明日できること今日はせず  

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7某日11 熱帯魚ショップツアー

AM10:30高田の馬場。フラワーホーンを飼いたいという図書館勤めのTさんと、私の地元小中学の先輩で陶芸家のSさんと集合。Hの会社に行き、最近孵化したフラワーホーンの原種、トリマキュラータムなどをしばらく眺めた後、梅雨も明けたか晴天の中、Hの運転でショップ巡りに出発。 まずPDフィッシュセンターへ向う。規模は最大級。初心者にはインパクト大。残念ながら目的のシクリッド科の魚がいつもより少なかった。昼食後トロピランドへ向うが、東熱帯魚研究所の看板が目に入る。意外と穴場だったりするから侮れないと路地をいくと、天知茂の江戸川乱歩シリーズに出てきそうな異様な建物。ショーウインドーには何やら古代魚の干物がぶら下っている。内部は九龍城、潜水艦内の如し。パノラマ島奇談を彷彿とさせ、立ち入り禁止の地下室では、カエルの卵に人の精子で河童を作っているに違いなどと言っていたら、どうやらこの世界では有名なところらしい【HP】 Sさんアピストのペアを購入。アクアビーストにて、三人がフラワーホーンを購入。ブーム時の3分の1の価格である。私は前回買ったのがオスばかりだったので、もう一度孵化に挑戦するべくメスを購入。手術台のコウモリ傘とミシンくらい脈絡のないメンバーと1日がかりのショップ巡りであった。


7某日10 バレエ・リュス

彷書月刊8月号特集『バレエ・リュスのイマジュリィ』が届く。私の『薔薇の精のニジンスキー』がモノクロにて一頁。オイルプリントと活字になるところに意義がある。 薄井憲二先生インタビューその他、大変面白かったが、バレエファンはほとんど女性である。はたしてどんな反応なのであろう。 「長谷川潔とバレエ、そしてリズム」には、長谷川が描いた1914年の假面という雑誌の表紙が載っている。「金の奴隷」を踊るニジンスキーを描いているということだが、これはあきらかにジョルジュ・バルビエのシェエラザードのパクリである。『リズミカルな背景の模様〜』ということだが、少なくとも床のチェッカー柄は、オリジナルのイメージである。けっこうガッカリ。 2009年はバレエ・リュス100周年だそうである。たまには、そういったものを目標に個展を考えるのもいいかもしれない。削除したと思っていた2002年、制作行程のページがあったので復活してみた。


7某日9 臼

私は人形を様々なアングルから写真に撮るので、正面だけは似ているが横は駄目。またその逆であっては具合が悪い。その場合、もっとも重要なのは額の形である。おでこというものは人種性別により複雑な形をしているが、私に言わせれば、目立つ鼻の形より重要である。 ディアギレフの写真は、ほとんど正面を向いていて、斜に構えているカットはあるが、真横の写真は、いまのところ帽子を被っている1カットしか知らない。まるで横顔を撮られるのを避けているかのようである。よって額の正確な形が分かりずらい。 市川雅も指摘しているが、バレエリュス周辺のスラヴ人はやたらと人物デッサンを残している。画家は当然として、ダンサーのニジンスキーから作曲家のストラヴィンスキーまで、お絵描き大流行という感じである。内容はそれこそ玉石混交なわけだが、これが資料として案外馬鹿にならない。 写真と違って絵の場合は、本人を目の前に描かずとも良いわけで、ディアギレフを描いたものは、たいてい臼のような巨大な額が強調され、ザマアミロと言わんばかりである。そんなイメージを加えながら、細部の仕上げを残し改良版完成。臼みたいなものを作っていると、次はキュウリのヘタみたいなストラヴィンスキーあたりをいきたくなる。


