明日できること今日はせず

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9某日18 事実

以前、ディアギレフの額について書いた。そうとうなデコッパチで、残されたデッサン、戯画の類はほとんど悪意混じりのおデコに描かれている。そう思うとディアギレフの横顔の写真が見当たらず、あっても帽子を被っていて、本人も気にしていたのだろう、くらいに考えていた。ところがディアギレフのデスマスクの写真を見つけた。それは真横ではないが始めてみる角度である。死んでしまえば撮られ放題だが、それは私が判断したほどのオデコではなかった。本来ホントのことなどどうでも良いと言ってるわりには、知ってしまえば、なおさないわけにはいかない。1929年に糖尿病で死んだディギレフ。あと12,3年早くインシュリン注射液が作られていれば、20世紀の芸術史も大きく塗りかえられていたと言われる。 10年前に制作したロバート・ジョンソンは、本人の写真は3枚しか発見されていないが、それならそれで、あとは私の解釈だったのだが、新たな発見はないことを願いたい。いまさら後頭部が恐ろしいほど絶壁だったとか言われても・・・。


9某日17 閉店

南陀楼綾繁さんのブログで、神田の珈琲店『エリカ』閉店を知る。ここは『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)で、D坂の殺人事件で撮影させていただいた店である。事件がおこるD坂の書店の向かいで、明智が冷やしコーヒーをすする店という設定。 まっ昼間の撮影だったので、ガラスの窓を、色々な物で塞いだ。たしか出版社の連中や、たまたま通りかかった西秋書店の西秋さんなどが、表からふさいでいてくれたはずである。下見をしてくれた編集者は怖そうなマスターだという話であったが実際はそんな事はなかった。本ができてから編集者と挨拶に行ったが、お茶をごちそうになってしまった。その後、何度も前を通ったが、コーヒーを飲む習慣がないので御邪魔することもなく。 閉店は残念だが仕方がない。この時、頭だけ若い乱歩の人形と挿げ替えて出演の友人や、奥さんが娘さんと小学校の同級で、店で宿題をしたという知人に知らせる。明智役の市山貴章さんは『李香蘭』の撮影で上海ロケ中であった。おそらく来春の、上戸彩が李香蘭役というTVドラマであろう。李香蘭は私の世代だと『3時のあなた』の司会者のイメージである。


9某日16 ディアギレフ

クライアントを目の前に描かれた肖像画は、本人に気を使っているため、必ずしも実像を伝えていない。ディアギレフの絵にも妙に美しく描かれた作品が残っているが、描く方も描く方で、ヨイショにも程がある。しかし造形的に参考にはならないが、本人が、こう見られたい人物だということを理解するのは大事である。絵画の場合は判りやすいが、写真の場合も同様である。写真家のこう撮りたい、被写体のこう撮られたいの勝負を見極めないとならない。写っている物を漫然と眺めていては、連中の都合しか見えてこないのである。 ディアギレフは世間的には、ホモの悪徳回船問屋のような言われ方だが(実際聞いたわけではない)この男がいなければ、バレエがどうなっていたか判らないし、ピカソの出世も遅れたろう。もちろん私を驚かせてみろと言われたコクトーにしても同様である。 完成したといいながら、そこからが長い私だが、4年前に作ったディアギレフに多少のニュアンスを加えてみた。来年ディアギレフ関連の催事の噂も聞こえている。詳細は未定のようだが実に楽しみである。


9某日15 経験あてにならず

Hが会社のフラワーホーンを見がてら飲もうというので出かける。今日すでに1匹買ってきたらしく、水槽は魚だらけ。先日自宅に持ち帰ったお気に入りのフラワーホーンは、30センチになることが奥さんにバレる前に、その獰猛さに驚かれ、宅の家風にあわないとばかりに、早くも会社に戻ってきていた。 先々月ショップ巡りをした際、初めて魚を飼うTさんが、沢山の幼魚の中から極少の1匹を撰んだ。私とHは内心、どういう基準で撰んだか知らないが、随分と華がないチビだ。それにどうせ1匹飼うのなら、オスにすべきなのに(たいていオスのほうが綺麗である)わざわざメスが良いという。本人がそうしたいならまあ、いいだろうなどと余裕をかましていた。ところが時間が経ってみると、Tさんのフラワーの変身ぶりといったらなく、我々の魚を凌駕していて、画像が送られてくるたび後退っている。Hはその画像をショップで見せると、よほど目が効かれる方と、マニア向け店主も初心者とは露知らず。ベテラン面をしていた私とHの面目はたたず、Hなど、わざわざ華のないチビを買ってくる始末である。


