明日できること今日はせず  
2日に1度程度更

最新ページ

5某日14 加湿

毎年この時期、妹が息子二人を夏休みの間、こちらの学校にかよわせるためにサンフランシスコから帰ってくる。休み中も学校では可哀想な気もするが、こちらの友達と会うのも楽しみなようで、はしゃいでいる。 四年生の上の子は、家で英語の物語を読んでいたりするが、野暮臭く、大味でパサパサした国に帰る前に、一つ水木しげるあたりで加湿しておいたらどうだろうか。私はあの頃、『墓場の鬼太郎』の鬼太郎誕生シーンに戦慄し、妖怪事典など舐めるように見ていたものである。さらには少年探偵団。探すとポプラ社『怪人二十面相』『妖怪博士』『悪魔人形』が出てきた。『青銅の魔人』もあった筈だが。 今の子供には解らない表現もあるだろうが、もともとナマっている連中なので、かえって違和感はないかもしれない。夜みる夢を、いささか湿気った物にしてやろうという試みである。私は、六年生で、ガロでつげ義春を読んでいるから、いずれ、さらに湿度を与えるのも良いかもしれない。 実家のエアコンの調子が悪いと電話。日本的悪夢をみるには良い機会である。二十面相に追われ、一反木綿に首しめられ、うなされるが良い。TVを観ながら御菓子を食らって気絶するアンポンタンにはならないであろう。


5某日13 1日

目が覚めてメールをチェックすると、海外からの広告がドッと届いている。送信者を禁止しても同じ広告が来て切りがない。これでは、それがいくら素晴らしいバイアグラであっても腹が立つばかりで、金輪際入らないと決心させるだけである。この辺の事がわからないのはストーカーと同じ。いっその事、英語のメールをカットしたくもなるが、クラプトンがロバート・ジョンソンのカバーアルバムを出したためか、たまにメールが来るし、テラヤマがどうしたと、変わり者の学生から問い合わせが来たりするので、そうもいかない。 最近家を空ける事が多かったせいで、魚が随分減ってしまった。つい先日、たくさんの稚魚の父親になったばかりの、30センチに達しようとしていたフラワーホーンも死んだ。この魚は風水にのっとり、縁起が良いと華僑から火が着き、アジアでブームになった魚だが、最近、山吹色に輝き出し、どう見ても私に金運をもたらすはずだったのだが、私が懇意にしている貧乏神にパワー負けしたらしい。本当のところは狭い水槽に移したための酸素不足であろう。 夜、東池袋で南インドカレーなるものを食べる。辛いものは好きなのだが、辛すぎると無駄口をきけなくなり、会食という形にならない事が判った。


5某日12 ビザールギター

実家の壁になにか絵の一つでも飾ってやろうと考えている。しかし私の趣味で、妖しげな裸女が髑髏を捧げ持つ絵など飾るわけにもいかず、牧歌的な明るい風景画あたりが無難であろう。私の作品は自分の部屋に飾る気になれない。制作中は、始めてみるその作品に興味津々だが、出来てしまえばそれは”私”であって、面白くも可笑しくもない。 昔から定期的に起きる病気がある。それは自分用の、しかし自分でも違和感を感じる程ビザールなデザインのギターを造りたくなるのである。ネックの部分までは造れないので、手持ちのギターを分解し、何台ものギターをオシャカにしてきた。 数年前に病気が起こり、電気に詳しい友人のAに配線などを頼むと、同じ事を高校時代にも頼んだという。Aは今度は俺も造るというので、同時に始めたのだが、私はまたも挫折。一方友人は見事完成させ、ギターを持ってやって来た。彼は精神科の医師なのだが、そのダブルネックの巨大なギターは、居合わせた友人に患者が造ったのでは?と云わしめる程、奇怪なデザインのオブジェであった。奇怪なのは外見だけではなく、鼻でハーモニカを吹きながらギターを弾きドラムを叩く、ワンマンバンド芸人なみの多機能を備え、中心部には形代(カタシロ)まで埋め込まれていた。そこで始めて気付く。いくら奇抜なデザインを考えたところで、自分の中から出てくる物は自分でしかないという事である。A医師のショック療法で、私の病気もついに完治したのであった。やはり飾るのは他人の作品が良い。