7某日8 ロシアバレエな一日

セルゲイ・ディアギレフを作る。前に一度作った人物だが、この男の孤独感のようなニュアンスを加味したくなった。 1910年代。ヨーロッパに当時最高のロシアバレエを持ち込み衝撃を与えたプロデューサー。愛人のニジンスキーが女性と結婚してしまうと、怒ってバレエ団をクビにしてしまう、傲慢で香水をプンプンさせている大男というイメージであったが、しばらく時間が経った今では、感じ方も少々変わり、どの笑顔の写真を見ても悲しげに見えてしまう。コクトーも悲しげであるが、痩せたコクトーより、巨漢だけに悲しさも際立ってみえるのかもしれない。糖尿病で死ぬが、チョコレートが止められなかった。(私が作る人物はこうでなくてはいけない) ヴァレンティーヌ・グロス(後にヴィクトル・ユーゴーの曾孫と結婚しヴァレンティーヌ・ユーゴー)が、タマラ・カルサヴィナを描いた手彩色リトグラフを落札。ロシアバレエ団の追っかけであり、残したスケッチから後年、バレエ『春の祭典』が再現された。エリック・サティは親しい彼女に『芸術なんか糞食らえだ、あんな物は馬鹿者がするものです。どんな卑しい仕事でもいいから働き口を!』とすっかり有名になった時期に書き送っている。


7某日7 大銀座落語会 時事通信ホール

入り口でTさんを待っていると、Tさんが高田文夫とともにエスカレーターを上がってきて驚く。一緒に来たとしか見えなかったが、何も知らずに後ろにいただけであった。春風亭昇太の『牡丹燈籠』相変わらず面白く大満足。帰りにすぐ近くのパウパウアクアガーデンによる。先日、4000円で売っていたブルーデンプシー4センチが2980円だったのでつい買ってしまう。かなり無理な交配で作られた種とみえ、写真でさえ成魚クラスを見たことがない、かなり怪しい魚。 そのまま青木画廊に寄ると、浅草東洋館で2度ほど観た『東京タワーの歌』の寒空はだか。はやく気づいていたら、久作の前で記念写真を頼むところであった。田村写真の田村さんがみえたので、Tさんの木魚を叩く手を入れたりしてウエブ用写真を撮ってもらう。その後Tさんと延々と飲む。帰ると最近、真空管アンプでジャズに熱中の田村さんから電話があり、”ジャズ・ブルース時代”の私のネガをもう一度プリントしてみたいとの申し出。このタイミングを逃さぬよう、早くネガを届けることにしよう。


7某日6 夢野久作キャラクター時計

青木画廊に出かける。オープニングの混雑の中で聞こえなかった時計の音がする。時報もおおよそ正確のようである。2週間巻きの時計だが、ついでにゼンマイを巻いておく。 会場でHと会う。中国土産のフラワーホーンの餌をもらう。大連での仕事のついでに熱帯魚店を探すと、巨大な市場があったそうである。写真を見ると、かなりのグレードのフラワーホーンが、夜店の金魚のように、ビニール袋に入れられ、ぶら下っている。日本での価格は暴落しているが、それでもさらに廉さに驚く。 日本ではすっかり熱が冷めてしまったフラワーホーンだが、私たちの熱はまだ冷めず。これだけ丈夫で人に馴れる魚を私は知らない。生まれた子供に同じ模様が二つと無いところもまた楽しい。メールで市場の話を聞いた日は、その晩六本木ヒルズがすべて熱帯魚屋だという夢を見てしまった。


7某日5 キュレーターズ・チョイス展 東京都写真美術館

猛暑の中、林平吉のカラー作品を観に行く。その前にキュレーターのFさんに会い、オイルプリントの話などする。日本のピクトリアリズムの写真について、人と話す機会はなかなか無いのでつい長話。 林平吉の作品は3色分解によるブロムオイルの転写である。本人は自信も有り、啓蒙活動も雑誌を中心におこなっていたが、それほど普及した様子はない。作品は独特の色合いである。気が付いたこともあるが、これを試した人にしか判らない話なので止めておく。 ここのところ甲斐智恵美だとかシド・バレットだとか、忘れていた人の死亡記事が目に付く。初めて目にした新聞のロックミュージシャンの死亡記事は、ブライアン・ジョーンズであったが、ブライアン・ジョーンズの伝記映画はもう公開されたのだろうか。ストーンズの他のメンバーとは桁違いのカッコ良さなのだが。


