明日できること今日はせず  

最新ページ


11某日19 地球は以外に

先日ebayで見つけたレンズがある。田村さんに訊いて見みると、私が探していた広角タイプではなく、フォーマットも大きめであった。しかし面白そうなレンズということで田村さんが落札。昨日もそのレンズの話で盛り上がった。本日の午後連絡が有り、出品者からメールが着たらTom Barilという名前だったという。Tom Barilといえば、田村写真で届いたばかりの花の写真集を見て、その素晴らしさに驚いたのが某日5である。ある時期からロバート・メープルソープのプリントは彼がやっていたそうで、エイズで弱ってからは、撮影も彼だったのではという噂。 そのアメリカ人は始めての出品だそうで、慣れないので直接落札者にメールを出したらしい。しかし、同姓同名などいくらでもいるだろうし、田村さんはファンではないかといっていた。一応メールで訊いてみましょうということであった。ところが夜、興奮気味の田村さんから電話があり、ズバリ本人だったそうである。なんという偶然であろうか。たった一本のレンズのオークションが、日米のプリンターを結びつけたわけで、さらに交流も生まれる予感。地球は広いという話はちっとも面白くないが、狭いという話はまったく面白い。


11某日18 夢か幻

先日、田村さんと古い木製カメラには、古い木製三脚が似合うという話をしていると、ウチにある三脚をくれるという。有り難い申し出ではあるが、あれはいかにも大きい。自転車にカメラと三脚を積んで、軽快に撮影に行きたいのだが、自転車から大分はみだし、重そうである。 本日用事があり田村写真に行くと、出してくれたのが釣り道具に文房具を合わせたような可愛い三脚。「なんだ、これですか。あのでかい三脚かと思った。」というとそんな物は無いという。サイズから質感まで詳細に覚えがあるのだが、どうやら私の夢か妄想だったらしい。 仮に死の床で看護婦さんに、最後に私の作った人形を見たいと言ったら「なに言ってるの?お爺ちゃんは大蔵省を無事勤め上げて、こんな立派なお子さんとお孫さんまでいるじゃないの。」足元を見ると見覚えの無い、不細工な子供が布団を握り締めて、こちらを見詰めていたらどうすれば良いだろう。面倒なので、「そういえば思い出してきた。」と言ってしまいそうである。


11某日17 一日

九州より堀燐太郎さん。以前から雑記を見ていただいていて、近所の煮込み屋へ行ってみたいと言われていた。待ち合わせに行ってみると、お一人かと思っていたら子供を含む総勢4人。中には女優の風間舞子さんまで。子供が一緒でと伺ってみるが快く店内へ。堀さんは都筑道夫の永年のファンで、最近都筑家で未発表の原稿を発見した話など伺うが、とにかく小学校で教わった図工の先生に似ている。初めてお会いした時は写真を撮らせてもらい、地元の知人に送って大ウケしたものである。手まで似ているのが可笑しい。堀さんの座った下には防空壕があるのだが、店はいたく気に入ってもらえたようである。風間さんは世田谷文学館にも来てくれるそうだが、こんなことなら、私のコレクションにサインをしてもらうのであった。


11某日16 女流義太夫の世界 八重洲座

金原瑞人さんプロデュースによる第3回 仮名手本忠臣蔵 三段目 殿中刃傷の段 裏門の段 太夫:竹本越孝 三味線:鶴澤寛也 13時開場ということで、晴天の下、歩いて八重洲ブックセンターへ。前回は雑誌の取材があったが、今回は東京ローカルのTVが入っていた。 近くで観れるところが八重洲座の良いところ。越孝さんの舞台を拝見するのは4回目くらいであるが、師直(上野介)は実に憎々しいし、一変、お軽はなんとも可愛らしく、その表現力に圧倒され釘付け。右に座る御老人も「越孝はいいよー。」と私に。左の蕃茄山人氏はすでに年季の入った越孝ファンである。 休憩のあと絵本『仮名手本忠臣蔵』と『義経千本桜』出版記念、橋本 治×岡田嘉夫対談。子供向けだからこそ手をかけた絵をという話は大賛成である。私も子供時代、内容が面白そうでも、子供のレベルに下がったような絵の本は大嫌いであった。大人は子供を馬鹿にしている。というのが私の当時の印象である。そのせいで挿絵入りの本は避けるようになった。そのかわり、平清盛が高熱にうなされているリアルな挿絵などは、未だに覚えている。