9某日14 お笑い芸

若手漫才師が亡くなったが、どうも自殺らしい。 ほんのハナタレの子供の頃見た、淀川長治の外国TVドラマの解説を覚えている。それはミシンを持ったまま戦場を逃げまどう仕立て屋の話であった。彼は死んでしまうが、道化た男が死ぬので、よけい悲しいのだという解説であり、そういうものかとひどく感心したものである。 以前ある落語の会で、たまたまドアの隙間から廊下で出番をまつ、人気噺家の横顔を一瞬見てしまった。それはまるで死にそうに悲壮な表情であった。数秒後にはハイテンションで登場し、会場は爆笑の渦であったが、シロウトがあんなところを見るものではない。その姿に打たれ、しばらく笑いが引きつってしまった。お笑い芸人ほど、神経が繊細な人種はいないようである。 柳家三亀松を支えたのは、その粋さを含め、女性経験などよりむしろ、若い頃のタフな川並(川で材木を扱う職人)の経験なのかもしれない。


9某日13 浮かれ三亀松 吉川潮(新潮社刊)

生前の柳家三亀松の記憶はほとんどないが、いつかTVで、スタジオのセットを背景に三味線を弾く、ごく短い映像を見たことがある。さしつさされつ、男女のなにやらを一人で演じるわけだが、その異様ともいえる色気に打たれた。最近はもっぱらCDで聞いている。 深川で生まれた三亀松の物語。現在では考えられない芸の世界である。こういう粋な芸人が、どうやって生まれたのかが良く描かれていて面白い。藤山寛美、勝新太郎などの遊びっぷり、金の使いっぷりが、三亀松に由来していたとは面白い。しかし本家は奥さんのおかげか、最後収支が合ったような死に方で、読後穏やかな気分で本を閉じることができた。木場在住の私としては、なじみの場所がでてきて楽しく、一気に読んで気が付くと夕方。食事をとるのを忘れていた。 日本橋あたりからは川向こうといわれた深川より、さらに向こうに育った私だが、『あっさりと命も恋もあきらめる江戸育ちほど哀しきは無し』誰だ子供の私に、男はあきらめが肝心などと吹き込んだ野郎は!


9某日12 一日

昨晩、ソフトを削除しようとして、おかしな事をしたらしく、メール送受信の調子が悪い。 銀座伊東屋に行き材料を買い、青木画廊へ。『似非機械展』 スーパーで買い物をし、近所の電気屋のTVで、タイでクーデターのニュース。 煮込み屋K本によると、すでに常連のメートルが上がっている。いい年輩がウンコだオシッコだと今日はまるで子供の集まりである。私はバレエ・リュスの名花、タマラ・カルサヴィナを作り始めようと思っていたので、あまり空気に染まらないようにしていたが、くだらなすぎて笑ってしまう。しまいには絶妙なタイミングな放屁に、気分が緩んでカルサヴィナは日を改めることに。本来、これがこの店の良さなのだが。 安部晋三自民党新総裁。岸信介から、総裁になりそこねた父親と、その執念が気持ち悪いってんだ。


9某日11 F64

かつてのピクトリアリズム写真全盛(1910〜20年)の、ソフトフォーカスレンズの使用や、顔料を使い手を加えるような手法の流行した時代から、写真はあくまで、ありのままを表現すべきであるという時代がくる。いわゆるストレート写真である。そのなかでもF64グループが有名だが、F64というのはレンズの絞り値であり、64までレンズを絞り、シャープなディテールを表現したことから付いたグループ名である。 しかし歴史も巡り、見たまま撮ってどうするタイプのピクトリアリストの私は、この類が苦手であり、一部の作家を除いてあまり興味がない。 時代からするとアナスチグマットレンズの時代であるし、エドワード・ウエストン始め、当時の新レンズを使っている風である。しかし実際はそうではなく、連中は、もっと古いタイプのレンズを使っていたのではと推理する人がいる。作例を見せてもらい、その立体感に納得。すぐに同タイプレンズをポルトガルから落札した私である。そしてさっそくF64まで絞るぜと、良いと思えば実に変わり身が早い。 というような話を聞きたければ、田村写真10周年展に行って、田村氏に聞いてみるとよい。


