明日できること今日はせず  

最新ページ


9某日16 G5

六本木の田村写真にお願いしていた、ロバート・ジョンソンのカラープリントを取りに行く。カラーは大きくプリントした事がないので私も始めて見るのだが、丁度ジョンソンが人形大。空が妖しく悪魔が登場する寸前という感じで実に良い。写真を始めて発表した時から私の写真をプリントしてくれている田村氏は、私以上に私のしようとする事が解っているので、私が迷走しても着地は万全。このロバート・ジョンソンの人形は氏が購入してくれた作品なのだが、何故か我家にまだ有る。 到着して、まず目に飛び込んできたのはマックG5。随分大きい。そしてあまったG4がウチに来る事になっている。私は、そもそもデジタル画像を扱うつもりはなかったのでウィンドウズにしたのだが、これからは画像はマックでという事になる。


9某日15 TVまた壊れる

2時間しか寝ていないのに大音量のソウルミュージックで目が覚める。何事かと思ったら、近所の小学校の運動会である。流れる音楽で教師の年代がしれる。シルヴィ・バルタンの『あなたのとりこ』で小学生がダンスを踊っていた。 昼食をすませ、屋上で撮影をするが光線の具合が気に入らない。部屋に戻って撮影をする。最近、片手にカメラ、片手に人形をもって撮影しているので、久しぶりに人形を固定して撮影してみると見事に"お人形さん"になってしまった。レンズも変えて明日撮影する事にする。 夕方Hと日暮里の熱帯魚ショップに行き、お互いテキサスシクリッドの現地採取の魚から生まれたものを買う。綺麗なのは良いが、また権力闘争が勃発する事であろう。 帰宅後TVをつけると映らない。映ったかと思ったら何を見ても夕暮れ。昨年12月に修理したばかりなのに、ホントに駄目なメーカーである。それにしても先月の冷蔵庫、洗濯機といい、まったくついていない。


9某日14 平等

TVで人間は平等だという言葉を久しぶりに聞いた。 この言葉を始めて耳にしたのは小学四年の時である。教室内で親の職業についての差別的いじめがあった。それを知った担任の先生は怒って生徒の前で説教をした。職業に貴賎は無いという。人間は平等であるとも云った。始めて聞く言葉だったが、俄かには信じられない。その場で質問するのは危険と感じた私は、ほとぼりが冷めた数日後の休み時間に、改めて現在某区の教育委員の担任に聞いた。「先生、乞○と○○○○殺したら、どっちが罪が重いですか?」「それは天皇陛下でしょう。」?平等って、みんな同じって事じゃないのかな?いつもの事だが先生の云う事はさっぱり解らない。算数の時間に羊羹を半分に切って、それを半分に切って、また半分に切って、ずーっと繰返しても無くならないと聞いた時など、私はほとんど激怒していた。


9某日13 夢

先日、友人と電話で話をしていて夢の話を聞く。彼は昔から良く夢を観るのは知っていたが、いくらスリルとサスペンスに満ちた夢であっても表現力に難があり、雰囲気までは伝わってこないので、本人が云うほど面白くはない。 私は、まったくと云うほど夢を観なくなってしまった。実際は観ているのだろうが、上映も終わり、場内の清掃が終わったころ眼が覚めるので覚えていないのであろう。 昨夜は地震で眼が覚めた。ちょうど我家の玄関から、イミグレイション!と叫びながら入国管理局の連中がドヤドヤと入ってきた所であった。けっこう焦ったので眼が覚めて良かったが、どうやら夢の中の私は、つらい立場に置かれている事が多いような気がするので、夢など観なくとも良い。