11某日15 ゴング

門前仲町の古書店で『文壇博物誌』などの文壇物や版画の技法書などを物色していると、60年代のプロレス雑誌『ゴング』が積んであるのが目に入る。ビニールに包まれているので、開けてまでと思うが、本を購入のついでに見せてもらったのがいけなかった。表紙では、ジャイアント馬場が、ジン・キニスキーにジャイアントスゥィングで振り回されている。当時は馬場にこんなことができる”格”のレスラーがいたのだ。付録は覆面怪奇レスラー写真名鑑。目の前に広がる懐かしのグラビア写真。NWA、Jヘビー級チャンピオン、ダニー・ホッジのジャージにUSA。ヘルシンキで銀メダルの時のもの。覆面の魔王デストロイヤーの自伝タイトルは『仮面の告白』。元柔道日本一の坂口憲二の父親は、ビッグサカとして、まだアメリカで売り出し中。握力計を壊す”鉄の爪”フリッツ・フォン・エリック。かつて私は、これら異形の人々に、どれだけ夢をみせられたものか。数冊を選ぶ。嬉々として抱えて帰る道すがら、こんなことを神田古書街に行ってまでしてはいけないと戒め、さらにスーパーに寄り、『ゴング』と同量の野菜を買って帰ることにした私であった。


11某日14 シラフで9時間

昔馴じみの友人から夕食でもと電話。彼の車に乗りお台場方面に向うが、混んでいるので空いていそうなファミレスに入る。 彼とは18からの知り合いである。金工家を目指しイタリアに留学までしたが、現在は兄、弟とともに家業の会社を継いでいる。会うのは数年ぶりなのだが、残念なくらい久しぶりという気がしない。畑違いの音響機器の販売に、手を広げようとしているようだが、頭の固い長男の社長は難色をしめしているとボヤク。弟といえば要領よく兄の下で雨宿りのタイプらしい。従業員の若返りも考えているようだが、ピアスに茶髪の若者ではと苦笑する。かつて髪を肩甲骨より下まで伸ばし、蛇皮のロンドンブーツの男が勝手なことを言っている。しかも娘のお受験で大変というのだから時は魔術師である。昔話やら、堅気の世界の愚痴など聞いて、気が付いたら9時間経って午前4時。しかも私は車の友人に遠慮したとはいえ、酒はジョッキ一杯飲んだだけというのだから呆れる。ひたすらコーヒーの友人も、私を相手に酒を飲み、血便を出していたものなのだが。


11某日13 喜びは束の間

田村写真より古典レンズが到着と連絡。アプラナートとかラピッドレクチリニアと呼ばれる形式のレンズである。昔、所有していたレンズ。古典レンズとしては3本目であったろうか。シャッターはゼンマイ式の木製シャッターか、茶筒の蓋を使った。イチ、二と数えてカポッと被せるわけである。 この形式のレンズは開放でF8であることが多い。ラピッド(高速)などと命名されているから、当時としては高速(明るい)レンズだったのである。このレンズを生かしたとは言えないうちに手放したが、実は相当良いレンズではなかったかという思いが残っていた。たまたま差し込み式の絞りが一枚付いた、同じレンズがebayに出ていたので、田村さんに落札してもらった。早々に洗濯を済ませ田村写真へ。『あの頃、僕も若かったが、今なら君と上手くやっていけそうだよ。』というわけだったが、一目見て、あまりに巨大でビックリ。(焦点距離などが判らなかったが画像でほぼ同サイズと判断)これでは私のタチハラ8×10では、ジャバラを最大に伸ばして無限にピントが合うかどうか。幸い田村さんがいずれ8×10以上に挑戦するというので、そのまま田村さんの所有に。糠喜びとはこの事であった。


