視線のなかのアフターアワーズ 「デザインの現場」より 89年


黒人の人形をつくりはじめて九年ほどになるが、その間、アメリカはおろか、国外に出

たことがいちどもない。言葉の問題や、病的な方向音痴であるとか、理由はいろいろあ

るが、遊びならともかく、作品をつくるために本場に行き、ほんとうのことを見てくるという

のが、どうも野暮くさいような気がしていけない。 アメリカへ行き写真を撮ったり、スケッチ

などして、帰ったらこんな人形をつくろう、なんてことを考えている自分を想像しただけで

はずかしくなってしまう。 もっとも風俗模型をつくりたいというわけでなく、黒人の姿を

借りて、ある種の人間(たとえばプライドを持った男性像など)の自分なりのイメージを

表現できればと思っているので、それほど、必要を感じなかった、というのがほんとうの

ところだろう。  実在しない人間を、さも在るかのように、自分のつごうでつくりたいわけ

で、楽器などの小物以外は、写真などを参考にして造ることもない。


始めのころは、いまよりハデな動きで、歌っていたり、ギターを弾いていたりする姿が

多かったが、最近は、顔も無表情にちかくなり、ただ坐っているだけだったり、ギター

もケースに入れたままだったりというようになってきている。ボクサーの場合など、数年

前の人形は試合のさいちゅうだったが、つぎにつくったものは、コーナーに坐っている

ところで、今年の個展に出品したボクサーは、試合も終わり、バンテージをほどいて

いるところだった。個展のテーマも、アフターアワーズとした。 できれば、なにげない

表情で、より多くのなにかを感じさせることができればと思う。人形それ自体の主張が

限定され、いまこう想い、こう歌っているとしか見えないものは、あんがいうっとうしいし、

すぐ飽きてしまう。 つくっている本人としては、おれは、ソニー・リストンに、右のクロス

をぶち込んでやった男だぜ!とかバードとプレイするのは、スリルがあってホント大変

だよな、などとストーリーに酔ったりしてつくっているが、そのときの気分によって、

いろいろな見えかたがあるというふうになればいいと思う。


ただそうは言いながらも、黒人の人形としてつくっている以上、アメリカの黒人の人た

ちには、いったいどう見えるのだろうか、ということについて、気になってはいた。そこで

昨年、来日中のスティービー・ワンダーに直接会える機会ができたので、彼の人形を

持っていってみることにした。 なにしろ、黒人とあいさつを交わしたこともなければ、

面と向ったことすらなく、その始めてがスティービー・ワンダーでは、事と次第によって

は、今後、人形をつくることができなくなるようになるかもしれない、それぐらいの気持ち

だったと思う。ところがじっさい会ってみると、こちらが恐縮するほど喜んでもらえた。

今年七月の個展には、ちょうどツアーで来日中のシュガー・ブルーというハーピストが、

バンドのメンバーと立ち寄ってくれたが、ここで想像以上に、ウケてしまった。

言いたいことというのは、アメリカも日本もなく、けっこう通じるものだと、実感したのである。

なぜ黒人なのか、ということについては、けっきょく好きだとしか言いようがなく、理由と

いえば、そのぐらいしかない。だから、それ以外のひとの形というものも、つくってみたい

と思っている。 いずれにしても、テーマが、生と死だろうが黒人だろうが男や女だろうが、

人の形ほどおもしろいものはなく、人間に対する興味は

つきない。