明日できること今日はせず  

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7某日14 腹にジェット戦闘機

三島由紀夫が亡くなった当時書かれたものを読むと、頓珍漢な物も多い中、澁澤龍彦の文章が一番しっくりとくる。三島の自決後、澁澤の態度に不満を持った酔っ払いが澁澤宅に押しかけた際「三島は俺の友達だ!」と一喝した話しを読んだ気がするが、やはり解っている人は云う事が違う。 三島は澁澤に対して『この人がゐなかつたら、日本はどんなに淋しい国になるだろう。』と云っているが、私にとっても、澁澤という人間が生きて居るという事にシビレていたわけで、亡くなってからは、周辺の人々が澁澤について書いたものを読むのを楽しみとしていて、著作はほとんど読んでいない。 三島については、色々な死に様を造ってみようと思っていたところに、死の直前、自作自演で男の死に様を撮影させていた事に驚いたわけだが、本人に、魚屋が腹に包丁刺して死んでいる所まで演じられてしまっては、こちらとしては腹にF104くらい刺さってもらわないと、ならないかもしれない。


7某日13 江戸東京たてもの園

九月から二ヶ月、小金井公園内にある『江戸東京たてもの園』で人形と写真の展示をする.。園内のたてものを背景に撮影する事になり、武蔵小金井駅で、江戸東京博の学芸員Yさんとマネージャーと待ち合わせる。天候が不安定なので、さっそく板橋区から移築され、外観がモダンな常盤台写真場の前で乱歩を撮影する。なにしろ休園日なので気持ちが良い。 次回の撮影のため説明を受けながら、ここは荷風、ここは谷崎か鏡花などと考えながら、各建築を見てまわる。 たてもの園というからには屋根裏があるだろうと、それらしきところに案内されると、上から電灯が一つ。しかも床に畳が敷いてある。屋根裏の散歩者は駄目だと思っていたら、大きい長持ちがあり、これなら『お勢登場』か『人でなしの恋』である。撮影時は畳をどかしてよいとの事。 無人の建物ばかりでなく、背景に着物の女性でもいると、と話すと学芸員の方々が乗り気になってくれ、次回は着物を着ていただけるという意外な展開に。


7某日12 二十面相2

二十面相の背景用の銀座の画像。光線の向きが悪い。人形の表情にどれだけ効果的な光を当てるかという事が最優先なのだが、背景のライティングに合わせると二十面相の表情が良くない。二十面相のポーズをキメル事ばかり考えていて、背景の光線の状態を忘れていたのである。 そこでいっそのこと、銀座の風景を左右逆にしてしまおうと考えてみた。この大トリックは乱歩先生も賛成してくれることであろう。ところがやってみると、どうも納まりが悪い。写真と云いながら、真などどうでもよい私は本気で考えたのだが、気持ち悪いので今回は断念した。しかしどうせやるなら銀座が左右反対ぐらいでは面白くない。 『これはきっと二十面相の仕業に違いありません。東京から、映画館と古本屋と画材屋と呑み屋とソバ屋以外、すっかり消えてなくなってしまったのです。メデタシ、メデタシ。』


7某日11 ビーバップ・ア・ルーラ

「違うよママ、あれは僕じゃない。ジーン・ヴィンセントさ」byエルヴィス  銀座上空を、黒マントの二十面相が行くというのを造る。予定では羽衣をまとった天女のようなイメージで。 今日もメールをいただいたが、HPを御覧の方の中には、作品のサイズを数十センチと書いてあるにもかかわらず、等身大だと思われる方がおられる。保存が大変でしょうなどと云われたりもする。しかし、何ヶ所かポイントを抑えると等身大に見えるようになっていて、そうなると荷風の後ろをルーズソックスの女子高生が歩いていても、荷風に見えてしまう。(ETV特集に一瞬映った私の乱歩像を観ると、私の撮影とは反対に、お人形さんになっていた) 実際に本人を撮影しているのに私の作品だと良く間違われる写真に、河出書房新社のムックその他、何度かカバーに使われている乱歩がある。私の母などは、何を見ても実写と作品の区別がつかない。


