明日できること今日はせず  

最新ページ


2某日16 TV撮影

午前中、コダックのラボに個展用プリントをお願いし、NHKのロケ現場の阿佐ヶ谷に向う。乱歩の時と同様、休館日の世田谷文学館から展示中の寺山修司を借り出してもらっている。撮影が始まり1時間。撮影隊を探しているうちに終わっていて、駅前にいるスタッフと合流。さらにアーケードで撮影。乱歩の時は私が人形を動かしたが、そうすると、自分ではどう映っているか判らないのがつまらなかったので、スタッフにおまかせすることに。こんなところで撮影していると、さっそく商店会長だか誰だかに連絡が行き、文句を言われてしまう。私はスタッフから離れて無関係を装う。昼食の後、路地裏で撮影。その後新宿へ。いつも思うことだが、映像のカメラマンは、即座に人形の特徴をとらえるのがうまい。アルタを道路の向かい側から撮影。『田園に死す』の有名な場面の現在の風景。さらに昔の風月堂のあった場所から渋谷のスクランブル交差点。最後にNHKのスタジオでの撮影にて一日が終わる。プロの仕事というものは、TVの撮影だろうと包丁研ぎだろうと見ていて飽きない。


2某日15 薄井憲二先生

PM7時に京王プラザホテルのラウンジで待ち合わせ、コクトー研究家のFさん、イベントプロデューサーのSさん、イベント会社のIさんとで薄井憲二先生を囲んでバレエのお話を伺う。いただいた名刺には牧神のニジンスキー。御挨拶をした後、ニジンスキー、ディアギレフ、コクトーの小さなプリントを見ていただく。Iさんは仕事の話があるようだし、邪魔になってはと片付けようとするが、「まだ見たいので片付けないで」と言われる。チビチビと造り続けている身にとっては、こんな事が実に嬉しいものである。まして薄井先生となればなおさらである。 大正13年のお生まれだそうだが、貴重なお話ばかりで時間が経つのを忘れる。Sさんも、ここぞとばかりに質問。途中トイレで興奮を鎮めてきたと言っていた。私も、持参していたストラウスのレンズを見ていただく。ホテルへお送りする間も、ニジンスキーに対する質問をさせていただいた。実に有意義な時間であった。兵庫で展示したコレクションも、東京で是非展覧会をして欲しいし、まだまだお元気でいていただきたい。


2某日14 梅見ジャズ 嵐山亭 国立

中村誠一(サックス)吉岡秀晃(ピアノ)片岡雄三(トロンボーン)今村裕司(パーカッション)沼上 励(ベース)高橋 徹(ドラムス) ラテンジャズ。昭和30年代生まれにとって、TVの歌謡番組、バラエティーショーの伴奏で、キューバンボーイズだ、ノーチェクバーナだと、ラテンバンドは馴染み深いものである。中村誠一氏率いる演奏はホントに楽しい。吉岡秀晃も観られて良かった。ガタイのいいホレス・シルヴァーのような人物であった。中村氏の教え子だという学生四人のコーラス隊も加わり。いよいよ盛り上がる。嵐山光三郎氏作詞の『ブルーサングラス』聞くたびに良い。このバックでザ・ピーナッツが歌ったらさぞかし。 2次会にも参加。そうそうたる人たちが集まっていたが、全員にできたばかりの個展用DMを配る。どうもいい歳して人見知りは困るが、蕃茄山人氏のはからいで、全員に手渡すことができた。帰りの電車の中で、『新刊ニュース』の先ほどまで隣りにおられた坂崎重盛氏と小沢昭一の対談『隠居の花道』を読む。坂崎氏の「面白いことを横に置いて面白くないことをやる、ということができなくて。つまりはオチコボレ」に笑う。そうか私もオチコボレだったのか。坂崎氏は様々なコレクションでも知られるが「ステッキは本当に洒落というか、嫌がらせで集めているところがありますから」これは私が言っても、まだ絵にならない。


2某日13 久しぶり

昔、仕事を通じて知り合ったY君と10年ぶりくらいに会う。あるイベント会社が、社員募集に私の作品を使い、それを見て入社したという縁である。私と丁度十歳違いであったが、世代も環境も違う彼は、何かと刺激的な話題を提供してくれたものである。その後、会うたび仕事が変り、結婚したと思ったら離婚し、いつの間にかアメリカに渡って再婚していた。10才も違うと常識もずれ、時として呆れることもあったが、根が真面目なところに好感がもて、私と違って親孝行なところも感心したものである。久しぶりに会う彼はほとんど変っておらず、ロスでネット関連の会社を立ち上げたらしい。一時は15人も使ってたという。内容はここでは書けないが、あまりにも彼らしくて、相変わらずだと可笑しかった。人に可愛がられるタイプなので、あちらでも上手くやっていくことであろう。やることが山積であるが、忘れず尋ねて来てくれたのが嬉しく、長話をした。これからは連絡をマメにするよう言って別れた。


