石塚公昭 観念世界の肖像  文- 中村隆夫 多摩美術大学助教授



 石塚公昭は今年で四三歳、ユニークなアーティストである。彼の作品は既成のジャンル

では語りにくい領域に踏み込んでいる。
 
一九九七年から翌年にかけて、日本の洋酒メーカーのテレビCMに、彼の制作したジャズ

ミュージシャンの人形が使用されていた。あれが彼の作品である。石塚はジャズ好きが高じ

て、ジャズ・ミュージシャンの人形を制作するようになった。人体、顔はもちろんのこと、衣服、

楽器、小物までも彼は器用に制作する。だが人形があまりにリアルになり過ぎてしまったため、

彼は新たな方向性を模索して来た。何故リアル過ぎることが懸念されるのか、それは似てい

ることで終わってしまう危機感である。例えば私は国内外で有名人の蝋人形を幾つも見てき

たが、そっくりという驚きと不気味さだけが後味悪く残ってしまう。石塚の人形は蝋人形とは

異なるのはもちろんだが、彼はもっと別な内面的リアリティを追求する。

 人形作家として出発した石塚は、最近では写真を使用している。しかもかなりのテクニック

を要するオイルプリントである。少し長くなるが、この技法に関する彼自身の言葉をそのまま

引用することにする。 

 「オイルプリント 1904年イギリスのローリンスにより考案される。紙にゼラチンを塗布し、

重クロム酸カリ溶液によって感光性をもたせ、ネガと密着して太陽光で焼きつける。その後

流水で水洗すると、シャドー部は硬化して水分を吸収しにくくなり、ハイライト部は水分を吸

収して膨張する。それにより紙上のゼラチンがレリーフ状になり、そこに油性絵具をブラシで

叩きつけていくと、水分の少ないシャドー部には絵具が付き、水分を多く含むハイライト部は

油性絵の具を反発して受け付けず、これにより階調が表現される」。 

このひどく忍耐とテクニックを要する技法によって、石塚は写真に絵画的要素を強く求める。

彼のオイルプリントを段階的に見て行くなら、まず「NUDE WITH TRIANGULAR 

SUNLIGHT」
を挙げたい。ここには彼の光に対する興味が強く出ている。タイトルにもある

が、三角形のハイライトは構図の基調を成している。強いコントラスト、周囲の陰のもやもやとし

た部分、これらはまさにオイルプリントならではの効果である。彼は自分のイマジネーションに

従って光と陰を造り出せることを確認している。
 
 次の段階がジャズ・ミュージシャンのシリーズである。リアルになり過ぎた人形とは別のリアリ

ティが、石塚独自の表現となってここで結実する。例えば「BLIND LEMON JEFFERSON」

ギター、眼鏡、マグカップ、サムピック、背景の壁等は彼の手作りである。この作品では、ジェファ

ーソンの似姿だけでなく、音楽性がオイルプリントの効果によってうまく醸し出され、温かみのある

音が重く胸に響いてくる。楽器が描かれた名画は数多いが、視覚を通じて音を感じさせるものは

ほとんどない。視覚は人間にとって最も喚起力の強い感覚だが、これによって聴覚と嗅覚を喚起

することはかなり困難である。石塚は人形と写真の組み合わせによって、人間性と音楽性の双方

を表現し得ている。 石塚の作品が現段階で頂点に達するのは、私が勝手に「文学者シリーズ」

と呼ぶものにおいてである。澁澤龍彦、泉鏡花、寺山修司、谷崎潤一郎をモチーフにした作品群

である。この種のモチーフはミュージシャンとは異なり、執筆している姿ではその文学世界を喚起

することは出来ない。「TANIZAKI JUN-ICHIRO」では、和服姿の人形が表情なども含めて実

にリアルである。この似姿としてのリアリティに、背景のイメージとの組み合わせ、そしてオイルプリン

トの効果を加えて一気に谷崎の文学世界に入り込む。背景の足の裏は実際の女性のもので、谷崎

の人形の右側に大きくのしかかる陰は、その女性の臀部である。谷崎の純日本的なものへの嗜好

と「卍」等に見られる独特なエロティシズムが、眼に見える要素を通じて臭い立っている。 

 澁澤龍彦、寺山修司の場合も同様である。人形制作のテクニック、事物との組合せのセンス、

そしてオイルプリントのテクニックが要求されるだけでなく、石塚独自の的確で深い谷崎解釈、澁澤

解釈が要求される。これは何とも割りの悪い仕事である。だがこの困難を克服した彼の作品は、技

法も含め完全に石塚の独壇場となっている。次にどんな作品を発表するのか、期待に胸を躍らされ

るアーティストである。                         


展評 アートヴィレッジ第3号より