明日できること今日はせず  

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3某日22 世田谷文学館

人形展示は最終日なので、会場を撮影しておこうと出かける。入り口に満開の桜。 久しぶりに見ると、自分で撮影した作品も新鮮。随分昔のことにも思える。やはり人形が等身大と思っていた方が多いようである。小金井のたてもの園で展示した時、人形を撮影したと表示してあるにも関わらず、展示しているこの人形ではないだろうと話しているのを訊いたので、今回は御覧の人形を撮影した旨、パネルに書いておいた。人形の展示が終われば、広大な収納スペースを持っている人形作家に戻ることであろう。 学芸員の方と、6月の乱歩の朗読とピアノ演奏の打ち合わせをする。演目は、朗読の田中完さんとピアノの嶋津健一さんにお任せすることにする。その日だけに可能な演目のイメージがあるが、そこまでできるかまだ判らない。人形展示は好評につき、4月9日(日)まで延長することに決まる。 会場で知り合いと会ったので、蘆花公園にて花見としゃれこむ。風が強いし、工事もしてるわで花見客はいなかったが、それなりの風情を味わう。


3某日21 一日

今頃疲れがでてきている。差し迫ってどうという事も無いので、昼から定食屋に行ってビールを飲みながら、だるさを味わいつつ食事。新聞をゆっくり読む。近所では河沿いに桜が一斉に咲いている。提灯もずらりと。 昨日届いたニジンスキー本。1916年に撮影されたカール・ストラス撮影のニジンスキーだけでも10数カットある。そのうちティル・オイゲンシュピーゲルはピクトリアルレンズを使っているようである。昨日はアメリカの写真誌に載る、1910年代のストラス撮影のカラーのヌードを見たばかり。ステレオ写真協会?を作ったり、好奇心の塊のような男だが、23歳の男が、どういう経緯であんなレンズの特許を取るにいたったのか、知りたいところである。カラープリントの追加に大門まで行き、帰りにいつもの焼き鳥屋Kへ。ここでも新聞を読みながら2時間ほど。そこそこ飲んだので帰ろうとすると、煮込み屋で相手がいなかったらしい常連のサラリーマンFさん。青木画廊も、世田谷文学館も観にいってくれている。来たとたん帰るというわけにも行かず。そこからはFさん親父さんに芋焼酎を注がれ続ける。こんなことをしているうち疲れも取れることであろう。


3某日20 薔薇色

実家の引越しの手伝いに行き、一泊する。敷き布団が柔らかくて腰が痛い。 午後青木画廊に行きプリントにサインをする。青木さんに今年は何年だったか、また訊いてしまう。私は自分の歳を忘れたら、2日違いのHか、Rに訊くことにしている。その後田村写真へ。田村さんが、今回プラチナプリントの出来が良いので、スキャニングしておきたいという。 田村写真を開けると、妙な形のスピーカーを、手製の段ボールのスピーカーボックスに装着して、取り付け中であった。鳴るはライトニン・ホプキンスのブギ。ライトニンがギター以外にキーボードまで弾くことを知らなかったが、「オルガン弾いてるのライトニン?」つまり、妙なスピーカーだが、そんなことは判るスピーカーなのであった。売れたプラチナプリントには、プリンターとして田村さんのサインも入れてもらう。 今回、気球の乱歩でカラーを1点出品した。プラチナ用の紙を使用したことだけは訊いていたが、何故こんな色になるのか訊いてみると、実に凝った結果だったとはじめて知る。『知らなかった・・・。』 個展の最中、私のイメージした薔薇色が、この方法で出るのではないかという企みが沸いていたのである。私の出したい薔薇色といえば、あれしかない。