7某日10 二十面相マルベル堂で

夜中から撮影を始める。コンセプトは、二十面相が明智をオチョクルため、ヘリコプターから自分のプロマイドを撒こうと思い付き、どうせならマルベル堂で作ろうと考えたら。 昔は家電メーカーなどが、ヘリコプターを使って広告をばら撒いたものである。私達はなぜあんな物を夢中になって拾ったのであろうか?今では考えられない宣伝方法だが、紙くずを撒いているようなものだし、おそらく、拾うのに夢中な子供が車に轢かれてはと、禁止になったのであろう。 気がつくと夜も明け、シルクハットに朝日が当たってブルーに。それもまた良し。 二十面相は怪しくしようと思えば、いくらでも怪しくなるが、その楽しみは後にとっておき、今回はむしろ、昔映画館のロビーに飾ってあったスターのポートレイト風に。 「宝田明君のような感じで撮ってくれたまえ。」 


7某日9 何も変らず

実家に帰ると、妹の息子二人が、ききわけがなく騒いでいて、しかられていた。妹も、いいかげん疲れた顔をしている。しかし、子供達に対して、妹がちょっと、うるさすぎるというのが母の意見。 私に云わせると、子供達をしかっている妹は、若き日の母そのもののように見えるのだが。だいたい母はすっかり忘れているだろうが、子供の私がしかられている時、祖母が今の母と同じ事を云ったのを私は耳にしている。歴史は繰返している。 これが、私を笑わそうとして、母と妹が演じたギャグだとしたら相当なものなのだが、疲れた二人の顔を見ると、どうもそうではないらしい。私は一人笑いをこらえていた。 人類は、経験した事を糧とし、学んだ事によってだんだん利口になり、出来が良くなっていくはずなのに、そうはならない。次世代に伝える時、自分の事は棚に上げ、都合の悪い事は忘れてしまうためであろう。


7某日8 愛の処刑

今日も暑い。その暑い中、三島が『榊山 保』名義で『アドニス』別冊小説集『アポロ』に書いたとされる『愛の処刑』を読む。意図的に稚拙に書いている感じの作品。出来はともかく、単純にして明快に三島趣味炸裂。 田舎の体育教師(太い眉に胸毛、茂る陰毛。そして筋肉)が愛していた美少年を罰に雨の中立たせておき肺炎で死なす。もう一人の美少年が「それでも先生は男ですか」先生は責任をとって死ぬべきだと切腹をそそのかす。《俺は、男らしい割腹のお手本を見せて、この少年を満足させてやろう!》美少年に見られながら恍惚として腹を切る。「すてきだよ、先生。先生の苦しんでいる顔、なんて綺麗!僕、これを見たかつたんだ」 何も今日読む必要は無かった。 三島は学生等と風呂に入り、学生の脇腹の肉をつまむくせがあったそうだが、森田必勝も、これはなんとかならんかと、つままれたくちであろう。などと考えながら梅雨があけたのは良いが、暑いのはこれからである。


7某日7 三島の頭部完成

何かしなければならない時に、他の事をせずにいられない人間を怠け者という。というような事を遠藤周作が書いていたが、そんな怠け者は、つまり、他の何かはしているのである。 やらなければならない事がある。その前に三島に手を加え、一服してから始めよう。サテ始めるか。そうだその前に熱帯魚に餌をやらねば。今日は、なかなか良い色じゃないか。伸びをしたついでにフト三島を見ると、ここがちょっと気になる。もう少しやっておこう。一日こんな調子でいると、どんどん完成に向かうというわけである。やらなければならない事があり、それから逃げたいばかりに制作に対する集中力が高まって行く。私も自分の扱い方を多少知っているので、それを利用し、あれほど難航した三島の首を完成に向かわせたという訳である。判りきった事だが、三島は完成しても、やらなければならない事はそのまま残っている。しかし、そのかわりに三島の首は完成したではないか。これに勝る事はありますか?少し大目に見てもらっても良いんじゃないですか? と私は誰に言い訳しているのであろうか。