9某日12 ウドン

ウドンを食べる。 最近、東京のウドンも美味しくなったようだが、子供の頃は実に不味かった。コシが無く、ブヨブヨとすぐノビてしまう代物であった。特に近所のソバ屋のウドンは不味かった。その店はエビの天麩羅が巨大なのだが、実は尻尾の方から根本に向かって斜めに切れこみを入れ、180度展開して、ひょろ長いエビ天を捏造していたのであった。(それ自体は腹も立たず、むしろ、たいした工夫だと感心した)ソバッ気の強い茨城出身の父はウドンに対して、あんなものは病人の食べ物だと常々云っていたものである。最近は平気で食べているので、話しが違うじゃないかと思うのだが、心臓を患っているのでおかしくはない。 私はソバ党である。ツアーでNYに行った時、出掛けに空港で友人がソバを食べた。4日ぐらい食べなくてもと思ったのだが、飛行機に乗ってからズッと後悔していた。今度海外に出かける時は、せめてソバツユだけでも持っていき、就寝前に杯に一杯すすって心の安定を図り、滞在中その国を呪い続ける事は止めておきたいものである。


9某日11 人形の首

私には昔からあるクセがある。 頭部ができれば作品は完成したも同然で、後は楽しい事ばかりなのだが、頭部ができるまでは人と会う事も少なく、何かが減るような気がするので楽しい事も避ける。まるで修行僧のような毎日が続くのだが、どうしても飲みに出かけなければならない時には、人形の首を持って出かけるのである。勿論その場で披露する事などしない。また完成していよいよ身体を造る段になり、造りたくてウズウズしているのに、わざと造り始めずに首を持ち歩く事もある。そんな時は楽しい事が待っているので、何をしていても余裕がある。くだらない事が楽しい。 アリゾナから帰省中のKさんを囲み、吉田ルイ子さんを含む八人が集まり新宿で飲み会。Kさんがきっかけで17年来の知り合いである。みなさん相変わらずで楽しく過ごす。帰り際ミュージシャンのS氏、手ぶらでアロハにサンダル履きの私を見て、近所のコンビニから出てきたみたいだという。手ぶらではあるが、ポケットの中には入っている。


9某日10 墓場まで何マイル?

来月、日暮里の寺で寺山没後20年のイベントがある。御本尊の前に寺山の写真パネルが飾られ、焼香台の奥に、私の寺山人形が展示される事になりそうである。入場者はまずここで焼香をするらしい。 それにしても没後20年とは早いものである。今思うと寺山出演の競馬番組など、もっと良く見ておけば良かったと思う。競馬自体に興味が無いのでしょうがなかったが、今だったら寺山の喋っている映像を観ているだけで少女漫画のように目に星である。何処か遠くで何か企んでいるようで、しかし怯えているようでもある表情。そしてあの口調。『我が家に火事があり、近所の家まで焼けてしまった。警察では漏電だと言ったが嘘だった。ほんとは俺が机の引き出しに隠しておいた一匹の蛍が原因だったのだ』 亡くなった時、日本TVの11PMで追悼番組があった。藤本義一が司会で、ゲストが今は亡き伊丹十三。録画したのだが何処にいったか未だ出てこない。


9某日9 温故知新

古典印画法サイトのオフ会に出かける。集まったのは14名。プラチナプリントをされている方が多いようである。主催の西丸さんからビデオを見ながら、サンタフェでの古典技法写真フォーラムの報告。その後メンバーの作品が披露された。湿版写真、プラチナプリントなど素晴らしい。私もオイルプリントの4色分解作品を持っていくつもりであったが、披露するにはもう一つ。 今回の主要なテーマは、インクジェットプリンターによるネガの制作であったが、西丸氏制作のネガは素晴らしく、オイルプリントには充分に過ぎる。古典技法の集まりなのに飛び交うのはデジタル用語が多く、私にはチンプンカンプンであったが、可能性がある事が解れば今日のところはそれで良い。古典技法を研究されている方々が、かえって"通常の"写真関係者より先を見ているのが面白く、まさに温故知新。 みなさんの話を聞いていると、何が何%、何が何分というシビアな世界が、まったくダメな私にはオイルプリントしかない事が判り、良くぞ出会ったものだと一人感心する。さらにオイルプリントは、いわゆる写真とは云い難いことも改めて感じたのであった。


