明日できること今日はせず  

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10某日18 禁煙後

検診に行く。おかげで知りたくなかった体重の増加量が判ってしまう。もともと痩せていたのが太ったわけではないところに問題がある。しかし、その代わりに肺のレントゲンは綺麗になっていることを、フィルムを比べて見せてもらった。前髪垂らしたロックな若い医師であったが、どうしても職員室に呼び出された生徒のようになってしまう。どこかに痛くしないでとか、悪い結果を告知しないでという情けない心理が働いているのは間違いないが、笑顔で綺麗になった肺の説明をされると、信頼すべき、優秀な医師に思えてくるのは当たり前な話である。だいたい検診の医院を替えたのは、前の医師が、私より太っている奴に言われたくないと思っていたら、すっかり痩せたと聞いたことと、いちいち眉間にシワを寄せるようにして数値を説明するのが気に食わなかった。飛行機が揺れると、その間ずっとスチュワーデスの表情をから視線をそらさない私に言わせると、思ったことが表情にでる医師は、即刻廃業すべきである。(私が本当の事を言ってくれと懇願した時は、本当の事はけっして言わないでくれという事だと、近しい連中には、そろそろ知っておいてもらうべきであろう)というわけで、その優秀な医師から、ついでに風邪薬を処方してもらい帰ったのであった。


10某日17 繁殖計画

3時に高田の馬場駅にて、フラワーホーンのメスが入った手提げを持ったTさんと待ち合わせる。寸前に鶴沢寛也師匠が目の前を通ったらしい。 心なしか切ない表情のTさん。初めて飼い育ててきた魚を、繁殖のためしばらく手放すわけである。 会社で待つHもすでに準備は万端。指南書では、繁殖の場合、20センチ以上のペアを推奨しているが、もっと小さい方が繁殖は楽である。ただし、オスはメスより大きいことが絶対条件だが、Tさんのメスは、どうみてもHのオスより大きい。オスは興奮しているが、メスから見ると小さくて物足りないのか落ち着いてしまっている。しばらくオスを大きくすることに専念することにする。上手く行けば良いのだが。 無事水槽に落ち着いたということで、焼き鳥屋にて乾杯。熱帯魚談義で盛り上がったところで、デザイナーの北村武士さんが合流し、さらに楽しく飲む。


10某日16 相変わらず

義太夫三味線の鶴沢”人間椅子・佳子”寛也さんから、咳は、はちみつにおろし生姜で止まりますとメールをいただく。私も当然聞いた事はあるが、いまさらという気がして試すこともなかったのだが、寛也さんに言われると、喉が大切な義太夫の太夫は昔からそうしているのだろうと思われ、急にやってみる気になった。のど飴は何個食べたか判らないし、のど直撃のスプレイも2本は使った。 ひき始めの頃、実家に寄ったので、ひょっとして風邪かと思い、風邪薬はないかと母に聞いたがそんな物は置いていない。77になった母は、風邪はめったにひかないし、寝込んだことなど無いのである。私が小学校の低学年の時、熱を出して寝込んだ時、横で寝ていたではないかというと言うと、あれはギックリ腰だったという。父の長患いの看病で大変だった母だが、ドサクサに紛れて気が付いてみると、本人はいたって丈夫である。来月早々、二人で泊りがけで出かける予定なので、いい加減私も完治しないといけない。


10某日15 一日

風邪で医者に行くという習慣がないし、薬なんて飲まなくても放っておけばという考えのせいで、ここ3日、喉は痛いし咳が止まらずで熟睡ができない。うがい薬は使っているが、調子が良いのは直後だけだし、のど飴の舐めすぎで舌がヒリヒリしている。こんなとき無理して声を出し、以後ジョー・コッカーみたいな声になったら、それも悪くないなと考えるそばから咳がでる。 しかし寝床に入っていようがどうしようが、手さえ動けば何か作ってしまうわけで。三島もさらに完成に近づいている。何パターンかの撮影はすでにイメージしているが、本人とは違って、文学などとは無縁なキャラクターばかりになるであろう。私の作家シリーズは、世間の目の届かないところでコッソリ見せた場合に、御本人にウケたいというのが、私の第一の願望である。


