目羅博士の不思議な犯罪

3某日6 目羅眼科

乱歩の短編『目羅博士』用の二十センチほどの看板を作る。二枚目。なぜか目羅医院と思い込んでいた。板に下書きをした時点で目羅眼科だったかな?という気がしてきた。本を探すが、どこに潜り込んだか出てこない。図書館を検索してみると近所の図書館にはない。知人にメールで訊くがすぐに返事は来ない。ここで私の悪い癖がでる。造りたくて我慢が出来なくなってしまい、遠くの図書館など行ってられない。板に文字を彫り、金看板というのは覚えていたので金色をさす。なんだか与太った字になってしまったが、これも味ということにしよう。しかし結局『目羅眼科』なのであった。 二枚目は改良され、さらに看板らしくなった。失敗して良かったと無理矢理思い込む。与太った字の何処に味などある。 目羅眼科があったとされる場所はその昔、一丁倫敦といわれた場所だと教わった。後の丸の内オフィス街である。撮影場所はすでに決めてあるので来週撮影の予定。看板も持って行き、建物と同じ光を当てて撮影しておく。そうすれば、ウチで光を再現して撮影する必要がなくなる。結果、ペラペラの板切れが、道場破りが持っていきたくなるような看板になる予定である。

P98


3某日7 D坂の三人書房

『目羅博士の不思議な犯罪』は月光が重要である。というより、この犯罪はすべて月光のせいである。当然、月の光が降り注ぐシーンが必要だが、長時間露光による夜間撮影ではイメージに届かない。そこで”アメリカの夜”でいくことにした。 (1)目羅眼科 古風な煉瓦作りの、小型の長屋風の貸事務所。入口に石段。(2)自殺ビルS通り(→外濠通りか。今の大手町辺り?)に面した、コンクリートのビル。「正面は明るくて立派」だが、背面に廻ると「別のビルディングと背中合わせで、お互いに殺風景な、コンクリート丸出しの、窓のある断崖が、二間幅ほどの通路をはさんで、向き合って」いる。五階の北の端の部屋で、窓の外にある電線引込み用の小さな横木に細引をかけて、首吊り自殺が起こる。(3)向かいのビル 「同じくらいの大きさで、両方とも五階」。「表側や、側面は、壁の色なり装飾なり、まるで違っている」が、「峡谷のがわの背面だけは、「屋根の形から、鼠色の壁の色から、コンクリートのひび割れまで、同じ形を」している。 目羅眼科に続き『三人書房』の看板を造った。団子坂の古本屋といえば、乱歩が経営した三人書房ということになる。

昼間に夜のシーンを撮るハリウッド用語。普通名詞になっている。降り注ぐような月光にするため、強い日差しの昼間に撮影した。


3某日10 一日

昼過ぎにTさんと待ち合わせ、T大構内を案内してもらう。 新入生の部活の勧誘をやっている。「今のうち始末しておいた方が日本の将来のため、なんていうのが何人か混ざってるんでしょうかね。」などと話しながら古い校舎を見学。Tさんと別れたあと小雨が降りだすが、かまわず上野動物園に向かう。目的は『目羅博士』冒頭の
※サルなのだが、カバも見たい。先日TVで”ド草食”と思っていたカバが、ワニの獲物を横取りし、シマウマやヌーをバリバリ食べているシーンを見たからだ。少なくとも今月中、あれ以上驚くことは起こらないであろう。実際は相変わらず草しか食べないような顔してトボケていた。雨に濡れながらサルを撮る。別に良い表情など必要なく、サルとして写っていればよい。乱歩は目羅博士の中で『動物園でもそうだ。東京の人は、なぜか帰りいそぎする。まだ門がしまったわけでもないのに、場内はガランとして、人けもない有様だ。』『下足場の混雑ばかり気にしている江戸っ子気質はどうも私の気風に合わぬ。』と云っているが、目羅博士が書かれた昭和六年に比べると、東京人の気質も変ったようで、門を閉めるとアナウンスがあってもダラダラゾロゾロ。 帰りに上野方面に向かい、鈴元演芸場近くで、九代目襲名の林家正蔵が、子供用自転車に乗っているのを見かけたのを思い出した。「あの子サンペイんとこのチビじゃんか。」云ってる私も、まだ十代であった。

