明日できること今日はせず  

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6某日14 億萬長者夫人 劇団昴 三百人劇場

ドグラマグラ(社会思想社)を拾い読みする。茶色く風化し表紙はとっくに破れ、どんなデザインだったか記憶に無い。中学生の頃に買った文庫だったろうか。それにしても凄い小説である。外国語に翻訳されていないとしたら早急にするべきであろう。是非、日本人よりサッカーの強い人たちに読んでもらいたい。 午後七時、千石の三百人劇場へ。福田恆存作『億萬長者夫人』初演は昭和42年の喜劇ということであったが、これがちゃんと笑えた。照明も効果的に使われていて、セリフの面白さを堪能する。終演後楽屋に行き、主演の億萬長者夫人、一柳みるさんに挨拶をする。たまたま偶然、私の作った画と同じ髪型だと思っていたら、ポスターと同じ髪型にしてもらったと聞いて驚いた。三百人劇場は、老朽化のため近々無くなるらしい。


6某日13 チャカポコ

夢野久作は二・二六事件の翌日、父、茂丸の死後の後始末を終え、散髪し、朝湯に浸かり「今日は良い日で、アハ、ハ、ハ、ハー」と笑いながら両手をあげたまま仰向けに倒れ、そのまま脳溢血で亡くなった。こんな羨ましい死に方はない。(死ぬことに気が付かぬほど一瞬なら、私は今死んだってかまわない。ただし、一秒でも間があったら、思いっきりジタバタするが)三歳の時から吸い始めたタバコのせいだと聞けば、禁煙などするんじゃなかったかとも思うのだが。 チャカポコとは言うまでもなく、『ドグラマグラ』に登場する木魚を叩く音であり、この作品を読んで発狂した人がいたとすれば、必ず頭の中で鳴り響いていたに違いない。しかし考えてみたら、制作中の私の作品自体が、すでにチャカポコ物ではないのか?だいたい木魚付きの予定だし。


6某日12 久作のチャカポコ感

人形を乾燥しているあいだに、カメラバックや露出計を買いに行く。自転車を修理して、梅雨が明けたら撮影に行ってみたい。帰宅すると、先日来たばかりのオスカーが死んでいた。半分くらいの大きさの魚にやられたようである。まったく見掛け倒しの大食らいであった。中学の飼育部で、予算の使いすぎという学内の批判をかわそうと、文化祭で企画したオスカーの金魚丸呑みショーでは、金魚と仲良く泳いでくれた。もう二度と飼う事はないであろう。 夢野久作は『ドグラマグラ』をイメージして作っているのだが、ここにきて何か一つ、久作の”チャカポコ感”とでも言ったらいいようなものを加味してみたいのだが、さて、どうしたらよいのであろうか。


6某日11 若林博士?

半乾きの久作を横に、『瓶詰の地獄』を読んでいて寝てしまう。夜中に目が覚め、私を見下ろす久作と30センチで目が合い、”事情”を把握できずに2秒ほど葛藤する。


6某日10 夢野久作立つ

ヌーボーとしつつ、ついに立つ。 作り始めたのは何年前だったか。 地球とあだ名されたほどのデカイ頭だそうで、確かに当時の写真を見ると、周囲と比べて巨大である。その大きさで、難産で母親が死んでしまったディアギレフと違って縦に長いので、難産ということはなかったかもしれない。  久作は、ただ立っていればいいものを、よけいな事がやりたくなり、お惣菜で有名な砂町銀座の某店に、あるブツをタクシーで運び、店主に今月中になんとかしてくれるよう頼む。もちろん、この中に人形をいれるなどとは言わない。判ってはいるが止められない。それにひきかえタバコなど、物心付いてから身に付いた習慣など、止めるのは簡単である。