5某日11 人間椅子

棚の塗装も終わり、江戸川乱歩の『人間椅子』用椅子を造り始める。椅子の中に潜んだ男は、薄い皮を隔てて、座った人間の感触に妄想を膨らます訳であるが、座る方は妙な座りごこちであろう。 乱歩作品は合成など駆使しないと実現しないイメージが多く、印刷原稿や、インクジェットのプリントにしかならないような作品は造る気になれなかった。しかしこれからは、デジタル出力したネガを元に、展示、保存に耐える、銀塩プリントが可能になるので改めて考えている。 田村写真のプリンター田村氏に相談していると、いっその事プラチナプリントにしては、という話しになる。『江戸川乱歩のプラチナプリント』なんとゴージャスな響きであろう。口に出すと呆れるほどである。


5某日10 棚

諸事情のため、告別式は来月始めという事に。想像はしていたが、対処しなければならない事が多く、故人を偲んでいる余裕は無い。そういう意味では上手く出来ている。 父は趣味など持たなかったが、敢えて云えば、棚や戸を造ったり、家の細部の改造であろう。そのため大工道具を大事にしていた。中には改良というより改悪ではないかと思われる物も多かったが、本人がやりたいのだからしょうがない。そんな物も、この際処分しようとかたずけている。 三年ほど前に造った棚が、ほとんど最後の”作品”であろう。下にキャスターがついていて、移動が楽だという事らしい。若い頃は器用だと感心する事もあったが、その棚は設計ミスが随所に見られ、小学生の工作に近い。ドリルで床に穴を開けてしまったりもしている。仕上げに塗装をしないというのは、父としては考えられない事なのだが、これは塗装にまで至らず、生地のままで止めている。そのため鉛筆で引いた線も残り、その線も明らかにずれている。それを見ると、体力も集中力も残っていなかったのが判った。結局私がペンキを塗り、残す事にした。


5某日9 父永眠す

十年近く入退院を繰り返してきたが、ついに力尽きる。77歳。 石膏でデスマスクを取ろうと思い付くが、手術後の浮腫んだ顔を残してもと写真だけにする。夜中一人で線香の火を絶やさずにいると、色々思い出してくる。先月の雑記で書いたばかりだが、小学生の私に、何故戦争に行かなかったと問い詰められ呆れていた父は、戦時中の事については殆ど語らなかった。一つ憶えているのは、少年時代を霞ヶ浦の航空隊の近くで過ごし、兵隊が理不尽な目にあっているのを見ては、何故こんな所にあこがれ、全国から人が集まってくるのかと思ったという。言葉少ない父としては、私にはこれで充分であった。 サラリーマン時代、錨の設計に携わっていたが、当時世界一のタンカー『出光丸』の錨を設計したという事が、子供の私には誇りであった。しかし、子供心を盛り上げようという気がさらさら無い父は、私が色々訊いても面倒臭そうにしているだけであった。 思えば私の父という事で、よほどユニークな男だろうと期待をして、家に遊びに来る友人を、そのあまりの普通さで拍子抜けさせていたものである。子供の頃に読んだ本に関しては、『十五少年漂記』だけしか聞いた事がない。桃太郎の話しを寝床でしてくれた記憶もかすかにあるが、サービス精神の豊かな母に比べるとつまらなかった。 棺桶の中の父の顔は浮腫みもすっかりとれ、元気な頃の顔に戻っていた。


5某日8 父手術2

AM6:00病院から電話。夜中の3時から出血が止まらないらしい。再手術するので8時までに来るようにとの事。母はその前に、最近、毎日通っている寺に急ぎ、お経を読んでもらう。8時に到着し、医師の説明を受けるが、電話の後、しばらくして何故か出血が止ったという。 ただし、これからやらなければならない透析が、血液を固まりにくくする薬品を使用するので危険なのだという。しかしこれも何とかクリアする。予断は許さないが少々調子が上がってきたようである。 夜になると、話しかけても、昨日より目を開け、反応もしっかりしてきた。 ひとまず帰宅すると、ライトを点けっぱなしの水槽が、藻のせいでソーダ水のような色になっていた。餌もあげられなかったので駄目だろうと水換えをすると、稚魚の姿。オスはちゃんとする事をしてくれていた。メスは泳ぎ出した稚魚を、一匹ずつ口に含んでは元の場所に戻すという事を繰り返している。オスも腹が減っているだろうに、餌よりもまず稚魚を守ろうとする。ただの与太郎ではなかった。偉いものである。