P87


3某日11 月光の妖術

乱歩作品の話を人としていると、細かいディテールについて、それぞれ異なったイメージを持っていて驚くことがある。私にしても読み返してみて、勝手に思い込んでいたことが多いことに気付く。それだけなら良いが、ちゃんと読んでいても、人によってディテールの解釈が異なる。それは当然そういうものであろうが、乱歩作品は特にはなはだしい。だからこそ映画化された乱歩作品を観ては、違和感を感じるのだろう。 あいまいに書かれているところが、また怪しく、乱歩は着火だけしておいて、読者の頭の中ににモクモクとイメージが沸き続けるような仕組みになっている。まるで月光の妖術を利用した目羅博士である。やはり博士は乱歩にやってもらおう。最後は博士本人も月光に惑わされて死んでしまうが、乱歩は律儀な人物なのである。 
『首吊りの姿が、少しも恐ろしくも醜くも見えないのです。ただ美しいのです。』こんな場面は相手にしてはいけない。しかし、判ってはいるが、つい窓枠に腰をかけ、ビルの谷底を見つめている私である。考えてみると乱歩をテーマに何か作ろうなどと考える人達は、みんな乱歩の妖術に犯されているのであろう。

※この段階では、絵のように美しいなどという首吊りシーンは避けたいが、作らざるを得ないのではないかと悩んでいる。


3某日12 都会の渓谷

目羅博士は不思議な味のある幻想的短編だが、ルンペン青年の語る、都会の風景描写が効果をあげている。 銀座界隈にでかけ、ビルを見上げながら撮影してまわった。それにしても趣のあるビルは激減している。そのままでは、とても使い物にならない。 歩いていて新しいアイディアが浮かぶが、こういった物は上から降ってくるのか、上を向いた時に起きやすい気がする。血流の関係だろうか? 歩き回ったので某ハンバーガーショップに立ち寄る。何とかバーガーと、ノンカロリーコーラを頼んで待っていると、ミルクお付けしますか?と云われる。何とかミルクと聞こえ、私の知らない新しい飲み方でもあるのかと、お願いする。カバがシマウマを食うご時世である。しかし結局先方の勘違いであった。すっかりコーラにミルクを入れる変な人になってしまう。お姉さんも、自分が間違えといて笑ってやがる。 帰宅後さっそく現像し、風景に月光を振り掛ける作業に没頭する。合わない光線状態があることも判ったが、どんな風景も月夜にしたくてしょうがない。


3某日15 立川志らく「国立お花見落語会」

―帰宅後、『目羅博士の不思議な犯罪』の首吊り死体役をお願いしていた友人から、快諾のメール。2秒くらいなら我慢してくれるだろうか、というのは冗談だが。


4某日3 撮影

悪魔と取引するロバート・ジョンソンや気球の乱歩、その他様々な撮影に利用してきたマンションの屋上にて、『目羅博士の不思議な犯罪』用の首吊り死体を撮影する。死体役には、コニーアイランドの見世物小屋で、チャイニーズ・ネックハンギングマンとして永らく活躍した人物にお願いした。本人は5分は大丈夫だというが、20秒ほどで苦悶の表情になってきたので、適当に切り上げる。ブランクが響いているようであった。それにしても首吊り死体が美しいのです。とは乱歩先生、困ったことを書いてくれる。○○○が美味しいのです。というようなものである。 その後、『D坂の殺人事件』用の古本屋のパーツとなる建物を撮影に出かける。事件が起こったのは夜なので日没を待つが、街灯は明々と照らしているし、車のヘッドライトは行きかうし、条件は良くない。結果によっては撮り直しということになるであろう。 ※前半部分には少々フィクションが。

P98 ※P31


7某日1 電球

―作品集の目羅博士の中に、1カット絵を入れた。目羅博士の世界は、写真だけでは頭の中のイメージが実現されず、しかたなくだったのだが。こんな時も、うっかり悪戯描きができない。たいてい最初に描いたものを超えることがないのである。おかげでゴミ袋の中から、寝ころがって包装紙に描いた6センチくらいの悪戯描き探し出し、スキャンして拡大した。”絵本の”パロル舎だし、反対されると思ったら下手糞な絵が使われる事になってしまった。―

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