明日できること今日はせず  

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6某日17 20面相、日本橋に現る

二十面相のマントを結ぶ紐を、どう結ぶか考えていると、近所の店から某館学芸員の方の電話。待ち合わせを20分も過ぎていた。さっきまで気にしていたのに・・・。制作中は、起きていても目覚まし時計が必要である。展示の打ち合せ後、森下文化センターに急ぐ。『梅津和時こまっちゃクレズマ+おおたか静流ライブ』最前列で観る。だれることも無く、最後まで集中して聞いた。会場では数年振りの知人とも会う。 Hさんと食事の後、帰宅。二十面相の仕上げに入る。撮影も近い。第1作は『二十面相、日本橋に現る』。その次は銀座に現れる予定。


6某日16 二十面相な私

昼の12時に電話で起こされる。妹に頼まれ、甥っ子にゴム版画をやらせると約束していたのであった。しかたなく出かけようとすると、マンションのメンテナンスをやっている、工務店のオジサンが仕事をしていた。オジサン曰く「この間、凄いね。見ちゃったよ銀行で。お宅が大金預金してるとこ。」ザック、ザックと何か掻き集めるしぐさ。「見られちゃった?」と私。ひとしきり世間話をしてエレベーターに乗ろうとすると「羨ましいねー、こっちにも少しまわしてよ。」???冗談ではなく、ホントに誰かと見間違えたらしい。せっかくなので、二十面相のような謎の笑いを残し、エレベーターに消えてあげた。 ”酔っ払いと、犬と子供とは目を合わせない方が良い”をモットーとする私だが、子供達には上手く教える事ができた。上の四年生は機関車。下の一年生はイルカを二匹。私の子供時代とはレベルが違うが、こんなものであろう。 母に、今何を造っているのか尋ねられる。「云ったって多分知らない人だと思うよ。」永年の連合いを亡くし一ヶ月の母に対し、シルクハットに仮面とマントの男などとは云えない私であった。


6某日15 先生それはいけません!

ここ数日、寝苦しさのせいか、一晩で三回くらい目が覚める。(正確にいうと明け方から昼にかけてだが)おかげで、けっこう夢を見ているのが判った。中に乱歩関連が一つ。 乱歩邸の応接間。何人かで酒盛りをしている。見ると着物姿の乱歩が、机に向かって執筆中である。乱歩は寝床で寝転がって書くと聞いていたが。それにしても、こんな所で騒いでいていいのだろうか?私は酒を飲みながらも、乱歩から目が離せない。すると先生、こちらを気にしながら、懐で何かコソコソやっている。その時、それに気付いた新保博久さんと山前譲さんが、背後から乱歩に飛びかかった。「先生、それだけは御止め下さい!」二人して老人を羽交い締めにし、腕をねじり上げている。たまりかねた乱歩がポトリと落としたのは、二十面相の仮面であった。一斉に色めき立つ人々。カーテンを慌てて閉じる人もいれば、拳銃を犯人から遠ざけるように、仮面を蹴飛ばしている人もいる。サングラスの男が、「先生の決心がお堅いなら、それも結構やないですか。」口を塞がれ、よってたかって室外に出される。私は見てはいけないものを見てしまったという気分のまま、乱歩邸を後にした。それから池袋駅になかなかたどり着かず苦しんだ。


6某日14 ライティング

夢野久作はその後どうしたというメールを頂く。ドグラマグラを描くに当たって、知りたかった九州帝國大學の戦前の雰囲気は、充分とは云わないまでも、資料は集まりつつある。しかし一つ、ネックになっている事がある。 久作像を決定的にしているのは、おそらく、煙管をくわえた写真であろう。もう一つといえば、唇の端っこでヌラリと薄笑いを浮かべた写真。空前にして絶後の物語の作者かくありなん、という雰囲気である。どちらも後ろに障子が写っているところを見ると、同じ場所の可能性が高い。問題はそのライティングなのである。室内という事もあり、マグネシウムを焚いたのであろう。ほとんど正面から人工光が当たっている。おかげで本来、実直で穏やかな久作の表情を、怪しく見せているのである。それは粘土製の久作に光をあててみれば良くわかるが、角度によって相反する表情を見せる御面相なのである。そうは云っても、同じような人工光だけで撮るわけにもいかない。その場合(あの写真以外の久作を知っている人は別にして)はたして、夢野久作に見えるのであろうか? それはたとえば、正岡子規を造ったとして、その”正面”の顔で、子規に見えるか?というような事である。


