明日できること今日はせず  

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11某日16 たてもの園最終日

江戸東京たてもの園『作家のいる風景』最終日。三脚を持ちこんでの室内撮影など本来いけないらしいが、特別という事で、作品の梱包を兼ねて出かける。今日の目的は『D坂の殺人事件』に使えそうな障子と、二十面相や曲馬団の人さらいが出没しそうな、かつての東京の日暮れ時の撮影である。たてもの園のプレスと書かれた腕章を借り園内へ。休日のため人出がある中、気になっていたポイントを撮影していく。腕章を着けているせいで、やたらと質問を受けるが訊かれたところで何も知らない。乱歩を撮影した部屋には、そのパネルが飾ってある。撮影を終え片付けていると、この人誰です?と御婦人。面倒になって「この家に昔住んでた人です。」すると娘が『カーテンの後ろにいるの二十面相じゃないの?」とっとと玄関から。 閉園時間の4時半がせまると、今はかなり暗く、室内の(蛍光灯でない)明かりと空の様子のバランスが妖しい。こんな時刻に子供の私達はコウモリを捕獲しようと、空に向かって長靴を投げ続けていたのである。しかし武蔵野では、いくら深呼吸しても下町の匂いはしない。東京湾が近くにないと、あの匂いはしないのである。隅田川の向こうへ早く帰ろう。


11某日15 全裸死体

幼馴染のTより電話。「今日たてもの園行ってきたぜ。」「そうか今日は天気良かったしな。」「写真を見てたガキが親父に『この人誰?』そしたら親父『うん、この家に昔住んでたおじさんだよ』所詮世間はそんなもんよ!」「マァナ・・・。」 「黒蜥蜴見たぜ。昔、後半生は女ばかり造るって云ってたじゃねェか。それにしちゃ始めねェなと思ってたんだ。」「別に始めたわけじゃない。」「だけど俺は虫が好かねェ、あんな女。」「お前の趣味なんてどうでも良い。」「二十面相と戦わすのか?」「どうかね。原作にないし住む世界が違う。大体どう考えたって二十面相は黒蜥蜴の敵じゃないだろ?」「まあな。だいたいお前の作った二十面相は悲し過ぎるんだよ。」「ドコガ?」「俺には判る。 それとさ、この間云ってた乱歩の背景に使う全裸死体の件。知り合いの娘に何人か訊いてみたけどさ、全裸死体やらないって云ったら駄目だな。みんな断られた。」「バカ!もう少し云い方ってのがあるだろ!だいたいお前が調達した死体なんて使いモンになるか!」「たしかに質は保証できない。」


11某日14 三の酉

外へ出ると近所で火事。消防車が走りまわっている。久しぶりだが、三の酉がある年は火事が多いと云う。今日はまさにお酉様。 大江戸線車中で『ゴシックハート』(講談社刊・高原英理著)を読んでいると、清澄白河駅ホームにゴスロリの若者。口には黒いマスク までしている。そこに運悪く、ヨン様を迎えに行きましたという感じのオバさんの集団。流れに巻き込まれ、好奇心の餌食となり一人うつむくゴスロリ。 4時に近所で軽くひっかける。黒蜥蜴も仕上げに入るが、明け方まで仕事をしようとすると、飲むならこの時間になる。 乱歩作品は映画、TVその他、様々なアプローチをされながら、どれもこれもパッとしないが、数少ない成功例が三島の戯曲『黒蜥蜴』であろう。原作では明智を閉じ込めた(と思いこんだ)長椅子をアッサリと海に捨ててしまう所を、三島版では名場面となっている。舞台では美輪明宏がさらに名シーンに仕立てている。ただおかげで友人、知人と黒蜥蜴について訊くと、ほとんど全員が貫禄充分な大年増のイメージになってしまっている。


11某日13 布

稲垣足穂は、古式の複葉機に乗って飛んでいるところを撮影したいものである。たまに思い出しては気にしていたのだが、ようやく機種が決まる。是非、フンドシはためかせて飛んでもらいたい。青空も良いが、月光をバックにというのも良いであろう。 黒蜥蜴は一回目の撮影のイメージが固まってきた。衣装は布を使う事に決めていたのだが、私は布の事など皆目サッパリであり、こんな布でと考えても名前が判らない。近いうちに布地を見に行く事にする。そうとう柔らかな布を使わないと、シワや質感が縮尺に合わず、ゴツイ布地に見えてしまうので、使える布も限られる。 そういえば子供の頃、母親に連れられて布地売り場に行くと、決まって目がヒリヒリと痛くなった。毎回だから気のせいでは無かったと思うのだが?


