明日できること今日はせず  

最新ページ


8某日16 東京ストーリー

枝川公一さんには、たいしたお話はできなかったが、ちゃんと東京ストーリーにしていただいた。 しかも夢野久作に対して、『アンポンタンポカンくんが、ブウウ・ンンン〜』などと活字になっていることも嬉しい。 それにしてもタバコを止めて数ヶ月。やたらと丸い。どうもこれが現在の私らしい。煮込み屋K本の常連、階下に住むYさんには、またタバコを始めた方がいいんじゃないの?と美味そうにハイライトをふかしながら言われる始末だが、最近キレが悪いというYさんには、喫煙は前立腺、膀胱ガンの原因になると教えてあげよう。 それはともかく、この歳にしてこの(ノホホンとした)写り方はどうなのであろう。なにか取り返しの付かない事になってる感じがするのだが。


8某日15 撮影

一時過ぎに読売新聞の記者とカメラマンの方がみえる。31日都内版の枝川公一さんの『東京ストーリー』というコーナーである。東京在住の変わった人物を扱っているコーナーのようにも思えるのだが。 枝川さんからは、江戸川乱歩と夢野久作の人形をと言われていたので2体を用意。部屋の片付けが面倒になり、写るところだけ片付けておけばいいやと思ったら、片付けのシワ寄せがきている、散らかった所を背景に撮られてしまった。くれぐれも破れた襖や、引き出しから溢れた、よけいな物が写らないようお願いする。 私が仕事をしたわけではないが、すごくしたような気になり、3時すぎで暖簾も出していない焼き鳥屋K屋にいって飲み、続いて煮込み屋K本に。店を出るとまだ明るかった。


8某日14 ボンヤリ

1800年代のレンズを覗いたり磨いたりした後、ガリガリ君マンゴー味を齧りながらボンヤリしていると、撮ってみたいイメージが浮かんでくる。しかし撮るといったって、まずその人物を作ってからということになるので厄介である。例えば乱歩が屋根裏で尻はしょりで、こちらを見ているカットは、思いついてから8、9年かかっている。私の場合、頭部が完成すればできたも同然であり、撮影のことを考えながら全身を制作する快感は大きく、撮影時には、それこそ涎を垂らさんばかりである。逆に人形を作ってもいないのに、写真のイメージが浮かぶというのは、その後何年間も、胸のつかえを抱え続けることになりかねない。どうすれば良いかというと、一人でボンヤリしないことである。 子供の頃、誰もいないところで想った事などは、何処へ行ってしまうんだろうと考えたものである。確かに頭の中にあるのに。しかし今に至ってみると、それが私の作品ということになるのであろう。子供の頃は私が口を開けたままボンヤリしていると、口を開けたままボンヤリしてるんじゃないと大人が止めてくれたものだが。


8某日13 熟読

本の置き場所がないので、いらない物を整理している。こんなとき、さっさとやれば良いものを、例によって読書に身が入ってしまう。最近は買うのはできるだけ、今制作に必要な物に限るようにしているのだが、本というものは、資料として必要な物ばかり買っていたら、実につまらない。必要のないものばかり読んで、それに囲まれている方が楽しいに決まっているのである。 鬼畜作家の件、ようやくTVでも取り上げられたそうである。私が何らかの事情で、鬼婆を作ることになったら、今なら、どうしたって坂東眞砂子のイメージが加味されるのは、仕方のないことであろう。まだ研いだ包丁を使おうという気持ちがあるぶん、鬼婆の方がマシな気もする。


8某日12 一日

行き付けの煮込み屋にでかける。午後4時の開店から、8時の閉店の間、よほど客で込み合わない限り、主役は猫であり、何事にも優先される。カウンターの中のビールケースの陰で、子供が生まれたくらいである。今日は一匹が常連客の目の前のカウンターにベッタリと寝ている。はたから見ると小山のような猫を、胸元に抱えているような感じである。スペースが無いので、この客はホッピーばかり飲んで、つまみは頼まず帰っていった。こんな店なので、鬼畜作家の話など出たら大変なことになるだろう。 タバコはまだ止めてる?と聞かれる。随分太ったとしきりに。なにしろ口にする物が、2割は美味しく感じるのが困ったものである。隣りに座るMさんは5ヶ月禁煙し、それでも戻ってしまったそうで。


