によって自動で消えるらしく、明日の8時まで点かないという。把握してない担当者。これで翌朝まで現場にいなくてはならない事になる。 結局終了したのは午前4時。控え室にて現場担当者とヤケクソ気味に8時まで酒宴。 朝、通勤客が通る中、照明の調整をする。照明が硬く、人形の顔の陰が少々キツイかもしれない。タルホに葉巻を持たせるのを忘れたような気もする。


7某日11 中井英夫な夜

池袋の芸術劇場でSと待ち合わせ、ランドマーク展示の資料を受け取り1時間ばかり世間話のあと、芳林堂で乱歩関連サイトといえば名張人外境の、中相作さん等と合流し宴会場へ。新青年研究会や、推理作家の研究会の方々が集まっているようで、ネット上では良く知る人もいるようだが、誰が誰だか判らない。あちらからすれば私もそうであろう。 隣席の方と、大映の増村保造や仁侠映画の話しをしていると、昔、中井英夫の助手をしていた事が解り、生前のエピソードを聞く。ついで、中井英夫の最晩年の四年間、やはり助手をしていた本多正一さんと、私も参加予定の『虚無への供物出版40周年展』(詳細未定)について話す。やはり興味深い話しを聞くが、著作だけでなく周辺にいた方の話しは、作家像を造るうえでイメージに立体感を与える。帰りの地下鉄で、いただいた『プラネタリウムにて』本多正一著(葉文館出版)を眺める。中井英夫を要れるアンティックの箱は入手済みである。薔薇のレリーフの取っ手付き。


7某日10 MAX 1969

銀座の伊東屋で、ゼラチン紙に重クロム酸を塗布するための礬砂刷毛を買い、ついでに山野楽器でレコードクリーナーを買う。レコードクリーナーを買うのは何年ぶりであろうか。レコードのホコリ取りには苦労する。木工ボンドを塗って剥がすという事までしたものだ。クリーナーは特に進歩した様子もなく相変わらずであったが、しいていえばスプレイの香りが多少良くなっていた。 久しぶりにレコードを聞いていて気付いたのだが、何百枚かのレコード。何処で買ったかすべて覚えている。私の記憶能力は知らない所で、こんなどうでも良い事に浪費されていた。 夕食後、ネットのオークションでアナログ盤を検索してみる。ブルースは買いそびれた名盤が目に止まる。鼻が曲がるようなファンキーなジャズも良いし、初期のエレクトリックなジャズも聞いてみたい。アナログ盤はCDと違ってジャケットがまた魅力である。なにしろ私は未だにデザイナーと云えば一番始最初に浮ぶのが、ブルーノートのリード・マイルスなのである。 とか云いながら、落札したのは荒木一郎であった。


7某日9 経年変化

書籍の表紙用に某作家を造っていたのだが、六月に出版されているはずが、まだ原稿が上がってこないので、頭部を造り身体もおおよそ造った時点で休止している。やはり原稿を読んでイメージを掴みたい。 その作家がTVのクイズに出ていた。ヘアースタイルがほんの少々変わり、白髪が増えている。久しぶりに頭を引っ張り出し、TVを観ながら髪型を修整する。そこまでやる必要は無いのだが、気がついてしまうとどうしても。私の手掛ける作家と違って現在進行形なので気になるのである。 風邪ひきの中、布団から手だけ出してまで造ったのだ。TVに出る時間があるのなら原稿をなんとかしていただきたい。まあ、ここまで待たされたらどうでも良いが、体形と毛髪の維持だけはお願いしたいものである。


7某日8 音量

24日からの横浜ランドマーク展示にあたり、人形を多少修整する。熟慮の末、澁澤龍彦の脚を切断。まだ長すぎる。寺山修司の鼻は少々高くなる。 レコードを聞けるようになったのは良いが、レコード針が気になりネットで注文してみると、あっという間に届いた。便利になったものである。キングクリムゾンでも大音量で聞いてみようとヘッドフォンを探すが出てこず。私はこれがないと大きな音で聞けない。窓から手を伸ばすと隣りの家に届くような所で育ったせいであろう。岐阜で焼き物をやっていた時、ついに大きな音が出せると喜んだものだが、聞いているうち、辺りにどれだけ響いているか気になりだし、家の周りを一周。まったく問題は無い。無いのだがどうも落ちつかず、結局ヘッドフォンで聞く事になってしまった。育ちというのは恐ろしいものである。無駄に大出力のアンプを前に溜息をつく。 せっかくエアコンを導入したというのに妙に涼しく必要が無い。