9某日10 これが最後

Hから、魚をショップに買いに行きたいのを止めてくれとメール。前々回に買ったフラワーホーンが、あまりにメタリックに輝くので、次に買った魚が見劣りし、また良いのを探しに行きたいというわけである。といっても、順調に育てば30センチ超の魚なので、そう次から次とはいかず、これを最後にと悩んでいるわけである。 その気持ちは解る。私も最近、今まで飼った魚で一番だなどと調子にのっていた魚に死なれ、まだあんな魚がショップに残っているのではと、身をよじったからである。しかし私はすでに落ち着き、ウチにいる連中を、できるだけ良い色に仕上げることに専念することにした。 昨晩は再び、お気に入りのメタリックを仕事場から住まいに移し、ワイン片手にウットリ、酩酊状態のメールがきた。嬉しそうなのは良いが、この魚が時に30センチを越えることを、家族に内緒にしていることは間違いなく、奥さんが”異変”に気がつく日が楽しみである。 昨日、ポルトガルより出品された4×5インチ用レンズを落札。熱帯魚はともかく、私にはこれが最後のレンズの予定なのだが・・・。


9某日9 中井英夫誕生日

図書館に行ったついでに、百科事典から数冊出してもらい眺める。『日本百科大事典』(全23巻)昭和出版研究所編/小学館/絶版1962年刊行、50万部超のベストセラーで、当時百科事典ブームを巻き起こしたものである。これは中井英夫が編集していた百科事典で、小学〜中学あたりまで愛読した私には思い出深いものである。今見直してみると、記憶と違っている部分もある。イヴ・モンタンは、当時シャンソン歌手だと知らず、映画スターだと思っていたので、シャンソンの項に載っていたのが意外だった記憶がある。そのせいか、もっと大きく扱っていたと思っていたが、それほどでもない。(中井はモンタン、ファン) 三島由紀夫とイブ・モンタンと、たまたまよく覚えている事が中井にちなんでいるというのも、偶然ではないような気がする。などと、中井英夫の読者はつい言いたくなるものである。 舐めるように読み、匂いまで記憶している私としては、なぜあれほど私に読ませたのか、あらためて知りたい気がしている。ボディビルの項の裸の三島の裸体。中井の依頼だったそうで、子供の私には違和感があったが、そのように中井エキスが、密かに散りばめられているはずなので、そのつもりで再読してみるのも面白いはず。今日は確認し忘れたが、『薔薇』の項などコッテリしてるかもしれない。 他の著作と違って、忘れ去られていく仕事なのが残念だが、中井マニアは備えておくべきであろう。私は図書館で充分だが。


9某日8 1日

フラワーホーンは、メスは背びれに黒い模様が入り、おでこがあまり出ない。メスだと思って買ったフラワーホーンが実はオスだった。と思ったら輸卵管が出てきてメスだった。稚魚の間は特に判別は難しい。同時期に飼い始めた友人Hは稚魚の中からメスを選び出し、よく判りますねと店員に感心されたと、先日嬉しそうにメールをよこしたが、逆に輸精管が伸びてきてしまったらしい。 さっそく雌雄一緒にすると噛み合いを始めた。私は未だに求愛行動とケンカの区別が付かないという野暮な飼い主なのだが、とりあえず第一回のお見合いという事で、互いのダメージが大きくなる前に引き離した。 夕方、角の煮込み屋K本にいくと、常連4人がすでに陣取っていた。メンバー、座る位置と昨日と寸分も変わっておらず、ほんとうに一日経っているのかと疑う。


