河童
 《あらすじ》
季節は梅雨。鎮守の杜の石段の下で、奇妙な小男と猟師が遭遇するところから話は始まる。
ある沼に住む河童の三郎は久しぶりのお天気に海辺で日向ぼっこをしていた。 そこへ東京から
遊びに来たのが笛吹きの芸人と女房の踊りの師匠に、女房の師匠仲間の娘であった。 
娘の白いすねに見惚れた三郎は尻をさわろうと近づくが、見つかりそうになりマテ貝の穴 に
隠れる。そうとは知らない旅館の番頭に、ステッキで突かれ腕を折られてしまう。 
三郎は鎮守の杜の姫神様に仇討ちを願い出る。 



   雨を含んだ風がさっと吹いて、いその香が満ちている――今日は二時頃から、ずッぷりと、一降り降ったあとだから、この雲のかさなった空合そらあいでは、季節で蒸暑かりそうな処を、身にみるほどに薄寒い。……

   「しいッ、」
「やあ、」
 しッ、しッ、しッ。

曳声えいごえを揚げて……こっちは陽気だ。手頃な丸太棒差荷さしにないに、漁夫りょうしの、半裸体の、がッしりした壮佼わかものが二人、真中に一尾の大魚を釣るして来た。魚頭を鈎縄かぎなわで、尾はほとんど地摺である。

 
   前へ立った漁夫りょうしの肩が、石段を一歩出て、うしろのが脚を上げ、真中まんなかの大魚のあごが、端をじっているその変な小男の、段の高さとおなじ処へ、生々なまなまと出て、横面よこづらひれの血で縫おうとした。
 その時、小男が伸上るように、丸太棒の上から覗いて、

無慙むざんや、そのざまよ。」

と云った、まなこがピカピカと光って、

「われも世をのろえや。」


と、首を振ると、耳まで
かぶさった毛が、ぶるぶると動いて……なまぐさい。
 
  丸太ぐるみ、どか落しでげた、たった今。……いや、遁げたの候の。……あかふんどしにも恥じよかし。 
 
 
 
   あおざめた小男は、第二の石段の上へ出た。沼のたような、自然の丘をめぐらした、清らかな境内は、坂道の暗さに似ず、つらつらと濡れつつ薄明うすあかるい。

 
   「和郎わろはの。」

「三里離れた処でしゅ。――
国境くにざかいの、水溜りのものでございまっしゅ。」

「ほ、ほ、
印旛沼いんばぬま、手賀沼の一族でそうろよな、様子を見ればの。」

「赤沼の若いもの、三郎でっしゅ。」

 
 
《柳田國男》
 「……何、それで大怪我じゃと――何としたの。」

「それでしゅ、それでしゅから、お願いに参ったでしゅ。」

「この老ぼれには何も
かなわぬ。いずれ、姫神への願いじゃろ。お取次を申そうじゃが、忰、趣は――お薬かの。」

「薬でないでしゅ。――
敵打かたきうちがしたいのでっしゅ。」


「ほ、ほ、そか、そか。敵打。……はて、そりゃ、しかし、若いに似合わず、流行におくれたの。敵打は近頃はやらぬがの。」

「そでないでっしゅ。仕返しでっしゅ、
喧嘩けんかの仕返しがしたいのでっしゅ。」

「喧嘩をしたかの。喧嘩とや。」

「この左の手を折られたでしゅ。」

 
   
「その番頭めが案内でしゅ。
円髷まるまげの年増と、その亭主らしい、長面ながづらの夏帽子。自動車の運転手が、こつこつと一所に来たでしゅ。が、その年増を――おばさん、と呼ぶでございましゅ、二十四五の、ふっくりした別嬪べっぴんの娘――ちくと、そのおばさん、が、おばしアん、と云うか、と聞こえる……すずしい、甘い、情のある、その声がたまらんでしゅ。」

 
   「――この吸盤すいつき用意の水掻みずかきで、お尻をそっでようものと……」

「ああ、約束は免れぬ。和郎たちは、一族一門、代々それがために皆怪我をするのじゃよ。」
 
 河童  「御鎮守の姫様、おきき済みになりませぬと、目の前のかたきながら仕返しが出来んのでしゅ、出来んのでしゅが、わア、」
 
とたちまち声を上げて泣いたが、河童はすぐに泣くものか、知らず、
駄々子だだっこがものねだりするさまであった。

「忰、忰……まだ早い……泣くな。」
 と翁は、白く笑った。

 
   「――その話の人たちを見ようと思う、翁、里人の深切に、すきな柳を欄干さきへ植えてたもったは嬉しいが、町の桂井館は葉のしげりで隠れて見えぬ。――広前の、そちらへ、参ろう。」

 はらりと、やや
蓮葉はすは白脛しらはぎのこぼるるさえ、道きよめの雪の影を散らして、はだを守護する位が備わり、包ましやかなおおもてより、一層世のちりに遠ざかって、好色の河童のたわけた目にも、女の肉とは映るまい。

 
   「ああ、見えましゅ……あの向う丘の、二階の角のに、三人が、うせおるでしゅ。」


森の雲に包まれつつ、その旅館――桂井の二階の欄干が、あたかも大船の甲板のように、浮いている。
 

遠近おちこち法規おきてが乱れて、赤沼の三郎が、角の室という八畳の縁近に、びんふっさりした束髪と、薄手な年増の円髷まるまげと、男の貸広袖かしどてらを着た棒縞ぼうじまさえ、もやを分けて、はっきりと描かれた。

 
 「赤沼の三郎、仕返しは、どの様に望むかの。まさかに、生命いのちろうとは思うまい。
厳しゅうて笛吹は
めかち、女どもは片耳ぐか、鼻を削るか、あしなえびっこどころかの
――軽うて、
気絶ひきつけ……やがて、息を吹返さすかの。」
 
   「えい、神職様かんぬしさま馬蛤まての穴にかくれた小さなものをしいたげました。うってがえしに、あの、ごろうじ、石段下を一杯に倒れた血みどろの大魚おおうおを、雲の中から、ずどどどど!だしぬけに、あの三人の座敷へ投込んで頂きたいでしゅ。気絶しようが、のめろうが、鼻かけ、はッかけ、おおきさいの目の出次第が、本望でしゅ。」

 
果たして三郎の仇討ちはかなうのでしょうか ?!
 

 風涛社刊

A5判上製 96ページ
2013年9月発行
本体2,200円

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 河童 お姫様、トッピキピイ、
あんな奴はトッピキピイでしゅ。