6某日13 怪人二十面相

二十面相の最初の記憶というと、TVで大平透が演じた二十面相である。「明智君サラバだ!」というなり地面に何か叩き付けると白煙が舞い消えてしまう。映画が発明された直後に出来たような単純なトリックである。ポケット小僧ことポケット君も覚えている。巨大カブト虫の記憶もあるが、このシリーズだったかは定かではない。なにしろ私が三歳の時の番組である。二十面相のイメージは、むしろ『少年ジェット』のブラックデビルであった。 明智といえば、天地茂という人もいるが、私にはそうは思えない。銀座のクラブの支配人のようで、まだ二十面相役の方がマシであろう。明智には苦労を苦労と感じないような坊ちゃんポイ所が欲しい。眉間にシワ寄せて苦みばしってはいけない。そう思うと中学生の時に観たシリーズが、最もバランスが良かったような気がする。検索してみると年代的に東京12CHで放映された『江戸川乱歩シリーズ・明智小五郎』らしい。 二十面相はシルクハットや仮面も完成した。しかしマント姿の全身像を造るのが惜しくて、着けたり外したりして、造り惜しみしている。そんな事をしていると、何パターンもの場面をイメージしてしまってキリが無い。ここ何年か制作している実在の人物とは全く違う。こんな物を造って良いのかと、軽く罪悪感を感じながらの楽しいひととき。


6某日12 痛テテの遠藤は幸吉

怪人二十面相の頭部をウッカリ造ってしまう。 二十面相は、乱歩がアルセーヌ・ルパンをイメージして造ったキャラクターである。しかし、実はサーカス出身の遠藤平吉なのだから、あまり西洋紳士じみないよう心掛けた。なかなかイヤらしい顔に出来上がったと思うが、時として、小学生に捕まってしまう悪党だという事は、この際、横に置いておいた。だいたい今時の小学生と違って、人殺し一つしない男である。考えてみると、こんな悪人ズラにしてしまうのが申し訳無いような人物である。 二十面相といえば明智小五郎。登場当事は、講釈師の神田伯竜に似ていると書かれていて、いかにもノンビリした人物だったが、時代と共に、だんだんキリッとした男に変化していく。大人向けと子供向け作品では、ニュアンスが違うが、子供向けに、ボーイスカウトの隊長のようでは色気に欠けるし、三島色が強ければ、探偵団の親御さんは、安心して子供を預ける気にはなれないであろう。とか云いながら、深く考えないで造れるところが楽しいので、明智までウッカリ造ってしまうかもしれない。


6某日11 乱歩・人形町へ

某TV、乱歩特集収録のため、人形町のジュサブロー館に向かう。事前に聞いた話しでは、私の乱歩人形が寿三郎氏のアトリエを訪れ、寿三郎氏演ずる『押絵と旅する男』を観るという企画らしい。さらに寿三郎氏が、乱歩像に向かって語りかけるという事である。収録の前に御挨拶をと早めに到着したが、どこか半信半疑である。それはそうであろう。局のスタッフが前日あずけた乱歩像をもって到着し、寿三郎氏と”にこやかに”挨拶するのを確認してから、私も挨拶をした。 寿三郎氏は気さくな方で、私がどんな人か興味があったと云っていただく。八犬伝のビデオも観る事ができる館内は、独特な雰囲気の中に作品が展示してある。目玉座というライブ空間もあり、変った名前だと思っていたら、寺山修司が名付け親だそうである。収録は順調に進み、合間には、押絵と旅する男の解釈ほか、様々な話しを伺うが、もったいないので書かない。(私も押絵と旅する男は、一カットイメージしている画がある) 私の作品は、見ていると背景が浮かぶなどと、過分な意見をいただき恐縮する。近くなので、また遊びに来るようにとも。ありえない一日。