9某日7 おかしな夢

ニジンスキーが舞台で一人、即興で踊っている。私は劇場スタッフなのか、舞台の袖から観ていると、客席の中に、タキシード姿のモダンジャスの開祖チャーリー・パーカーがいる。横にいるディアギレフに「おいバードが来てるぜ」(何故か偉そうな私)「それは誰だ。金持ちかね?」「あんたは、そればっかしだな」 パーカーはケースからサックスを取り出し吹き始めてしまう。客席はざわつき悲鳴を上げる人までいて、収拾がつかなくなる。幕を下してしまうディアギレフ。「な、なにすんだよ。いいとこだったのに!」掴みかかる私。おかげで劇場をクビになってしまう。場末のバーで額を寄せ合い、今後の身のふり方について相談する、パーカーとニジンスキーと私。 バレエファンではない人間が、ニジンスキーの名を始めて知るのは、英国の三冠馬ニジンスキーか、コリン・ウイルソンの『アウトサイダー』ではないだろうか。ひさしぶりに『アウトサイダー』福田恆存・中村保男訳(紀伊国屋書店)の4章『制御への試み』の中のニジンスキーを読む。天才にも色々なタイプがある。生まれつき言語表現が苦手で黙考型のニジンスキーと、口八手八で詐欺師に近いパーカーという違いはあるが、二人は同タイプの天才である。


9某日6 出不精

東京でも特に下町出の人間に、多く見受けられる気がするが出不精が多い。今日も待ち合わせ場所がすんなり決まらなかった。お互い、わざわざ出かけていって拝むほどのツラではないと、思っているせいもあるのだが。 江戸城から西側は、田村写真をのぞけば、無くなってもあまり困らないほど出かけない。反対側だって似たようなものだが。 昔、ツアーでNYに出かけたとき、(唯一の海外)中華街、イタリア人街から一歩も出ずに生涯を終える人がいると聞き、その行動範囲の狭さに呆れ、『やっぱり、こいつらどこか足りない』と思ったものだが、それは私がNYくんだりまで出てきて、気分が大きくなっているだけで、私も足りなさ加減は似たようなものであり、幼馴染の中には、中学の修学旅行以来、旅行をしたことがない豪傑までいる始末である。


9某日6 ウドン

最近ウドンの番組をよく目にする。実に美味そうに食べているが、このままだと、私はウドンの美味さを理解できずに死んでいくのであろう。以前にも書いたが、昔、東京のウドンは不味かった。蕎麦食いの父は、病人の食い物だと言っていたし、たしかに消化だけは良さそうで、風邪をひいた時はお粥かウドンであった。 TVではビニール袋に入った茹でたてのウドンを、醤油だけでズルズルやっていたり、よほど美味くなければならないだろう、と想像するのだが。 蕎麦と違って、ウドン粉の香りなど大した物とは思えず、太いウドンがウワバミのように飲み込まれていくのを見ていると、一体何がそんなに美味しいのか不思議なのである。私はツルツルとして腰があまりにある麺は、喉のあたりでウッとなりがちで(よって盛岡冷麺など苦手)そのせいもあろうか。しかしウドンに関しては多少悔しい。


9某日5 糠ミソと煙草

糠床を覗くと、すでに芳しい香りがしている。しかし、漬かったキュウリをかじるとショッパイ。どうやら雑ぜた糠が手抜き主婦用の、塩やら何やらが、すでに入っている糠のようである。そこにさらに塩を入れてしまったのであった。ただの糠を買ってきて調整。久しぶりに三島由紀夫の表情を少し変えているのだが、どういうわけか三島を作っている時、手が糠みそくさいような気がする。 もともと鼻は悪い方ではないが、タバコを止めたせいでタバコの臭いにも敏感である。隣室や階下から漂ってくる煙にすぐ気が付く。先日アマゾンで書籍を注文したら、その包装用段ボールからも。