5某日7 父手術

一昨日、父が腹部の動脈の手術を受ける。2時間ほどの手術と聞いていたが、血管の補強をしたためか5時間以上かかった。1日置いて本日、さらに心臓の二箇所、冠動脈のバイパスと腎臓の弁の手術を受ける。心臓のバイパスには定評のある病院だったのは好運だが、それにしても危険な手術という事である。出掛けにY新聞朝刊を見ると、偶然担当医の記事が載っていた。心臓の外科手術は経験数が肝心。 結局これも9時間を越す大手術となった。途中出血し、医師が経験した事のない原因不明の症状も出たらしい。術後集中治療室に行き、母が声をかけると、かすかにうなずく。さらに話しかけると動かなくなった。母には判らないだろうが、私には『もう聞こえてるよ、ウルサイ!』と父が云ってるのが判った。


5某日6 胎児の夢

朝、宅急便に起こされるとTさんより江戸川乱歩作品シリーズ第5弾、大吟醸古酒『黒蜥蜴』届く。  ドグラマグラ用、標本瓶入り胎児を造っている。久作を造れば多少グロテスク調になるのもしかたがない。江戸川乱歩は、アイデアはいくらでも浮かぶが、他の作品とのバランスもあり、乱歩ばかり増えてもと、妖しい系作品は排除していた。読んで想像している分には良いが、現物が現れてはシャレにならない作品もある。しかし妖しい作品は、造る方にとっては面白いに決まっているのである。 フラワーホーンのオスは、オスの役割を果たしていないのではと疑っているが、水換え用のパイプを攻撃し、卵を守るしぐさもみせる。別のフラワーホーンの産卵の時は、カビないように卵を扇ぐのはメスにまかせ、オスは知らん顔だった事を思うと孵化するのかもしれない。近々Tラーメンの御主人からオスをいただく事になっているが、そうなるととても水槽が間に合わないので考慮中である。 Hからペットショップよりヴィエジャ・アルゲンティアを買ったと電話。銀色に輝く見ごたえのある魚である。まだ幼魚のようだが、かなり大きくなる。後先考えないでいいのか?夕方再び電話。帰ったら家の魚がいじめられてピンチだという。スペース無い?無いと答える。


5某日5 産卵

朝起きるとフラワーホーンが産卵していた。フラワーホーンは産卵後メスが強くなるので大きいオスとペアにする。それにしてもオスは相当大きく、差があり過りぎると思ったが問題は無いようである。オスはウチでは一番の古株だが、食うことにしか感心がなく、(俺が食うのを邪魔する奴は食い殺すぜ。それがたとえお袋でもな!往年の名レスラー、フレッド・ブラッシー氏の台詞を盗作)しかし先日餌を食べに先を行くメスに、一瞬躊躇するのを見た。こんな事はありえないので産卵までこぎつけるかもしれないと思っていた。 メスはというと数日前から目を真っ赤に輝かせ、発情を示す縞模様が現れていた。オスに対するアタックはあからさまで、大きさで数倍あるオスを水槽の端まで追い詰めている。 昨晩、メスの輸卵管が飛び出していたので、これはまもなく産卵だとライトを付けっぱなしにしておいたら案の定というわけである。問題はオスが図体が大きい割に、輸精管が遠慮ぎみだという事である。前回産卵したペアの場合(稚魚を残し、両親とも殺された)はオスの放精場面を目撃したが、このオスがちゃんと仕事をしてくれたかどうかは、数日を待たなければならない。


5某日4 修行時代

高村光雲 木彫七十年 (日本図書センター )を読み終る。聞き書きのようだが幕末の東京の描写など、光雲の記憶力に驚く。伊藤晴雨と良い勝負であろう。師匠と弟子の関係その他、当時の彫刻師の生活が描かれていて面白く読む。図書館に返却に行くついでに門前仲町のブック・オフに寄る。 新刊本は、生きは良いが身が固く血なまぐさく感ずる時もあり、古書には熟成された旨味があるような気がするが、ブック・オフは死後硬直も解けておらず、中途半端な感じで覗くのは2度目。『浅草フランス座の時間』井上ひさし(文春ネスコ) 先月、元フランス座の東洋館に演芸を観に行ってきたばかり。井上ひさし氏の講演を聴き、フランス座文芸部にいた頃の話しが面白かったので購入。30ページにわたる踊り子名鑑が楽しい。永井荷風がファンだったというメリー真珠も載っていた。春川ますみも可愛らしく。


