コルトレーンになるとき 


私には二十年以上つづけている音楽の聴き方がある。週に一二ど部屋を暗くし、ヘッド

フォンを付け、観客を前にしたミュージシャンになりきるのだ。ギタリストの時はギターを、

サックス・プレーヤーの時はサックスを抱えたりする。ある時はカウント・ベイシー楽団を

バックにしたブルース・シンガーになり、ある時はチェット・ベーカーになって、前から三

列目の御夫人をノックアウトしたりするのだ。この時の私の姿は断じて他人に見られては

いけない恥ずかしい状態なのだが、今まで二人の友人に目撃されてしまった。薄暗いなか、

恍惚の表情でサックスのキーをパタパタさせている私の姿があまりにも悲しかったか、その

後そのことにはふれないでいてくれるのは有り難い。

ジョン・コルトレーンとしても数々のステージをこなしてきた私だが、一番のレパートリーと

いえば、なんといっても「ジャイアント・ステップス」だ。曲といい、アルバムとしてのまとまり

といい、いうことがなく、リー・フリードランダーのジャケット写真も印象ぶかい。私がコルトレ

ーン像を作った時、カメラのファインダーごしに見上げては一人ほくそ笑んだりしたものであ

る。これ以降のアルバムになると、言いたいことがもっとすっきりしてからレコーディングして

くれよと、江戸っ子の私にはいささか耐えられないものがあって、あまり聞くことはないが、

コルトレーンがきっかけで、エリック・ドルフィーを好きになり、おかげでレスター・ヤングを好

きになるのに時間がかかってしまったりした。


そんなわけだが今後も、コルトレーンになる時は、あのみょーに長い指で、「ジャイアント・

ステップス」を演奏しているつもりになることであろう。しかし実際は、チャーリー・パーカー

のような指がサックスをパタパタさせているだけなのであるから、そんなところはやはり人に

見せるわけにはいかないのだ。
 

「ジャズ批評」 コルトレーン特集 97’