人間椅子

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5某日11 人間椅子

江戸川乱歩の『人間椅子』用椅子を造り始める。椅子の中に潜んだ男は、薄い皮を隔てて、座った人間の感触に妄想を膨らます訳であるが、座る方は妙な座りごこちであろう。 乱歩作品は合成など駆使しないと実現しないイメージが多く、印刷原稿や、インクジェットのプリントにしかならないような作品は造る気になれなかった。しかしこれからは、デジタル出力したネガを元に、展示、保存に耐える、銀塩プリントが可能になるので改めて考えている。 田村写真のプリンター田村氏に相談していると、いっその事プラチナプリントにしては、という話しになる。『江戸川乱歩のプラチナプリント』なんとゴージャスな響きであろう。口に出すと呆れるほどである。


6某日1 椅子を治す

―『人間椅子』作中では、作家で外交官の夫人が座る事になっている。書斎は作るより実写にしようと探していてある洋館の一室に決めた。決めたのは良いが、どうも私が作った粘土製の椅子が、その部屋に合わない。椅子として不自然ではいけない訳だが、人間が入っていると考えながら造ったせいであろう。その部屋に椅子が置かれたところを想像すると、妙な椅子を置くんじゃないと、立派な部屋が云っていた。

旧岩崎邸


6某日6 屋根裏の人間椅子

中井英夫以来、人形の眼鏡の作り方を変え、調子が良いので乱歩の眼鏡も作り変える。人間椅子用椅子もほぼ完成。人間椅子用と云っても、一見ただの椅子なのだが。 来週あたり、都内某所で室内だけを撮影する予定。その後、椅子に潜むために、椅子の格好をした乱歩を造る。椅子に座る婦人はホンモノを使うつもりだが、果たして上手くいくのだろうか。と云いながら、できるかどうか判らない物だけ造っていたい訳で、すでに”知ってる”ものを造るほど寂しく退屈な事はないのである。 特定の乱歩作品を表現する場合、今までのように人形一体に、シチュエーションを変えて何パターンというわけにはいかず、作品ごとに人形を作る事になる。

この段階では、何も決まっておらず、椅子の内部は人形を使うつもりでいた。


6某日9 志らくのピンPart2 第10回 岡部憲治プロデュ−ス 国立劇場演芸場

立川志らくのシネマ落語『地獄の黙示録』 今回も蕃茄 山人氏に誘っていただき三回目。 法政大教授で翻訳家の金原瑞人さん(娘サンが芥川賞)義太夫三味線の鶴澤寛也師匠と御一緒させていただく。 毎回、その構成と面白さに驚かされるが、地獄の黙示録が『木乃伊取り』というわけで、今回も熱演に笑わせてもらった。地獄の黙示録は昔TVで一回観ただけでほとんど忘れている。妙な映画だったという印象しかない。 競演はジャズの中村誠一氏。ドアーズの『ジ・エンド』を予想したが、全く違う選曲。生れて始めてバス・クラリネットを生で聴いた。 その後、蕃茄山人氏、鶴澤寛也師匠とで軽く居酒屋で。昨今のインターネット事情などについて話す。着物姿の鶴澤寛也師匠は、『人間椅子』の外交官夫人で作家の役にピッタリの雰囲気である。お願いしようか喉元まででるが、こんな話しを、ヘンな人と思われないように切り出す方法を模索しているうちにお開きの時間。


7某日2 「女が語る星月夜」 国立演芸場

川柳つくし(落語・新竹取物語) 神田紅(講談・南総里見八犬伝-八房と伏姫) 竹本越孝、鶴澤寛也(義太夫・壷坂観音霊験記-壷坂寺の段) 桂右團治(落語・竹の水仙) 平野啓子(朗読)望月美沙輔(篠笛) 各界の女性演者が七夕、星、月、夜などををテーマに。今流行りの異種格闘技戦のようで楽しい会であった。 ―手ぬぐいを頂いた寛也師匠には、人間椅子に座っていただくべく、水面下で静かに交渉中であるが、親戚の兄弟を、いずれ少年探偵団の小林少年とポケット小僧に仕立ててとノンビリ構えていたら、ポケット小僧が180センチを超えてしまった事もあり、思い立ったら吉日ではある。


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1某日17 人間椅子、撮影

3時間ほど寝て、暗いうちに起きる。普段だったらそろそろ寝ようという時間である。しかし早すぎたので駅のベンチで読書。 都内某豪邸に到着し、編集者Sさんと、佳子役の義太夫三味線の鶴沢寛也師匠と管理事務所に顔を出し、事前にめぼしを付けていた部屋に直行する。早朝なので光線の具合が気掛かりであったが、心配には及ばずイメージ通り。時間制限があるので、さっそく撮影に取り掛かる。寛也さんには、多少の演技をしてもらおうと考えていたが、予定を変更し、その存在感のみで行くことにする。ファインダーの中は、私が常用する無名で性能が悪いがゆえに、世界を印象派的世界に変えてしまうレンズにより、実に穏やかな画である。しかし、今晩から椅子の仕上げに取掛かる私と、その中で窮屈な思いをする乱歩先生とで、近々雰囲気が一変するであろう。