10某日14 仮面の告白

道端で力尽きた汗にまみれ、もみ上げ豊かな半裸の青年。死体のかたわらに転がる肥桶。遠くに輝く海原のように、陽炎越しにキラキラ光る、ぶちまけられた血液雑じりの肥。思わず鼻をつまんでしまうような光景である。 肥桶といったってどんな物だったか。と思っていると蕃茄庵日録22日。『実物の纏(複製品)が展示されていて、自分でそれを振り持って、重さを実感することができるのも面白い趣向だ(他に千両箱や肥たごの重さも)』と江戸東京博物館の展示の様子。こういう偶然が危険である。いったい神様は私に何を作れとおっしゃるのか。私はそんな物作りませんよ。でも、いちおう見るだけ見て来よう。♪


10某日13 お見合い

夕方、高田の馬場のHの会社へ出かける。後からTさんも合流。 熱帯魚を飼ったことのないTさんがフラワーホーンを飼いたいというので、Hとともにいきつけのショップへ連れて行ったのは数ヶ月前。たくさんの中からTさんは1800円のチビを撰んだ。その時はセコイ一匹にみえたのだが、いつの間にか我々が飼ってきたフラワーより綺麗になってしまった。Tさんはペアで飼って繁殖でもしたら、大量の子供が生まれるので、少しでも死なせるのは忍びないと一匹飼いをしている。そこで私はメンツも何も捨て、その子に死なれたら寂しいよーなどと説得をし、メタリックに輝くHのオスと、Tさんのメスとで繁殖させたいと企んだわけである。TさんとしてはHにあずけるなら、その飼育環境、Hの人となりを知りたいというのは、娘を嫁がせる親の心境。それは当然と、一席設けたわけである。 Hは繁殖には実績があり、自信もある。愛用の繁殖用水槽は、あらかじめ水がピカピカにしてあったのは言うまでもない。昨日から喉の痛みは続き、酒を飲みながらも喉飴を舐めている状態ではあるが、Tさんの気が変わらないうちに話をまとめたい。結局三人でおそくまで魚の話で盛り上がった。おかげで夜中中咳が止まらず、涙をにじませ苦しむ私であった。


10某日12 アポロの杯2

ここしばらく喉が痛かった。風邪と気がついた時はすでに遅く、いつものようにヨーカドー木場店で陳健一の麻婆豆腐を食べても間に合わなかった。熱でも出てくれれば対処の仕方もあろうというものだが、喉がかすれて痛いだけである。本日KAWADE夢ムック『三島由紀夫』が届いたので、これを読みながら消毒でもしようと飲みに出かける。知り合いの常連がいる店では、とても本など読んでいられないので、1回しか入ったことのない店にいく。 以前から不思議だったことが二つある。三島は介錯役をなぜそれほど森田にこだわったかという事である。志はともかく、腕のほうが今ひとつなのは知っていたはずだし、(おかげで酷いことになった)なにより、自らも直後に大仕事が待っている男を撰ぶというのはそうとう無茶な気がする。もう一つは事件のあった当初から違和感があったのが、森田はなぜ太っているのかということである。あの市ヶ谷のバルコニー上で鬼神の表情であるにも関わらず、ポッチャリしているのは尋常ではないと私には思えるのである。こんなことが気になるのは私くらいのものだろうが、そうこうしていてハタと手を打ったのが、ガッシリしてるがポッチャリしている、アンティノウスの胸像を目にしたときなのである。 どうしても人の形に対する関心が普通ではないので、妙なことを考えるわけだが、そんなヒマがあったら自分の体重を減らせということであろう。 夜中にやっと熱が出、汗をかいていくらか楽になってきた。