8某日11 あまりにもな話

18日の日経新聞に掲載された、坂東眞砂子というタヒチ在住だという作家が書いた文章を読んで、朝っぱらから胸糞悪くなる。『私は子猫を殺している。家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、そこに放り投げるのである。』子猫殺しを犯すに至ったのは色々考えた末だと、3匹飼っている猫の子供が生まれるたび、崖下に投げ捨てる理由を書いているのだが『愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。』そうである。作家というものは、多少イカレテる人物が面白い物を書く場合があるのは知っているが、イカレ方がシャレになっていない。どんな人物かとイメージ検索してみると、どちらかというと、物が捨てられないゴミ屋敷のバアサンという感じなのだが。と思ったら私より一つ年下でさらに気分が斜めに。


8某日10 久しぶりのニュー・プリント

田村写真にて、私が昔作ったジャズ・ブルースシリーズのプリントを見る。10月に田村写真10周年の記念展があるのだが、その時に何点か出品されるものである。使用されたペーパーはコダック製で、すでに製造中止になり、使用期限も過ぎているのだが、それを何やら面倒な処方でプリントしているそうである。この当時の作品は、ある程度のサイズにプリントすることを想定してネガを作っていたので、小サイズは今ひとつであろうと思っていたのだが、見せられた小さなプリントは、以前のものと雰囲気が違い、私自身、始めてみる実在感がある。田村さんによると、昔プリントしていた時には、こういう事はできなかったという。この辺りのことは聞いても判らないし、私は知る必要がないので、ただ感心していればよい。 少なくともモノクローム写真は、田村さんが死んだら私は止めることにしているが、同い年なので、お互いせいぜい長生きしましょうというところである。 10周年ということで色々な企画がなされるようだが、期日が迫ったら、あらためて告知することにする。10/6(金)〜10/22(日)アップ・フィールドギャラリー


8某日9 E・O・ホッペ

夕方神田の古書店に向かい、イー・オー・ホッペの『ホッペ寫眞傑作集』昭2’朝日新聞社刊を購入。昨晩ネット古書店で見つけたのだが、届くのを待っていられない。 ホッペは芸術写真家として活躍した人物で、朝日新聞社の招聘で大正12年、本人にとっての初個展を催し、日本国内の写真家に影響を及ぼしている。彼は肖像写真家と言って良いが、特に舞台人や舞踏家の撮影に力を発揮した人物である。バレエリュスのメンバーをスタジオ撮影していて、全盛期のニジンスキー等が彼の前でポーズをとっている。この本の中でもダンサーらしき人物を散見する。デニショーン舞踊団として大正15年に来日したルース・セント・デニス、テッド・ショーン夫妻。ショーンは歌舞伎調のメイクに、薙刀を構えてなんとも珍妙であるが、松井須磨子のサロメも、こんなものであろう。日本人では、屋敷跡が大田黒公園になっている音楽評論家の大田黒元雄や貴族の肖像が掲載されている。展覧会では、ほとんどの作品が売れたようだが、撮られたら必ず購入しそうな連中ばかりで、当時の営業写真家としては当然のことであろうが、極東の地で、さぞかし稼いで帰ったことであろう。 この作品集における彼の作品は、一目見て英国調であり、笑っている人物でさえ重々しい。序では大流行した、ブロムオイルやソフトフォーカスの無軌道ぶりに苦言を呈しているが、この作品集を現代の目で見るかぎり、目糞鼻糞の類である。やはりホッペはバレエ・リュスの仕事であろう。