2某日12 ジーン・ハーローの産毛

銀座でデザイナーの北村さんと待ち合わせ、ピエゾグラフの工房に向う。1、2点、大きなプリントを展示してみようと考えている。ビルの一室には、大きなプリンター。和紙やキャンバス地、プリント見本など見せてもらい、2作品を用紙を変えて一部分プリントしてもらう。展示を考えると、一番大きなサイズで1カットだけの方がインパクトがあるかもしれない。 北村さんと喫茶店にて、出品作の最終チェック。その前に某劇団用ポスターの話。納期が個展の前だと聞いていたが、数日前、伺ったイメージは、人物が一人、後姿、しかも半分くらい蔭だったので、なんとかなるだろうと思っていた。北村さんが何枚かごそごそやっているスケッチを裏から見ていると。「北村さん、なにやら随分描き込まれてますね?」見せられたスケッチは先日のスケッチと一変。人物がど真ん中。しかも二人に増えている。なかなか愉快なお話だと、もう一度納期を確認。北村さんの素敵な笑顔を見つめながら、私もなんとか微笑んでみた。 そのせいかどうか、日比谷線を逆に乗ってしまい、気がついたら六本木。ついでだと麻布十番の田村写真に寄る。田村さんに落札してもらったジュリー・ロンドンとジーン・ハーローのヴィンテージプリントを受け取る。今ではとっくに無くなってしまった、当時のコダックペーパーのプリント自体が貴重になるだろう。田村さんには、修正前のマリリン・モンローの産毛の毛深さを聞いていたが、ジーン・ハーローがまた凄い。修正してもなおフサフサ輝いている。


2某日11 向き不向き

ミニチュアサイズの土瓶に茶碗を造った。こんな物をつくるのは陶芸作家を目指していた頃以来である。地元に帰ると、先輩のお宅の陶芸工房に顔を出すが、陶芸を止めて以来、ロクロをやらせてもらった記憶がない。しょっちゅうお邪魔しているので、いたずらの一つもしたくなりそうなものだが、そんな気がさっぱり起きない。向いていないとはこういう事なのであろう。向いていないといえば、本来写真なども、私のような大雑把な人間には向いていない。向いていないが好きになれば、向き不向きは関係ないようである。それでは人形制作が向いているかといえば、向いているのかもしれないが、こういうことに関しては、私はまったく諦めを知らず、まだ他に何か面白いことが待っているかもしれないと思っているのである。もちろん、これが一番面白いことなのであれば、死ぬまで人形造ってたとさ。でも、それはそれでかまわないのだが。 


2某日10 2日ぶりのインターネット

2日ばかりネットに繋がらなかった。どうもハブが故障しているらしい。メールも特に急ぎのこともなく、ことなきをえる。この雑記はいちおう2日に一度程度とうたってるし、わざわざ書かなければならないような事は、何も起こらないので差障りもない。 人形の乾燥も終わったので仕上げにかかっている。そんな中、幸いといっていいのか、冬季オリンピックが盛り上がりに欠けるので、TVに釘付けということもない。いつも感じるのだが、自分に勝ったとしても、人に抜かれると涙が出ちゃうというのがスポーツ選手のつらいところである。私にはとても耐えられない世界である。 個展が近づいてくると気分も変るのであろうか。デスクトップを飾る女優は、『大根でもいい。たくましく育っていれば』というのが多いが、最近は清純派が多く、ここしばらくはこちらである。若い時代なので誰だか判る人も少ないであろう。目が覚めてパソコンを起動すると、まず彼女と目が合うわけである。 言わないこっちゃない。やはり、わざわざ書くようなことは何もないではないか。