5某日3 男の死2

小学校の低学年の時、仲の良かったN君と一時熱中した遊びがある。校庭には滑り台のすべる部分が取り払われた残骸のようなものがあった。手すりにつかまりながら、だんだんずり下がって行き、我慢の限界まで両手でぶら下がった後、力尽きて落ちる。子供にはかなりの高さで、なかなかのスリルであった。二人が何を競ったかというと、ジワジワと徐々に転落に向かう間の苦しみ方であり、ドサッと地面に落ちた後もしばらくジッとしている。これを我々は『忍法死んだ真似』と云って熱中したものである。それは手すりにつかまり下半身がぶら下がったところから始まるのだが、ある時N君がニュースタイルを考え出した。ピストルで撃たれた後、苦しみながら断末魔とともに転落して行くという方法である。つまりシンクロの場合の、水中に入る前の演技にもこだわろうという試みであり、それからは落ちるまでのシチュエーションにも重きをおかれる事となった。 中学に入学し、小学校にはなかった体育館で遊んでいると、ある時、これは危ないだろうという高さからマットの上にに飛び降りる事がはやった。始めはただ飛び降りていたが、別の小学校から来たSが”死に方”にこだわり出した。私はこいつとはウマが合いそうだとその日以来仲良くなった。 小学生の時と違って、今回は高さが高得点を呼んだが、こんな時、苦しめば苦しむほど賞賛され、死ぬ方は授業が始まるまで恍惚としてくり返し死んでいた。


5某日2 男の死

夢野久作の頭部も完成したので三島に戻ろうかと思ったが迷っている。先日、芸術新潮の没後25年記念特集『三島由紀夫の耽美世界』(1995)を入手した。そこで篠山紀信が『三島さんの思い出』という文章を寄せている。それによると三島が男の死というテーマで本を作ろうと言いだし、武士の切腹、魚屋のお兄さんが出刃包丁で腹を刺したり、オートバイでの事故死、戦場でリンチされて死ぬなどの”男の死”のシチュエーションを三島が考え演じたそうである。会えば死の話しばかりしていたそうだが、その最中の突然の事件だったらしい。篠山は映画のスチールみたいでさっぱり面白くなかったといっているが、それはアイドルを撮るようにはいかず、三島主導で進行し、写真家としては面白くないのも判る。タイミングの人、篠山紀信は未だに発表はしていないようだ。しかし私が三島を作ってやろうとしていたのはまさにこれなのであった。すでに6つのパターンを考えていた。私の推量が当たったという気分と、人形にしかできない事を旨としているのに、本人にやられてしまっていたという敗北感がない交ぜになっている。 しかし魚屋が腹に包丁を刺しているポーズを工夫する三島を想像すると、ホントに私の好きなタイプの人物という気がする。


5某日1 薔薇園

本多さんHさんと11時に富岡八幡宮で待ち合わせる。骨董市を眺めた後、Hさんの運転で千葉のバラ園に向かう。晩年の中井英夫像はバラを背景に撮影したが、若い時代の像も撮影しておきたい。 原種のバラを集めているというローズガーデンアルバはこじんまりとしたバラ園だが、残念ながら少々時期が早かったようで咲いているバラは少ない。ここの薔薇が珍しいかどうかは私には判らないが、原種というだけあって棘が多い気がする。小振りの白いバラを背景に撮影し、その後、京成バラ園へ。ここは昨年の11月に来て以来だが、アルバよりさらに早かったようでほとんど咲いていない。広大なバラ園だが、端の方で制服姿の二人の少女をオタク風の男達がコソコソ撮影していた。 何度かバラ園にでかけているが、一度も満開の状態を見た事がない。結局ここでは1カットも撮らずに帰る。森下の『みの家』で馬刺しと桜鍋。向かいには現高砂の朝潮太郎一家。その後呑み足りないとHさん宅にお邪魔する。 帰宅後、本多さんにお借りした資料により、夢野久作のアゴの形の不明な点があきらかになり、朝まで修正をする。