11某日12 我々は二丁目であった

幼馴染のTより電話。「三丁目の夕日観てきたぜ。お前に言われてハンカチ持ってって良かったよ。」「上野駅凄かったろ?」「いやビックリした。あのまんまだよな。だけど、よく見ようとすると場面変わっちゃうんだよ。」「それはそういうもんらしいよ。お前みたいにアラ探しする奴もいるし。」「いやー良かった。どうせならミゼット、カーブで倒れりゃよかったのにな。」「あったあった。交差点とかで。」「そのあとFと呑みに行ってさ、あいつがこの間郷に帰ったら、ますます東京みたいになってきたってこぼすからさ。ザマミロっていってやったんだよ。少しは東京人の気分を味わえってんだよな。テメエらだけ静かに暮らそうったって、そうはいかねェってよ。生ゴミはちゃんと郷に持って帰ったかーなんてな。」「嘘いえ。思っただけだろ。」「・・まぁ、そこまでは言わなかったけど。土産もらっちゃったし。」「バカ。」


11某日11 一日

昨日から出かけており、なんとか古石場文化センターの、鈴木晶先生のバレエの講座に間に合う。第2回。今日はロマンティックバレエについて。(ロマンティックなバレエに非ず)今回も興味深い映像を拝見しながらのお話。 帰り際、旧知のIさんに声を掛けられ驚く。バレエ好きは知っていたし、ニジンスキーを造っていた時、色々話を聞いたものであるが、ここまで講座を受けに来ていたとは知らず。Iさんも我が家の近くだとは思っていたらしい。久しぶりなので呑みにいく。以前みんなで海に行き、御主人が溺れた時の話など。あれ以来、海はまったく駄目だそうである。あの時、私は一人浜でビールを呑んでいたが、私には、楽しくはしゃいでいるのか、溺れているのか見分けが付かなかった。笑い話になって良かった。積もる話をして帰宅すると、エアーポンプの故障のせいで酸素不足になり、トラシックゴールドが溺れていた。こちらは助からず。ウチで生まれて、ちょっとしたお祝いの鯛くらいのサイズになっていたのに。残念なり。


11某日10 乱歩邸土蔵

AM10時に乱歩邸へ。本日は土蔵内の撮影だが、人形遣いの役目はなかった。休日の世田谷文学館に無理をいって展示中の乱歩を借りてくるので、私が現場にいないわけにはいかない。人形の到着を待つ間、隣接する立教大学の屋上から乱歩邸を撮影するというので、カメラマンと屋上へ。乱歩邸の様子が一目瞭然。各棟の屋根が複雑に組み合わさっている。下で見るのと大分印象が違う。 人形到着。私はただ人形の出し入れをし、あとは撮影が終わるのを待つだけである。途中スタッフが外へ出て、土蔵内に私一人の状態に。何ともいえない心持ではあるが、相変わらず冷え込む。番組進行役のOさんの座る位置にあわせて、人形がセッティングされるのを見学。映像のプロのライティングは、なかなか細かく勉強になる。凝り出すとキリが無いのは同様のようであった。 Oさん登場。ディレクターの要望に対し、アドリブで語り続けるのに感心する。実に繊細な感じの人で、カレーを食わせろと叫んでいた人とは思えず。プロデューサーによると私の作品は、人間がゴムのマスクのような物を被っていると思ったそうだ。始めOさんに被ってもらい〜などと考えたそうである。そう思った人が以前にもいた。


11某日9 屋根裏の乱歩

乱歩関連番組収録のため。スタッフと共に東京駅八重洲口から所沢に向かう。屋根裏が撮影できるスタジオと聞いていたが、本物の木造アパートであった。東映時代の渡瀬恒彦が、逃亡中に女にかくまわれている部屋という雰囲気。室内の撮影の後、屋根裏へ。考えてみると、こんなところから部屋を見下ろしたことはない。乱歩を少し動かそうということになり、私が黒子となり人形に少々演技をさせる。ホンのわずかな動きであるが初めての試み。(ウチでは一人でやっているが) 屋根裏に何故か昭和30年代の文藝雑誌。グラビアには、家でくつろぐ高見順夫婦や、三島と結婚前の長女を含む、杉山 寧一家。 狭いところで窮屈な撮影だが面白い。私が屋根裏で人形を支え、下から天井の隙間越しに、など色々撮影したが、いつかのETVのように、土壇場でカットになりかねない局なので、詳しい事は書かないでおく。明日は乱歩邸へ。


