明日できること今日はせず  

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12某日19 大晦日

今年は初めて本を出版したことが、一番の収穫であろう。個展を催すのとは違い、なかなか面白い経験であった。追い詰められるとまだまだ妙なものが出てくることを確認。 最後にピクトリアルレンズを入手したことも収穫であった。これが私にどのようなことをもたらすのかは、まだ判らないが、いままで越えられなかった山を乗り越えられるかもしれない。大判カメラによる人形撮影は、35mmと違って撮影法を確立していないのである。まだ出来ないことをやるほど、面白いものはない。


12某日18 忘年会

毎年恒例の友人との忘年会は、いつも仕切っていたHが欠席で危ぶまれたが、これをしないと二年会わないことになりかねないので集まることに。鋳造、鍛造関係の連中ばかりになったので、そちらの地元埼玉は川口で。すすけたようなキューポラのある町が、マンションが立ち並ぶ町に激変していて驚く。それにひきかえ友人達は、あきれるほど相変わらずである。7,8年ぶりに会う先輩も合流。おかげで7時から始まり、解散は午前5時。 やもめの友人宅に泊めてもらう。健康診断なんて、そんなものといってるわりに、なんとかのヨーグルトだとか、ビタミンだとか、やたら詳しくなっており、しまいには毎日飲んでるという手製のシジミ汁まで御馳走に。中国産は絶対食べないとも。我々はみんなそうだが、検査が怖いだけの小心者の集まりなのであった。


12某日17 ピクトリアルレンズ2

ストラウスのレンズは、アルミの鏡胴ということもあるが、それにしても軽い。水晶を溶かして造ったレンズは黒っぽく見えるそうだが、たしかに黒糖入りレンズという感じである。紫外線を透過したり、普通のガラスとは違うらしく、F5.5のわりにファインダーが明るく見える。貼り合わせのない1枚玉で、その場合、凹面が被写体、凸面がフィルム側に向いているはずだが、凸面が被写体側で、フィルム側は、ほとんど平面に見える。想像していた、いわゆるソフトフォーカスレンズとは違い、たしかにピクトリアルレンズというのがピッタリである。とにかく今まで観た既成のレンズとは大分趣が違っている。いずれストラウスが撮った映画もチェックしてみたいものである。 絞りが随分先の方に着いていて、焦点距離が9インチのわりに、4×5がぎりぎりである。今月4×5インチのカメラを入手していなかったらガッカリしたところである。これも流れというものであろう。


12某日16 ピクトリアルレンズ

田村さんから電話。ストラウスのピクトリアルレンズ。この出品者から他のものも落札し、それは届いているのにレンズは届かず、待てど暮らせど1ヶ月。事故かもしれないとのこと。先方はとっくに発送済みだという。色々調べたが行方不明。しかたが無い、もう少し待ちましょう。電話を切って数十秒。再び電話「今届きました!しかし、これはレンズの重さじゃないです。軽い。」開けてみると「これは?始めてみる・・・。」とりあえず田村写真に向う。思い入れたに関わらずスカだったか。田村写真を開けると田村さん「大変なことになってますよ!」告知はやめて!すぐには。 すでに分解されているレンズはホコリが積もっている。(日本では考えられないが、アメリカ人は埃さえもそのまま送ってくる)一枚の薄っぺらなレンズ。「これは水晶ですよ。」興奮気味の田村さんが洗浄すると、なんとピカピカな薄いレンズ。1909年特許にかかわらず、微妙に非球面だという。持っていった5×7インチの木製一眼レフ、グラフレックスに装着すると、張り合わせ無しの1枚レンズに関わらず、色収差も補正され、フレアーのはみ出しの無い、とんでもなく美しい描写をするレンズであった。牧神のいたずらであろうか。しかし私の絵図は当たった。田村さん曰く「石塚君の執念勝ちですね。」カール・ストラウスが1916年、アメリカ公演中のニジンスキーに向けたレンズは、このレンズである可能性が高い。