7某日6 一日

二十面相を造りながら続けていた三島由紀夫。なかなか良い感じになってきた。完成も近い事であろう。 人形の顔は、すべて無表情に造る。表情を与えると、その表情にしかならないが、無表情なら、ライティングや角度によって、そこから表情を抽出する事ができる。つまり、使いまわしができるという事である。しかし今回、私の造ろうと考えている三島ばかりは、そうはいかない。少なくても二、三種の表情は必要になるであろう。 昨晩、『我が家のポケット小僧はまだ128センチです。いつでもご用命ください』とのメールをいただく。添付された画像を見ると、可愛らしく、まさにポケット小僧である。しかも父上に激似なのが可笑しい。有り難く参考資料として保存させていただいた。こうなると待たれるのは、黒蜥蜴役の妖艶な志願者であろう。


7某日5 覆面

新作二十面相に対し『これまでのイメージを打破する二十面相』『美貌に傾きがちだった二十面相の風貌を悪人側に引き戻したのは快挙』などと過分な御意見をいただいた。 強面の二十面相といっても、かどわかしてきた少女に「二十面相のおじさん、お口が臭いわ。」といわれ「こ、これは失礼・・。」と思わず言ってしまう程度の人物にはしてみたい。 仮面といえば、私は覆面レスラーが大好きであった。過去形なのは、今は単なるコスチュームになっているからである。昔は今と違って、彼らにはなんらかの事情があり、覆面本来の機能である正体を隠すために被っていたものである。 契約の関係があったり、(契約外のテリトリーで試合をする)オリンピック級のアマチュア選手が生活のため。覆面剥がしの名人、力道山がはがすと禿げていたり、逆に悪役のわりにハンサム過ぎて具合が悪かったりした。さらに指名手配や、奥さんから逃げるためなどもあったであろう。いずれにせよ子供の私は、なんらかの理由で正体を隠さねばならない男達のファンであった。試合前に首に鎖を巻き付けたり、骨付きの肉塊を用意する男も好きではあったが、マスクマンのかかえる”事情”の迫力には敵わないと思えたものである。


7某日4 二十面相撮影

二十面相の表情がリアルに変態的になってしまった。これでは笑えないので昨晩少々テンションを落とした。 第1回目の撮影。シチュエーションが屋外なら、自然光で撮影する。そのままなので解りやすいのが私の撮影である。 近いうちに人通りの無い真夜中、昭和二、三十年代の雰囲気で、銀座、丸の内界隈で撮影してみたい。私は昔から、昼間人が多く、夜は人っ子一人いないという場所が好きでたまらないのである。 しかし時節柄、乱歩が云う所の、おまわりさんが増えている。片手に二十面相、片手にカメラを持ったまま職質にあい、自己嫌悪に立ち尽くすという事だけは避けたいものである。私が警官なら、こんなふざけた男は簡単に許す気になれない。


7某日3 九大訪問記

八重洲ブックセンターにて『夢野久作 ドグラマグラ幻戯』東雅夫編(学研M文庫)03’を購入。71’三一書房刊の『ドグラマグラの夢』(狩々博士著)から、久作九大訪問記が収録されていて面白く読む。 九州日報記者の久作が、『狂人開放治療』のネタ探しに九州帝国大学医学部、精神病科本館を訪ねるという設定で、内容としては、正木、若林のモデル探しにもなっている。 精神病科教授、榊保三郎のインタビューから始まるが、この人物は九大フィルハーモニーを創立し、初代指揮者にもなっている。(第九全曲は本邦初演)榊は後に、九大医学部特診事件(一部の医者が周辺の旅館と手を組み、法外な料金を取り、自宅診療、出張診療を行っていた)により引責辞任(不起訴) 退職は大正14年であるから、残念ながら寫眞帖に写真はない。 正木博士の『正体』の深野治が指摘しているが、榊保三郎辞任の四ヶ月後に、下田光造が着任するが、ドグラマグラでも、精神病科の斎藤寿八の辞任から、正木教授の着任まで四ヶ月である。榊のライバル、高山医学部長も登場するこの九大訪問記は、当時の学界の事情も描かれていて、実に良く出来ている。 寫眞帖にある登場人物の写真を見ていると、イメージも一層リアルなので、もう少しスキャンみるつもりである。回診中の下田光造の背後にあるであろう廊下には、例の柱時計がブーンと唸っていたのではないかと思うと、ドグラマグラの胎児ではないが、私の心も躍るというものである。