11某日12 バランス

下駄箱の上のメイン水槽は、攻撃の対象が絞られないよう、窮屈なくらい混泳させているのだが、ボスであるフラワーホーンのオスが大人しいお蔭でバランスを保っている。ボスはTラーメンの大水槽の濾過槽に沸く虫退治のために、その虫だけを餌に、真っ暗な中に一匹で暮していたのを、もともと有名店出身の毛並みの良さから、私が貰ってきた魚である。その特殊な環境で幼少期を孤独に過ごしたせいか、一匹で飼うと元気がなく、二十センチを軽く越した現在でも、他の魚を追いかけはするが、殺すまでには至らない。これは珍しい事であり、某熱帯魚サイトで報告すると、幼少期の環境という私の説は一笑に伏されてしまったが、半信半疑という反応であった。まあ理由はともあれ、平和が保たれているというのは良い事である。 ところがHの家から来て、数日で産卵したメスをメイン水槽に戻したとたん、また発情を始めボスにまとわりついている。そのせいで、永らく保ったバランスが崩れ始めた。かといって稚魚が増えたので、移すべき水槽が無い。いいかげんにしてくれと云いたいところである。中学生の時、ビートルズの解散直前ドキュメント『レット・イット・ビー』を観て、苦々しい想いでオノ・ヨーコを観ていたのを思い出した。


11某日11 人形から産毛

昨日は某所にて時計台を撮影した。乱歩作品では時計塔なるものが登場するが、作中では辺鄙なところに設置されていて、何のためにあるのか良く判らない。結果が良ければ時計台の上で、黒蜥蜴と二十面相を『エジプトの星』を巡って対決させてもよい。(どう考えても二十面相が黒蜥蜴に勝てる見こみは無いが。)近々たてもの園から二十面相が帰って来るので、それから考える事に。 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集『子不語の夢』(皓星社)を読む。『白昼夢』に出てくる屍蝋(水に浸かった死体が石鹸状になる)だが、死体はそう簡単に屍蝋化しないようである。中学生の私でもおかしいとは思った。しかしそうだとしても、『白昼夢』が短編の名作である事に変わりはない。 乱歩作品には『白昼夢』以外にも、人形だと思ったら産毛が生えていた。という場面があるが、私の使用している粘土はパルプの繊維が入っている。ペーパーをかけるとまさに産毛状に毛羽立つ。使えるかもしれない。


11某日10 ワープする老婆

雨の中ステレオスコープ型古書店を覗くと、旧版荷風全集(岩波書店)の中途半端な数冊が目にとまる。外箱は染みだらけだが、中は月報付きで読まれた形跡はない。買って帰って、外箱の染みを殖やすだけではしょうがない。対談、鼎談、随筆、評論の類であればすぐ読むだろうと二巻だけ選ぶ。四百円。スーパーに寄る。相変わらず野菜が高い。 レジで、前の客が買い忘れたものを取りにいっているのを待っていると、婆さんが大根片手に戻ってくる。私の番がきてフト見ると、足元に財布。レジの女の子に渡すと、外に出ようとしていた大根の婆さんを追いかける。「あら、落ちていたの?どうもすいません。」笑顔で会釈し外へ。私は、その婆さんの財布でない事だけは知っていた。レジを済ませて外へ出ると、婆さん予想を越えた遠方に。ワープ航法は理論的に不可能な事は証明されたはずだが。 これが爺さんだったら、後ろを振り返ったりするところだろうと、その背中を眺めた。


11某日9 一日

実家に用事で帰るが、70センチ超という、私の作品としては例外的に大きく作った黒蜥蜴を持って帰り、制作を続ける。 上半身だけのつもりで始め、途中で気が変わり腰から膝までを追加。そこでまた気が変わり、つま先までと、実にヒドイ造りかたである。まるで江戸川乱歩のような無計画。そんなわけで、腕のポーズが決まらず肩から下がまだ無い。 あまり見ていたせいか、顔が綺麗なんだか汚いんだか判らなくなる。思い付いて実家の近所の陶芸家Sさん宅に、黒蜥蜴をもってお邪魔する。デジカメで撮ってもらい、モニターで客観的に眺めてみようという訳である。 奥さんのMさんは陶芸ばかりでなく、更紗など布を使ったものも手がけるので、黒い布を何種類か出してくれる。裸の黒蜥蜴に色々まとわせてみると、なんだか妙な空気が・・・。 Sさんも熱帯魚を飼い始めたが、水槽内には性格が見事に出るものである。 帰宅後『弟〜第1夜』を観る。その不良性で人気が出たという石原裕次郎。大変なスターだが、坊ッチャン臭くて不良性など感じた事がない。兄の慎太郎に関しては一度書いたような気がするが、小学生の時、母がタンスに隠した『スパルタ教育』を、母より先に読んでしまって以来の慎太郎嫌いである。だいたい初対面の三島由紀夫に対して、思っていたより小さいなどと云ってどうする。