7某日4 オープニング

開廊前に、久作の頭部を取り付けに行く、実際は薄暗いところに置ければ良いのだろうが、グループ展ともなればそうも行かない。無事時計の鐘の音も確認。時間も早いので、熱帯魚ショップに寄った後、いったん帰宅。5時頃再び青木画廊へ。こうでなくてはならないのだろうが、人が多くて居場所がない。途中、やはりオープニングのスパンアートギャラリーへ。こちらも人が溢れていた。青木に戻るとTさんが来たので、久作を作るにあたり、参考資料として入手していた昭和6年、九州帝國大學醫學部寫眞帖からはがしてきた写真を見せる。ついでに生体解剖事件に関わった教授のサイン入り写真も。(昨日気が付いたのだが、撮影者の安本紅陽は、堀野正雄、渡辺義雄、光村利弘らの新興写真研究会のメンバーであった。) 時計の中の木魚は、思いのほか良い音がするので、バチをはずして『キチガイ地獄外道祭文』を唱えながら叩くことができるようにしてある。(だからと言って会場で叩いてはいけない)『ドグラマグラ』においてブンブンとチャカポコの音は不可欠である。だがしかし、おかげで未読の人には理解不能な作品となった。 たまたま拙著に死体その他で協力者として名前を連ねる三人が来られたので、焼肉屋、バーとはしごする。別れた後少々飲み足らず、門前仲町で飲んで帰る。


7某日3 搬入

時間が迫ると、色々やらずにおれなくなるのはいつもの通り。木魚のバチの柄は、朱塗りの方がチャカポコ感が出そうだとか、それなら胎児はターコイズブルーに塗ろうとか。 タクシーにて青木画廊へ。木魚と胎児の入った柱時計をかかえて、狭く急な階段をゆっくり上がっていくと、時計がチンチンと鳴る。ノートルダムのせむし男の気分。毎年子供を連れ、この時期アメリカから帰ってくる妹が、私の作品展など、いままで一度も観に来たことがないのに、今回に限って子供を連れて来るという。止めておこう。 画廊内は搬入された作品で雑然としていた。そこへムットーニ氏も搬入。さっそく電源を入れて動くところを拝見。私の作品とは違って可愛いオルゴール。これなら子供だって喜ぶであろう。さらに四谷シモン氏。青木画廊で、機械仕掛けの少年の、クランクを自ら回すところを拝見したのはいつのことであったか。 出掛けに久作の顔に手を入れてしまい、着彩をやり直すため、接着しなかった頭部を引っこ抜いて持ち帰る。 青木画廊 眼展 10日より。


7某日2 時計

先日搬入のはずだったが、北朝鮮のミサイルなど、もろもろの事情で遅れる。 ドグラマグラは柱時計の音に始まり終わる。そこで今回、時計と人形を組み合わせることを考えた。古い柱時計を手に入れたが、振り子を装着すると止まってしまう。単にイメージだけでも思ったが、できれば動いていた方が良いであろう。時計屋に持ち込み、修理を依頼した。実直そうな店主によると、中の錆を落とし、ゼンマイを一つ取り替えないとならないと言う。 久作像は着々と進んだが、肝心の時計がなかなか直ってこず。途中電話をもらうと、修理は終わっているが、壁にかけ、真面目に動作確認をしている気配である。動いていれば時間なんてどうでも良いのだが、時計屋の主人にそれは言えない。 やっとのことで直ってみると、あと20年は大丈夫と太鼓判。


7某日1 林平吉

田村写真の田村氏から、東京都写真美術館に林平吉の写真が展示中と連絡が来る。林平吉は、大正から昭和にかけて活動した、オイル、ブロムオイルの作家である。日本のピクトリアリズムの写真家の多くはアマチュアであり、現存する作品は少ないが、特に林平吉の作品は、雑誌の作例で目にする程度である。中でも私が見たかったのは、名人と言われ、本人もそうとう自信を持っていたことが伺える、3色分解によるブロムオイルのカラー作品である。当時それはドイツにまで渡っている。 以前は林平吉で検索しても、私が書いたものしかヒットしなかったが、どこからか寄贈された作品が公開されているそうである。私ほど見たかった人間はいないのではないだろうか。などと言いながら良く忘れるが、今回だけは忘れてはならない。7月17日まで。