8某日8 南房総

東京駅でTさんと待ち合わせたが、時間だけ決め、待ち合わせ場所を忘れて会えず。お互い行きかたは違ったが、江見で降りると前を行くTさん。とりあえず房総の酒『寿萬亀』を買う(曜日が不鮮明なので、数日間記憶に残ったことだけ列挙) 田村写真の田村さん、撮影機材を積んで到着。黒滝に撮影に行く。田村さんは大型カメラ、ジナーにペッツバール型レンズ、エミール・ブッシュRR。私は4×5のグラフレックスにレンズはコダックアナスチグマットとピクトリアルレンズ。大きなサイズの撮影は面白いが、アブに刺される。和田漁港で釣り、撮影をするが港の撮影は難しい。台風の影響で雲の動きが激しい。夕方、太平洋に巨大な二重の虹。大型カメラを準備も間に合わず。野菜の直売所でマクワ瓜を買い、数十年ぶりに食べる。以後、一生食べてはいけないと言われても別に困らない食物。 和田漁港は全国に5ヶ所ある捕鯨基地のうちの一つ。早朝、ツチ鯨の解体を見学。凄まじい状態にかかわらず、血生臭さが無いのが不思議。バケツを持って待っていれば、この場でシーズン初値キロ2600円で鯨肉が買えるそうである。 街道沿いの店に、今時、生き人形の系統のマネキン。夕方ペルシャの宮殿のような異様な雲を発見。御丁寧に4角い窓まで並んでいる。リアルな造形に唖然。 数日間『寿萬亀』に浸って帰宅すると、フラワーホーンの中でもウチのエースだったオスが、おそらく暑さのせいで☆に。


8某日7 若者と死 文京シヴィックホール

前回観たバレエはニジンスキー関連の演目であったが、どこがブラボーなんだと呆れ返った。私がニジンスキーを評価しすぎて、そう思えたのか、日本人がニジンスキーというのがそもそも笑止なのか。 しかし今日は一転、大収穫。舞台装置、照明、生オーケストラ、どれも美しい。『ラプソディ』『セレナーデ』の群舞も良かったが、なんといってもコクトー作『若者と死』の熊川哲也であった。緊張感、表現力はさすがで前の2作を忘れてしまう程。熊川哲也は、テレビCFで、ワイヤーで吊るされているような跳躍しかしらず。中村祥子は先日、『学校へ行こう』でたまたま観ていて、美しく、雰囲気のあるダンサーであった。(バレエシューズを脱いだナマ足の凄まじさに驚く)熊川を今のうちに観ておいた方が良いとおっしゃっていた、鈴木晶さんに会場でお会いする。 帰りは後楽園内の店で総勢6人でああだこうだと。


8某日6 年表作る

カール・ストラスがニジンスキーを撮影したレンズを入手(そのものではない)したのは昨年12月。ピクトリアリズムとニジンスキーという、私の興味の対象二つが結びついたことが面白かったが、バレエ・リュスとピクトリアリズムは、その全盛時期が重なっているので驚くことはない。最近調べものをしていて1910〜20年代に至ることが多く、とくにロシア革命が重要なポイントになっている。判りやすくするために年表を作ってみることにした。ほとんど触ったことのないエクセルを開く。写真史年表1822年、ニエプス、ヘリオグラフィー実験成功あたりから始める。横にロシア・バレエを中心としたバレエ史年表。日本の文学史年表も考えたが、並べて面白い事は何一つなさそうなので止める。世界は只今、私の興味ある物だけでできている。いずれ音楽、格闘技年表なども並べてみたい。


8某日5 一日

昨日ボロボロにされたメス。セパレーターに隙間を作っておいたら、オスの方に行き、寄り添っている。そうしてはやられる繰り返しに、いい加減ハラがたってきた。お前は見た目が良くて選んだが、生き物としてスカだな。当分オスと一緒にしないことにする。 ニジンスキーというのは、そもそも妖精じみた人物であるから、舞台以外の場面での展開は、なかなか難しい。それならばディアギレフを中心にと考えれば、もう少しやりようがありそうである。ディアギレフ、ニジンスキー、ストラヴィンスキー、コクトー、ピカソ、カルサヴィナ、レオニード・マシーンというラインナップも浮かぶが、誰を作るかについては、こうみえても葛藤はしている。ただ顔が面白いからといってストラヴィンスキーを作ろうとしていないか?難しいところである。日本の作家は、単体で画にしていたので、佐藤春夫や宇野浩二つくってどうすると思ったものだが、こちらは同時代の群像として考えているので、脇役の充実は肝心である。