6某日10 こんなに強くていいのかね♪

三島由紀夫は途中で休止している。三人一緒に造り始めると云いながら、夢野久作の頭部は完成したが、もう一人は始めもせず、三島に集中してしまったのが良くなかった。三島は顔が少々曲がっており、その曲がり具合を把握せずに始めてしまった事も原因の一つである。完成間近などと、浮かれてしまってカッコが悪い。 乱歩といえば名張人外境の掲示板に、初めて公開されたという三島の「黒蜥蜴」創作ノートが紹介されており、採用されなかった劇中歌の歌詞を拝見した。(用心棒の歌)『用心棒つたら大べら棒 柔道四段に剣道唐手 みんな合せて十二段 こんなに強くていいのかね』 子供の私は、『からっ風野郎』の演技を見、『黒蜥蜴』の剥製役を見、百科事典で裸の上半身を見、有名な作家なのにヘンなの。と思ってしまった。とどめはあの死に方であろう。しかし最近は三島の魅力を再認識し、反省することしきりである。子供はしょせん子供であった。 三島は深読せず、そのままで良いのである。私の中では、そのチャーミングさにおいて、寺山修司と双璧になってしまっている。『こんなに強くていいのかね』いいですとも!


6某日9 志らくのピンPart2 第10回 岡部憲治プロデュ−ス 国立劇場演芸場

立川志らくのシネマ落語『地獄の黙示録』 今回も蕃茄 山人氏に誘っていただき三回目。 法政大教授で翻訳家の金原瑞人さん(娘サンが芥川賞)義太夫三味線の鶴澤寛也師匠と御一緒させていただく。 毎回、その構成と面白さに驚かされるが、地獄の黙示録が『木乃伊取り』 というわけで、今回も熱演に笑わせてもらった。地獄の黙示録は昔TVで一回観ただけでほとんど忘れている。妙な映画だったという印象しかない。 競演はジャズの中村誠一氏。ドアーズの『ジ・エンド』を予想したが、全く違う選曲。生れて始めてバス・クラリネットを生で聴いた。 その後、蕃茄山人氏、鶴澤寛也師匠とで軽く居酒屋で。昨今のインターネット事情などについて話す。着物姿の鶴澤寛也師匠は、『人間椅子』の外交官夫人で作家の役にピッタリの雰囲気である。お願いしようか喉元まででるが、こんな話しを、ヘンな人と思われないように切り出す方法を模索しているうちにお開きの時間。


6某日8 最後の願い

母と、父の人形でも造ろうかと云って笑う。 以前、某企業元会長の、亡き御母堂の像を依頼されたことがある。写真も残っておらず、九十近い老人のイメージの中にしかない。著名な作家を含め、何人かに依頼したが気に入らず、知人を介して私のところに来たのであった。写真が無いなら、それはそれでと引き受ける事にした。まず、お話しを伺おうという事になるわけだが、これが実に大変な事になった。高級料亭の座敷で老人と二人向かい合い、亡き母の思い出話を延々と聞かされる。感極まってボロボロ泣き出し、私には興味のない業界話しなど、脱線がまた激しい。針のムシロとはこの事であった。大変美しい母だったと云うのだが、3回目あたりからピンとくるものがあり、関係者に問いただすと、申し訳なさそうに、実は赤ん坊の頃に生き別れたと云う。つまり、すべて老人の作り話なのであった。私は『寺山じゃあるまいし、爺ィ、騙しやがったな』とは思わなかった。空想だろうと老人の中には確かに居るのだから、私には関係無い。そう思って造ったら一発OKとなった。ようするに、黙って老人好みの太り肉の婦人像を造れば良かったのである。 以前、陶芸家を目指した事があるのを知り、骨壷の蓋に乗せたいと云い出したが、御老人の相手はもう沢山と、御免こうむった。老人は、実は母親の事は憎んでいて、爪の先ほどもイメージしていなかったと私はふんでいる。今頃、地面の下で、あの尻の下に眠っているのであろうか。