7某日2 「女が語る星月夜」 国立演芸場

川柳つくし(落語・新竹取物語) 神田紅(講談・南総里見八犬伝-八房と伏姫) 竹本越孝、鶴澤寛也(義太夫・壷坂観音霊験記-壷坂寺の段) 桂右團治(落語・竹の水仙) 平野啓子(朗読)望月美沙輔(篠笛) 各界の女性演者が七夕、星、月、夜などををテーマに。今流行りの異種格闘技戦のようで楽しい会であった。 その後、今回お誘いいただいた鶴澤寛也師匠と、蕃茄山人氏、エッセイストの坂崎重盛氏と銀座ライオンへ。坂崎さんは若い頃、私の育った葛飾区某駅前の和菓子屋でアルバイトをしていたそうである。饅頭を蒸かす匂いが物凄く良い店であった。小学生の私は数メートルの距離で坂崎さんとニアミスしていたのであろう。 話題がウイリー沖山のヨーデルから灰田勝彦、世志凡太まで及び愉快であったが、その分あっという間に閉店の時間。 手ぬぐいを頂いた寛也師匠には、人間椅子に座っていただくべく、水面下で静かに交渉中であるが、親戚の兄弟を、いずれ少年探偵団の小林少年とポケット小僧に仕立ててとノンビリ構えていたら、ポケット小僧が180センチを超えてしまった事もあり、思い立ったら吉日ではある。


7某日1 九州帝國大學醫學部寫眞帖 再検証

三月に入手した昭和六年の卒業アルバム。届くまでの間、ドグラマグラの舞台の雰囲気を知りたいという事以外に、『九大生体解剖事件』の当事者が写っているのでは、という事ばかり気になっていたのだが、『夢野久作』(夢野久作展実行委員会)正木博士の『正体』深野治によると、久作が記者として出入りしていた九大には、ドグラマグラの登場人物のイメージの素となったと思しき人物がいるようである。 呉秀三が提唱した、精神病患者の無拘束看護の推進。(患者一人に百坪の精神病院構想など) その呉に師事した森田正馬によって創始された、患者のあるがままを受け入れるという森田療法を九大にもたらせたのが下田光造で、その着任の数年後に、久作は『狂人の開放療法』の初稿を脱稿している。そしてドグラマグラ『新案工夫の、世界最初の開放療法』チャカポコの外道祭文となるわけであろう。正木教授の学内批判の部分も、実際の下田教授の就任の事情を反映させたものらしい。 アルバムにある、チョビ髭の下田光造の写真は、ポートレイトと、講義中、回診風景の三枚。(映画で正木を演じた桂枝雀は、確かに似ている)これで、この写真がまさに精神病練の内部という事も判った。 他にも久作、昭和元年の日記に「一月九日 高山博士と白木博士に会ひ〜」とある両教授の写真もある。特に、後に総長になる高山正雄(法医学)は、国際問題に発展した難事件『イルマ殺し』を、世界最初に発見した逆指紋の立証で解決し、この事件を元に書かれたのが久作の『S岬西洋婦人絞殺事件』だそうである。 それにしても教授の写真は、ほとんどが肉筆サイン入りなのが嬉しい?これで、この年に卒業のはずの生体解剖発案者を、学生の中から見つけられれば云う事がないのだが。