8某日4 独学ノススメ

フラワーホーンは久しぶりにオスメスそろったので、なんとか繁殖させてみたい。日に何度か一緒にして見合いさせているが、仲良くしているようなので、そのままにしてPM1:00、近所の喫茶店にて枝川公一さんに読売新聞のインタビューを受ける。枝川さんには、01年にもにもタウン誌『深川』でインタビューいただいている。ちょうど初めてバレエを観て、ニジンスキーを造り始めた頃である。再び同じテーマを考え始めている事を思うと不思議な気がする。1時間半ほど経って帰宅するとメスがボロボロに。やはりまだ早かった。別の水槽に移し塩を投入(淡水魚も、ある程度の塩分は魚にカツを入れる)。 ジャズ・ブルースシリーズのネガを持って田村写真へ。秋に田村写真10周年の展示があるのだが、付き合いも永くなった私の作品からは、ジャズ、ブルースシリーズのプリントが展示される。
田村さんが海外から入手した、ブロムオイルの制作法を紹介しているDVDを観る。私はこれの一歩原始的な技法オイルプリントを、日本の大正時代の文献だけを参考に始めたが、このDVDを観て、試行錯誤するうち、私独自の作風になっていたことが解った。あの当時、こんなDVDを見ていたら、今のような作風にはならなかったであろう。寄り道ばかりで時間はかかるが、ここにこそ独学の良さがある。私は過去の技術の継承者などになるつもりは、さらさらない。


8某日3 世界ライトフライ級王座決定戦

話題の亀田興毅。グローブが白というところからまず嫌な感じである。血に染まるところ見せられるのかと思うだけでうんざり。それほどの試合にならなかったのは幸いであったが。しょっぱなに驚くほど下手糞な君が代を聞かされる。解説の元ボクサーが必死に盛り上げるのが実にうるさい。どう見たって相手のほうが役者が一枚上である。その解説者でさえ負けたと思ったのは明らか。せっかくの人気も、こんな判定ではしょうがない。周りの大人たちやTV局も、いい加減にしろと言いたい。 勝つためには、会長がオレンジに毒を入れていた事まで思い出してしまう。


8某日2 フラワーホーン

ブームがすっかり去ってしまったフラワーホーンだが、私には人に馴れる頭のよさ、同じデザインが二匹といないなど、依然として魅力的である。先日メスを投入した。少しずつ馴らして相性を確かめるわけだが、今回のメスは、今のところ餌食いは悪いが、どのオスと合わせても目をランランと輝かせている。オスのほうは、体長12センチのわりに、おでこも大分出てきた(デコ=角 ホーンの名の由来)ディアギレフとでも名付けたいフラワーが、それはもうはしゃぎ方があからさまで、この単純で判りやすいところがまた楽しい魚である。メスは目を輝かせてはいるが、輸卵管もまだ出ておらず、結婚にはまだ早い。セパレーター越しに移すのだが、オスのジタバタのドサ芝居が見たくて、一日に一回はオスメス見合いさせている。そのうち本当に相性がよければ産卵にまで至るであろう。


8某日1 高まる完成度

セルゲイ・ディアギレフの頭部。私としては、これ以上やりようがないところまで完成する。部屋を片付けようと思ったからである。 思っては見たものの、例によってやりたくない。斜めになった本を縦にしただけで、急にディアギレフに手を加えたくなり、雑誌を一山束ねたところで猛烈に仕上げたくなる。よって片付けは遅々として、というよりほとんど進まず、ディアギレフの完成度だけが高まる結果となる。しかし片付かなかったとしても、作品が良くなったのだから、なによりである。これに勝ることがあるだろうか?イヤある訳がない。私は何も悪くない。 私の創作力は、部屋を片付けようと思いさえすれば、たちどころに高まる仕組みになっている。かわりに片付いたとたん枯れてしまったりして。だとしても枯れているのはせいぜい4日間だから、何も不都合はない。