12某日15 力尽きたレンズ

毎日、手持ちのレンズをボードに付け、ああだこうだと、とっかえひっかえしている。来月からは集中して人形を作らないといけないので、こんなことをしてられるのは今のうちである。この距離には、このレンズ、こういう光の時はこれと、考えているのだが、なにしろ現代のレンズと違って万能ではないので、使い道の幅が極端に狭い。いざ撮影という時に迷いたくないので、今のうちにイメージしておこうと言うわけである。 しかし、たとえ100年以上前のレンズだろうと、有名メーカーのレンズは、存外に性能が良いことが多く、なにもわざわざ古いレンズを使わなくても。となることが多い。その点、例えばNYはロチェスターあたりには、後にコダックに吸収されていった弱小カメラ、光学機器メーカーが集まっていたようである。ヨーロッパからの移民一世のレンズ磨きの親方などもいたであろう。そんな小さなメーカーが、がんばったけど、今の俺たちではここまでが精一杯。ドッと力尽きた感じのレンズが、私に喜びをもたらしてくれるような気がしているのである。先に名前だけで入手した広角レンズも、うまい具合に力尽きてる。


12某日14 編集者

『乱歩 夜の夢こそまこと』担当編集者の鈴木さん、デザイナーの北村さんと、私のテリトリーで忘年会。連日飲み続けだが、私は二日酔いをしたことがないので、そんなことが可能である。鈴木さんとは取材で知り合ったが、取材を受けるたび勤め先が替わっていた。昨年の11月。江戸東京たてもの園の展示を知らせようと久しぶりに電話をすると、やはりパロル舎に移った直後。たてもの園はすでに観て来て、入社早々私の作品集の企画を出してくれたそうである。乱歩の写真は20点以上ある。どうせだったら乱歩だけでと提案すると、それで決まってしまった。しかも大判の作品集というより文芸書の体裁でということになり、私のイメージしていたより小型でページ数の多いものになった。そうなると、今までの合成を使っていない作品では、人形が常に最前に配されているので、毎ページそれではもたないと気付いたのは後の話で、結果ほとんど撮りおろしということになってしまった。半年間、父の墓参りは後回し、夜の夢こそまことというわけで、友人の結婚式など生臭いものには出てられない。おかげで昨年大晦日の雑記に書いたように、昨年の私があきれるものにはなった。 編集者の鈴木さんはというと、流れの板前という話は訊いた事があるが、例によって、すでに別の出版社に移っているのであった。


12某日13 賞

ノミネートされたという日本推理作家協会賞だが、ネットで検索して、歴史がある大変な賞だということが、だんだん判ってきた。判ったところで何しろ畑違いではあるし、意外すぎてプレッシャーなど何も無い。しかし、誰かが見ていてくれるというのは、意外な所ほど嬉しいものである。そもそも私には、狙った連中にはウケないという永い歴史がある。 賞には縁が無さすぎて、期待の仕方もわからないくらいだが、幼稚園や小学校低学年のころ、お習字で何か貰ったような記憶がなんとなくある。はっきり覚えているのは中学一年の時だったか、夏休みの自由課題の宿題で金賞を貰ったことである。(たんに校内である)それは何種かの血液標本であった。もちろんガラス瓶のなかでタプタプしているような物ではなく、採取した物を染色し、バルサムで貼り付けたプレパラートである。それに顕微鏡で見た絵と感想を書いたノートを付けた。これは未だにとっておけばよかったと悔やむものだが、当時は祖母に買ってもらった顕微鏡で、片っ端から、あらゆるものを覗いていたものである。採取した生物の種類と採取方法は忘れたことにしておく。戻ってきた標本には、短冊に切った金紙が貼り付けてあった。


12某日12 ヘッポコレンズ炸裂

レンズを装着した木製カメラを持って田村写真へ。ポラロイドで広角レンズの試し撮りをする。田村写真全体が疾走しているように映る。これからタイムスリップするかのようである。あまりにも酷いが、このくらい酷くないと、私の場合は使い物にならない。世界がそのまま写るレンズなど私には使い道が無いのである。田村さんが入手したレンズも見せてもらうが、これがまた良い感じのソフトフォーカスレンズ。もう一本は期待したより性能が良くて、ちょっとガッカリしたりと、他所ではできない会話が楽しい。 帰宅後、近所の文化センターでバレエの講座、第3回目。『クラシックバレエ〜白鳥の湖からくるみ割り人形まで』例によって素晴らしい映像を拝見しながらの講座。しかし女性ばかりの受講生の中、どうしても毎回、一度は頭に浮かぶのが、『私は何故ここにいるのだろう?』ということである。隣りの部屋はどうやら腕相撲愛好会の集まりをやっているようなのだが、よっぽどこちらの方が似合いそうである。帰り際チラッと覗くと某プロレスラーらしき人物。講師の鈴木 晶先生に質問させていただきながら帰る。