6某日7 盛り場ブルース

雨の日に、西田佐知子を聴く。友人から『湿っぽい時期にうざったい。俺ならサントラ『ブレードランナー』バンゲリスで決まり!』とメールが来た。西田佐知子は湿っぽい歌を、クール・アンド・ドライに歌うところが良いのである。 先日、タチの悪い男女にカラオケに連れ込まれた。『アカシアの雨がやむとき』は映画化されたのか、若い高橋英樹とともに西田佐知子の映像が流れ、クール・ビューティーぶりを堪能できた。カラオケでは、嫌いな演歌が歌われることもなく、案外楽しいものであった。私は『愛しのマックス』を歌った。 演歌の中でも盛り場演歌が嫌いである。昔から、御茶の間に、クロウトの歌を平気で流す神経が不思議でならない。あんな生臭いものは教育上もよろしくないと思うのだが。 嫌いな音楽は沢山あるが、筆頭は、女心を女言葉で歌う男性歌手の歌である。うそ臭いにも程がある。逆に女性が勇ましく男心を歌う分には、好みはしないが、腹も立たない。 他にも、けだるいボサノバとか、ジャズでも甘いトーンのギターなどが苦手である。レゲエも、ボブ・マーリーとそれ以外は差がありすぎる。音楽くらいは、好きな物だけ聴いていたい。


6某日6 屋根裏の人間椅子

中井英夫以来、人形の眼鏡の作り方を変え、調子が良いので乱歩の眼鏡も作り変える。人間椅子用椅子もほぼ完成。人間椅子用と云っても、一見ただの椅子なのだが。 来週あたり、都内某所で室内だけを撮影する予定。その後、椅子に潜むために、椅子の格好をした乱歩を造る。椅子に座る婦人はホンモノを使うつもりだが、果たして上手くいくのだろうか。と云いながら、できるかどうか判らない物だけ造っていたい訳で、すでに”知ってる”ものを造るほど寂しく退屈な事はないのである。 特定の乱歩作品を表現する場合、今までのように人形一体に、シチュエーションを変えて何パターンというわけにはいかず、作品ごとに人形を作る事になる。乱歩の代表作は、できれば造ってみたいが、残念なのは今の時代では、表立って発表できない世界に魅力的な作品が多い事である。(表立たなければかまわないが) そういえば作家シリーズを考えたとき、最初に浮かんだのが、あろうことか屋根裏に潜む乱歩であった。その後も何度か考えたが、数カットのため、人形や屋根裏のセットをつくるのが面倒で保留にしていたのである。随分前に図書館でコピーしてきた、屋根裏の構造図は何処にしまったろうか。


6某日5 猫舌

味噌汁で口の中を少々火傷する。御通夜の日に父方の叔父が、熱そうにお茶をすすっているのを見て聞いてみると、猫舌はもちろん、熱い物を持つのも苦手との事。父もそうであったが、私も同じである。やはり私の猫舌は父方に由来するものであった。 多勢に無勢であるから、熱いものを出されて、遠慮なさらずと云われれば、猫舌でして、などとすまなそうにもするが、私から云わせれば、熱いものを平気で口にする人間は野蛮人にしか見えない。私の場合は舌や手に限らず、熱い風呂もダメである。拷問に熱湯風呂を採用している国に囚われたら、国の秘密だろうとパンツの色だろうと何でも喋ってやると決めている。妹の子も同様のようで、猫舌の遺伝子が太平洋を渡ってしまったようだ。 もう一つ父方ではないかと思っているのが方向音痴である。熱いものは冷ませばよいが、こちらはやっかいである。腕時計サイズのナビゲーターの発売が待たれる。