6某日9 『ルオーとローランサン パリの踊り子たち』展 汐留ミュージアム

鹿島 茂さんの講演『パリの踊り子たち』を最前列にて聴く。 ルオーもローランサンも興味がないというより嫌いなのだが、バレエ・リュス(ロシアバレエ)の舞台美術をやってるので、ついでに展覧ものぞく。薄井憲次先生旧蔵のパンフレットなどが楽しい。ディアギレフのサインも見るのは初めて。絵には一瞥もくれず通りすぎる。 その後、神保町へ。書肆アクセスにて、新青年趣味『夢野久作特集』を買う。バックの中には夢野久作の首。(持ち歩くのは、人形の身体に取り掛かる前の習慣である)来月早々の出品なのに、まだこんな状態である。 いい加減な雑記とはいえ、タバコを止めたと言ってしまうか躊躇したものであるが、久作出品も多少迷った。しかし、頭部が出来てしまえば、あとは集中して一気に作るのがいつものパターンであり、自分でワザとじらして、頼むからもう作らせてくれというところまで引っ張るのも、私のいつもの手だが、傍から見たらバカみたいなものであろう。


6某日8 一日

必要な材料をネットで検索して、近いところで神保町古書街の画材店に向う。これはきっと本が呼んでいるに違いない。材料を買い、夢野久作関連その他、購入。某書店にて、本を売りに来た客と店員のやりとり。いかに珍しい本かアピールする客と、どれだけたいした本ではないかと対抗する店員。聞こえてしまうので仕方が無いが、愉快なものではない。 荷物も重くなってきたので、そろそろ帰ろうかと思うが、わざわざ出かけてくるほどの本は見つかっていない。そんなはずはないと見上げると、高いところに、洋書の『ディアギレフとロシアバレエ』 ニジンスキーは数カットしかないが、バラの精でパートナーを務めたカルサヴィナの写真が盛沢山。呼んでいたのは夢Qかと思ったら、カルサヴィナ嬢であった。ロシアバレエ団を率い、ヨーロッパに衝撃を与えたディアギレフも映っているが、全体的に悲しげである。生まれたときから頭が大きく、おかげで母親が難産で死んでしまったという。そういえば、そんな男の表情である。


5某日7 眼鏡

街を歩いていると綺麗な女性が妙に目に付く。原因は眼鏡の度を変えたせいらしい。 私は特に右目の乱視が強く、きっちり補正してしまうと気分が悪いので、補正はそこそこにしていたのだが、それにしても見えづらくなってきたので作り直した。以前は、なんとなくソフトフォーカスで、そのほうが女性が綺麗に見えると冗談を言っていたものであるが、ホントに綺麗な場合はやはり、ちゃんと見えていたほうが綺麗に見えるようである。


6某日6 ワイルド・オスカー

Hが飼いきれなくなった魚を、ショップに持っていくというので、欲しい魚もあったので付き合うことにする。前回タバコを止めたばかりで、車中タバコの話しばかりしていたが、すでに峠を越している。 サッカーワールドカップ。優勝国サッカー協会に贈られる、FIFAワールドカップトロフィーのレプリカは、今回Hの会社が作ったそうで、鋳造は、私も知ってる高岡の鋳造所。Hには悪いが、たいそうなものという気がしなくなる。 何処にでもいた、かつてのスピッツのように姿を消しつつあるフラワーホーン。これが最後と、程度の良い幼魚を2匹購入。二十数センチの現地採集物のオスカーが実にシックな体色。やすくするので持っていってと言われ、つい購入。図体のわりに大人しいので、当て馬に良いと思ったのだが。



6某日5 お祝い

帰宅してポストを見るとHさんからの手紙。自宅でのカレーパーティーのお誘いである。Hさんは昔、インドやネパールに行っては写真を撮っていたが、ネパール人の女性と結婚し子供も生まれ、すっかり落ち付いてしまった。子供の誕生祝いだといって自宅に誘われるが、私がそんなバカバカしい集いに出かけるはずもなく、失礼を続けている。子供がウロチョロしているところで飲む酒ほど不味いものはない。 しかし今回いただいたお知らせはちょっと違っていて、Hさんの母親の笑顔のポートレイトがコピーされていて、八十七になり、ネパール料理で祝うので来て下くれ、ということである。ところが先日、友人の女性から、Hさんの母親はすっかりボケてしまい、Hさんが引き取っているが、お祝いをするって言われても、と苦笑まじりに聞いたばかりなのであった。もらった手紙には、そこまでは書いていない。 ボケた母親を肴に、酒を飲もうというのだから、ずいぶん酔狂な話である。お邪魔したとたん後悔しそうだが、意外とお目出度い席になるような気がしないでもない。 