2某日9 一日

最近、寝ころがった乱歩と対話しているせいか、昔馴染みの友人と、雑魚寝のまま酒を飲む夢をみた。一人の友人がブツブツ仏の心などと、柄にもないことを言っている。酒が不味くなるから止めろと言うが、かまわず喋り続ける。「いつからそんな抹香臭ェこと言うようになったんだ。」腹が立ったところで目が覚めた。それは着けっぱなしのラジオから流れていたものであった。 ebayにて昨日より目に付けていたエヴァ・ガードナーの水着写真が入札に間に合わず。かわりにジュリー・ロンドンとジーン・ハーローのヴィンテージ写真を落札。 陶芸学校時代、アパートの隣りに住んだ同級生の女性が、三重県より上京とのことで会いに行く。昨年名古屋で何十年かぶりに会ったが、なにしろお世話になったので、少しの時間でも、顔を見にいかないわけにはいかない。三才くらい年上だったはずだが、当事この差は大きかった。 お土産の赤福をいただいたく。帰省のたびウイロウなどのお土産を学校に持ってきてくれたものだが、当事和菓子を受け付けなかった私は空腹のあまり、ソースをかけて食べたのを思い出した。それが今では美味しく赤福をいただいているのだから、時間とは経つものである。見送った後、母と夕食を食べ、小岩でコクトー研究家のFさん、オペラ、バレエに造詣の深いイベントプロデューサーのSさんとお茶を飲み、ニジンスキーの話などする。


2某日8 寝ころがる乱歩2

ちょっと休憩。ゴロリと横になると、作業台の上で同じポーズの乱歩と、向かい合わせに目が合った。乱歩は若い頃から、こうやって友人や作家仲間と、犯罪やトリック、推理小説の将来など、語り合ったことであろう。私も寝ころがって酒を飲みながら、友人等とどれくらい馬鹿話に時間を費やしたことか。 見詰め合っていると、乱歩の友人のような気分になり愉快である。「横溝君、あの作品は出来がよくないので、今破いて便所に捨ててきたよ。」「そりゃないですよ乱歩さん。」締め切りに追われ逃げ出した乱歩。編集者時代の横溝正史との会話を想像したりして。その場合、こんな寝仏陀のようなポーズではなく、すまなそうにしていたのであろう。完成したら、一度本棚の上に置いてみたいものである。上を見上げると、乱歩がノンビリとこちらを見てるなんて。


2某日7 寝ころがる乱歩

次に乱歩は何を作ろうか考える。活劇調ならなんでも合うが、何か違った物をと考えるうち、一人寝そべり、空想に耽る乱歩が浮かぶ。聞くところによると、執筆は布団の中で寝たままだったそうである。若い頃は、押入れの中や、団子坂の自身が経営する古本屋の二階で、ゴロゴロしながら退屈していたわけだし、晩年にいたるまでそうやって空想に耽りっぱなしの人物だったのだからピッタリである。そうしながら名作が生み出されたので、なぜ今まで思いつかなかったかというくらいの”名場面”である。座布団を二つ折にし頬杖をつかせ、煙草をふかすことにしよう。人が観ると、ただぐうたらしているように見えるかもしれないが、夜の夢こそまことタイプの創作者には、とても大事なひとときである。 それにしても人形のポーズに悩み、思いついたら、自分がそのポーズをしてたなどという事は始めてである。創作に悩んだ己が姿を、そのまま創作に反映させるとは、寝ころがってもタダでは起きない私であった。  朝日の夕刊に、行きつけの煮込み屋が出ていた。六十年そのままの店内と出ている。背景にこの店で撮った私の荷風が見えるが、小さくて判らず。


2某日6 DMデザイン

ニジンスキーのラストジャンプが掲載された、1935年のライフ誌が届く。保存状態が非常に良い。グラビヤの印刷が現在のインクの感じと違うし、大判なので迫力がある。表紙の水着の女性は似てはいるが、リタ・ヘイワースではなかった。笑顔に品がない。ヘイワースは、海辺の女優の水着ファッションというようなページに載っていた。いずれにせよ、リタ・ヘイワースで検索して、ニジンスキーの記事を見つけたのだからどうでも良い。同時に、同じ記事の切り抜きも手に入ったので、こちらを額装し、雑誌の方は保存用にすることに。 デザイナーの北村武士さんと木場で待ち合わせ、個展用DMのデザインをいただく。屋根裏の乱歩が実に良い。個展の構成その他、北村さんにお任せしているのだが、ストラウスのレンズで、新作の乱歩を撮影して、出品することを提案される。時間にもよるが、面白いかもしれない。そうこうして4時になったので、いつもの煮込み屋へ。いつもながら話ははずむ。


2某日5 眠る遠藤

『屋根裏の散歩者』で、モルヒネで殺される遠藤を造る。その顔は”間伸びな、長々とした造作で、濃い頭髪、顔全体が長いわりには変にせまい富士額、短い眉、細い目、しじゅう笑っているような目尻のしわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口”それでいて”きれいといえばきれい。女などには好かれる顔”というのだから困ったものである。『目羅博士の不思議な犯罪』では、首を吊った死体が絵のよう美しい、などと無茶を言う乱歩先生である。”きれいで女に好かれる”のくだりは御勘弁願うことにする。 とりあえずモルヒネが垂らしやすそうに、大口を開けていなければならない。