12某日11 レンズ

某日8の、U・NEHRINGという、よく判らないメーカーの広角レンズを、自作の凹ボードに装着。4×5の風景はこれでいこうと思っている。写りはどうかまだ判らないが、愛着を感じているので良い作品ができるだろう。はたから見ると、ヘッポコレンズを意地になって使っているようにしか見えないかもしれないが、気分が大事である。 某日1のピクトリアルレンズは、正確にいうと入手ではなく落札である。未だ届いていない。ピクトリアリストでニジンスキーを作っている人物など私の他にいるはずもないが、偶然は小説の中にしか無いとは、アリゾナに住む友人の言葉。これは私が持つべきであり、持ったからには名作が生まれる事は決まっている。私という物語の主人公が本当に私なら、こんな筋書を立ててもバチは当たるまい。だいたいあの雑記は興奮して落札の2日前にすでに書いてしまっていた。締め切りの1分前に、価格が10倍以上に跳ね上がったのは想定外であったが、落札後、すぐにアップした。レンズの実力は届いてみないと判らないが、イメージは歴史どころか光軸さえ変化させる。そうしたものである。はたから見ると、ヘッポコレンズを意地になって使っている人とそっくりかもしれないが。


12某日10 一人工作する男

作り直した部分に塗装をする。見た目もさることながら、塗料でコーティングして、水分による割れなどを防止しなければならない。西葛西の日曜大工センターに向かう。 だだっ広いセンターはガランとしていた。ついでに使えそうな物を物色。ここは昨年亡くなった日曜大工好きな父と、たびたび訪れた場所である。買い物を済ませ駅に向う途中、1月某日11で『誰も居ないところで一人工作する男ほどシミジミとする物はない。(ただしそれを仕事としていない堅気に限る)私は友人の部屋に、マッチが井桁に積み上げられているのを見ただけでシミジミしてしまう。』と書いているが、それは実は父の姿をイメージしていたのだと突然気付く。そう思うとホロリとしてしまい止まらなくなってしまった。私も随分焼きがまわったものだが、冷たい向かい風のせいで、こんな表情になっているという演技をしながら、家路を急いだのであった。


12某日9 一日

購入したばかりのカメラは相当古い。木製の部品が一部反っているので、作り直すことにする。なにしろ何十年も前に消滅したメーカー。なんとかするしかない。また新木場に向う。先日の職人さんに加工してもらうが、工作機械が無いので加工できない部分があり、そこは自分で加工する事に。今日は素直に電車で帰る。 夜、阿佐ヶ谷に出かける。拙著にて、首を吊ったり、椅子の中に入ったり、若い時代の乱歩の身体をやってくれた谷口さんと待ち合わせ、『吐夢』で軽く飲んで、久しぶりに『奇譚倶楽部』へ。(酒場であり、妙な倶楽部にあらず)看板も無い入り口に、営業中の合図の電球が灯っていた。オーナーの矢野さんが製作したCDのジャケットを撮影した縁であるが、CD製作現場を撮影した渡邊孝好監督とも再会。店内は『三丁目の夕日』の話で談論風発。どうもあの映画で泣いたのは東京出身者だけのようである。 ここへ来ると、いつも時間が経つのを忘れるが、『酔鯨』を美味しくいただいて帰る。帰宅すると、『乱歩 夜の夢こそまこと』の編集者から、推理作家協会賞ノミネートのメール。何とも有り難いことである。


12某日8 明智小五郎と再会

田村さんのところへ届いたレンズをとりに行く。ebayで落札し、イギリスから届いたものだが、シャッター無しの前後のレンズのみ。こんな物を欲しがるのは世界に誰もいないだろうと思ったら、案の定誰も入札せず。送料込みで4000円くらい。このメーカーのレンズで良い絵が出来たことがあったので探していたのである。 手持ちのシャッターにピッタリであった。このところ勘がさえている。夜、拙著『乱歩 夜の夢こそまこと』で明智小五郎を演じていただいた市山貴章さんと久しぶりに会う。考えてみたらゆっくり話すのは始めてであった。大河ドラマに出演のため乗馬の稽古中とのこと。最近生やしているという髭が似合っていた。