10某日11 アポロの杯

三島由紀夫は紀行文『アポロの杯』 によると、ギリシャに人生の理想を見出し、以後自らの肉体をギリシャ化していくわけだが、きっかけとなったのは、ヴァチカンで観たアンティノウスの胸像である。その美しさに魅入られ、2回も観に行っている。『一説には厭世自殺ともいはれてゐるその死を思ふと、私には目前の彫像の、かくも若々しく、かくも完全で、かくも香はしく、かくも健やかな肉体のどこかに、云ひがたい暗い思想がひそむにいたつた経路を、医師のやうな情熱を以て想像せずにはゐられない。』 それは2世紀中頃に作られた1mの大理石像だが、正面から見るかぎり、その面影は森田必勝に似ている。目より下、特に顎のラインなど私には同じに見える。三島が市ヶ谷にて森田とともに亡くなるのは、この十八年後であるが、三島は森田にアンティノウスを見出していたというのが私の想像である。


10某日10 縁

三島の首も佳境に入る。(いったい何度完成するのであろう)三島は2、3種の表情を作る予定である。(基本の頭部を型に取り、そこから別の表情を作る) 夕方になりアップフィールドギャラリーの『プリンターのゆくえ』に出かける。今日で3回目 普段麻布十番の田村写真へでかけ、写真の話やその他で長時間居座ることが多い。そうは言っても仕事場なので、リラックスばかりもしていられないが、この会場では、田村さんが最終日まで常駐なので、出かけて行っては昔話しをしたり、今後の展開について話したりしている。田村写真が10周年ということは、私の作家シリーズも、来年で10年を迎える。 田村さんとの出会いは妙な偶然であったが、田村写真スタッフのHさんは、大学の写真学科の学生時代に、私のオイルプリントの個展を観に来て、さらにオイルプリントのワークショップに参加してくれた時に、スタッフを探していた田村さんと出合ったという縁なのだが、Hさんは演芸好きで、私を初めて知ったのは、オイルプリントでもなんでもなく『突飛な芸人伝』だったと聞いたのは、ごく最近の話である。


10某日9 柱時計

私はゼンマイ式振り子時計を愛用している。 アイチ時計製で、一回巻いて約2週間は動き続ける。意外と正確であり、2週間で5分遅れる程度。時報は長さの違う2本の棒をハンマーが叩くようになっており、2色の音がブレンドされ、なかなか音色が良い。ただ音が大きいので、ここ何年かは紙テープで音を殺していたが、冴えない音なので、寝ているところを起こされること覚悟で、もとに戻した。 ゼンマイを巻く部分は2ヶ所あり、どちらかが本体用、どちらかが時報用だと思っていたが、確かめることなく巻いていた。しかし巻き始めは時報の音がカンカンとせわしなく、トロトロとした間隔になるには、ゼンマイが緩むのを待たなくてはならない。そこで調べてみると時報用は左のゼンマイという事がわかった。以来巻くのは右だけにし、左はギリギリまで巻かないようにして、トロトロゆるゆるとした鳴り方を楽しんでいる。そう思うと、夢野久作を中にいれた柱時計。ジョン・レノン『マザー』のイントロの鐘の音くらいの間隔に緩めておけば、なかなかの余韻をかもしだすはずである。


10某日8 一日

搬出に丸善オアゾに行くと、入れ違いの荒井 良さんに御挨拶いただく。人のことは言えないが、作風からは想像できない温厚な雰囲気の方であった。今回、私の作品に飽き々しているような友人を会場に向わすため、京極夏彦の表紙の作品があるぞと大分吹いていたのである。タクシーで搬出の後、角の煮込み屋K本に行く。常連客やお店の方もオアゾに行ってくれたので、御礼方々。 例によってポケットには三島の首。ディアギレフは少々大きいし、知ってる人は少ない。考えてみると、何も言わずに誰にでも判ってもらえる人物を作ったのは、これが初めてではないだろうか。 今日は常連席に森下賢一さん。たまたまお店の方にサインを頼まれている『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)をお見せすると、あまりに熟読いただくので、隣りの人と話していても気が気でなかった。閉店時間になり(営業4時〜8時)常連二人と店を出ると、焼き鳥のK越屋へと誘われるが、昨日行ったばかりなので、別な店で青春の味などと、くだらないことを言いながらどぶろくを飲む。