11某日8 『ALWAYS 三丁目の夕日』 イトーヨーカドー木場店

昭和30年代の東京というと、現在状況的に、もっとも再現しにくい世界であろう。しかしそれを補うCGは想像以上に凄く、大通りの情景には息をのみ、上野駅構内には思わず身を乗り出す。最初は背景ばかりに気を取られていたが、耐えている子供の顔がズルイくらいに出てきて、涙でズルズル。私が一番苦手とするところである。平日の4時ということで客席がガラガラで助かった。TVの宣伝ではどうかと思っていた吉岡秀隆が想像以上に良く、訳有りの女を演じた小雪も良かったが、あの時代に小雪の手足の長さはありえない。 CGの都合なのか、背景の空が青空に雲がポッカリというシーンが無く、ほとんど曇ったような空だったのが残念といえばいえる。昭和30年代は青空ばかりだったと思いたい。 それにしても、後に日本がこんな事になるとは知らず、明日を信じた庶民の姿がなんとも切なく、それがまた泣けたのであった。


11某日7 酉の市

隣りの煮込み屋(正確には駐車場をはさむ)に出かける。4時開店8時閉店の店である。ホッピー、酎ハイといえばここに限る。たまに領収書下さいという無粋客がいて、みんなに笑われている。 今日はお酉様。常連を残し、客が帰るのを待ち、若手サラリーマンが暖簾を入れ後片付け。古い熊手を外し、女将さんを囲んで15,6人、ゾロゾロと富岡八幡に向かう。 今年の熊手はたいそう立派である。青竹に注がれた酒を振舞われ手締め。 先頭で熊手を持つは、地元のサラリーマン。その嬉しそうな顔は聖火ランナーの如し。何度も記念写真を撮りながら、お年寄りの女将さんを支えるように店に戻る。寿司やらなにやら御馳走がならび、酒宴が再び。口は悪いがみんな良い人ばかり。下町には狭いところに住む人特有の気遣いがあり、これがすべてであり風景ではない。 その後もう一件。とっくに看板の店なのに、親父さんが店内で飲んでいるところに乗じて、また一盛り上がり。山形出身の親父さんが、親類が送ってきたらしい、大きいラフランスのような果物をまな板を持ち出し切ってくれたが、この店には似合わない芳しい香りであった。


11某日6 魚と語らう

ウチで生まれたフラワーホーン。なかなか頭が良い。稼動部分が多い魚は、まっすぐな棒が浮かんでいるように見える連中よりは、当然脳みそが発達しているようである。餌を私の手から食べるが、それはいつも腹を減らしているからで、私に慣れているのとは違う。そこで、頭を撫でてやり、それから餌をやるようにしてみた。こうなると水中犬のようで可愛いものである。しかし、それも餌をやる前だけであって、餌を食べた後に触ろうとすると逃げる。しょせん犬畜生以下の魚類。目的は私との心の交流などでなく餌のようである。「そうか判った。お前がそういう了見なら、こちらにも考えがある。餌が欲しくば、もっと身体を触らせるんだな。」 水槽の前で、魚相手に悪代官のような私であった。


11某日5 『庭園植物記』展 東京都庭園美術館

私の写真の良悪しの判断基準の一つ。(あくまで一つである) 写真と同じサイズのフレームがあり、そこには写された実物がある。さてどちらが見たいかである。たとえばフレームの中に、美女が裸で微笑んでいれば、そっちの方が見たい。ヨセミテ公園を巨匠が撮ったところで、実景の方を見たい。よって私にとって良い写真は非常に少ないことになる。先日、田村写真でTom Barilの花の写真集を見たが、花に興味がない私が見惚れた。私にとっては花そのものより良いわけだ。そんなこともあり、雨の中最終日の庭園美術館へ向かう。ここへ来るのは始めて。明治期の小川一真の作品が面白い。ゼラチンシルバープリント(いわゆるモノクロ写真)といっても今の印画紙と違う。影を消したりして、日本画のパターンを踏襲していて興味深かった。南方熊楠の手書きのキノコ。小さな文字が細かく書き込まれていて、性格が出ている。他に現代作家の作品も展示されていたが、土門拳などは、私にはどこが良いのかサッパリ解らなかった。