※視線の方向だけ指定。


1某日18 人間椅子

人間椅子用ネガをチェックしていて面白い事に気がついた。ストーカー椅子職人が潜んでいるであろう椅子を眺める夫人が、その椅子に対して嫌悪どころかいとおしみを感じているように見える事である。これは私の『人間椅子』に対する解釈に原因があるようである。 乱歩作品には『盲獣』に代表されるような、読者には強引とも思える展開で、始めは嫌がっているが、いつしか人外の虜になっていく女性がたびたび登場する。『人間椅子』は最後にスカされたようなドンデンガエシで終わるが、この夫人も御同様の心持になっていったとしても、おかしく無いのではないか。そして椅子の中に明智が潜んでいると思い込んだ黒蜥蜴が、椅子の革一枚を隔てて愛を語る三島版、黒蜥蜴のような展開を、私はどこかでイメージしていたのである。 好きな事ばかりやっている、マイペースで不細工な男が、なぜか女性にモテモテになる。というのはおそらく乱歩の主要な妄想の一つであろう。これは私の妄想でもあるのでよく解る。


1某日19 椅子を造る

男の魅力にはまってしまった夫人は、男とともに二人掛けの椅子になってしまう。しかし男は、天井板や革により隔てられていないと感じない男である。おまけに飽きっぽい性格。狭い椅子の中で惨劇が。などと考えながら椅子を制作。 乱歩は自作の変態猟奇的部分に嫌気がさし、反省して後に削除したりしている。またそんな事を随分書き残してもいるが、私は乱歩の云う事を額面通りに信じてはいない。当然、好きじゃなきゃ書けるものではないわけで、こんな事を書いているが、実は常識人なんだと見られたいというところであろう。 かくいう私も、だって乱歩がこんなことを書いているんだから、造らなけりゃ仕方がないですよ。と溜息をついている所を人には見せたいが、腹の中では乱歩先生、良くぞ書いてくれましたと感謝することしきりなのである。そして妙な物を造っても、私のせいじゃないという顔をしてしまう私なのであった


2某日3 粘土製の椅子

私の写真作品は40センチほどの人形を人間大に見せているわけだが、云ってしまえば手前にある物は大きく見えるという、仕組みは実に単純な物である。人形のサイズ、背景と人形との距離、人形とカメラとの距離、レンズの画角、人形に当たる光の調子など、微妙なものはあるのだが、今ではほとんど細かい事を考えないで撮る事が出来る。しかし、この方法の欠点は、常に手前に人形がなければならない。つまり実物の人なり物を、人形の前に配置する事ができないのである。しかしそれでは画面の展開に限りがあるので、デジタルでの合成という事になる。合成していると思っている人に、合成は一切していませんという快感が無くなってしまうが、イメージする画を実現するためなら、どんな卑怯な手だって使いたい私なのである。 ここ2日ほど『人間椅子』の1カットに四苦八苦していた。20センチほどの粘土製の椅子を、あらかじめ撮影していた夫人に座らそうと言うわけである。多少舐めてかかった事を反省しているが、満足できる画が出来上がった。この画では、この椅子は20センチの粘土製だという快感がある。

P63 男は軍隊用の携帯非常食”堅パン”を椅子の内部に持ち込んでいる。これはおそらく今でいう乾パンであろう。日露戦争の頃から研究されていたようだが、昭和に入り、ほぼ今の形に落ちついたらしい。糖分の補給のため、当時からコンペイトウとセットで携帯されたようで、それは現在の自衛隊でも同様だそうである。小説内にはコンペイトウは出てこないが、2,3粒添えてみた。


某日13 人間椅子

乱歩作品には、狭い所を好む閉所愛好症ともいえる人物が登場する。乱歩自身も狭い所が好きでサラリーマン時代、会社をサボって押入れに閉じこもったりしていたようである。 中でも極めつけは『人間椅子』であろう。男は椅子の内部に棚まで作って、水筒や乾パンさらに排尿用のゴム製品まで備えている。それは変態行為というより、むしろ秘密基地を作る子供を思わせるものである。さらに本棚があれば完璧であろう。 これが少々広くなったのが、旧乱歩邸土蔵ということになろうか。寒さで書斎化を諦めたそうだが、暖房用の電線まで引っ張ってきて、断念した時の乱歩先生の残念そうな顔が思い浮かぶ。 世の中には『人間椅子』に刺激され、椅子を特注した粋人が少なからずいるに違いない。家族には2、3日旅行に行って来るからと云って椅子に潜り込む。奥さんはまた始まったとウンザリだが、円満な家庭生活のため、気が付かないフリで旦那の奇癖に付き合う事になる。そういえば乱歩作品には変装して他人になりすまし、自分の家に通うという作品もあった。やはり奥さんにはとっくにバレていた。


2某日14 一日

『人間椅子』はあと2カットで終わる予定。2カットといっても合成があるので、そう気楽なものでもないのだが。椅子の中の椅子人間も二回ほど撮り直しをした。これは私自身が演ずるつもりであったが、微妙な調整が必要なので演芸好きベーシストTさんに、断腸の思いで玉座を譲ったのであった。人間椅子予告編 

この時点で人間椅子を製作したことにより、大分合成ができるようになり、後の作品の方向が変っていった。人間でやるべき部分を人形に、人形でやるべき部分をあえて人間にしてみたり等