3某日19 『乱歩 夜の夢こそまこと』最終日

判らないようにやっておきながら、気が付かれないことが不満というジレンマがある。種明かしをするなら今しかないとばかりに解説。野暮な種明かしも驚くか呆れるかしてくれるので良いであろう。D坂の古書店のショーウインドーの中には『ドグラマグラ』『虚無への供物』『黒死館殺人事件』が並んでいる等々。 ピクトリアルレンズで撮った作品とプラチナプリントは、今回の成果である。写真と被写体である人形を、何度も見比べ不思議そうにしている方には、何かを感じていただいているのであろう。と同時に、ピクトリアルレンズで撮ったものはゼラチン・シルバー・プリント(いわゆるモノクロプリント)だが、その描写から古典技法と思われたり、オリジナルプリントを一般の方が、いかに目にする機会が少ないかという事を実感する。どうも日本は写真=印刷物ということになっていて、途中から写真を始めた私としては、伝えるべき事を伝えていないと感じる。 とにかく何とか無事に終了する。打ち上げも楽しく。


3某日18

銀座通りを歩いていると、安酒場のマスターという風情の男に声をかけられる。「やあ、久しぶり」覚えが無い。「ホラ、ナベさんのさー。知ってる知ってるって。」「えー・・。」「今何やってんの?」「そこで個展やってるんですよ。」「何の?」「人形ですよ。」「そんなことやってんの?」アラ?という顔になるが、「ナベさんのさ。判ってるって」などとまだいっている。試しに「石塚さんには今でも会ってます?」「当たり前じゃん。俺はそういう男だよ」「色々あるだろうけど、身体に気をつけてナ」笑顔で遠ざかる。『どういう男だってんだテメエは。』しかし、世の中に、私に似ている男が一人いる事を私は知っている。某日13影を目撃した男 書店に名画のDVDが5百円で売っていたので『ローラ殺人事件』(21世紀フォックス)を買う。最近ひいきのジーン・ティアニー。(1940〜1991)どうにも駄目なのがイングリット・バーグマン。


3某日17 暖かな一日

乱歩の寝ころがった姿を考えた経緯を話すと、「そういえば石塚さん、あんなカッコよくしてたね。」とミュージシャンのJOJO澤渡さん。澤渡さんとも飲みながら、よくゴロゴロしたものである。東京下町乱歩帳のAさんと始めてお会いする。インターネットというものは、つくずく面白くも不思議なものである。 こう毎日通勤?して飲む機会が多いと、誰彼が来てくれたのが、昨日だったか一昨日だったか訳が判らなくなる。知人はともかく、そのご家族ともなると記憶があいまいである。ひょっとして今日だったか? 浅草寺の上空を、風船で飛ばされた脚や、盲獣の乱歩が、人体のどの部分に乗ってるのかと良く訊かれるカットのSさん。これで拙著に登場いただいた方は、浴槽に浮かんだ死体や鎌倉ハムの手首役の方まで全員来ていただいたはずである。最後にお見えになったのは高原英理さん佐藤弓生さん御夫婦。 今日は終了と同時に、普通に帰れた。といいながら木場の煮込み屋へ直行。今回行きたいと言っていただいていたが、青木画廊の階段が急なので、諦められた女将さんからお祝いをいただいてしまう。


3某日16 良いレンズとは?

レンズ好きの人のために、5×7インチ版の木製一眼レフ、グラフレックスを会場に持ち込んだ。これなら布をかぶったり、像が逆さにならずに、レンズの描写が味わえる。これは大正時代のアメリカ製だが、シカゴトリビューン社で使われていたものである。しかし、こんな馬鹿でかく重たいカメラをもって取材していたのだから、たいした連中である。会場でストラップが重さで切れた。 そんなところに『カメラのムサシ』の井上さん。昔、世間では評判の悪かったズマールというレンズが、私の趣味に合うような気がしていたらカメラレビュー誌で、誰も評価していなかったそのレンズを絶賛していたのが井上さんであった。そしてその作例が、井上さんの中学時代の同級生、田村写真の田村さんを撮ったものである。某所で偶然田村さんと会い、「カメラレビューで公園のベンチに座っていた方じゃないですか?」思わず声をかけたのを覚えているが、そんなわけで私が田村さんを発見したのだと未だに言っている。 田村さんはスペンサー製『ポートランド』について書いていて、これがまたピクトリアルなソフトフォーカスレンズである。二人が二人とも、自前のひどいコンディションのレンズについて語っているのだが、今読み返してみると、その論旨は、それぞれのレンズの良さもさることながら、むしろコンディションの悪さが、偶然美しい描写をすることがあるという話のようでもある。事実、後に二人には、表面がヘンになったレンズを嬉しそうに見せられている。なんとも危険な領域の話である。