10某日7 体育の日

腰と右肩が痛い。暴風雨の田村写真10周年オープニングの日、ギャラリーのビル入り口と道路にわたしてある鉄板に滑って転んだせいである。頭を打たないで済んだが、頭の次に大事なワインを守ったため、へんな形で転んだ。高校の体育の授業で習った柔道の受身は10年に一度くらい役に立つのであった。 人形の頭部を仕上げていると、焼き鳥屋K屋の親父から電話「サンマの刺身があるから来ないか」おおよそ感じがでて安心したところだったので、首を持って出かける 常連のNさんが誕生日ということで、Nさん自ら北海道から運んだ魚介類のご相伴にあずかる。関東のサンマと違い、内臓の苦味が少なく油が甘かった。タラ鍋で満腹。


10某日6 上を見ないで歩こう

Hがオアゾで会おうということで出かける。行きも帰りも歩いていくことにする。魚の話を肴に飲んで帰宅するとTさんから『一日遅れの中秋の名月を仰ぎながら歩くのもオツですなあ』というメール。 私は誰かと夜空を眺めて、あれは何座だなんだと言っているブンには良いのだが、一人で夜空を眺める事はない。だいたい地球がわけのわからない暗い空間に浮かんでいると考えるだけで、大変不愉快である。街には八百屋や乾物屋や酒屋があり、私は粘土で人形など作っている。せっかくそういうことにし、そのつもりでいるのに、宇宙の果てのことを考えると、そんな話はばかばかしく、始めから無いような気になってくる。宇宙が物凄いスピードで膨張しているなどという事も一切知りたくない。人間は月に行っただけでもう充分ではないか。それ以上の野暮は止めろといいたい。 何座だなんだと言っている時も、できるだけ手すりだとか、柱だとかに接しているようにしている。でないと、あまりに広い空に星が出ているようなときは、逆に星が数千メートル下にあるような気になって、落っこちそうになる。


10某日5 『プリンターのゆくえ』 アップフィールドギャラリー

暴風雨の中、田村写真10周年記念展オープニングに向う。駅にたどりつく前に傘が壊れる。町の辻々に壊れた傘が捨てられている。九段下の駅から向うが、例によってたどり着かず。なんとかワインを買うが、2本目の傘が壊れ全身ずぶ濡れ。3本目の傘の骨が1本折れ、滑って転んだりしてなんとか到着。 会場には、会社からそのまま運んだアナログのステレオ装置が鳴っている。様々なカメラマンのプリントはもちろんだが、田村さんの初めてカメラを手にした日の写真も。小学生の写真には見えない。その他ヴィンテージプリントも飾ってあるが、キャプションが間に合わなかったそうで、今日のところは田村さんに質問。 私のジャズ・ブルースシリーズはごく小さなプリントで、紅茶で染められているらしい。この頃は黒人ミュージシャンばかり作っていたわけで、これが写真作品として初めてのものだが、後に夢野久作や、ましてストラヴィンスキーを作り始めるとは思ってもみなかった。この頃の私にザマアミロと言いたい。写真を見ながらジャズなど聴いて過ごしているうち、次第にストリートの兄チャンのような、今時のカメラマンなどであふれてきたので、今日のところは失礼する。めでたい酒を飲んだ。22日まで。