7某日7 サンダーバード

Hがテキサスシクリッドを持ってくる。もっと早く持ってきてくれれば、私が孵化させているはずだったペアである。この魚は20cmを越える魚だが、Hは小型水槽で水草も美しく、優雅に飼育しているので大きな魚は飼わない。今回の事で、可愛い間だけ飼い、ヒゲが生えて来た頃ウチに持ってくるという企みを思いついたようで、水槽をもう一つ増やせと勝手な事を云う。門前仲町で呑みながら孵化させたあたりの話しを聞くが、まるでホームドラマそのままである。役立たずなオスに苛立つメス。私もオスというもの、男尊女卑ぐらいの社会にしてもらわないと生きていけないひ弱な存在であるという観察結果を披露。先日TVで観たザリガニに鯖を食わせると青くなる話しや、金属工芸家であるHの、銅に色を着けるにはシャケの頭を煮るという話し。同い年の彼と少年犯罪の話しにも及ぶが、我々の頃は昆虫やザリガニ、カエルの類に残虐の限りをつくし、うんざりして卒業したものである。私はカエルの肛門に花火を突っ込んで破裂させるあたりまでであったが、彼はもう1ランク卒業が遅かったようだ。笑える話しだが、笑えないかもしれないので書かない。こんな話しをしていると子供と変わらないが、Hが、いずれ水槽内に基地を作り、そこからサンダーバードの・・。などと言出すあたりで、酒も随分まわってきたという事でお開きに。


7某日6 エアコン購入

部屋には周りに高い建物がなく、東京湾からの風もある。うっかり玄関のドアを開けると奥の部屋から領収書などが飛んでくるくらいなので、夏も数日我慢すれば耐えられていた。しかも部屋が昭和20〜30年代化しているので、エアコンなど不粋なものと痩せ我慢をしていたのだが、昨年の猛暑を考えついに。まっさらな白い物など部屋の中に無いので実に野暮クサイが仕方がない。 代わりにという訳ではないが、アナログのプリメインアンプも購入したので、何年も聞いていなかったレコードを聞きまくる。BAGS GROOVE (Miles Davis)/BAYOU DRIVE(Clifton Chenier)/Bud!(Bud Powell)/Jesus Remembers(The Swan Silvertones)/UPS AND DOWNS(Good Rockin' Robinson)/BORN UNDER A BAD SIGN(Albert King)/CAPTURED LIVE!(JohnnyWinter)/Anatani Mutyu(Candys)/LIVE IN NEW YORK(Stuff)/It's A Beautiful Day(It's a Beautiful Day)/FREE LIVE!(Free)/BOOTS All.Time Hits(Nancy Sinatra)/RELICS(Pink Floyd)/Greatest Hits(Alice Cooper)/MOUNTAIN LIVE(Mountain)/Thelonious himself(Thelonnious Monk) AT THE RENAISSANCE (Jimmy Witherspoon)/Nancy Wilson・The Cannonball Adderley Quintet(Nancy Wilson・Cannonball Adderley) 処分しなくて良かった。


7某日5 生と死の一日

中学生による悲惨な事件。犯人の少年は鑑別所内で漫画を読んでいるそうである。再犯の可能性についても考慮すべきだが、彼にとって人の死とはどんなものなのだろうか。私には彼と同じ年齢に、死についての想い出がある。 中一の時、祖父が亡くなった。午前中に学校を早退し、家族と共に祖父の元に向かう。私はとっくに骨になっている思っていたので、祖父の遺体にショックを受けたものだが、それよりもその晩、寝ながら祖父の事を考えていると、いたたまれぬ恐怖感に襲われた。亡くなるという事は、単にもう会えないという事ではなさそうである。私もいずれ死ぬ事は決まっている。今は生きているようだが、生きているというのはどういう事であろうか。私は本当にこに在るのか?そんな事を考えていると、布団や見上げる天井までが空々しく思えてくる。襖の向こうで、今日の事について話しているであろう両親に、生まれたおかげで死ぬ事になってしまったではないかと云いたかったが、湧きあがる恐怖の正体が理解できず、葛藤しているうち寝てしまった。それ以来、少年時代の私にとって宇宙の果てと共に、死について考える事がタブーとなった。 余談であるが、出棺の準備の間、隣りの叔母の家で一人TVを観ていた。性教育を考えるという特別番組をやっており、TV界初の出産シーンを興味津々で見つめる私であった。思えば生から死へと振幅の激しい一日であり、忘れる事ができない。