3某日15 WBC

4対1まで野球を観ていて、出かける。私が個展をやるとWカップなどに当たったりする。 友達とのグループ展の会場探しをしていて、パンフレットを集めて回っているという若者。作品に対して2、3質問したあと、どのくらい制作しているか訊かれる。私をもっと若い人間だと思ったらしく驚いている。「気を付けないと、こんなことになっちゃうよ。」見ず知らずの若者に一言アドバイスする私であった。


3某日14 一日

午後、昨夜Sが転がっていた銀座通りを会場に向う。 企画進行中の某乱歩映画の未完成シナリオをチラリと拝見。そういえば平井憲太郎さんからお話を伺った記憶がある。 たまたま通りかかり看板を見て入ってきた方が、美術系学生の時に、卒業制作で乱歩をテーマにした作品を作ったという。こんな偶然も、さすが乱歩というべきか。昼はスイスにて、元祖カツカレーを食べる。友人O君。ピクトリアルレンズで撮影した乱歩を見て、そのリアルな描写に驚いたのはいいが、気持ち悪いと表現するんじゃない。人の個展会場で。 昨年の6月、JZ,ブラッドのライブで試みた、私の乱歩作品のスライド上映にピアノと朗読が六月二日に決まる。あの時はぶっつけ本番であったが、今度はもっと工夫したい。


3某日13 日曜日

久しぶりに会う友人二人と閉廊時間にあわせ飲みに行く。積もる話で楽しく過ごす。イベント屋のSは、14も若い奥さんをもらったが、それ以来あう機会は少なくなった。どうだい結婚生活は?酒は進む。「雑記に書くなよ」「書けるかそんな話。読者を泣かせてどうする。お前さっきからニンニク食いすぎじゃないか?」どういう理由かすっかり涙もろくなっているS。「お前らいいやつだなー」ハンカチを手にすすり泣く。あいかわらず場を盛り上げてくれる男である。帰りはすっかり酔っ払い、銀座通りに転がるSを捨てて帰るという、お馴染みのパターンであった。 


3某日12 一日

会場に着くと、近所の焼き鳥屋の親父が奥さんと来てくれたそうである。行ったら昼食をと言う話だったが、「いないなら御馳走しないですんで良かった」と笑っていたそうである。蕃茄山人氏、奥さんと再び来廊。山人氏に鶴澤寛也師匠を紹介されて、人間椅子にいたったわけだが、そんな話をしていると階下より風圧。寛也さん登場。賑やかになる。初日にゆっくり見られなかったプラチナプリントの人間椅子を御覧に。 本日も晴れたり曇ったりと天気が安定せず。そんな中、写真家の今道子さんがみえる。中井英夫オマージュ展以来である。写真を観ながら撮影現場は実はこうでと説明していると「現場は面白いですね。私も言えませんけど。」 土曜となると来てくれる方も多く、画廊にいてもヒマな時ほど疲れないものである。北村さんがみえ、青木さん御夫婦と飲みに行く。7月のグループ展に参加することが決まる。せっかく来てくれた焼き鳥屋の親父の顔を見に行こうと、北村さんと木場に向かうが間に合わず。適当な店で楽しく飲む。