9某日8 川越

何度も燃えた東京で、江戸の風景を撮るというのは難しい。それならいっその事と、Tさんと小江戸、川越にロケハンに出かける。なかなか面白い町である。観光向けの町かと思うと、ちゃんと生活感のある現役の町であった。電柱が無い一画があり趣きがある。どうせなら街路灯も工夫すれば良いのにと思うのだが。立派な作りの家が並び、特に鬼瓦が見事。大きさを競っているかのようで、まるで栃錦のマゲである。今日も空には入道雲。昼食にうな重を食べる。 屋根や二階は昔のままだが、問題は一階部分である。人形を前に配置するのだが、その背後がガラス貼りでは塩梅が悪い。それに歩道の幅が狭く、ちょっと後にさがると車に轢かれそうである。これでは人形片手の国定忠治撮法は不可能に近い。ある建物を撮っていると、中から出てきた御婦人に「仕事で撮影しているんですか?」と聞かれた。最近は、下手な所で撮影しているとクレームが付く様である。今日は人形を撮影していなかったので仕事に見えたらしい・・・。 晴れたり曇ったりの1日であったが、帰る頃には空も高く、秋の雲になっていた。


9某日7 入道雲と中秋の名月

真夏という設定で撮影しなければならないのだが、もうすでに秋である。どうしようかと考えていたのだが、最近の妙な気候のせいか、今時、入道雲のような雲がある。背景素材として撮っておこうと屋上に上がり数カット撮る。夜は夜で秋の分という事で、1000ミリで満月を撮る。ついでに近くに来ているという火星を覗くと、赤いことは判った。


9某日6 世界柔道2003

井上康生3連覇、阿武教子4連覇、棟田康幸と3つの金メダル。特に井上はすべて一本勝ち。 それにしても今回はガッツポーズも出ず気分が良い。あれは柔道に限ればやめてもらいたいものだ。グッと抑えてもらう方が、日本人は他国の人間と比べ”デキ”が違うように見えるし、観ているこちらとしては、より感動が伝わってくる。昔は男子バレーの選手が、いちいち抱き合って喜んでいるのが気持ち悪かったものだが、スポーツにおいては、すっかり当たり前になってしまった。外国から見れば、勝ってニコリともしなければ、かえっておかしく見えるのだろうが、青い柔道着など有無を云わせず着せられたりしているのだから、勝った時は純日本式にしてもらいたいものである。 今夜はお茶の間で両親とTV観戦し、井上の素晴らしい親孝行ぶりに、感激して涙する母親にバツが悪くなり、茶の間から逃げ出すかつての私のような少年がいた事であろう。(私だけか?)


9某日5 江戸の風景

一時にTS社のTさんと神楽坂で待ち合わせ、鳥茶屋で親子丼を食べた後、ロケハンに神楽坂界隈を散策する。しかしイメージ通りという訳に行かず、後日別の場所を捜す事にする。東京に江戸は無くなってしまったと、永井荷風のようにぼやいてみる。 親戚の家に寄り、私のおそろしく初期の作品を見る。架空の黒人ボクサーである。ボクサーは今まで数点造っていて、すべて顔を腫らしていながら、まったくめげていない男。テーマは一つ。自分が負けていないと思えば、それは負けではないという事である。ただ諦めの悪い男と云っては身も蓋も無い。 作風が随分変わったので、あまり初期作品は見たくないのだが、今はもう、こうは造れないと思いながら頭を撫でた。


9某日4 魚増える2

Hと分けるという事で、ネットオークションで購入したフラワーホーンの幼魚が到着する。宅配便は個人では生体を扱ってくれないらしく、ミネラルウォーターとして着た。ショップでの購入に比べ格安。この魚は30センチ近くになり100匹以上産まれるので、自分で殖やした人が放出するのであろう。注文数より多めに入っていた。とりあえずセパレーターで区切った水槽に入れておいたが、隙間から出たらしく、気がつくと数匹食われていた。あわてて別の水槽に移すが今度はHが先日持ってきた稚魚を食われてしまった。結局注文数に。  10月からの森下文化センター『江戸川乱歩の世界』講座のチラシに使う写真をセンターの方に渡し、いただいたパンフレットを見ると、近所の文化センターで、荷風関連の川本三郎氏の講座がある。さっそく申し込みに行くが、受け付けは明日からという事で出なおす事に。ご近所で川本三郎氏とは有難い。