11某日8 ステレオスコープ型古書店
昨日から始めたアンケートには有り難い事に、さっそく数名の方にお答え頂く。お会いした事もない方からも伺えるというのは、インターネットならでは。いずれ片っ端からロケハンに出かけてみるつもりである。これは結果的に、今でも残る昔ながらのシミジミとした古本屋という事になり、結果をアップするのも面白いかもしれない。シミジミとした居酒屋が、その雰囲気により酒の味が左右するならば、同じ事が古書店にも起きているはずである。 午後、たまに覗く小さな古本屋に行く。背中合わせにした棚が真ん中にあり、左右対象に棚。風呂屋の番台のように、両側が一度に見える真ん中で本にペーパーをかけている主人。左右の通路に大きなステレオ写真を立て、主人が両眼にて眺めれば、たちどころに店自体が大型ステレオヴュアーに。この主人には、世界が別な立体感で見えていたりして。などとボンヤリ夢想するところを見ると、4日間の閉じこもりの影響があるとみえる。 本日ようやく釣り銭にて新札(野口英世)を拝む。歴史のある国の紙幣には見えず。


11某日7 殺人事件が起こりそうな古書店

ようやく外にでると、マンションの庭に数え切れない程銀杏が落ちていた。昨年、知り合いに配ろうと一抱えも拾い集め、皮むきに悪戦苦闘の挙句、カビさせてしまった。これだけ落ちているとつい拾いたくなるが、せっかくギックリから回復したので止める。 今まで制作していた乱歩作品は、特定な作品をイメージした作品は少ないので、具体的な作品をテーマに撮る事にする。現在候補として考えているのは『屋根裏の散歩者』『人間椅子』『押絵と旅する男』『怪人二十面相』『黒蜥蜴』『人でなしの恋』『盲獣』『群衆の中のロビンソン・クルーソー』『D坂の殺人事件』『「目羅博士』あたりであろうか。『陰獣』も考えないではないが、『屋根裏』『D坂』と内容がカブっている部分が多い。二十面相、黒蜥蜴に対抗する明智も乱歩先生でと考えていたが、ちょっと無理があるかもしれず、そうなると明智も造るという事になるのだろうか。『D坂』は、舞台となる古本屋がポイントであろう。今時イメージに合う書店を探すのは難しそうである。そこでアンケートを作ってみた。コチラ→D坂の殺人事件が似合いそうな古書店募集


11某日6 芋獣

朝目が覚め、起きあがるまでが一仕事である。生れたての子馬を演じなければならない。こうなると、寝床で読書でもしているほかはないが、造りかけの黒蜥蜴に目がいくと、つい『芋虫』の如くズリズリとにじり寄り、手を伸ばして裸の臀部に粘土を盛り付けたりする。その際、できるだけ苦痛のない姿勢を探すものだから、とても人に見せられるカタチではない。 着衣の人形と違って、裸の場合は頭部と同じような密度で、全身を制作しなければならず時間がかかる。しかもペーパー(紙ヤスリ)は極力、最後の最後に限るべきである。面倒になって早々にペーパーをかけると、叩くとペタペタいいそうな”肉”のイメージは出てこないのである。 しかし、『陰獣』が女体に食らいつくが如しの猟奇的スタイルて造っていると、客観的に見れば、恐るべき執念という絵になろうが、本人は好きでやってるので、どうという事はない。例えば芸術家の壮絶なエピソードというのは、見る側が、そこまでして造る程の物かという時に限って効果的である。


11某日5 魚の幸せと引き換えに

水槽内のエース。このフラワーホーンのオスは一度子供を作ったが、もう少し特徴のあるメスを相手にと考えていたところ、日曜日にHがもてあましたメスを持ってきた。本来綺麗な固体なのに、真っ黒になってしまっている。原因はストレスと思われるが、環境が変われば元に戻るかもしれない。ところが我が家の水槽に投入したとたん、目が真っ赤になり、ウチのオスに猛烈にアタック。ほとんど一目惚れ状態である。一方オスは辟易といった風で無視している。それならばとセパレーターで分けると、オスは「イヤ、そこまでせずとも」という顔をしている。お前は素直じゃないね。飼い主に似ている。 セパレーターをはずして一緒にしてやるとすっかり夫婦気取り。あっという間に産卵に至る。こういった場合、オスは役立たずな事が多く、中には卵を食べてしまう場合もあるので、すぐに取り出す事が多いが、大食らいのオスが、餌をまったく食べず、体色もいつもと違う。これは父親としての自覚をもっていると判断。一緒にしておく事にした。 昨晩覗いたところ、卵の数が激減していた。今回は駄目かと思っていたが、今朝、ヒーター(2×20センチの棒状の物)の蔭に、こちらから見えないように孵化した稚魚を隠しているのを発見。早くも泳ぎ出した稚魚を、2匹で口で運んで戻している。オスも協力して、この作業をするのを始めて見た。微笑ましい様子を眺め、その家族愛に感心し起きあがったところ、私の腰にギックリと電撃が走る。飼い主は独身者の悲哀を味わうハメに。