3某日11 一日

実家に帰ったこともあり、三時近くに、強風のため徐行運転の電車で画廊へ。新保博久さんがみえる。私は中学一年のときに出た講談社の乱歩全集で大人向け乱歩にはまったが、新保さんもその講談社版だったそうである。 世田谷文学館の方々がみえる。昨年、出版記念ライブでおこなった、私の乱歩作品をスクリーンに映し、それを背景にピアノの嶋津健一さんの即興演奏、田中完さんの朗読を、世田谷文学館で再演することが決まる。その際、一つトリックのアイディアがあるのだが、当日撮影しなくては意味が無く、そんなことが可能かどうか、いまのところ判らない。九州から友人が、与那国泡盛『どなん』を持ってきてくれるが、2、3言しか交わせず。高橋洋一さんがみえる。某初期写真家の本を出す予定があるそうで、展示してあるストラスのレンズに関心を持たれたようである。調べてみるとメモをされる。嶋津健一さんがみえる。世田谷文学館の方と一足違い。目羅博士で首を吊ってくれた谷口さん。印刷とプリントが、あまりに違うので驚いていた。そうでないと展示する意味が無い。飲みにいく。疲れているように見えるそうだが、確かに疲れがたまっているような気がする。先日も、初めて年齢相応に見えたとTさんに言われたばかりである。


3某日10 一日

個展会場にいると、次の展開など考えてしまうものである。作家シリーズも三島と久作でそろそろかなという気もする。宇野浩二、佐藤春夫なども考えないではないが、(顔も制作欲をそそるし)しかし、作ってどうするという気がしないでもない。内田百閧ネども充分魅力的ではあるが・・・。最新作を前に、これからのことを考えるには画廊は良い空間である。写真家の須田一政さんに来ていただく。太陽の人形愛特集で写真を撮っていただいたのは1999年。そのとき観ていただいたオイルプリントのヌードが、未だに残っていると胸の辺りを。随分昔の事なのに有り難いことである。オイルプリント再開予定をお伝えする。プラチナプリントも褒めていただく。特に黒のトーン。さっそく田村写真に報告。 会場にいると、なかなか来場いただいた方と話すきっかけがないが、乱歩ファンだという方と色々話せて良かった。ただ突っ立ってても邪魔なだけである。 昔個展をやった画廊の方がみえ、ある人物をつくれないか相談を受ける。考えさせてもらう。


3某日10 四十年ぶり

小学校一年から三年まで同級だったOさんが来る。四十年ぶりである。面影ある?と言われても・・・。トールペイントの教室を持ってがんばっているらしい。となりの煉瓦亭で昼食を取りながら、まずかった給食の話や、同級生の話をする。話していると名前が出てくるが、記憶は曖昧。私が本ばかり読んで、絵ばかり描いていたのが印象にあるそうだが、そのまま四十年経ってしまって、私はこんなハメになっているわけである。私以外の人間は、なぜ変っていけたのであろうか。 暇な時は、青木外司さんとカメラ談義。ドール・フォーラムジャパンの小川さんや、知人が来てくれる。Tさんが京都から送ってくれた日本酒をいただく。鮒寿司は会場で開けるのは危険と家でいただくことに。Tさんと、そのまま飲みに行く。昨日と同じ店。一日経った気がせず。


3某日9 2日目

2日目。今日は誰が来るとも聞いてないので、1時過ぎにのんびりと出かける。昼食の後、日動画廊に勤める、10代の頃の知り合いにDMを届ける。近いんだから来て下さい。 銀座のせいなのか、様々なキャラクターの方々がみえる。幼稚園からの友人も来る。ボディビルのジムの帰り。そのまま飲みに行く。ゲイの彼はボディビルにはまり、革ジャンまで着ていて、三島を読んだことがない。私は三島の本気の素晴らしさを語る。誠心誠意、本気かどうかが人間最も重要である。しかし、プロティンだビタミンだとうるさいんだよ君は。手書きの練習メニューが不気味だし、私にお気に入りのコーチの写真を見せるんじゃない。 結局今日も遅くまで飲んで帰る。