12某日7 焼き鳥屋

田村さんと上野近辺のカメラ屋を巡る。数年ぶりに訪れるが、店も無くなっていたり、様変わりしている。街はたまには出かけないといけない。交差点で油井昌由樹さんとバッタリ。ストラウスのレンズの話をすればよかった。 収穫もなく帰宅。どうしても通らなければならない、焼き鳥屋の前で親父さんと立ち話。昨日、近所の店で飲んでいると親父さんが現れた。近所のくせに、四十年ぶりだという。昔馴染みなのに同業者というわけか、何を気を使っているのだと思うが、それも下町らしい。私の姿を見て、意を決して入ってきたらしい。迷惑かけなかったかと気にしてるが、迷惑どころか私のジョッキに飲んでるそばから注いでくれて勘定まで。何も覚えていないらしい。今日はうちで飲んでけということで、飲み始めると、まもなく暖簾をしまい、おかみさんと三人で。この店は暖簾を入れてから、メニューに無い御馳走が次々と出てくるという妙な店である。親父さんの愉快な昔話で盛り上がる。しかし、またこの親父のおかげで『私のこだわり人物伝 幻影城へようこそ』を見逃してしまった。第3回には、乱歩の人形が少々映るようなので、来週はこの店の前を通らないことにする。


12某日6 食堂

最近、近所の食堂に、日に1、2回通っている。日替わり定食に果物まで付いていて、なんとなくバランスが良いなと思ったのがきっかけだが、頻繁に顔をだすものだから、店主のお爺さんががまた来たという顔をしている。(もちろん笑顔である)荷風ほどではないが、私も何とはなしに、同じ店に通い続けるところがある。中華ソバは450円。他は特に安いというわけではなく、美味いかというと、特別そういうわけでもない。コップに注がれる日本酒は甘いし。酒の肴にニラ玉を頼もうが、定食を頼もうが、ヤクルトが付いて来る。しいていえば、それが気に入っているのかもしれない。つり銭を小さな皿に入れて、私の手の中に注ぐように入れてくれるのも気に入っている。 今日食べた定食の焼き魚の皿には、目玉焼きが付いていたが、御飯に載せ、醤油をかけて食べてみたら期待をしていなかった分、絶妙な半熟具合に虚をつかれ、思わず目を瞑ってしまった。コロッケや目玉焼きに、醤油かソースかというのはよく戦わされる議論だが、私は不思議でしょうがない。醤油で食べたい日もあればソースの日もある。 明日はソースをかけてみるつもりだが、明日がやはり醤油の気分であれば、明後日ソースにするつもりである。


12某日5 散歩日和

ネガとポジが同時に取れるポラロイドフィルムを使うため、4×5インチのカメラを購入。製作年代不明の木製カメラ。材は枯れまくっていて軽い。さっそく手持ちの1800年代製、ペッツバール型レンズを着けてみたい。レンズボードを自作するため、新木場の木工所へタクシーで向かう。幸い運転手はその木工所を知っていた。「そこなら、三つ目通りをまっすぐですね。」着いて見ると新木場駅の目の前である。 カメラに使っているボードは規格外の厚みなので、板を薄くして5枚分をカットしてもらう。帰りは歩こうと三つ目通りを行く。というか、行ったつもりだったのだが・・。途中何度か道を聞くが、全員「ヨソから来てるので。」私が道を聞くと、たいていこうなる。何とかなるだろうと歩き続ける。道路標示を見るが、そこは方向音痴。地名が判ったところで何の意味もない。埋立地の殺風景をどこまでも。こうなるとすでに意地になっているし、道を尋ねるにも、『なんでそっちへ行く人が、こっちから歩いてきたんだ』と思われるのがシャクで聞きにくくなっている。二時間近く歩いたところで辰巳駅が見えてきた。いい加減くたびれて地下鉄で帰ることに。見るとこの駅は新木場の隣りの駅であった。距離は○○しかない。随分器用に歩いたものである。


12某日4 1日

見逃してしまった番組を、録画していた人から借りて観る。私が人形を動かしたところが映っていて満足する。クレジットには『人形制作』を入れてもらうことにした。 ここ最近、フィルムサイズとレンズ、被写体(人形)のサイズとの関係について、色々考えている。大判カメラによる撮影を計画していて、頭に浮かんでいる映像があるのだが、その画質に合うレンズとはどんなものか、ずっと考えているのである。だいたいは布団に入ったまま目を瞑っているので、はたから見ると、ただ寝ているようにしか見えないかもしれない。そして熟考していると日が短いので、あっという間に暗くなる。何かヒントになるものはないかと、近所に飲みに出かけるのだが、そんなものは無いことを確認して、また目を瞑るのであった。