11某日4 コウモリ

古石場文化センターの、小津安二郎コーナー内に展示してある峰岸達作品展『昭和の風景』を見る。御馴染みのノスタルジックな風景。印刷された物と違って、原画は絵の具の微妙な盛り上がりが楽しい。各作品には、コメントが添えられているが、実在したおばあさんの、広島に原爆が落とされたとき、こんなとき加藤清正が生きていたらと言ったというコメントに笑う。 外に出ると、いい感じの夕暮れ。ノスタルジックな画を観たせいか、フト、下町に蝙蝠が飛ばなくなったのはイツからだろうと思う。夕方になると群れ飛んでいたコウモリ。 正体を見た子供は誰もいなかったので、我々の間では蝙蝠は賞金首のような扱いであった。長靴で捕れると言い出した子がいて、みんな家から長靴を持ってきて、蝙蝠めがけて放り投げた。蝙蝠は長靴の落下を三十センチほど追う。その時上手くいけば長靴にスポッと入ると云うのだが、そんな間抜けな蝙蝠はいなかった。 ある日Kチャンがパチンコで仕留めた。みんなヒーローの元に集まった。翼をひろげて誇らしげにしているKチャン。しかしそれはみんなが想像したようなカッコいいものではなく、羽根が生えた鼠であった。「Kチャン汚ッタネ−ッ」逃げるみんな。数秒でヒーローの座から一転、エンガチョとなったKチャンであった。


11某日3 K中

昨日は、ごろごろしながら本を読み、黒蜥蜴のドレスからのぞく胸の隆起を作っていた。とりあえず撮影用に上半身だけで済まそうと考えていたのだが、様々な隆起を作りたくなり、全身を作ることに。 作品集を作る話があり、とりあえず乱歩だけでと提案。夕方出版社まで出向く。担当者とは、すでにイメージについて話していたので、顔あわせと云うことで早々に茶碗に酒が注がれる。出版社も色々である。 営業の方は、私と同じ地区の出で、未だに住んでいるという。しかも中学が極悪で有名だったK中。 昔、山の手の友人とNYに行った時、黒人グループがにじり寄ってきたり、友人の抱えた荷物を子供が狙っていたりという事が何度もあったが、気が付くのは私だけで他の連中はまったく気付かず、私はすっかり気にしすぎな人間にされてしまった。彼らの地元にはK中が無かったのである。 テリトリーの外へ出るのに、緊張感をもたずにいられない地域に育つと、危険や人との距離感覚が鋭敏になるものである。なんとかなるなどと、無防備に戦場に出かけるような人間にはならない。居心地のやたらに良い出版社から帰り、幼馴染のKに『K中の奴に今度飲みに行こうと云われちゃったよ』とメールする。大ウケであろう。 そんな事はどうでもよい。とにかく私の初作品集は来年、江戸川乱歩で。


11某日2 快感物質

つい乗ってしまい、黒蜥蜴の頭部が仕上げを残し完成。架空の人物は資料集めの手間がないし、誰かに似せる必要ががない。調子に乗ると完成は早い。思うことあって、いつもより大きめに造ってみたが、頭部が出来れば出来たも同然である。頚動脈あたりががムズムズしてくるが、こんな時、何処からか快感物質が出ているのは間違いない。この快感は、何物にも代え難いのだが、幼児期からこの物質に執りつかれた人間は、抜け出すのは難しいであろう。教育しようが隔離しようが治るものではない。危険な山に登らずにいられなかったり、連続殺人を犯すような人も似たような物質が出ているに違いないが、そう思うと、一人大人しく何かを造っていれば良いという私などは、実にお安くお手軽に出来ている。


11某日1 ダークエンジェル

結局、黒蜥蜴を造り始める。始めるにあたって、デジタルを使ったある事を思い付き、専門家の友人に確認したところ「できます」と云うことで、それならばと造ることにした。 人形作家は数多いが、私のように男ばかり造っている作家は少ないであろう。責任の持てる範囲でと思うとそうなってしまう。同じ方法では女性は描けないという気もするのだが。 それはともかく、造るぶんには楽しみは断然多いわけである。黒蜥蜴は架空の女性なのだから、例えばバストはジェ−ン・マンスフィールド。ウエストはビビアン・リー。ヒップはまたジェ−ン・マンスフィールド。という事もやれない事はない。(もちろんそんな事にはならないが) 黒蜥蜴を始めて読んだのは中学生の時だが、大人のムードでなどと、今の自分を基準にしてしまうと、とんだ大年増になってしまうので気をつけなければならない。