6某日4 自転車に乗って

10年以上乗っていない自転車を、近所のショップで整備してもらおうと思っている。9インチのピクトリアルレンズをつけるのに丁度良い、4×5インチ木製一眼レフ、グラフレックスを手に入れたので、自転車に乗って変化の著しい東京湾周辺などを、かつてのピクトリアリストを気取って撮影してみようと考えたからである。タバコを止めてみると案の定、体重増加も著しいので、少し外の空気も吸わなければならない。ついでに釣り竿をそなえておいてなどと、よけいなことも考える。 しかしそんな時、紙巻タバコは臭いだけの下品な物だからどうでもよいが(止めるとなるとヒドイ言いようである)パイプタバコの楽しみまで捨てるつもりなのかと、二十年もかけて、色着いたキャラバッシュパイプなどのコレクションを前に、実は内心迷っている。私の場合、肺にまで吸い込むわけではないし、たまにどこかに出かけるときくらいと思わなくもない。 ようやく夢野久作を完成させる気になってきた。とりあえず数日かけて頭部の仕上げをし、身体を作ることにする。例のセーター姿か、黒紋付か。そこまでは考えていない。


6某日3 盗作

和田某、芸術選奨取り消し。もともと日本人は本家にバレないよう、気を使いながらパクるという奥ゆかしさがあったはずだが、この男は調子に乗ってしまったようだ。未だに見苦しい言い訳をしているが、その手口には可愛気がなく、根っからの盗人という感じである。家宅捜査すれば、絵画以外にも何か出てくるのではないかと思うほどであるが、趣味で模写した絵を、ご近所にくばって喜ばれていれば良かったのに。 今までバレなかったというのは、いかに日本が田舎かということであろう。


6某日2 乱歩で笑う

昨日のライブでもそうであったが、「申し訳ないですけど笑いそうになってしまいました。」とよく言われる。不思議なことに、笑ってはいけないと思われる方がいるようだが、本人は笑わそうと思って作っているのである。 昔の読者が乱歩を読んで、どれだけ戦慄したかは判らないが、私が乱歩を読んでゾッとしたのは中学生の時に『白昼夢』を読み、「作り物でない証拠には、一面にうぶ毛が生えていた。」という一節を読んだ時が、最初で最後である。あとは話の面白さ、独特の語り口に夢中にはなったが、ゾッとしたことなど、実は一度も無いのである。人は生きているだけで多少滑稽なものだが、私には江戸川乱歩は、そんなことを表現した作家に思えるのであり、私の想像力では乱歩をいくら読んでも、壮絶な残酷シーンは浮かんでこない。よって、どんなに死体や生首がころがっているシーンを作っても、常にどこか笑わそうと考えてしまうのである。


6某日1 朗読ライブ 世田谷文学館

画像の手直し、入れ換えなどやっていると、学芸員から、変更は昼までにしてほしいと釘を刺される。諦めが悪いといえば、そうなのだが、この一粘りでグッと良くなるのである。 1時間前に文学館に到着。サイン本をショップにあずけ、さっそく最後のチェック。 定員150名のところ満席。私は開始から、画像切り替えのタイミングを取るので精一杯。横で学芸員のSさんに番号順に画像の指差し確認をお願いする。嶋津さん、田中さんと違って、普段、入場料をいただくことなど無い私には、なかなかのプレッシャーである。昔、フィルムが途中で切れても、平然としていた映画館の親父の顔が浮かぶ。 田中さんの朗読の間も微妙に変るので、タイミングが合わない部分もあったが、そこはライブである。『指』は文学館を、腕を切断されたピアニストが運び込まれる医院にしたて、ピアニストを嶋津さんにやってもらった。撮影時に、本日の衣装と同じ物をお願いし、作中の人物が、目の前でピアノを弾く人物だと判ると面白いと思ったのだが。笑いを期待したが、腕がないのにピアノを弾く男では笑えないのかもしれない。最後の出演者紹介で、ようやく笑いが起きる。コント作家の快感を味わい、横のSさんと握手。 終演後、宮台真司さんに大変面白かったと言われる。横にいたお腹の大きな奥さんに、「胎教にも良かったね」と言っておられたのは私のヒドイ聞き違いだったろうか。 打ち上げ。私がタバコを止めたことを信じない編集者。未だに喫煙の野蛮な男だが、その挑発に乗らず、ムリヤリ進められたタバコを目の前でへし折る私であった。