6某日4 告別式

先月密葬を済ませ、納骨まで間があいたが、落ち着いた頃で却って良かったかもしれない。 火葬の時、父の骨は案外しっかりしていて、喉仏の骨が、座禅を組む仏の格好で完全に残っており、これも綺麗に残ったリング状の第二頚椎をその上にかけた。これだけ残るのは珍しいと火葬場の職員は云っていたが、誰にでも云う御愛想だと思っていた。しかし住職の話しでも、あれだけ完全なのは今まで三、四人しか見た事が無く、成仏した証しなのだという。 神楽坂の寺は、東京23区で最も標高の高い寺だそうだから、0メートル地帯で暮した父としては安心であろう。北朝鮮のどこかの墓のように、水で流される心配は無い。 江戸時代の狂歌師、便々館湖鯉鮒の墓があり、傍らに立つ看板には代表作が書かれている。『三度たく 米さへこはし 柔かし おもふままにはならぬ世の中』マッタクである。 米の方は今は電子炊飯器でおもふままだが。


6某日3 空気男

江戸川乱歩に、『ぺてん師と空気男』という作品がある。(それにしても乱歩作品は、題名からして絶妙な作品が多く、字ズラを眺めているだけでそそられる)空気男は物忘れが激しく、空気のようにたよりないので、そんなあだ名を付けられた男なのだが、久しぶりに読み返してみると冒頭に『抽象的なことは割によく覚えているが、具体的な数字とか、固有名詞とかを忘れてしまう。時間のこともハッキリしない。きのうの何時に何をやっていたかというような記憶がダメなのである。わたしの記憶には物事が写真のようには焼きつかないで、その奥にある、何かへんてこな抽象的な漠然とした形のものが焼きつくのであろう。』 私の事が書かれていた。私は、へんてこな抽象的な漠然とした形のものに対する記憶力は抜群なのだが、これは抽象的で漠然としているので証明することができず、へんてこなので役に立たない。しかし、これを形にするのが私の創作行為という事になろう。 時刻表の内容が理解できたり、カレンダーを眺めて、今日が何日の何曜日か判るようなら、空気男の資格はない。暗算ができるようなら、まず諦めた方が良い。


6某日2 梅雨に備え

まもなく鬱陶しい梅雨が来る。私はとにかくこの時期が苦手であり、青菜に塩という感じである。梅雨時といえば雨の中、誰もいない清澄庭園で濡れた庭石を鑑賞し、『伊せ喜』でどじょう鍋を一人前に、ビールで帰るというのが、以前開発した唯一の楽しみなのだが、後は耐えるだけである。人間椅子を乾かしながら、梅雨時に聞く音楽を考えてみた。 昔観たフランス映画のサントラなども浮かぶが、作家の禿げ頭を撫でながら、一人ムードを出しても始まらない。以前は、わざわざ暑苦しい黒人のジャズ、特にビ・バップなどを聞いてしのいだ時期もあるが、日本人の作家を造りながら、ジャズを聞く事は少ない。となると日本の音楽が良い。色々考えた末、一人浮ぶ。西田佐知子。かなり名案という気がする。一枚も持っていないので、梅雨に入る前に手に入れよう。勿論アナログ盤である。CDはどうも、あの中に良い物が入っている気がしない。


6某日1 椅子を治す

昨日Tラーメンに行き、フラワーホーンを貰ってきた。御主人はフラワーホーンには興味がないらしく、店内の水槽に飼う、アニタ・エクバークやシルバーナ・マンガーノの太腿みたいなアロワナの邪魔になるので、濾過遭に入れられていた。濾過遭といっても普通に水槽サイズはあるのだが、餌は、そこに自然に涌く何か。という事らしい。実にタフな魚である。 いただいて帰ると、これがなかなかの発色を示して美しい。水槽に入れると、自分より大きい魚がいないので、とたんに他の魚を追いまわし始めた。魚も一匹より、他に魚が居た方が餌を良く食べるのだが、周りは一月に生れて以来、生存競争を繰り返してきたフラワーホーンの兄弟達である。長い独房暮しの一人っ子は、オロオロしているうちに餌を食べられてしまっている。 『人間椅子』作中では、作家で外交官の夫人が座る事になっている。書斎は作るより実写にしようと探していて、ある洋館の一室に決めた。決めたのは良いが、どうも私が作った粘土製の椅子が、その部屋に合わない。椅子として不自然ではいけない訳だが、人間が入っていると考えながら造ったせいであろう。その部屋に椅子が置かれたところを想像すると、妙な椅子を置くんじゃないと、立派な部屋が云っていた。