9某日4 伝説の男ふたたび

田村写真10周年の準備はすすんでいるようだが、普通の写真展と違い、事務所で使っている真空管アンプで、ふだん聴いている音楽を流したり、プリント制作の映像を公開したり、田村写真の日常が伺えるような工夫をするそうである。希望者にはプリント技術のレクチャーもあるらしい。 私のプリントも数点展示されるが、それは作家シリーズ以前の、ジャズ・ブルースシリーズである。このシリーズ最後の個展となった96年の、半年くらいの間に撮影した作品がすべてである。これで最後にするつもりは無かったのだが、どうせなら作り物でしか実現しない作品をと、翌年には作家シリーズに転向した。 今思うと、人形制作から撮影まで、短期間でよくやったという気がする。その個展では、田村氏がロバート・ジョンソンの人形を買ってくれたのだが、それも展示したいという申し出である。ジャス・ブルースシリーズの中でも、写真が数点しか残されておらず、十字路で悪魔と取引したなどという伝説がある人物こそ、やりがいがあったものである。


9某日3 国立演芸場

祖母伝来の糠床。容器のプラスチックの蓋が割れ、ラップをしたまま○ヶ月放っておいた。意を決して覗いてみると、今回もカビは生えていたが、痛んだ様子はない。カビを取って半分に減った床に、ヌカ、糠味噌カラシ、塩、卵2個、キュウリ。水分はビールで。心を入れかえ、熱帯魚並みに面倒みることにしよう。 5時半に演芸場。演芸好きの二人のTさんと落ち合う。松鶴家千とせ企画。始めにマジックのPONTA。私の従兄弟である。お年寄りと子供に強い。声帯模写の丸山おさむ。相変わらず安心して見ていられる。コント、森はじめと2人。この浅草調、師匠と弟子のコントは、誰が元祖なのであろうか。そして、なんと言っても、パーラー吉松。相撲の形態模写は、輪島や北の湖とレパートリーが古かったが、今回は朝青龍も登場。そして十八番『男の人生』で大笑いする。歌まね、川口ひろしは初めてだが、喋ってるうちから美空ひばりをやるのが判った。尺八漫談はたのぼる。生では初めて。盛り上げ方はさすがである。サツマイモも吹いてくれた。 中入り後、『人生港』を歌う黒羽三郎。そして菅原都々子。昔の歌手の中でも個性的な歌い方である。個性的で(音響のせいもあろうが)テンポによっては、どんな旋律なのか解らない場合も。『月がとっても青いから』聴いて良かった。そしてトリは、見といて良かった松鶴家千とせ。


9某日2 パノラマ

8時過ぎに目が覚めたので、富岡八幡の骨董市に出かける。 アナログLPどれでも百円。カーリー・サイモン『ノー・シークレッツ』レスター・ヤング、ジョニー・ホッジス他の部厚いコロンビア盤など買う。 以前、金子國義の『不思議の国のアリス』オリベッティ版2冊が、カストリ雑誌に混ざって無造作に置かれているを見つけて以来、かならず覗くオジサンのところへ寄ると、額付きの古いパノラマ写真。画面サイズ約110センチ×20センチ。オジサン、この商売に向いてないのか、値段を聞くと指を突き出すが、桁違いに安くて値切る気にならない。指を出す時、申し訳ないけど思い切って言うぞという表情が良い。オジサンじゃなければハグしたいところであるが、古書店、骨董市では、ブツを受け取るまで、ゴルゴ13のように私に笑顔はない。剥き出しのまま抱えてホクホク帰る。 時代は判らないが、流れる河の流れが表現されているので、感材に、ある程度の感度がある時代である。おそらく、カメラが回転するすることにより、広角度のパノラマ撮影をする、サーカットカメラで撮ったものであろう。撮影場所は外国だということしか判らない。


9某日1 ポラロイド

いつのまにか集まってしまった大判古典レンズ。古いレンズは万能ではない。撮影時に、あのレンズを使った方が良かったかもと、考えることはストレスになる。こういう場合はこのレンズと決めるため、キャラクターを掴んでおかなくてはならない。 撮影対象が動かない人形だからといって、あれで撮ろう、これでも撮ろうと思ったり、失敗したら、明日撮り直せば良いと考えてはいけない。シャッターチャンスは外側にあるものではなく、自分の中にあるものなので、まちがいなく昨日のイメージは帰ってこない。 未だ撮影したことがないレンズなど引っ張り出し、先日、新聞に写らないように、どかしておいた物など置いて
テスト撮影。