2某日4 秋葉原

いつも行く店に欲しい材料がなかったので、秋葉原のホビーショップに出かける。私が通った中学生時代と街は一変している。メイドのカッコをして、プラカードをもった女の子が二列縦隊で行進していた。 目的のビルに到着すると、エレべーターの前には、いかにも秋葉系とかいわれる集団。どうも、このビル全体がフィギュアやビデオを扱っているらしい。店内に入ると、フィギュアだらけ。その筋の連中で溢れている。私は違うと言いたいところであるが、私の風体が、嫌になるほどその場の雰囲気に違和感がない。多少は後学のためショーケース内をと思うが、少女キャラクターの洪水に耐えられず。そうそうに買い物をすませ店を出る。考えてみると、私もフィギュアマニアだと言えなくもない。しかも二丁拳銃をかまえた老人のフィギュアを造っているとなれば、どちらがどうのと言える筋合いではない。


2某日3 一日

パソコンのDVDのトレーが開かない。5年の保障を付けていたので、パソコンを持って購入店へ、しかし店内のクリニックといっても受付だけで、修理は1ヶ月かかる場合もあるという。そういうことは最初に言って欲しい。しかたがないので外付けのDVDを買う。安くなったとはいえ釈然とせず。帰宅すると、鶴澤寛也さんから木場の現代美術館に来ているのでお茶でもと電話。どうせならと、行きつけの煮込み屋でホッピー。これから銀座で集まりがあるとかで、着物でおめかしの師匠。周りの客が心なしか固まり気味。かまわず煮込みとおでんを堪能する寛也さんであった。 帰宅後、修理を考え、つまらない風景写真にしてあったデスクトップをラクェル・ウエルチにし、DVDの接続。思ったより手間取る。添付のソフトがうまくいかず、購入店に問い合わせても、製造元へということに。結局前から使っていたソフトを使う。 個展に出品する写真を考える。25点前後の予定。


2某日2 今日も今日とて

夜、なにか調子が悪いと思ったら、今日一日何も食べていないことに気付く。いつもの定食屋へ行こうと焼き鳥屋の前を通る。今日食べるの忘れちゃって、食べてから後で寄るかもというと、ウチで食ってけと親父。本来焼き鳥しかない事になっている店なので遠慮すると、とにかく入れというので、スキッ腹に焼き鳥で飲み始める。早々に暖簾をしまい、親父と奥さんと、いつものウドン。トリガラスープでまったく美味い。山形直送絶品の野沢菜とタクアン。商売用より上等な、親父愛飲の芋焼酎を注がれる。しまいには生きたタラ場蟹が届いたというので茹でてくれる。いつもそうだが、暖簾をしまってからがご馳走である。 そこへ近所の接骨医の先生、10年くらい考えていたそうだが、いずれ飲み屋をやりたいそうである。親父120パーセント失敗するから止めろという。(最後は300パーセントになっていた)私は死ぬ時に、あれをやっておけば良かったと後悔する恐怖が何より恐ろしいので、やるべきと一応言っておく。(始めて会った人物なので失敗に関してはどうでも良い)奥さんの力道山が刺されたニュースを観ているとき、泥棒に入られそうになった話、親父のここでは絶対書けない深い話で満腹。気がついたら1時過ぎ。 ここに書いたことがメチャメチャでなければ、
その後も私は作り続けるであろう。


2某日1 一日

コートの襟を立て、懐から二十面相の仮面を取り出そうとしている乱歩。乾燥を防ぐために霧吹きで霧をかけると虹が出た。 屋根裏の乱歩を作った時、ステテコをはかせようと予定していたのに、作った季節により、気がついたら股ひきになっていたが、今回もなんとなくコートが厚手になった。何も考えずアドリブでやっているとこうなる。 用事ついでに、知人のカメラマンにカラーでストラウスのピクトリアルレンズを試してもらう。1920年代に入り、レンズをガラスから溶解水晶に換えたというのは、当時普及を始めた各種のカラー印画に対応させるために違いない。とりあえずカラーのポラで撮ってもらう。絞りによって色は変わるが、数カットでベストの状態が把握できるというのは、使いやすいとのこと。肝心の色がまた良い。私そっちのけで、カラーフィルムでも随分撮っていた。すっかり気に入ってしまって譲って欲しいといわれる。 私はストロボを使わないので、鉢植えの植物を自然光で1カット撮らせてもらう。絞り全開てソフトに撮ってみたが、柔らかくフラットのようで立体感が感じられるのが面白い。私が人形用にレンズを探し続けてこだわったのが、この1点なのである。