12某日3 1日

4時過ぎに相変わらずの店で飲んでると、常連の映画プロデューサーのYさんがみえる。アメリカ映画の『SAYURI』は芸者が振袖着ていたりと酷いらしいと言う。アメリカ人が中国人を主役に日本人を撮るというのは、いかにも危ないが、やはりそういうことらしい。松田優作にしても『ブラックレイン』では、昔のクリストファー・リーのようなおかしな芝居をやらされていたから、あちらの映画とはそういうものなのであろう。「日本の軍人は泣かない。敵の前で泣くくらいなら腹を切る。」といってカットさせた三船敏郎が懐かしい。 食事に行こうと、焼き鳥屋の前を通ると、親父が「鯛の頭煮てあるよ。うんめえぞ。」という。焼き鳥しかないはずなのだが、最近はサンマなど焼いてくれる。もう、相応に飲んでいたのだが、親父の笑顔につられて入ってしまう。みると立派に煮あがった物が出てきた。これは飲まないわけにいかないだろうと、さらに飲んでしまう。こんな物を食べさせれば、部品をすべて分解し、イナゴの大群にも負けない。あとはいただき物のリンゴでも食べればいいやと帰宅。11時過ぎ、「NHKの乱歩観たよ。」という友人の電話に起こされた私であった。そして、いただいたメールになんと返事をだそうかと、悩んでいる本日の私である。再放送まで、パソコンの調子が悪かったことにするわけにはいかないだろうか。


12某日2 ドイツ人のヘンさを堪能

早朝に目が覚めたので、富岡八幡の骨董市へ。三島自決直後の週刊誌を買う。直後だけに生々しい。寝床で読みながら昼過ぎまで寝て、近代美術館の『アウグスト・ザンダー展』を観にいく。始めに同時開催の『ドイツ写真の現在展』 炭鉱の採掘塔などの近代建築を、同じ条件で撮り続けるベッヒャー。いかにもドイツ人らしい。夫婦の共同作業と始めて知った。美しいプリントを堪能する。面白かったのがトーマス・デマンド。一辺が2メートル以上のカラー作品。室内や廊下、浴室を撮っているのだが、一目見て妙な感じを受ける。その理由が解らないまま、解説のチラシを読みながら次の部屋へ。ところが、実物大の紙製の模型を自分で作って撮影した物と知り、あわてて戻って見直す。それはヒットラーの暗殺未遂事件や、猟奇殺人事件現場を再現したらしい。読まなければ解らない作品に興味は無いが、それを抜きにして充分面白い。この妙な感じは図録では伝わらない。もう一人面白かったのはロレッタ・ルックス。子供に衣装を着せて撮影し、別に撮った背景とデジタル合成。この作品も実にヘンで面白かった。ザンダーは作品集などで馴染んだ作品ばかり。当時のドイツ国民を片っ端から記録した作品だが、ヘンな人を選んだわけではないのだろうが、普通という事の不気味さが出ている作品である。


12某日1 ピクトリアルレンズとニジンスキー

カール・ストラウスという人物が1909年に製作、特許を取得した”ストラウス・ピクトリアルレンズ”なるものを入手。 【Karl Struss】 (1886〜1981)写真家であり映画撮影技師。 コロンビア大学でクラレンス・ホワイト等と学んだ後、1910年、スティーグリッツのピクトリアリズム運動に加わる。ホワイトのスタジオを引き継ぎ、商業写真家としてヴォーグ、ハーパスバザーなどの仕事をし、さらに数年後ハリウッドへ。1928年にはF・W・ムルナウの『サンライズ』で撮影部門のアカデミー賞を受賞している。その他『ベン・ハー』25’『ジキル博士とハイド氏』32’『チャップリンの独裁者』40’『ハリウッド大通リ』36’『ターザンと密林の王女』51’『ライムライト』52’『恐怖の蝿男』58’『恐怖のワニ人間』59’等々。このソフトフォーカスレンズは、映画にも流用されたようなので、彼の撮影したラブシーンに使用されたに違いない。日本では清里フォトアートミュージアムにプラチナプリントが収蔵されている。 ピクトリアリストを自称する私としては、このような経歴を持つ人物が製作したレンズとなれば、当然興味を持つわけだが、しかし、入手にいたった理由は別にある。1916年、アメリカ公演中のニジンスキーをストラウスが撮影していたからである。『ティル・オイレンンシューピーゲル』を演じる妖しげなニジンスキーの姿が残されているが、描写からして、このレンズを使用した可能性も高い。私はレンズと同時に、それにまつわる物語も入手したわけだ。 それにしてもニジンスキーは、いったい私に何をさせようというのであろうか。