10某日4 雨

近所の古書店にて『作家の友情』河盛好蔵(新潮選書)と『鳩よ!』(1990/6)を買う。『作家の友情』は、「二人の友情ほど純粋で美しいものは容易に見出し難い」という佐藤春夫と堀口大學から始まっている。 昨日会場でお会いしたFさんと大學邸をたずね、コクトーより送られたデッサンや献呈本などを見せていただいたとき、当時私は佐藤も作るつもりでいたので、佐藤から送られたという手描きの茶碗が気になってしょうがなかった。『月下の一群』の佐藤の書評にあふれる友情にしみじみ。 『鳩よ!』は寺山没後7年の特集だが、こういった特集でさえ、古びて見えないのは寺山ならではである。塚本邦雄選寺山修司秀歌15。私の中で寺山と三島はもっともチャーミングな作家である。 そういえば、私が18で専門学校の陶器科に通うため、はじめて一人暮らしをしたアパートも、寺山が永らく住んだと同じ『松風荘』といったのを思い出した。近所のチビどもは、勝手に私の部屋を覗き、私のねじった形の作品を見て「部屋にウンコがある」とはしゃいでいた。あいつらもすでに40に近いのであろう。


10某日3 一日

オアゾ『人・形展』初日。会場でアメリカのヴンダーマン財団(ジャン・コクトーコレクション)日本代表のFさんと待ち合わせていたので、最近入手したディアギレフの本を披露し、ついでにディアギレフの首を見せびらかす。ディアギレフを知ってる人に見せないと面白くないのである。 昨日はゆっくり会場内を見ることができなかったので、知人と話したりしてゆっくり眺めた。いつも来ていただく蕃茄山人氏。元々パッチリ目を開いたブラインド・レモン・ジェファーソンという感じであったが、髪がのび、かなり痩せていた。氏の日記によると随分歩いているようなので、私も歩いて帰ることにした。しかし途中にTラーメンがあるのがいけない。御主人との魚談義の誘惑に負け、せっかく歩いたのに寄ってしまう。開口一番「太った?」元相撲取りに言われると、普通の人に言われるのとでは趣がちがうのであった。


10某日2 搬入

オアゾの『人・形』展搬入日、距離的には近いので悠長に構えていたら、なんだかんだとかかってしまい、1時間おくれてしまう。しかし会場に着いてみると、前の催しの後片付けが終わっておらず、さらに1時間ほど待つことになった。 今回は旧作だが人形はジャン・コクトー1点に、コクトーや澁澤、鏡花など人形をオイルプリントにした作品を持っていった。例によって飾りつけのイメージが沸かずああだこうだやってると、隣で展示の山本じんさんが「ランダムに並べたら?」とアドバイス。なるほど。私にこういうセンスは皆無である。じんさんとは私の2回目の個展会場で、知り合いの紹介でお会いしているが、今年の青木画廊のグループ展で二十数年ぶりに再会。その作風とちがって気さくな方である。ガラス磨きを借りる。


10某日1 美しい役者ども

原作トーマス・マン、監督ルキノ・ヴィスコンティの『ベニスに死す』は、バレエ・リュス全盛時を知り、ミラノ座のバレエを演出したヴィスコンティを思うと、ベネチアのホテルで死んだディアギレフのイメージがだぶってしまうものであろう。公開された当時、私は中学生だったと思うが、映画雑誌などで美少年と騒がれたビョルン・アンデルセンは、私には薄ら気持ち悪く、実は未見のまま今に至っている。 当時女子に騒がれていたレイモンド・ラブロックや、ジョン・モルダーブラウンなど、今どんなことになっているのであろう。いつかTVでルノー・ヴェルレーの変わり様を見たが、是非あんなことになっていてもらいたいものである。私の知り合いの女子はどちらかというと『昼顔』のピエール・ クレマンティ だテレンス・スタンプだと決まってマニアックであり、その後の人生の多難さを予感させたものである。 ディアギレフの頭部、仕上げを残し今度こそ完成。これほど垂れ目の人物は、架空を含め二度と作ることはないであろう。ストラヴィンスキーを開始する。