11某日4 決定版 三島由紀夫

ニュースによると、新潮社の『決定版 三島由紀夫全集』により、十代で書いた短編小説五編をはじめ後年の書簡五十四通、創作ノート十六点など大量の未発表資料が公表されるそうである。早熟の天才の形成期を物語る貴重な資料らしい。それと三島の作とされていた『愛の処刑』の自筆原稿がみつかり、それも全集に入るそうである。『榊山 保』名義で書かれたものである。私は昨年7月、某日8日に読んでいる。三島作を隠すために、他人に書き写させたりしたそうだが、たしかに題名からしていかにもダサイ。三島作と断定されたことにより、「憂国」61’や70年の自決をめぐる研究が進むとみられる。という事だそうである。 ハラキリは大変なことだが、もっと大変なのは介錯人を得ることであろう。はたして三島のとった方法以外に、介錯人を得る方法などあるだろうか?


11某日3 搬入

いつもお願いしている近所の赤帽さんの車に同乗し、世田谷文学館へ。車が大きいこともあり、搬入先が都内の場合お願いしているが、車中の会話が楽しみである。しかし今回も早く到着してお昼休み。なにしろ江戸っ子なので常に早く着きすぎてしまう。いつぞやは作品と共に、ビルが開くまで一人待つことになってしまった。こうなったら来てもらう時間だけを指定し、行く先は内緒にしておくしかない。 会場にはすでに額装された写真が並んでいた。20点の並びを考え、人形のライティングを決めていく。まだ雑然としている展示品を眺めているとムットー二氏。「こういう方だったんですか」と言われる。実はそうなんです。 特に問題もなくスムーズに終わる。楡家の人々の青山脳病院の模型や、三島の自筆の推薦文など楽しそうだが、全体像は今度ゆっくり観ることにする。中井英夫を取り巻くバラを忘れたので、初日は開館前に行かなければならなくなってしまった。


11某日2 美しい男

昨夜ビールを御馳走になったカウンターバー。こじんまりした普通のバーだったと思うが、そのわりにカウンターの中にいる男達が無駄に綺麗であった。一人の男は手まで美しい。女のような手ではなく、普通の男のようにゴツゴツしてもいない。私の辞書には載っていなかったので、こういうジャンルがあるのかと感心する。女性にしか見えない人や、いわゆるハードゲイというのは判りやすいが、あのタイプの美しさと言うのは奥が深そうで本格という気がする。だいたいそこらを歩いてないし。 私の作る作家のラインナップを眺めると、どうしても避けて通れない世界がありそうである。野坂昭如が十日ほどカウンターの中に入り、三島や中井英夫が通ったというブランズウィックは、二十面相の尻の横あたりにあったらしい。


11某日1 一日

知人に見せてもらった雑誌に、ある写真家の作品が掲載されていた。技法は簡単な仕組みのようだが、これは面白い。ネットで検索してみると話題にもなっているらしい。しかし同じ手法で、すでに海外で制作している人物がいてガッカリ。昔NYに行った時、たった4泊5日のツアーで、未だにこの辺の物を、早く日本に持ち帰った人が良いということになっているのを思い知らされ、あきれたものである。真似るならそれもかまわないが、自分が考えたような顔をしているところが貧乏臭い。こういう場合、本家にバレないよう、世界的にならないのがコツのようである。国内のものを持ってくると寺山修司が叩かれたように大騒ぎするわりに、外国のものはかまわないらしい。明治以来、よその田んぼで、どんな稲を植えているか気になる日本人。キョロキョロしているより、ジッと目を閉じる事の方が大事だと思うのだが。 学ぶとは真似るからきたらしいが、博物館にでも行けば延々と学び続けても、それほど効果が上がっていないことが解る。そう思うと、たかだか同時代に生きる先生に学ぶ効果は、あまり期待できない。と思ったのは子供の頃であった。