3某日8 個展初日

とにかく眠い。なんとかシャワーを浴び、屋根裏の乱歩をタクシーに。乗ってしまえば15分くらいの距離なのが有り難い。会場は明るいので、穴からの光が乱歩を照らす様子が判らないのが惜しいが、想像はできるだろう。早々に作家の折原一さんが来場。お話したいところだったが、忘れ物があり取りに帰る。忘れてはいけないと、目の前に準備したものを全部忘れた。その間に田村さんが、出来立てのプラチナプリントを搬入してくれていた。これは観てもらいたい。 隣りの煉瓦亭にてチキンライスに眠気覚ましのギネス。建石修志さん。人形の髪についてご質問。後頭部を描き忘れていた。 オイルプリントをやってみたいとメールをいただいていたWさんと初対面。階下に住むYさんが、映像関係のお仲間を連れて。近所の煮込み屋でしか会わないので妙な感じである。 特にオープニングについては何も告知していなかったのだが、拙著に協力いただいた方々、明智役をやっていただいた市山貴章さん、白昼夢の首役、仲音映里さん、同じく白昼夢のトルソ、盲獣の死体役その他のHさん、D坂のマゾヒスト女房役のIさん、人間椅子の佳子の着物そのままで登場は鶴澤寛也さん、デザイナーの北村さん、編集の鈴木さん。田村写真の田村さん等に集まっていただいた。2次会では眠気が襲い、後半は目もうつろ。帰り際、靴を履くときYさんが紐を結んでくれている。『酔っ払いに物凄く似ている』とボンヤリ。帰宅後爆睡。


3某日7 前日

残るは屋根裏の散歩者に、寝ている間にモルヒネを垂らされ殺される遠藤の部屋と、乱歩の眼鏡である。散歩者は、天井板の穴から、乱歩と一緒に遠藤を覗いてもらおうという趣向である。遠藤にあたる光の当たり具合など調節。そういえばこの男、几帳面という設定だったが、そのわりに電灯は着けっぱなしで寝るらしい。消していたらモルヒネを口に垂らされることもなかったかもしれない。 天井板をふさいだ時は、すでにPM10時。ここから眼鏡を4つ造らなければならない。初日に乱歩が眼鏡をかけていないでは具合が悪い。面倒なことを残してしまった。ラジオで日米野球を聞きながら(関心はほとんど無いが)疲れと眠気で焦点が定まらず。朝の9時ころ、ようやく眼鏡にレンズを付けるが、眠くて手に持ったものを10回くらい落とす。


3某日6 搬入

結局、仕上げに時間がかかり、ついでに撮影などしていたら朝になってしまう。仮眠を取り、梱包をしてタクシーにて画廊へ向う。3Fでは、すでに青木さんと北村さんが、額装を済ませたカラープリントを並べてくれていた。私は例によってプランがないので、すっかりおまかせしてしまう。途中、麻布十番の田村写真に、4×5からのプリント4種を引き取りに行き、取って返して人形を2Fに飾る。中央には、キャンバス地に大きく引き伸ばされた盲獣。○○が拡大され馬並みの大きさである。屋根裏の乱歩は、階下の工事が済まなかったので初日に。帰りに大門のラボに寄り、追加の1カットを受け取る。 帰りにいつもの焼き鳥屋に寄る。店が閉まっていても、いつでも寄るように言われているので、一応1杯だけと言いながらお邪魔する。待ってましたとばかりに、大きな鯛のアラ煮。親父さんは、これを出せば私が喜ぶと思っているが、実際そうだから嬉しい。それに大根の煮しめ。ついでに生牡蠣が口の中で炸裂。最後にお手製ラーメン。なんで暖簾を出している間焼き鳥ばかりで、閉めてからこうなのか、よく解らない店である。おかげで一日の疲れも穏やかになった。


3某日5 大判写真

田村写真でプリント中の4×5インチの引き伸ばしを見る。以前、大判での人形の撮影は上手く行かず、以後35ミリだけで撮っていたのだが、4×5インチのポラロイドネガからのプリントは新鮮な雰囲気。撮影時の楽しさは35ミリの比ではない。これからは大判による撮影が増えることであろう。しかし、あれほど上手く行かないと思っていた大判の撮影が上手く行き、試しに今まで35ミリでも、鼻も引っ掛けなかった画角のレンズで人形を覗いてみたら、違って見える。何かのきっかけで起きる、劇的に脳みそが広がる瞬間。 人間がいい加減にできているので宗旨替えは簡単である。簡単ではあるが、いつの間にか、こうあらねばならぬと固まっていたことにも気付くわけで、それにはきっかけが必要である。今回は1本のレンズであった。