7某日4 地平線の夢 昭和10年代の幻想絵画 東京国立近代美術館

地平線をキーワードとした日本のシュルレアリズム絵画。ダリの日本における本格的紹介が昭和11年になされたらしい。フロアガイドには、フランスで起こった本来のシュルレアリズムが、近代的な合理主義への批判を思想上の基本としていたのに対し、日本の画家にはその姿勢がみられず、彼らはシュルレアリズムを誤解していたのでしょうか? しかしダリのあからさまな模倣も真剣であり、面白く観られた。 私は子供の頃、百科事典に載っていたシュルレアリズム絵画を見るのが好きであった。母の腹から出てそれほど経っていないのにかかわらず、間違いなく懐しさのような物を感じていた。子宮内風景にでも見えたのだろうか。その体験からシュルレアリズム絵画は、子供にこそ見せるべきだと思っている。これからウンザリするほどリアリズムの世界が待っているのだ。一味違う大人になる事うけあいである。 私は実際の地平線より描かれた地平線の方が好きかもしれない。(どうも私はこういう事が多い)実物の地平線は少々高いところへ上がっただけで湾曲し、地球は案外小さいといつもシラケルのである。ここ近代美術館は観光バスにより、美術など興味の無い老人が大量に送りこまれ、下品な大声でいつも腹が立つのだが、今日は珍しく静かに過ごす。


7某日3 テキサスの暴れん坊

先日、友人のHが巨大熱帯魚ショップに行くというので、テキサスシクリッドがいたら買ってくれるよう頼んでおいた。今まで二匹飼ったが、テキサスの暴れん坊というわりに、外傷を受けるとアッサリ死んでしまう。25センチにはなる魚だが、子供サイズの5〜7センチを三匹買ってきてくれた。近々受け取る事になっていたのだが、ところが小さいくせにペアを作り、産卵しそうだとメールが来た。どうせ幼稚園児が○○君と結婚するなんて云っているようなもんだろ。などと返信していたのだが、どうも本格的になってきたらしい。彼は最近、何度も孵化に成功しているが、私は子供の頃にグッピーを1回だけしか経験がない。先日もフラワーホーンが産卵したのに孵化に失敗したばかりである。彼は済まなそうにしているが嬉しさは隠せず、一方私は内心穏やかではない。これではまるで、見合い相手を待っているのに、仲人宅で出産されてしまうようなものではないか。イヤ大分違うが納得ができない。


7某日2 自己演出

七月に入り、この雑記も二周年を迎えようとしている。私の人形作家としての神秘性をメチャメチャにするという目的は充分達せられたようである。こんな事なら始めに演技プランをたてるべきであった・・・。もっとも長く粘土をいじっていて解っているが、結局自分に無いものは出てこず、有るものしか出てこないのでしかたがない。 私は初個展の前に本名でなく、何か作家名を考えようと思っていたのだが、会場には自己演出をきらう土地柄の下町育ちの幼馴染も来るわけで、なんだそのスカした名前は、という顔をするに決まっているので、それがイヤで本名で始めてしまったのである。 転校生は転校にあたって、少なからず演技プランをたてるものだと思うが、例えば寺山修司は東京に生まれていたら、自分に対してあんな演出はできなかったであろう。そう思うと幼馴染などうっとうしいばかりである。だいたいこの雑記もチェックしているに決まっているのだ。 しかし仮にイメージを演出できたとして、私は自分で思っているほど嘘をつくのが上手くないようなので、辛い事になっていたであろう。


7某日1 魚にビタミン

3時に幼稚園からの友人Yと銀座の熱帯魚ショップで待ち合わせる。彼とは昔、よく熱帯魚ショップまわりをしたものだが、今日は30年ぶりであろうか。そんな事もあってか当時一番好きだったジャック・デンプシーのドイツブリードものを購入する。私は止めたくないのに止めたものは熱帯魚の飼育だけであり、再開して満足している今日この頃であるが、彼はランチュウの会に入り熱帯魚は止めている。我家に連れていき誘惑を試みる。ウチの魚に餌をやりながら90センチ水槽があまっていると云いだすY.。おそらく彼も再開する事であろう。 門前仲町に呑みにいく。ジムで一汗かいてきた彼は、自分がいかに健康に気をつけているかを力説。不健康自慢が多い友人の中では珍しい。ビタミン各種、その他様々なサプリメントを毎日摂っているらしく実に詳しい。小学校の教室の金魚が病気になり、ビタミン不足と知って、家から持ってきたレモンを搾った彼を思うと多少勉強した感じがする。