9某日3 魚増える

Hが殖えて持て余している魚を受け取りに高田馬場へ。殖えるのも良いが、後々の事も考えなければならない。彼の仕事場には溶接用の酸素ボンベがあるので、魚が入ったビニール袋に酸素を充填。安心して飲む事ができる。 Hは子供の頃、右手と右足、左手と左足がでてしまう子で、どんなにやっても治らず、コンプレックスになっていたという。昭和三十年代生れは、まだ農耕民族の血が濃いのかもしれない。確かに緊張すると、なんばになる同級生がいた。それにしても末續や野茂など、個性的なスタイルを持った人物が活躍するというのは偶然ではない。お隣りの米の育ち具合を観て、ウチもそれにしよう。というのはいい加減止めるべきである。 早々に家に帰り、魚を水槽に。TVのニュースで田村亮子、世界柔道六連覇へ向けて壮行会の様子。武道というもの自分に勝つという事が一番大事なのであろう。それでも他人に負けると悔しいというのが辛いところである。私は親戚の子供に挑まれても、オセロすらやらない。


9某日2 なんば

末續慎吾の走法は、飛脚や忍者の『なんば走り』を取り入れているそうである。上体のひねりがないので疲労が少ないそうで、そのせいか後半失速する事はなかった。(子供の頃、忍者ごっこでは、みんな前傾姿勢でヒタヒタと走った。)武智鉄二が『黒い雪』裁判における被告尋問において、なんばについて語っている。 なんばとは能、狂言の動きだが、左足が出る時は左手が前に出て、右足が出る時は右手が出るというもので、徳川時代までの日本人の動きの根本だったという。鋤を振り上げるのに右足を前に出して右手を前に出さなければ農耕生産はできない。 明治政府が富国強兵という事で農民も徴兵する事になるが、西南の役で使い物にならない事が判る。外国武官に原因を調べさせると、なんばでは、鉄砲をかまえて走る事と、ほふく前進ができない。それと農民はリズムをもっての集団行動、行進ができない。そこで義務教育に取り入れられたのが、日本人の『間』を捨てさせる唱歌教育と体操というわけである。(おかげで今日でも、前にならえだのオイッチニ〃などという屈辱的な目にあわされているわけだ)歌舞伎の花道は舞台に直角に付いている。そこを回る時、なんばは遠心力を使わないので良いが、明治以降の教育で、遠心力の利用を覚えさせられてからは、カドで落ちる役者がいるので国立劇場では、そこに三角の板を付けたと言う。これほど軍国主義により歌舞伎は迷惑していると武智はぼやいている。 さすがに末續は手と足を同時に出してはいないが、農耕民族的方法に回帰する事によって銅メダル獲得というのは、いくら教育されても、まだまだ日本人の腸は長い。ということであろう。


9某日1 さらばブロンソン

江戸時代の人物を制作しているので、あくまで勉強のため、石井輝男監督『徳川いれずみ師 責め地獄』のビデオを観る。「ちょっとメクって触ったからには、せずにおかれぬ屋根普請という歌がおまっしゃろ」by上田吉二郎。勉強が過ぎたので散歩にでかける。 江戸の風景をロケハンという事で、富岡八幡と深川不動へ。例によって近場で済まそうという訳ではないのだが。不動わきの八つ目うなぎの屋台で肝焼きに日本酒を一杯。深川江戸資料館をまわって帰宅。チャールズ・ブロンソン死亡のメールが来ていた。 ブロンソンは中学の時、化粧品のCMに登場する直前に『さらば友よ』で始めて観た。同じ目的のため危険な事に立ち向かい、しかし何事もなかったかのように別れていく男達。当時は友との別れなど転校ぐらいしかなく、それも数人しか経験がない。ちょっと仲良くなると「今日、俺んち来いよー」などという時代であるから、完全にしびれてしまった。さらに年齢を知って『爺さんなのになんという身体!』と思ったものである。当時いくつだったか今は知りたくない。 数年前ビデオで見てみたが、昔のようには感じなかった。さよならだけが人生とは思わないが、いっぱしに様々な別れを経験してしまったせいであろう。