3某日4 結果よければすべて良し

人形は5体出品の予定だが、1体は屋根裏の乱歩に使った人形に屋根下を加えたもので、新作としては4体である。いつものように撮影することも考えたが、4×5インチで撮影することにした。デザイナーの北村さんの提案もあり、カール・ストラウスのピクトリアルレンズを使う。友人のカメラマンのスタジオをお借りし、ストロボにて一挙に撮影と考えたのだが、大事な部品を忘れ、2体しか撮影できない。始めてピントグラスを覗いてみると、なんとも人形臭い。レンズの画角のせいである。北村さんには、あえて人形として撮影してみたらと言われていたが、長年、人形を人間として撮影することに慣れているので、始め違和感があったが、しかし人形は人形だし、ということで、ライティングを変えてもらい撮影する。シャッターが無いので、部屋を暗くしてストロボ焚く。あと2体は自宅で撮影することに。ガンドラックの木製カメラは蛇腹の長さが足りないので、これまた木製5×7インチ、コダック・ビューカメラに4×5のバックをテープで止める。シャッターは手のひら。(手でレンズを覆い、数をかぞえて塞ぐ)私の手のひらは密着性抜群である。原始的撮影風景であるが、露出の失敗は無し。


3某日3 鍵盤の数

立っている乱歩を三人並べたところ、背の高さがそれぞれ違う。1作目に合わせようと、展示中の世田谷文学館の学芸員の方に、わざわざ計っていただいたのに、すっかり忘れてしまった。この辺りが私のいいかげんなところであるが、乱歩の医学模型をつくっているわけではないし、同じ人物を何人もつくるのに、そんなことを気にしていたら、造っていて面白くない。 そういうことでいえば、一番ひどかったのは稲垣足穂である。これこれでは、もし立って並んだら10センチは高さが違うであろう。(頭部は同じものである)人間で言えば大人と子供ぐらいの差である。御本人には申しわけないが、私自身が観てみたいという欲望が最優先になるので、事実は二の次、三の次になってしまうのである。しかし私は気にしなくても、観ている方が気になるかもしれないので、会場では離して展示することにしよう。 昔、個展会場で、私の造ったピアノの鍵盤の数を数えている人がいてびっくりしたものである。鍵盤の数など気にしていなかったのだが、数年後、二台目を造った時は鍵盤の数は正確にした。正確にはしたのだが、二度とピアノなど造る気はなくなった。


3某日2 二日

午後青木画廊にプリントを届ける。デザイナーの北村さんと青木さんに、額マットなどの選択はお任せする。私は作品を制作するところで終わってしまい、あとは気がいかない。これは学生時代からそうで、同輩に、もっと見せ方を考えろとうるさく言われたものである。作品にすべてかけているのだから、あとはどうでも良いというとカッコの良い話であるが、多少似ているが大分違う。ボンヤリとしてしまって何も浮かばないのである。画廊では、3階の予定であったが、急遽2階と3階の両方を使うことになった。 その後、私がポスターの人形・写真を担当する劇団の方を北村さんに紹介してもらう。個展の予定が迫っているところに、こちらの締め切りはその前というのだから凄い。その後、北村さんとピエゾグラフの工房に寄り、テストプリントを見せてもらう。この1カットは大きさで笑える。早く帰って、人形に着彩を始めよう。


3某日1 一日

雨の中、プリントをラボに受け取りに行く。帰りに田村写真に寄り、個展出品用のモノクロプリントについて相談する。ついでに届いたポートレイト写真を受け取る。今回はジーン・ティア二ー2枚、コルセット姿のジェーン・フォンダ、直筆サイン入りキム・ノヴァク、サリー・ブレイン。サリー・ブレインという女優は聞いたことがないが、ハリウッド調ソフト・フォーカスが気になった。田村さんによるとレンズはイマゴンだという。人気のないレンズだが、イマゴンはこう使えという見本のような写真で実に素晴らしい。イマゴンで撮られた写真でもっとも良い写真だと田村さん。 帰宅後、人形の仕上げ佳境に入る。2月中に着彩は果たせず。